07.人生初の魔物肉
そしてパチリと目を開ければ早朝である。
朝に強いため今日もスッキリと目覚める。いつもより遅めに寝て、慣れない環境でも長年培った体内時計は狂うことはなく、いつも通りの時間に目を覚ますことが出来た。
私は大きく伸びをしてベッドから立ち上がる。ふかふかすぎて音がしないのすごいなこれ。
さてと、鞄から一張羅の乗馬服に着替えて朝の鍛錬をしなければ。ササッと着替えて私は庭へと出る。
早朝だし誰も居ないだろうから咎められないだろうと踏んでいたのだが、素振りをしていれば人影が現れた。
「今度は何をしているのかしら?」
そこにいたのは訝しげな顔を浮かべている魔王陛下だった。てっきり彼は夜行性だと思っていたのだが、朝にも強いのだろうか。それとも寝ていないのか?
「あぁ、朝のウォーミングアップがてらの素振りだ……です」
鍛錬に夢中になってつい敬語を忘れてしまった。ハッとして口を抑える。
「好きに話しなさいよ。誰も怒らないわ」
「それは魔王陛下に対して失礼では?」
「そのアタシが良いって言ってるのよ。誰にも文句は言わせないわ」
私は頬をかいて、迷った末に頷いた。
「なら言葉に甘えて、そうさせてもらう」
「あら、見た目に合わない口調ね」
「魔王陛下も人のことを言えないのではと思うが……」
ポロッと思っていたことが口から出てしまう。朝だからまだ頭が上手く働いていないようだ。女である私の男勝りな口調も目立つが、魔王様の女らしい口調も中々だとおもう。
初日から気になってはいたが、言及するほど命知らずではない。
「好きに話せとは言ったけど、遠慮しなくていいって訳じゃないのよ?」
「それは失礼した。本当に申し訳ない」
処刑は勘弁してほしいので膝をおろうとすれば止められた。
「一国の姫が簡単に膝を折るんじゃないわよ」
「魔王陛下の方が圧倒的に上の立場だから問題は無いと思うが……」
「もっとプライド持ちなさいよ」
そんなことを言われても、プライドより命が惜しいもので。
そう考えていれば、ぐるる、と獣の唸り声のような音が響く。それもそのはず、昨日の朝に食べたきり何も食べていないのだから。私の盛大なお腹の音に気づいたのか、魔王様が懐中時計を取りだした。
「もうそろそろ朝食の時間ね。ついていらっしゃい。どうせ食堂の場所も知らないだろうし一緒に行った方が効率もいいでしょ」
「私は着替えなくても大丈夫だろうか」
私は自分の格好を見下ろす。貴族の食事の場には相応しくない乗馬服を身にまとっている。
「アタシたちは人間の服の文化ってよく知らないし、堂々としていれば大丈夫よ」
「そういうものか」
「いいからさっさと行くわよ」
手を取られ私は連れていかれる。所謂エスコートと言うやつで、慣れていないため体が固くなってしまった。
そして食堂に着いてその清潔さや広さに見とれていれば、椅子を引かれたので優雅に見えるように座る。鬼教官であるお母様のマナーの教えが役立つ日が来るとは。
ソワソワと待っていれば、テーブルに料理が並べられていく。サラダやパン、スープをついつい輝いた目で追ってしまっていたが、メイン料理が来た時には驚いた。
私の目の前にドンと肉の塊が置かれたのである。
「これは……」
「あら……魔物肉のステーキよ。食べたくないなら食べなくてもいいわ」
これが魔物肉か、それにしても朝からステーキって凄いな。これが王族らしいご飯なのだろうか。末席の姫である私は普段肉などいう高級品を食べられていないからよく分からない。
「……いただきます」
そんなことを考えつつ私は手を合わせる。久々のお肉に目は輝き、私ははしたなくもガツガツと食してしまった。
魔物肉は初めて食べたけど、上質な赤身肉といった感じで臭みもないどころか風味が良い。料理の腕が良いのか肉がいいのか、私の馬鹿舌では分からないがとても美味しい。
そんなことを考えて最後の一欠片を咀嚼して飲み込む。
「美味しかった」
そう零しながら、ふーっと満足気に息をつく。
そこで魔王様や周りの使用人たちの視線が突き刺さるのをようやく感じる。いけない、曲がりなりにも王族の姫としていくら魅力的な肉があろうと食らいつくのは確かにマナーが悪かったのかもしれない。
「驚いたわ。人間は魔物の肉なんか食べないって聞いてたのだけど」
「え、そうなのか?」
私はまともな食事にありつけず雑草も食べてきた人生だったから、この魔物肉がとてつもないご馳走に思えるのだが。食うに困らない貴族はそういうものなのだろうか。
そもそもこの肉は人間用ではなかったのか。それなのに沢山食べてしまったからびっくりされてしまったかと納得する。
「すまない、人間の私が食べない想定だったとは……この肉を食べてしまった分、明日は私の朝食抜きで手を打ってくれないだろうか」
私はしおらしく目を伏せていたが、したたかに明日の朝食と限定していた。我が王宮なら何かミスをしたら一日食事が無くなるのだが、多分ここの方がずっと優しいだろう。まだ一日も共に過ごしてはいないが、自国より余程信頼のおける方々だと思っているので甘えてしまった。
魔王陛下が私を見て怪訝そうな顔をしている。やはり調子に乗ってしまったのだろうか。やはり一日分の食事への訂正と謝罪の言葉を口にしようとすれば、手をひらひらと振って止められる。
「謝らなくていいわよ別に。食べて貰えるならシェフ達も喜ぶわ。むしろごめんなさいね、わざと魔物肉を出して意地悪のつもりだったのよ」
「この美味しい肉が……意地悪……???」
「口にあったなら良かったわ」
そう微笑む彼が美しくぽけっとしていれば、使用人が魔王様に何か耳打ちをしていて納得したように頷いている。
「そういうことね。昨日アンタが食事を拒否したことで我が国の料理は食べたくないのかと、料理人達が反感を覚えたらしいわ。統括不足と見て見ぬふりを謝罪するわ」
「そうか。すまないが料理人を呼んでもらえるだろうか」
「……そうね、料理人達を呼んで頂戴」
魔王陛下が指を鳴らすと、光の速さで数人の料理人たちがやってきた。一列に並び、顔面蒼白で汗を流しながら彼らは私の方を見ている。
私は立ち上がり、彼ら前に立った。
「も、申し訳……っ」
「昨日は申し訳ない。貴方達の料理が嫌だったのではなく、ただお腹が空いていなかっただけなんだ。今日はとても美味しい料理をありがとう」
彼らの言葉を遮り口を開いた。国の代表として訪れている立場として、私は簡単に身分が下のものに頭を下げることは出来ない。そのため、感謝の心を伝えるためにカーテシーを披露する。
「姉御……っ!」
「姉御か、いい響きだ」
「一生着いていきます!」
「ありがとう。あと……おかわりとか頂けるだろうか」
「喜んで!!!」
涙ながらに厨房に向かう料理人達を見送れば、魔王陛下がこちらをじっと見つめているのに気が付き首を傾げる。
「優しいわね、アンタ。てっきり怒鳴ったり罰を求めるのかと思っていたわ」
「いや、ここの料理人達の方がよっぽど優しいだろう?」
「……どういうこと? 嫌がらせされたのよアンタ」
その問いかけに、私はナプキンで口元を拭ってから口を開いた。
「だって私の事が気に入らないのなら料理を抜いたり、床に落としたのを食べさせたり、腐ったものや毒を入れたりと方法は色々ある訳だろう。
その中で、人間には好まれないらしいが、魔族達にとっては美味しいお肉を出しただけなんだ。すごく優しいじゃないか」
「……魔族にそんな怖いイメージを持ってるのかもしれないけれど、そこまで鬼や悪魔じゃないわよ」
「そうだな。人間の方がずっと怖いよ」
全部私が王宮でされた事だ。人間の方がよっぽど怖い。
昔のことを思い出して、つい暗い表情になりそうになって気を引き締める。そんな私に魔王陛下が口を開こうとした瞬間、料理人達が豪勢な魔物肉料理を持ってきてくれた。
それらを全て平らげれば更に料理人達の目は輝き、使用人達の視線も昨日に比べたら何だか好意的なものになったように感じる。こんなに胃も心も満たされた朝食はいつぶりだろうかと、私は笑みを浮かべるのであった。