結節点
どこかで人が死ぬ音がする。
遠くから聞こえてくる銃声に、ソフィアはぎゅっと耳を塞ぎたくなる。命の失われる瞬間が自分の鼓膜を震わせると、誰かの魂が音に乗って身体に沁みこんでくるような気がした。銃声を振り払うように頭を振り、ここは安全な場所だと自分に言い聞かせる。戦場はここからは遠い。だから大丈夫。
市街地演習場でホテルとして設定されていた建物の三階の一室で、ベッドに腰を落ち着けていたソフィアは、前衛から送られてくる情報を解析していた。
戦場の痕跡から狙撃手を見つけるために、生き死にを懸けている学生奴隷を無機質なデータにし、状況を抽出する。映像解析でスナイパーライフルを持っているものがいないか探し、画像解析で疑わしい部分の解像度を上げて鮮明にして確認し、臭気分析で硝煙の成分が異なるものがないか比較し、音響分析で狙撃音がないか検索する。
一次、二次と解析の次数が増していくと、データはもはや誰かの生きた証ではなく、ただの分別された情報の集積体だ。まるで、命を濾過しているようで、気持ちが悪い。
気を紛らわそうと、ふい、と部屋の中を見渡す。拠点にするなら角部屋の方がいい、というノーンの提案で選んだ場所だ。窓が二つあり、非常階段が近いのが理由らしい。室内は奴隷学校の宿舎よりも、内装がしっかりしているように見える。しかし、ホテルになど泊まったことがないので、部屋のランクはよくわからない。ベッドが二台横並びに置かれ、アームチェアが二脚あるので、少なくともツインルームなのだろう。
ソフィアが腰かけるベッドの隣には、もう一台のベッドにトレスが腰かけて、自分と同じように情報分析をしている。ノーンは部屋の奥の窓際で、アームチェアに座りながら外を監視していた。リーダーとして、VRから前衛に指示を出している彼の顔は空っぽだ。
視線を遊ばせていると、それに気づいたトレスがこちらを見てきた。
「どうしたの、ソフィー?」
「ううん……何でもない」
作業に戻り、ソフィアは3Dの地図を見る。
ビブルが他の班のLANのクラッキングに成功したおかげで、二班分の情報が取得できるようになったため、地図は三倍以上の大きさになっていた。加えて、手に入ったのは地形情報だけではない。地図上には赤いインクが吹きつけられている。自分たち以外の学生奴隷の位置だ。ある一点を中心にインクは最も濃く、外側に行くほど薄くなっている。前衛がいる場所は中間ぐらいの濃度で、そこから少し離れたインクのない場所に後衛の青い点がある。
それはまるで赤い銀河だった。可視化された戦場は、ニューラルネットワークのモデル図染みていて、多くのニューロンがシナプスの発火を行っている。その発火は化学反応ではあるのだが、火薬のそれだ。その鉄血の情報伝達はすべてある一点に集中している。
〈結節点〉。
銃火と血がすべて流れこんでいる場所に、一体何があるのかはわからない。ただ、戦場の俯瞰図ができあがったことで、前衛は戦闘を避けて探索を行えている。代わりに、他の班が殺したり殺されたりをしている。
見知らぬ誰かが命のやりとりをした残骸を拾い集めて、自分は分類したり価値をつけたりしている。死者も生者も目的にそぐわなければ、等しく無価値として扱う。命の値段の暴落どころの話ではない。値踏みをしているのだ。
地図上では蠢いて明滅しているだけの赤い点なのに、描かれた点の一つひとつの意味を紐解くことで、彼らの姿が一次元から三次元に浮かびあがる。点に凝縮された叫び声が生々しく人物の像を結んで、戦場を遠くから見ている、こちらを覗き返してきている。
地図上に浮かぶ赤い点が、無数の目のようだった。
吐き気を覚える。無言で自分を責めてくる目が、じっとこちらを見ている。視線を無視して分析を進めると、さらに目が増えた。見られている。怨まれている。どこかで鳴り響く銃声が、呪詛を吐き捨てているようだった。指先が震えて、喉の奥から苦いものが迫りあげる。
作業を中断したかった。けれど、他の皆が頑張っている中で、自分から休みたいなど言えない。気分が悪いことを誰かに気づいてほしい。優しい言葉をかけてほしい。
「ソフィア、きついなら無理しなくてもいいよ」
気持ち悪さで前のめりに折れ曲がっていた背中が、驚きで発条のように伸びる。空っぽな顔でノーンがこちらを見ていた。
「え、でも……」
「大丈夫、少し横になるといいよ」
ノーンは微笑んだ。
一人だけ体を休めるのは怠けるようで抵抗があった。しかし、ノーンは顔をほころばせた。善意からの提案だ。彼はソフィアの不調に気づいている。申し訳なさで心がいっぱいになり、目から感情が滲みかける。俯いて小声で「ごめんなさい」と言って、相手の言葉に甘えることにした。
3D地図の表示を消して、ベッドに体を預ける。心地よい反発を感じながらマットレスに沈みこむ。このまま夢に沈んでしまい気分だった。
「トレスも少し休みなよ」
「ううん、わたしはまだ平気。あとで休ませてもらうね」
ノーンの言葉に、トレスは首を横に振った。
トレスがそのまま作業に戻る様子を見ていると、目が合った。彼女は小声で「ゆっくり休んでいいよ」と悪戯っぽく笑う。罪悪感とむず痒さで、頷くことしかできなかった。
トレスは3D地図に視線を戻し、作業を再開する。焦点を合わさずに、その姿をぼんやりとソフィアは眺めていた。
ARヴィジョンの地図上に、トレスは忙しなく指を滑らせる。実際は、情報処理はVRで行うので、BRではただ地図を眺めて処理する対象を決めるだけでいい。けれど、自然と不要な動作をしてしまうのは、物質的な肉を持つ物理空間のせいだろう。届かない星へ手を伸ばすように、掴むという行為に発生する過程が脳に刻みこまれている。無意識が理性を上回るのだから、意識しないほうが楽なこともある。
ふと、トレスの指先が震えているのにソフィアは気がついた。彼女も自分と同じなのだ。怖いに決まっている。それなのに、休まず頑張るのはなぜなのだろう――前衛でイフルズが戦っているからだろうか。恋人を死なせたくないし、彼女自身も死にたくないから、力を振り絞れるのだろうか。では、こうしてベッドに寝転がっている自分は、どうして懸命になれないのか。
どうして死にたくないのだろう。
寝返りを打つふりをして、トレスに背を向けた。
生きる理由がない。目指すべき理想の自分の形がない。自分の輪郭が不定形になって、マットレスに沈んでこのまま消えてしまうような気がした。
あっ、とトレスが声を上げる。
「――見つけた」