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エイドスの地  作者: 黒石迩守
第二部 月も登らない空の下で

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幕間Ⅲ:〈NULL〉

 適性試験の市街地演習場には、無数の〈目〉があった。


 それらは自在に空を飛びまわり、何ものにも邪魔されることなく、あらゆる障害をすり抜ける幽霊のように振舞う。鉄と石の天蓋に覆われた、低い空を這い回る目玉――奴隷の管理者であるファルマが繰る、戦場を自在に飛びまわるドローンだ。


 戦意を持たない学生奴隷を追いこみ、焚きつけるための火器を備えたドローンは、どれも大型で、本来ならば頭上に飛来すれば、すぐにそれと気づくだろう。


 しかし、学生奴隷たちはその存在に気づかない。どれだけ近くで雄蜂ドローンが羽音を鳴らしても、耳障りに感じる素振りすら見せない。()()()()()()()。ドローンには光学的、熱的、電磁波的、音響的――ありとあらゆる迷彩が、()()()()()()()()()()()。だが、その存在を学生奴隷が認識することはない。


 対象を認識するには、それと意識する必要がある。草原を眺めるだけでは、そこに生える一本の葦の存在には誰も目を留めない。知覚系で捉え、心の表象の湖面に鏡像を浮かべて初めて、情報として処理されるに足るのだ。意識されない情報は意味を持たない。意味を持たない情報は無意識の奈落の底に捨てられるだけだ。


 そう、学生奴隷たちは単純に、ドローンに対して認識阻害を受けている。


 彼らに着けられた首輪によるアクセス制御で、ドローンを知覚しても意識の中で処理されない。向こうから能動的に接触し、存在を主張――例えば、仲間が狙撃されるなど――しない限り、ドローンの痕跡を視界に収めても、それを塵芥のようにしか思えないのだ。


 ドローンは、さながらドキュメンタリー撮影のカメラのように、学生奴隷という被写体に近接して観察し、その情報をファルマに届ける。そしてファルマは、その情報を適性試験を観賞する国民へ配信するのだ。


 ファルマは〈目〉の一つで、戦場の一点を眺める。


 そこには倒れ伏したイフルズと、彼の頬に触れるイリィがいる。


 イリィはイフルズを背後から殴って昏倒させたあと、彼の通信経路コネクシヨンへの侵入を試みているようだった。VRPDのイフルズ相手ならば、どんな劣等生でも今の状況では容易にハッキングを成功させられるだろう。


 ややあって、イリィがイフルズから離れた。


 十分な情報が得られたのだろう。イリィは引き連れていた仲間三人に、何やら指示を出している。彼の仲間たちは、イフルズの頭に銃口を向けて、その処遇を問うているようだが、イリィは首を横に振った。


 イリィの仲間たちは反発するように銃を振りかざし、イリィに食いさがる。自分たちの仲間が殺された分の報復をすべきだと主張しているようだ。だが、イリィがイフルズの頭を軽く爪先で小突きながら何かを言うと、様子が一変し、下卑た笑みを浮かべて引きさがった。


 おそらく、別軸の〝報復〟の方法をイリィが提案したのだろう。暴力と快楽に塗れた彼らが納得し、期待する内容は、推して知るべしと言ったところか。


 そしてそのまま、イリィたちはイフルズを地面に転がしたまま放置して、その場を去った。


 順調なようだ、とファルマは内心で独り言ちる。


 あの少年――イリィに加えた〝調整〟は、今のところ上手いこと機能しているようだ。


 イリィがトレスという学生奴隷に抱いていた恋慕は、イフルズへの敵意の被膜に覆われて、見失われている。トレスと恋仲であるイフルズへの怒りと嫌悪感を源泉に、思春期で練られた殺意も、自分が与えた目的にすげ替わっている。


ドロツプ》についても実に順調だ。イリィとその仲間たちは、その依存性と悦楽に魅了され、すっかり戦争中毒症コンバツト・ハイに陥っている。可哀想に、もう彼らの脳は正常な状態には戻らないだろう。観戦している国民の馬鹿たちは、《ドロツプ》をイリィがハンドメイドしたと勘違いし、彼の評価点としていた。自分の暗躍にはまるで気づいておらず、結構なことだ。


 ファルマは一人の学生奴隷のプロファイルを表示する。


 学生奴隷たちは、国民の間に生まれた望まれぬ子や、国民が奴隷の娼婦や男娼を買ったときに、避妊具なしのセックスを楽しみたいという理由で生まれた子がほとんどだ。理由はどうあれ、一度は必ず国民の〈官能〉を経由する――ルクスリアのネットワーク上に痕跡を残す。


 つまり、生い立ちはどうあれ、出自自体は明確に記録として残されているのだ。


 学生奴隷には一人ひとり識別子が付与され、ファルマの元で完璧な管理が行われている。すなわち、支配階層のルクスリア側から奴隷側へ、子供たちの管理が移行する契機が必ず存在しており、ファルマが把握していない出自の奴隷は存在しない道理なのだ。


 しかし、数世代前から例外が現れるようになった。


 その例外を、ファルマはそのまま〈NULL〉と呼んでいる。


 それは至って単純ながら異様なもので、出自の両親の欄が『NULL』の学生奴隷がいるのだ。支配階層のルクスリア側の都合で、()()()()ことにされた『不明』ですらない。ただの抹消された情報ならば、誰かしらの介入があり、元データが存在しているのだから、特に違和感はない。


 しかし『NULL』はそうではない。


 ()()のだ。


 情報が空っぽの箱どころか、その情報を格納する箱すらない。人間という生物として、両親が存在しないというのは、まさに文字通り不自然だ。ファルマが今眺めているプロファイルの学生奴隷も、その例外の一人だ。


 識別子IFLS-ALT4S――通称イフルズ。


 現在の学生奴隷の中で、〈NULL〉はイフルズの他には一人しかいない。


 この〈NULL〉は、一定の頻度で世代ごとに必ず二人現れる。管理者であるファルマが長くその存在に気づけなかったのは、何者かが巧妙に情報操作を行い、目立たせないようにしていたからだった――無論、ファルマにそこまで情報を隠し通せる者など、考えるまでもなく自然と絞りこまれる。


 不審に思ったファルマは、当然記録を遡って調べた。そして興味深いことに、異なる世代に現れた〈NULL〉たちは、出自不明にも関わらず、似たような遺伝情報を持っていることがわかった。そこからさらに、ルクスリア側に気づかれぬように、秘密裏にこの〈NULL〉の正体を追い――やがて一つの推論を導きだした。


 自分で推理しておきながら至った結論は、何とも荒唐無稽だったが、それ以外には考えようがなかった。数百年も時間を掛けて行われている壮大な実験。その努力が、いつ結実するかもわからないほど気長で、それ以上にとてつもなく強い執着の元に遂行されている計画だ。


 どんな偏執から、こんな気でも迷ったような計画を立てたのかは知る由もない。しかし、そんな絵空事のような目的のために生みだされた〈NULL〉は、ファルマにも十二分な利用価値を持っていた。


 ファルマは〈目〉を通して気絶するイフルズに目を遣る。


「君には期待しているよ。もっと苦しめ、イフルズ」

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