月をのぞむ/彼をおもう
何度かの交戦を経ながらも、狙撃手の潜伏場所に向けてイフルズたちは走っていた。
ARヴィジョンの3D地図には、黄色い点が追加されている。後衛により、正確に割りだされた狙撃手の位置だ。その周囲には、飛沫血痕のように赤色が点在している。近くに他の学生奴隷たちがいるが、交戦の必要があるかはまだわからない。
何回か、局所的に戦場と化している場所を経由したが、どこもその性質に大した差はなかった。閉鎖系と化した殺戮。誰もが目の前の敵を殺して生き残ることに必死で、周囲に目が届いていない。外部から戦況分析を行ってから乱入するイフルズたちにとっては、戦闘はただの作業だった。これならば生態系に組みこまれた虫螻のほうが、まだ生存能力に優れている気がする。
まるで、戦場が概要定期購読のようだ、とイフルズは思う。概要から必要なコンテンツを取得して、既読済みにする作業。戦場が単純化された情報処理と変わらない。
定期購読の戦場は、コンテンツの数を段々と増していく。〈結節点〉に近づいている証拠だ。数が増えている理由は、戦場の引力が増しているからだろう。戦闘の回数が細々としすぎていて、何人を生かしたのか殺したのか、もうわからなくなっていた。銀河は塵芥が集まって形を成しているのだから、その一つひとつが小さすぎて些細なのは、当然なのだろうかと感じる。
ARヴィジョンの3D地図を確認する。赤色で示される敵の表示の点描画。イフルズたちの道程は、その画を爪で引っ掻いたように、はっきりとわかるありさまだった。そろそろ〈結節点〉と自分たちがいる場所の境界が曖昧になってきている。《羊飼い》は近くで笛を吹いているはずだ。
もう何度目かの装備の点検をする。戦闘は必要最小限しか行っていなかったとはいえ、さすがに弾薬の底が見え始めていた。〈結節点〉に辿り着いて、ちょうど弾切れだろうか。帰還ルートはどうするか、殺した相手から奪う選択がいいとこだろう――
〝イフルズ〟
個別通信。
ノーンからの通信に、BRの顔色を変えないように答える。
〝何だ〟
〝《羊飼い》の正体はわからない。目的も。けど、この適性試験の普通の参加者じゃないのは確かだ。何が起こるかわからない……ごめん、前線に出ていないのに、こんなことしか言えない。気をつけて、そして頼んだよ〟
〝謝るなよ、リーダー〟
イフルズは言う。そこで、自分が初めてノーンのことをリーダーと呼んだことに、ふと気がついた。
〝お前はリーダーなんだ。リーダーが謝るのは、作戦が失敗したときでいい。まだそのときじゃないし、そんなときは来ない〟
相手はなぜかそこで、小さく笑い声を上げた。
〝何だ、変なこと言ってないだろ。オレが恥ずかしい奴みたいだろ〟
〝ううん。いや、ごめん。頼もしいね。本当に頼もしいよ〟
〝……やっぱり恥ずかしいことを言ったみたいだな、切るぞ〟
ノーンとの個別通信を終わらせたときには、目的地が一本の通りを挟んだところに見えていた。先頭に立つシュヴァが立ち止まって『待て』のハンドサインを出す。そして舌打ち。
「あぁ、クソッ。何でこんなタイミングでこんな場所で殺りあってんだ」
シュヴァの悪態に、ビブルがVR側から尋ねる。
〝……交戦中の班は目視できますか?〟
〝二班だな。俺たちのいる十字路で、綺麗に左右に別れてやがる〟
イフルズが地図を確認すると、ちょうどシュヴァが目視した班に『ヴィクター』と『ウィスキー』という仮称をしたところだった。黄色い点は、自分たちがいる通りを左に曲がったところにあるビルだ。そしてシュヴァの言う通り、赤い点の塊が自分たちを示す青い点から等間隔に二つある。右にヴィクター、左にウィスキー。
戦場の形を見て、イフルズは顔を歪める。
〝まずいぞ。オレたちのいる場所は、そこで交戦している連中からすれば、戦場の要の一つだ。このままだと巻きこまれる〟
二つの班は見晴らしのいい大通りで戦闘をしている。遮蔽物はほとんどなく、小さな袋小路になっている路地以外は、外に通じている場所はない。どちらの班も袋小路に身を隠しながら、じわじわと距離を詰めている。イフルズたちがいる横道を押さえることで、一気に戦況が有利になることは優に見て取れた。
地図上の戦況を見ていたビブルが訊いてくる。
〝誰か手榴弾はまだ残っていますか? 僕はもう使いきりました〟
〝手榴弾なら俺が持っている一個でラストだ〟
シュヴァの返事に満足そうにビブルは頷く。
〝あるなら十分です。それをウィスキー班に投擲して奇襲。ヴィクター班は無視して目的地へ突入しましょう――どうですか、ノーン?〟
〝ちょっと待って、情報を整理する〟
ノーンが少しの悩む間を置いて言った。
〝……勝算は? それだとヴィクター班を無視するリスク処理ができない〟
〝あります、もちろん。ビルまでの距離と移動速度を考慮すれば、初撃の奇襲の時点で、僕たちは全員、目的のビルの中に入れます。そこにウィスキー班に与える打撃と、相手が左右に別れての交戦状態という点を加味すれば、一気にウィスキー班が一方的な挟撃を受ける構図に変わります。その後の展開はヴィクター班の動向にもよりますが、いずれにしろウィスキー班の処理には問題はなく、ヴィクター班と交戦する際には、『ビルの中』という地の利を得た状態で僕たちは迎撃態勢を取れます〟
すらすらと戦略を描くビブルに、イフルズは反論する。
〝ちょっと待てビブル。オレたちの手持ちの弾薬はもう残り少ないのに、どうやって迎撃態勢を取るつもりだ?〟
〝言葉通り、地の利ですよ。狭い建造物の中ならば、近接戦闘から近接格闘に切り替えて、十二分に戦闘能力は維持できます。寧ろCQCに持ちこんだほうが、不足している弾薬を相手から奪える可能性もあります〟
ビブルが頭の中で描いている方針を、シュヴァが乱暴にまとめる。
〝あー、要は手榴弾ぶん投げた混乱に紛れてビルの中に突っこむ。その後は撃ちあいじゃなくて殴りあいする、ってことでいいか?〟
〝そうですね。無論、無理に交戦しなくても、建築物の中で敵を回避して逃走することも視野に入れられます〟
〝……それは、あくまで最優先目標は狙撃手という前提、っていう認識でいいのかな〟
〝そうです〟
ノーンの確認に、ビブルは少しも迷わずに答えた。あえて話題から外していたであろう狙撃手の存在を、再度突きつけられて、自分の復讐心を最優先にしていることを隠しもしない。
〝ビルの中に突入したら、真っ先に狙撃手を見つけだし、殺します〟
〝……いいよ、わかった。認める〟
ノーンの口振りは、どこか観念したような響きだった。
〝ただし、一番危険なのは初動のビルへの突入だ。それが失敗した時点で〈結節点〉から離脱すること。狙撃手は諦めて、あとはこの戦場で生き残ることに専念する。それが条件だよ〟
〝問題ありません、まったく〟
ビブルが口にする言葉の音節は、何の躊躇いも感じさせなかった。
〝それじゃあ、狙撃手がいるビルの見取り図が手に入るか、ぼくは探してみる。シュヴァ、手榴弾は時限式で、タイマーは三秒に設定して。起爆する一秒前に行動開始だ。手榴弾のタイマーは全員で共有〟
〝了解〟
シュヴァは短く答えるや否や、手榴弾のピンを外して安全レバーを握りしめていた。同時に『03.00.00』という表示がARヴィジョンに送られてくる。起爆時間だ。
イフルズたちは十字路の左側の壁に張りつく。シュヴァは少し離れた前方で、手に持った手榴弾を投げるタイミングを窺っていた。そう長く時間はかけられないが、失敗は許されない。早くしなければ、十字路に潜んでいる自分たちの存在が、敵に露呈する。
今まで通過してきた戦場は、文字通り小さな一つの場だった。だからこそ、その手前で綿密に、そして確実に着実な行動が取れた。だがここはすでに戦いのフィールドの中だ。
耳の奥から脈拍の音が聞こえる。銃声が響く中で、いやにはっきりと感じる肉感。何秒待ったか。気が遠くなりそうになる。だが訓練された体は神経が支配し、呼吸を荒げない。あとは心の問題だ。
そこで突然ノーンから通信が入った。
〝ちょっと待って!〟
その声に反応して即座にシュヴァがピンを手榴弾に挿し戻し、こちらに戻ってくる。起爆時間の表示が消えた。その場にいる全員が怪訝そうな顔をする中で、ノーンが説明する。
〝ごめん、見取り図を探してたんだけど、ちょうど目標のビル情報が何も見えないんだ。通信妨害……は、ありえないね。KUネットの量子チャネルを限定的に遮断するなんてできないはずだ……〟
《羊飼い》だ。
イフルズは直感的に判断する。VRで起きている現象を把握する術は持っていないが、それ以外にない。自分が置かれている状況や、認知バイアス、イデオロギー、それらすべてを排して経験則が叫ぶ。その自己暗示的な結論は、疑いを抱く余地はなく、確信として揺るがない。
〝……どうして今まで気づかなかったんだろう……こんなにはっきりと見えないのに――情報隠蔽でもない、もっと単純だ――アクセス権限がない〟
ノーンは独り言のように状況を分析する。全員が平等な条件下にある中で、一方的な優位性を保っている存在。もはや、他の可能性をイフルズには考えられなかった。どんな手段を用いているのかは、ろくに情報を処理できない自分にはわからない。しかし原因は瞭然としていた。首輪だ。戦場の内部ネットを形成している存在ならば、自らの姿を隠すのは容易だろう。
〝ノーン、どうする〟
イフルズは訊く。言外に二つの意味を込めて。〈結節点〉と狙撃手、その関係性は戦場の全体図から浮きあがっている。《羊飼い》の存在にビブルたちが気づくのも時間の問題だ。願わくば撤退という選択を。
〝作戦は継続しよう〟
しかしイフルズの願いは届かない。
〝ビルの中には狙撃手がいる。それにそこの戦場から撤退する時間もない。だったらあえてビルの中で戦おう。突入したあとは、おそらくぼくたちとの通信はできなくなるけど、それはそこにいる相手も同じだ。今はもう、少しでも有利な状況が欲しい。だから作戦は継続しよう〟
BRで何かを言おうとイフルズは口を開く。しかし何も言えず、苦々しげに口を閉じて歯を噛みしめた。そうだ、この結果もすでに解っていた。自分の中にいる選択者は理解している。ノーンの判断は間違っていない。〈結節点〉にまで辿り着いた時点で、願いを抱くのが遅すぎた。手遅れなのだ。
〝了解だ……〟
戦場の引力の強大さに抗えるわけがない。ならば、重力特異点を破壊するしか手段はない。
〝さっき話した手筈通りでいいんだな?〟
シュヴァが手榴弾のピンを再度外す。そしてまた安全レバーを握りしめながら、路地の曲がり角に近づく。起爆時間がARヴィジョンに表示された。
〝うん。ただ、ビルの中に入ったあとは、後衛のバックアップは期待しないで〟
〝オーケー。なら、やるぜ〟
シュヴァは手榴弾を放り投げた。タイマーが動きだす。刹那の間。そして表示が『02.00.00』となる。全員で一気に路地から走りだす。身を低くしながら銃弾を避けてビルへと向かう。
殿のイフルズには、ヴィクター班が闖入者に動揺しているのが遠目に見えた。背後でシュヴァとビブルがウィスキー班へと威嚇射撃をしている音が聞こえる。『00.00.00』。そして爆発音。遅れて悲鳴が聞こえてきた。
シュヴァがビルの窓ガラスを銃で撃って、入り口を作っているのを目の端で捉える。同時に左腕を銃弾が掠ったのを感じた。痛みと衝撃で体のバランスを崩す。倒れそうになったところを誰かに腕をぐいと引っ張られ、ビルの中に飛びこんだ。勢いがついたまま一回転して受け身を取ると、背中にガラスの破片が砕ける感触が伝わってきた。
「おいそいつ生きてるか!?」
シュヴァがアサルトライフルの連射音に負けないように叫ぶ。
「問題ありません、腕に掠っただけです!」
「なら早く立たせろ!! そこのカウンターに隠れろ!!」
ビブルに腕を引かれて、イフルズは無理矢理立ちあがらせられた。
ビルのエントランスは縦に伸びた長方形の空間だ。入ってすぐの右手に、受付用と思われるカウンターがあった。その上をビブルと一緒に飛び越えて身を隠すと、遅れてシュヴァも滑りこんできた。
「状況は?」
イフルズが訊くと、アサルトライフルのマガジンを取り換えながらシュヴァが答える。
「負傷者はお前だけだよ、不幸中の幸いだ。今ので相手は態勢が崩れたらしいな、すぐに突入されることはなさそうだ」
シュヴァの言う通り、外から銃撃されている音はない。入り口から割れたガラスを踏む音も聞こえないので、忍び足で這入りこまれていることもなさそうだ。聞き耳を立てると、騒ぎ声のようなものが聞こえてきた。どうやら、狙い通りの状況になったようだ。
「それなら、早く上の階に行くルートを見つけよう」
言いながら、イフルズはARヴィジョンの3D地図を確認する。地図の縮尺を拡大すると、あの一瞬の出来事で取得した全体野情報で、しっかりと地図は自動更新されていた。
身を隠しているカウンターから見て、右奥にはエレベーターが二つある。近くにテナント表示用のAR看板があったが、例によって店名以外は設定されていない張りぼてだ。
シュヴァが地図を覗きこんで、エレベーターを指差す。
「こいつ電気通ってると思うか?」
ビブルが答える。
「それは期待しないほうがいいと思います。エレベーターで昇るつもりなんですか?」
「密室に行くなんて自殺行為、誰がするか。状況確認だよ。それより、ノーンたちとは?」
「やはり連絡が取れません。このビルにいる間は、外部との通信は不可能と考えたほうがいいですね。地図上の敵の動きも更新されないでしょう」
イフルズは試しにVRから訊いてみる。
〝オレたちの間では?〟
〝聞こえますね。そちらは?〟
「問題なさそうだ――わかった、一通り状況の把握はできた。上の階に行く階段は……」
カウンターの陰に隠れて見える範囲で辺りを見回すが、階段らしきものは見当たらない。ここから見える場所にないとすると、ちょうどエレベーターの対面辺りが、地図上では空白になっている。
「ここだな。今のうちに早く移動しよう」
イフルズたちは立ちあがり、慎重にビルの入り口を警戒しながら、カウンターから移動する。予想通り、エレベーターの対面に階段はあった。
階段を昇り始めようとした瞬間、ビルの外で銃声が鳴り響く。反射的に音のしたほうを見ると、ビルの入り口の前で殺戮が展開されていた。逃げ惑っている負傷した学生奴隷が背後から狙い撃ちされている。
しまった。
その状況を見て、状況に一つの誤算があったことに、イフルズは気がついた。自分たちが奇襲を仕掛けたウィスキー班が、ヴィクター班に喰らい尽くされている。当然といえば当然だ。なぜ失念していたのか。〈結節点〉という激戦区で生き残っていた班なのだから、自分たちと同じ程度の練度であっても不思議ではない。対応が早くても、何もおかしくはない。
そのとき、ビルの外にいたヴィクター班の一人と、イフルズは目が合った。一瞬のことだったが、時間が引き延ばされたような錯覚に陥る。相手の顔は見知ったものだった。相手の驚く表示がよく見える。自分も同じ表情をしていただろう。
そこにいたのはイリィだった。
イフルズは一瞬愚かな期待をする。緊密なバランスで膠着していた戦況を引っ繰り返したのは自分たちだ、もしかしたら好意的な関係を――
イリィは歓喜に満ちた表情を浮かべ、迷った様子もなく銃口をこちらに向けてきた。
「イリィだ! ヴィクター班にはイリィがいる!」
声を上げるのと同時に、イリィの持つ銃が閃光を放った。
「それがどうした、撃ってきやがったぞ!? だから友達少ねぇんだよアイツ!」
身を低くしながらシュヴァが叫ぶ。彼は短い悪態を吐くと、イフルズの背中を押しながら敵のほうへ向き直った。
「お前ら先行け、ここは俺が張る!!」
シュヴァがアサルトライフルを撃ち始める。流れ弾が近くの壁を削る音が聞こえた。躊躇いが走る。ビブルを見ると、すでに階段を昇り始めていた。そして彼は一度だけこちらを見ると、頷いた。そしてそのまま階段を駆けあがって行った。自分の中の選択者が、ノーンの言葉を想起する。
――きっと、他の皆が事実に直面して迷っても、自分自身に従って行動できると思うから。
自分自身に従う。それはこの場面ではどういうことだ。何が正しい。答えは出ている。何度となく選択を迫られる度にイフルズは迷っていたが、その実、自身の中にいる選択者は解答を出し終えている。一人でこの場の死守を買って出たシュヴァ。そして生き汚い自分。
イフルズは歯軋りした。
自分のアサルトライフルのリリースボタンを押してマガジンを取りだし、携行していた残りのマガジンと一緒にシュヴァのほうに向けて床を滑らせた。
「オレの分の弾だ、使え!」
イフルズが寄越したマガジンをシュヴァは足で踏んで受け取り、にやりと笑う。
「ありがとよ。大切に使わせてもらうぜ――と言いたいが、多分派手に撃ち尽くすな、こりゃ」
シュヴァは肩を竦めると己を鼓舞するように声を張りあげる。
「お前も早く行け! そんでさっさと俺を助けに戻って来い!!」
イフルズはその後、振り返らずにアサルトライフルの代わりにハンドガンを抜いて階段を昇り始めた。
〝ビブル、今何階にいる〟
〝四階です。弾道分析の結果では、狙撃手は四階か五階にいるという話でしたが、四階はハズレだったようです〟
一階から聞こえる銃声が激しくなり始める。だがそれも、三階に辿り着く頃には小さくなっていった。そして、四階と五階の踊り場に差しかかったとき、上の階から銃声が聞こえた。先行したビブルに違いない。イフルズは一気に階段を数段飛ばしに昇る。まだ銃声は続いている。五階に着くと、音を頼りに部屋を探し、扉を勢い良く開け放った。
適性試験が始まったときにいた場所と、同じような殺風景の部屋だった。オフィステナントを想定されていたらしく、床にはタイルカーペットが敷かれている。窓はすべて開いていて、電気のついていない室内に、等間隔で傾いた光の通路を通していた。
そこに、ビブルが独りでぽつねんと立ち尽くしていた。足元には巨大な畸形の昆虫のような機械が転がっている。硝煙の臭いが漂ってきて、彼が手に持つアサルトライフルの銃口から煙が出ていた。彼が破壊したのには間違いがない。
その機械には、体から四本の足が伸びたような先に、それぞれ円形の部品が取りつけられていて、蚊の吸血管のような一本の長い棒状の部品もあった。大型の四枚回転翼機――ドローンだ。銃弾を喰らって、すでにまともに機能している様子はない。
「ビブル……それは」
相手はこちらを振り向かずに答えた。
「これが狙撃手です。武装無人航空機、狙撃用の」
「そいつが……いや、それが、狙撃手……?」
イフルズの中に一気に空虚が押し寄せる。これを壊すために自分たちは今までこの戦場を駆け抜けてきたのか? 何人もの学生奴隷を生かしたり殺したりして、その先に一つの結末があると信じて行動していた。いくつもの戦場を通過して、その最後にある〈結節点〉には、少なくとも感情的な解決が待ち構えていると思っていた。なのに、今ここにある事実は何だ?
《羊飼い》は、人間ですらなかった。
相手はこちらに何の反応も返さない機械だ。生物学的な形状により、感情に訴えかけるような代物ですらない。復讐という人間的な行為を行う対象が無機質な機械で、どうやって納得すればいい。こんなものにチアは殺されたのか。憤りと虚しさがイフルズの中に混乱を生み、目の前の状況に対して言葉を発せられない。
本当の《羊飼い》は笛を吹いていただけだ。その笛で金属の牧羊犬を操っていた。この戦場の遥か遠くで、奴隷たちを管理している存在。国家だ。初めから復讐など無理だったのだ。自分たちは、滑稽なまでに見事に誘導された羊だ。
どこまでも。
どこまでも自分たちは奴隷なのだ。
その圧倒的な現実に、イフルズは思わず滅茶苦茶に叫びだしたい感情に襲われた。怒りで体が震えるという生理現象を生まれて初めて味わっている。今までもこの戦場にいる間、渦巻いていた感情が極限まで昂っていた。それは憎悪ではなく、学習性無力感に近い内向的な認知だ。ここが巨大なスキナーの箱だと理解してしまった。おそらく、この理解こそが、適性試験の正体なのだ。
ねぇ、イフルズ――ビブルがこちらを向かないまま話しかけてきた。
「僕には、夢があったんですよ、イフルズ。夢といっても、そんな大袈裟なものではなくて、ある記録を子供の頃に見て、素敵だと思った幼稚なロマンチシズムなんですけどね。学生から正式な奴隷になって、職に就き、安定した生活を送れるように自立したら、夜に月が見える場所にチアを連れて行こうと思っていたんです。夜景のようなランドスケープは高級品ですから、奴隷という身分ではそれなりのお金が必要になったとは思いますけどね。それでも僕は、彼女と一緒に月を見に行って、彼女に……チアに『月が綺麗ですね』と言いたかった。彼女はきっと、いつものように素敵な笑顔を無邪気に浮かべて、その意味をわからなかったでしょうけど――それでも僕は、そう言いたかった」
ビブルは一息にそう言い終わると、するりと、滑らかに――驚くほどに自然な動きで腰にあったハンドガンを抜いて、銃口を自分のこめかみに突きつけた。
「――ビブ」
銃声が鳴った。
反射的に動かしたイフルズの腕は伸びきらず、中途半端な位置で止まる。どさりと糸が切れた操り人形のようにビブルが倒れ、その場で生きているものは自分だけになった。
その場から一歩も動けずにイフルズは茫然自失とする。何が起きたのかがわからなかった。一つひとつ整理するように、伸ばしかけた腕を戻し、倒れたビブルと、その近くに転がるUAVを見た。
「は?」
その間の抜けた疑問の声が、自分の口から出たことすらわからなかった。次第に、今までずっと麻痺していた感覚が戻ってきたかのように、極寒の地にいるように体が震え始める。さっきまでの怒りとは異なる震え。手に持っていたハンドガンを落としかけ、イフルズは慌ててそれを握りしめる。
〝すごいね。ボクを見つけて倒した学生奴隷は久しぶりだ〟
突然聞こえた声に、イフルズは瞠目する。ハンドガンを構えて周囲を見渡すが誰もいない。
「誰だ!」
叫びながら、相手の声がBRで聞こえたものではなく、音声通信によるものだと途中で気づく。UAVの操縦者だ。イフルズが壊れた機械に銃口を向けると、相手は名乗ってきた。
〝ボクの名前はファルマコン。ファルマと呼んでくれ〟
「安全な場所から人を殺して楽しいか卑怯者め……姿を見せろ」
〝すまない。それはできないんだ。ボクには肉体がなくてね〟
相手の物言いに、イフルズは虚を衝かれる。直後に、引き潮が波を連れてくるように、さらに大きな怒りがやってきた。
「AI、なのか……」
無機質な道具に友人を殺され、それを操っていた存在も道具だった。銃把を握る手が震える。力みすぎて腕の筋肉が攣りそうだった。
人間の感情など無視して、AIは言う。
〝今はその認識でいいよ。ボクは奴隷の管理を任されている情報体だ。君たちの動きは素晴らしかったよ。闘争状態を促すために五〇台のドローンで何人かの学生奴隷を殺して回ったけど、それが原因でビブルが自殺という選択をしてしまったのは残念だ。彼はきっといい奴隷になっただろうに。その分、君には期待しているよ、イフルズ〟
「ふざけるな!」
イフルズは激昂してハンドガンを撃つ。壊れたUAVが、銃弾を浴びて部品を飛び散らせる。意味がないと理解していても引き金にかけた指は止まらなかった。怒声の代わりに銃が吼え続けたが、やがてマガジンが空になり、空撃ちの撃鉄が落ちる音だけが響いた。
〝ところで、そんな無意味なことをしていていいのかい? 友人が君を待っているよ〟
ファルマの言葉でイフルズははっとする。一階にいる友人のことを思いだす。脱兎の勢いで部屋から飛びだし、イフルズは階段を駆けおりた。
〝シュヴァ! 返事をしてくれシュヴァ!!〟
痛切な叫びに近い声でイフルズは呼びかける。相手からは返事は来ない。五階から四階へ、三階へと下る最中もずっと呼びかけ続ける。それでも返事がなく、ほとんど半狂乱で転がるように階段を降りて行った。
〝うるせー、聞こえてるよ〟
二階と一階の踊り場に着いたところで、その声は聞こえた。
〝シュヴァ、良かった、無事だったか……〟
〝ちょっと気を失ってたみてぇだな〟
踊り場から、階段の手摺の壁にシュヴァが寄りかかっているのが見えた。彼の周りには、三人の学生奴隷が血を流して倒れていて、誰一人動く様子はない。シュヴァがたった一人で奮戦し、ここを守りきったことは容易に見て取れた。
〝ビブルは死んだみてぇだな〟
VR上で確認できたのだろう、すでに感情の整理がついているのか、シュヴァは訊ねるのではなく、確認するように言った。苦々しいものを感じながら、イフルズはその事実を認める。
〝……狙撃手を仕留めて、自殺した〟
狙撃手の正体だけは伝えられなかった。相手が感情のない機械だったと口にすると、死を選んだビブルに、価値がなくなってしまうような気がした。
そうか、とだけシュヴァは短く応えた。
〝あいつは、最初からそうするつもりだったのかもな。チアが死んだ、あのときから〟
〝わからない……もう、誰にもわからない〟
イフルズは階段を降りながら、階下のシュヴァに訊いた。
「だけど良かった、お前が無事で。相手は……イリィはどうなった」
〝俺が数人仕留めた時点で撤退した、イリィの野郎も生きてる。あいつら頭おかしいぜ、ヤクでもキメてんじゃねぇかってぐらいの戦意だったよ。だが、賢い選択をしてくれて助かった、深追いをしての全滅を嫌ったんだろうな。まぁ、ちょうど弾薬がなくなったから、こっちとしてはラッキーだったわけだけどな〟
シュヴァは渇いた笑い声を上げる。相当疲弊しているのだろう、無理もない。負傷しているだろうと、応急手当をしようと階段を降りて行く途中で彼が言った。
〝あとよ、悪いんだが、一つ頼みごとがあるんだ〟
「何だ」
イフルズは階段を降りきって、シュヴァの隣に立つ。
〝無事じゃねぇんだ、オレ〟
シュヴァは腹から血を流していた。壁にもたれかかったまま項垂れて目を瞑っており、もう殆ど呼吸をしていない。
〝体の感覚も全然なくてよ、死ぬわコレ。それと、耳も聞こえなくなってきたから、VR側で話してくれ〟
「お前……! ちょ、ちょっと待てよ、諦めるな!! まだ何とか――」
〝ならねぇよ。俺は死ぬ。だから最期の頼みを聞いて欲しいんだよ〟
シュヴァの口調はもう事態を受け容れていた。イフルズはそれでも往生際悪く、その場にしゃがみこんでシュヴァが着ている戦闘服を脱がして傷を確認する。腹部に複数の銃創があり、内臓が見えかけるほどに抉れている。血も流れすぎていて、手があっという間に血でべとべとに汚れた。だが、これ以上出血する様子はない――血が出つくしたのか、それとも心臓が止まりかけているのか。どちらにしろ素人目に見ても、この場で助ける方法はありそうにない。
イフルズは拳を固く握りしめて、無力感から思わず床を殴った。
〝その、頼みごと……言ってくれ〟
その苦渋の言葉は諦めだった。
シュヴァから一つのファイルが届いて、ARヴィジョンに表示される。簡単なテキストデータだ。
〝そいつをノーンに届けてほしい。このビルの中からじゃ通信できないからよ。まぁ、遺言書みたいなもんだな。あ、勝手に読むなよ〟
〝読むか、読めるわけないだろ馬鹿……こんなときまで、そんなお道化た調子で他人のこと、気遣うな……〟
イフルズはファイルを受け取ると、階段に腰を下ろしてシュヴァの隣に座った。
〝なぁ、あいつ泣くと思うか〟
ぽつりとシュヴァが呟く。
〝……わからないよ、オレには〟
〝あいつとさ、付き合ってて結構長いんだけどよ、よく考えると怒ったり泣いたりしているところ、見たことねぇんだよ、俺。ノーンはいつも誰かのことを見ていたからか、他人のことをよく理解していたからか、怒ったり泣いたりしたことがなかったのかな――なんて、今ふと思ったよ〟
〝そう、か〟
〝だからもし、俺が死んで、あいつが泣くか怒るかしたら……それ、かなり貴重だからな。永久保存版で、撮っておいてやれ。多分、あいつがそんな表情見せる機会……あるとしたら、今回だけだろうさ〟
〝そうだな……そうして、おくよ〟
〝あと、それから……えーっと、何だ……。そう、もし俺が死んだのが原因で、ノーンとの間に……上手く言葉が出てこねぇな……そうだ、確執ができることはないから安心しろよ。ちゃんと、遺言書にその辺書いておいたし〟
〝……悪いな〟
段々と言葉がしどろもどろになってきたシュヴァを隣に、イフルズは両手で額を押さえながら答える。この場で自分が何もできずに、友人の隣に座って話すことしかしてやれないのは、途轍もない苦痛だった。
〝それと……あと、ノーンに、伝え……いや、それは渡したんだっけか……大丈夫、イフルズ、お前は……〟
そこから先の言葉は待っても続かなかった。
〝シュヴァ?〟
イフルズは顔を上げて隣の相手の方を向いて訊くが、返事はない。
〝……シュヴァ?〟
それから数分待ったが、返事が戻ってくることはもうなかった。
イフルズは、階段に落ち着けていた腰を上げて――たったそれだけの作業が、かなりの重労働に感じられた――ゆっくりと歩きだした。死体しかないビルのエントランスを抜けて、外に出る。ビルの外は恐ろしいほどに静かに感じた。ついさっきまで、戦闘が繰り広げられていたはずなのに、今ではもう自分以外には瓦礫と肉の塊しか転がっていない。
ARヴィジョンの3D地図を確認して、事前に設定していた帰還用のルートを進み始める。この戦場の重力特異点はなくなったのに、踏みだす足が異様に重い。未だに何かに引っ張られているかのようで、しばらく歩いてから、それほどの重い質量を持っているのは自分の体の肉だと気がついた。
ビルの外に出て大分経ってから、イフルズは後衛と連絡が取れるようになっているのを思いだした。ノーンに連絡をしようとしたが、何を言えばいいのかわからず、どうしても自分から通信をできなかった。向こうから連絡が来たら応えよう。とりあえず今は拠点に戻ることに集中しなければ――
後頭部に衝撃が走った。
視野に火花が散る。光視症? いや違う。眼球の中の衝撃が網膜を刺激した。つまり殴られた。誰に? 目から出た火花のように拡散した意識が、思考で消火されて状況を認識する。前のめりに倒れそうになった体を、どうにか足を前に出して踏ん張った。
反射的に背後の相手を掴もうと手を伸ばす。だが腕は空を切り、代わりに頬を殴られた。今度は体を支えられず、その場に仰向けに倒れる。視界が歪み、奥行きが崩れて空間が粘土細工のようだった。
吐き気に襲われている中で、イフルズは攻撃者の姿を捉える。目にしたものの名前を、混濁した意識で譫言のように口にしようとする。だが、その前に頭を強かに蹴りつけられた。
気を失う直前、相手の短い会話をイフルズは耳にする。
「こいつがイリィ君が探していた奴?」
「あぁ、そうだ――これで、彼女に……トレスに会えるかも知れない」
最後に感じたのは、イリィがこちらの頬に触れる感触だった。




