05.温泉で至れり尽くせり
魔王様は理解不能の状況に苛立ちを顕にしていたが、私に言っても仕方ないと気づいたのか、深いため息をついた。
「あーもう。とりあえずどうしようかしら。
……そうね、人間にこの地は寒かったでしょう? アナタたち、今すぐにお風呂の準備をして頂戴」
「かしこまりました」
外は確かに寒かったが体を動かしていたのでそこまででもない。
それよりもお風呂、という言葉に私は首を傾げた。手違いできた人間の小娘にするべき対応ではない。もしや、やはり汗臭かっただろうか。
それとも考えられるのは……
「……えっと、夜の勉強はしておりませぬのでお手柔らかにお願いします」
「誰がアンタみたいなチンチクリンに手を出すかっ!」
「チンチクリン……」
酷い、確かに私は胸がツルペタ断崖絶壁だが、身体はほどよい筋肉で引き締まっていてクビレもあるし、尻の肉付きはいいのに。私が自分の胸を嘆いていれば、呆れ顔の魔王様が私に向かってビシッと指を指す。
「今日は客室で寝てもらうけど、アタシは絶対に訪れないからゆっくり寝てて頂戴!」
そう言ってピンヒールの音をホールに響かせ、彼は部屋を出ていった。お付きの男性陣がゾロゾロと後に続く。
その途端、私は周りにいた魔族の女性たちに囲まれて少し驚いてしまった。
「では姫様、お風呂場へ参りましょう」
「え、いや……」
「こちらです」
有無を言わせないような圧を感じる。決して痛くは無いけど解けない程度の力でエスコートをされてしまう。
ていうか魔族だからかこの人たち強いな……女性にしてはかなり強いこの私が、そこらの子どものように軽々と連れていかれるなんて。私より背の高い女性ばかりというのも慣れないなと思う。
貴族令嬢は背が低い人が多く、またそれが美学とされていたから、周りから頭一つ分ぐらい飛び出るほど背の高い私は茶会やパーティで目立っていたものだ。
陰口を言われたことも数え切れない。それがここでは彼女たちに囲まれたら周りから私は簡単に見えなくなってしまうだろう。
そんな事を考えていれば、ズルズルとお風呂場まで連れてこられた。
ここでハッとする。そういえば魔族は人間を忌み嫌っているらしいじゃないか。しかもこちらの勘違いで国のトップである魔王様に押しかけ女房しにきた異種族なんて、どう考えても嫌悪の対象でしかないだろう。
やはり水風呂だろうか。逆に熱湯を掛けられるか、それとも水面に顔を突っ込まれるか。
残念ながら私は慣れっこなのでそれぐらいで泣き叫ぶようなか弱いご令嬢ではない。私の生活では水風呂が当たり前だったし、火傷にすぐ効く薬草だって持ってきた。また、鍛えられた肺のおかげで数分間息を止めていることだって出来る。頭を押さえつけられた時の急所の狙い方だって頭に叩き込んでいるのだから。
今まで私は正妃や側室、半分血の繋がった兄弟達からの多種多様な嫌がらせを受けつつも、しぶとく生き残ってきた人生なのだ。幼少期のか弱い私ならいざ知らず、今の私はどんな嫌がらせにも屈しない。
さて彼女たちは一体何をしてくるのかと警戒していれば、目の前にいた侍女と目が合って微笑みかけられた。
「寒かったでしょう。魔国の温泉は美肌効果もありますから、姫様もお気に召すと嬉しいですわ」
温泉……?
我がルネディア王国では温泉というものはあまり発見されていない。数少ない温泉を国王が独占しているなどと噂があったのは知っているが、私は入ったことは無かった。人間の国から来た押しかけの末姫ごときが入っていいのだろうか。
「あの……温泉なんて凄いところ、私が本当に入っていいやつだろうか」
なにかの間違えじゃないかと思った私の質問に彼女たちはきょとんとした顔をして、次第に笑いだした。
「ふふっ、大丈夫ですよ。我が魔王様からの命令なんですから」
「確か人間の国は温泉が少ないんですよね。魔国の温泉を知ったらきっと姫様もやみつきになりますよ」
そうして魔族の彼女たち特有の長い爪で私の肌を傷つけないよう配慮されながら、私は服を脱がされた。人に着替えさせられるという事に慣れていないため少し恥ずかしい。
そして中に入ればとても広く圧倒する。私が滑らないよう両側から手を引かれてゆっくり歩く。私の体幹で転ぶことは無いと思うのだが、手を振りほどくまでもないなと判断する。
そして熱湯でも冷水でもなく、適温のお湯を全身にかけられた。張られた水面に顔を突っ込まれるどころか、お湯が私の目に入らないよう気を遣われているのが分かる。
私が困惑していれば、もこもことした優しい泡に包まれて丸洗いされる。とてもいい香りだ。
髪は何種類かの石鹸?で何度も洗い流される。なんで何回もやっているのか分からず目を白黒させる。そんなに私の髪が汚れていたのだろうか。
身を清め終わったところでお待ちかねの温泉へと運ばれる。温度は少し熱めだったが、むしろ冷えた体が温まり心地よい。温泉の効果を説明されながら肩まで浸かっていれば、これまでの疲れが蕩けてしまいそうだ。
思わず目を閉じれば、背後にいた女性に私の頭に手が添えられる。
しまった油断した……!
と目を見開けば、その手はそのまま柔く頭皮をマッサージを始めた。絶妙な力加減が気持ちいい。
「ごめんなさい、眠ってしまわれたかと思って声掛けをしていませんでしたわ。驚かせてしまい申し訳ございません」
「いや……大丈夫だ」
のぼせないうちに湯から上がり、ふかふかのタオルで体を拭いて貰っていれば。私を見てヒソヒソと何か話している侍女たちを見つけた。
仕事は手を抜かずとも、やはり私のことはよく思われていないのだろう。胸が貧相とか笑っているのかもしれない。魔王様の趣味なのか魔族特有なのかは知らないが、ここにいる人たちはみんなスタイルが良く胸が豊かだ。そりゃ魔王様も私をチンチクリンと言う訳だ。
私はそっと耳をすませば彼女たちの会話が聞こえてくる。
「なんだか猫ちゃんをお風呂に入れてるみたいだったわね」
「わかる、とても可愛いわ」
……? てっきり私の方を見ていたと思ったが、私の話ではなかったらしい。この国にも猫は居るのかとそちらの方に気を取られた。
その後も全身のマッサージや香油を塗られたり髪を丁寧に乾かされたりとまるでお姫様扱いだ。
「うーん、Sサイズでもこの子には少し大きいわね」
「子ども用の方がサイズ合うかしら」
「赤も黒も似合いそうで迷うわね」
と、侍女達が服を持ってきてキャッキャッと話しているのが聞こえる。
可愛らしいフリルが多いのが少し難点だが、肌触りのいい寝間着まで貸してくれた。アロマだろうか、いい香りがする。身体も芯まで温まって少し眠気が襲ってきていた。