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エイドスの地  作者: 黒石迩守
第一部 奴隷学校
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ソフィア

第一部 奴隷学校スレイブ・スクール


 その日も、ソフィアの世界は鮮やかに色褪せていた。


 放課後の奴隷学校の宿舎の廊下で、ドーム型環境建築物(アーコロジー)の作り物の空を窓から眺める。自己完結した生態系を持つ、約一〇万の人口を擁する巨大都市の空は低い。うっすらと都市の穹窿が覗け、天井を支える骨組が縦横に空を区切るせいで、まるで嵌め絵のようだった。


 雲の形で空想して遊べもしない晴れ渡った空に飽きて、視線を下ろす。植樹された人工森林が、五〇〇メートル四方の奴隷学校の敷地を区切り、壁代わりに広がっている。森が途絶えた先には、国民が暮らす都市部が、手の届かない蜃気楼のようにぼやけていた。


 視界をカメラアプリで風景撮影(スクシヨ)してみる。ARM――死滅遊離(アポトーシス)駆動記憶装置(リムーバルメデイア)として生まれついて持っている器官(デバイス)に、画像が保存される。そのまま瞬きの速度でシャッターを切る。あっという間に、ゴミ箱に捨てる予定のデータが溜まった。


 撮った風景画を拡張現実(AR)ヴィジョンに並べて表示すると、何の意匠もないモザイク壁画ができあがった。壁画を壊して、欠片を一つずつ集合的無意識情報網(KUネツト)の検索エンジンに放りこんでみる。人類がARMとして獲得した、共通の意識領域である情報空間(インフオスフイア)上をデータが走った。撮った画と類似した写真が、浮かびあがる泡のように次々と表示される。検索結果のキャプションは料理を彩る添え物のようで、どれもポジティブな感情の内容だ。


 青い空と緑の土地。


 これは()()()()()()


 人類がホモ・サピエンスだった頃から変わらない感覚。しかし、ソフィアは何も感じない。物心がついた頃からそうだった。何をしても、何もしないのと変わらない。他人の笑顔や涙や怒りは理解できる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。事実が転がっているだけで、感情の芯にどこか響かない。まるで、感覚と感情の間に磨りガラスでも挟まっているかのようで、言葉にできない欠落感があった。


 ここは〈官能〉の国だというのに、だから自分は学生奴隷なのだろうか、などと考える。


 序列第七位国家ルクスリア。それがソフィアの暮らす国の名だ。


 人類とは異質(エイリアン)である〝強いAI〟――異相知能(ヘテロインテリ)が支配する、世界に八つある序列国家のうちの一つ。


 異相知能(ヘテロインテリ)は、人類の無意識から生まれた概念を行動原理とする知性体だ。特定の事物の表象が存在理由である彼らは、文字通り概念(コンセプト)と呼ばれている。その発生が情報の流れであった概念(コンセプト)は、人類を遥かに上回る情報処理能力を持ち、己の存在理由を満たすコミュニティとして社会を運営している。


 ルクスリアでは()()という名の〈官能〉の概念(コンセプト)だ。この国では、すべての欲望が肯定される。国民の価値は、如何に己の欲望を満たすのが上手いかということに認められ、そこに善悪はない。


 しきは数百年前に突如として姿を隠し、それ以来、一度も国民の前に姿を現していないという。しかし、国を捨てたというわけでもなく、必要最低限の国家運営自体は行っている。その真意は不明だが、自由な〈官能〉のためには、規律を示す上位存在は邪魔になるからこそ、あえて放任主義を取っているのだ、と国民たちは解釈しているらしい。


 概念(コンセプト)の所在など、学生奴隷の身分であるソフィアには関係のない話だ。


 やりたいことをやればいい。全国民にやりたいことだけをやらせて、ルクスリアは運営されている。欲望に開放的な国民性。そして、欲望に塗れた、この国の最大の特徴は奴隷制だ。


 望まれぬ子や、身寄りのない子たちを国が引き取り、教育し、社会に送りだす。社会基盤に隷属するための存在である奴隷は、()()()()()()()()()()()()()()。国の備品であり、奴隷以外の七割の人口を支える人的資源だ。


 ソフィアは未成年であり、まだ奴隷ではない。学生奴隷だ。国が運営する奴隷学校に通う十五歳――最上級生であり、今年で卒業する。


 卒業のことを考えると、気が重たい。心が迷路に入ってしまう。社会に出て働く。そのことはどうでもいい、そういうものだから。ずっと学生でいたいわけではない、授業はどれも面倒臭いから。答えはない。思考が迷走するだけだ。


 窓に映る自分をソフィアは見る。学生奴隷の簡素な制服を着た少女がいる。白いブラウスに、紺色のスカート。首元には最上級生であることを表す青いリボンを着けている。他人には人形のようだと言われる顔。肩まで伸びた柔らかな色味の金糸の髪。狼のような琥珀色の瞳。華奢で小柄な、少女と女性の中間にある、未成熟な体。


 ()()()()()()()()()()()()()


「ソフィー、何してるの?」


 ぼんやりしていると、耳慣れた声がした。ガラスに映る自分の虚像から視線を外すと、親友のトレスがこちらを不思議そうに見ていた。


 彼女の容姿はソフィアとは対照的だ。背の中ほどまで伸ばした、波打つ豊かな黒髪に、青みかかった灰色の瞳。自分よりも少し背が高く、ブラウスの上からでもわかる突きでた胸を持ち、体は女性的な丸みを帯びている。


「別に……ただ、外を見ていただけだよ、レシー」

「外? 何かあるの」


 何かあっただろうか、とソフィアは外の景色を再確認する。人工的な自然が、調整された繁栄を享受しているだけだ。有機物の機械が仕事をしているに過ぎない。


「特に……何も」


 ふぅん、とトレスが隣に来て、一緒になって外を眺めた。


「あぁ、でも。()()()()


 トレスは屈託なく微笑みかけてきた。その笑みの理由がソフィアにはわからない。決められた働きしかしない生命の営みのどこに、美醜の基準があるのだろう。「あぁ、うん」と呼気と声の中間にある曖昧な返事しか返せなかった。


 外の風景が綺麗なのかソフィアにはわからない。わかっているのは、卒業したら森の向こうにある都市で働くことだけだ。自然を美しいと感じることができる親友の中には、自分には欠落しているモノがある。そんな彼女がなぜ、自分のような何もない人間に、十年以上も仲良くしてくれるのかわからない。勉強も運動もできず、お喋りも下手、これといった特技もない。魅力という言葉に縁のない人間だ。


 憐みや情けの感情、もしくは安心できる比較対象にするための打算ではないだろうか。そんなことを今まで何度も考えた。それが昏く良くない考えなのはわかっている。それでも氷解しない疑問は、心の中で疑いを栄養に成長し続ける。


「……レシーはさ」


 どうせもう卒業するのだから、と長年の謎をソフィアは萌芽させてみた。


「わたしと一緒にいて楽しいの……」


 訊くと、トレスはきょとんとしていた。そして整った眉を顰めて悩み始めた。もっと焦ったり、怒ったりすると思っていたので、意外な反応だった。一分ほど時間をかけると、はにかみながら彼女は答えた。


「ずっと一緒にいたから、ソフィーがいないと落ち着かなくなっちゃった、って感じかなぁ」


 今度はソフィアがきょとんとする番だった。


「なにそれ、変なの」


 ソフィアは薄く笑う。


 自分の中に、トレスは何かを感じているのだろう。きっと、それは彼女が作りだした『ソフィア』で、自分とは似て非なるものだ。ソフィアという空っぽの箱の中身を想像した錯誤に過ぎない。その誤謬は、印象という鍍金(めつき)としてこびりつく。勘違いの光沢を他人に見せるようにしか自分は振る舞えない。


 だから、トレスに向けたこの笑みは嘘だ。


 自分の中の()()()が苦痛になって、ソフィアはトレスから目を逸らす。静止画のように感情の止まった風景へ心を浸らせた。中身がないのだから、自分もただ流れる風のようにありたかった。決まった有りようで、自ずとできあがる存在であれたら、とても楽だったろう。


 急に黙りこんだソフィアに、トレスは黙って一緒に外を眺める。穏やかな時間を無為に共有するためだけに、隣にいてくれる。


「もうすぐ、この景色ともお別れだね」


 ぽつりと、トレスが零した。


「卒業……」

「ソフィーは、卒業後の進路希望はある?」

「進路……?」


 学生奴隷は、卒業時に適性試験を受ける。その結果で、将来どこで働くかが決まるのだ。そこに自分たちの意向を差し挟む余地はない。何を見られて、何に才能を見出されるのかすらわからないのに、夢を持つことは徒労だ。なるようにしかならない。ましてやソフィアには、可能性の持ちあわせがない。


「どうせ、選べないし……」

「選べなくても、希望はあるでしょ?」


 ない。何かを()()()ことは、生まれてこの方ない。


「レシーは、あるの……」


 底しかない自分を掘り下げられるのが苦しくなり、話を変えた。


「わたしは、イフ君と一緒にいられるような仕事に就きたいなぁ」


 心の奥底にある思慕を込めるように、息深くトレスは言った。


 イフ君――イフルズは、髪も瞳も黒い、典型的な黄色人種遺伝系列の容姿を持つ、トレスの恋人だ。記憶が確かなら、彼は人型有人兵器ギャロップ・ナイトのパイロット志望だったはずだ。


「じゃあ……軍に?」

「ううん。そういうわけじゃなくて。どうせわたしの成績じゃ、軍備奴隷に配属されないし。されても、軍人さんの厳しい訓練にはついていけないよ」

「それなら、どうやって」


 うーん、とトレスは両手を組んで伸びをする。彼女の豊かな体に押されて、ブラウスの布地が張り詰めた。


「一緒に働いて支えてあげるのは無理だから、帰る場所を用意できるようになりたい、かな。イフ君、頑張り屋さんで、誰かが休ませてあげないと、平気で無茶するから心配だし」


 聞かなければよかった、とソフィアの心のどこかが疼く。


 トレスは満ち足りている。未来に向けて、あふれる想いがある。感情の源泉を持つ人間だ。それを目の当たりにすると、余計に枯渇した自分を自覚する。いや、最初から枯れても渇いてもいない。何もなく、濡れたことすらない平坦に均された一枚岩(モノリス)が『ソフィア』だ。


 他人の心が輝いて、自分の底が照らしだされることをソフィアは厭う。自分に存在理由がないことを思いだしてしまうから、命の活力が煌めくのを見せないでほしい。


「……素敵だね」


 微笑みながら応える。


 ソフィアはまた親友に嘘を吐いた。

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