試験終了
ホテルの部屋にイフルズが戻ってくると、ソフィアの姿が消えていた。
シャワーを浴びているのか、それとも用を足しているのかと思ったが、バスルームにもいない。どこかに隠れているのだろうか、と馬鹿な考えが頭を過る。だが、男たちから暴行を受けたあとの精神状態ではありえると思いなおした。
ソフィアに呼びかけながら、クローゼットやベッドの下を探してみるが、やはりどこにも見当たらない。部屋の中を探している途中で、三つあったはずのバックパックが二つになっていることに気づいた。
バックパックの近くには、未使用の予備マガジンが転がっている。まさか、と部屋に残されている銃の数を確認する。アサルトライフルが二丁、ハンドガンが一丁。部屋を出る前と変わっていない。
きゅっと、心臓が引きしまるような感覚に襲われる。冷や汗が頬を伝った。考えられる可能性は一つしかなかった。
ソフィアは武器も持たずに部屋を出て行ったのだ。
「何でそんな馬鹿なことを……」
イフルズは額に手を当て天井を仰いだ。目を瞑り、思い当たる節がないかと頭を悩ませる。しかし、闇の中で暗い思考しか現れず、考えるのを止めた。
まずは連絡を取ろう、と目を開く。個別通信でソフィアに回線を繋いだ。コール音。一回、二回、三回――同じ音が続く。無視されているのか、拒否されているのか、応答がない。一方的にこちらからグループ通信で話かけてもみたが、向こうからの返事はなかった。
イフルズは髪を搔き乱しながらベッドに腰を下ろす。起きた出来事の重さに耐えきれず、落胆して自然と項垂れる。
床を見つめながら、自分を責めた。
ソフィアを一人にしてはいけなかったのだ。彼女から聞いたトレスの最期に動揺して、自分を落ち着かせるために、外に行くべきではなかった。
もう少しでもソフィアのことを考えてやれば、こうなることは予測できたはずだ。彼女は、男である自分に怯えていた。手を差しだしたり、近くで立ちあがったりするだけで、体を強張らせていた。男であるというだけで、無条件に恐怖の対象だったに違いない。狭い部屋の中で自分といることに耐えきれず、逃げだしても何の不思議もない。
ソフィアは武器を持っていかなかった。仮に銃があったとしても、この戦場を彼女は一人で生き残れないだろう。すべて自分のせいだ。軟禁でも何でもして、守るべきだった。唯一生きていてくれた仲間を、死地に送りだすような真似をした。こんなざまで、誰かを守れる人間になりたいだと? 笑わせるな。自分は誰一人守れていない。殺すことしかできていない。
違う。
頭の片隅に一つの否定が芽生える。自罰的な思考の中で、イフルズという人間性の本質が、自動的に思考回路を組み替える。存在証明が、そうではないだろう、と訴えてくる。助けられる可能性があるなら助けに行くべきだ。何もしていないうちから選択を放棄していたら何もできやしない。
まだ間に合うと考えろ。自分が今すべきことは、悔やむことではない。ここで諦めたら、それこそ本当に誰かを守る資格がなくなる。
そうだ、とイフルズは結論を出す。
「オレはヒーローじゃない」
だから、何もかもを助けるなんて端から無理だった。だがそれは、自分の無力さに打ちひしがれていい理由にはならない。諦めるのは自分の意思だ。いつだって弱音を吐き、逃げだすほうが楽だ。それでも、心の中で想いは引っかかり続ける。すべてを完全に投げだすのは難しい。一度、抱いてしまった願いは、捨てられない。心の中にゴミ箱などないのだから。
人生は小説ではない。主人公もいない。ただ、自分の物語であるだけだ。己を綴った言葉は消えない。
感情を燻らせ続けるくらいならば燃やす。灰になってから失敗を嘆こう。
ソフィアを助けたい。
それが一人の人間である、イフルズの願いだった。
イフルズは残ったバックパックの元に向かう。片方のバックパックから消耗品を取りだし、もう一つに詰めていく。床に散らばっていたマガジンとハンドガンをホルスターに挿しこみ、バックパックを背負う。
荷物を入れすぎたバックパックは、ずしりと重かった。
残った二丁のアサルトライフルのうち、片方を手に取る。トレスが使っていたアサルトライフルだ。それを肩から提げて、ホテルを出た。
ソフィアの居場所に当てはなかった。情報処理能力のない自分にはデータを分析して、推測を立てることもできない。だからひたすら歩いた。
他の学生奴隷と遭遇することもあった。対話をできる相手には、ソフィアについて尋ねた。襲ってくる相手は殺したり、その場から逃げたりした。戦闘に巻きこまれもした。そのときは、優勢なほうに味方をして、さっさと戦いを終わらせるようにした。そして、戦闘の行われた場所で、転がる死体の中にソフィアの姿がないことに安堵することを繰り返した。
戦場を放浪し続けたが、ソフィアの姿も情報も見つからなかった。
ソフィアを捜し始めてから三日が経った。
適当に選んだビルの空き部屋で、イフルズはレーションを齧っていた。ARヴィジョンの3D地図上に、すでに探した場所に印をつけていく。地図の三割も埋まっていなかった。歩けば歩くだけ、地図が広がっていく。この演習場の大きさがまるで見えない。
学生奴隷と出会う機会も減った。数が減ってきているのだろう。焦りが募る。心がすり減る。このままでは、適性試験が終わってしまう。もしや、ソフィアはもう死んでいるのではないだろうか。だったら、いっそのこと死体を見つけられれば踏ん切りが――
突然、視界にショートメッセージの通知が割りこんだ。
警報つき。『重要度:緊急』設定の通知。適性試験が始まったときと、同じものだ。
「――嘘だろ、待ってくれ」
通知の内容を読みながら、意味もなくイフルズは立ちあがる。できるわけもないのに、状況から逃げだそうと、その場から後退る。
『適性試験受験者各位へ。受験者が規定人数に達したため、試験を終了します。現在生存している受験者を合格とします。それでは皆さん、お疲れさまでした』
その通知を読み終えた直後、首輪から衝撃が走り、イフルズの意識は途絶えた。
2025/07/02 誤字報告いただき、ありがとうございました。




