03.魔国への旅立ち
そして呆気なく朝は訪れてしまうもので。
朝早く旅立つ私の見送りに来てくれたのはイヴァンお兄様と、アマンダ義姉様の二人だけだった。
「僕も上にかけ合おうと思ったんだけど門前払いで……イザベラのこと守れなくてごめんね」
そう言って今も泣きじゃくってる私の片割れの優しいお兄様。まるでお兄様の方が魔国に嫁入りに行くかのような悲しみようだ。
彼の目の下にはクマがあり、私の婚約話を聞いてからどうにかしようと今の今まで奔走してくれていたのだろう。
私は抱きしめられながら、泣いている兄の背中をポンポンと叩く。
「そんなに心配しなくていいよお兄様。魔国も案外良いところかもしれないし、雪を見るのが楽しみなんだ」
「……そうだったらいいんだけど。何かあったら、ううん、何も無くてもすぐ帰ってきて良いんだからね」
そうしたいのは山々だが、一度政略結婚で嫁に出された姫は中々帰国は許されないだろうと思う。国際情勢的にも難しそうだ。私は返事はせずに、笑みだけを兄に返した。
「私の半身。お兄様が幸せなら私も幸せなんだから、幸せにね」
「それをいうなら、僕のためにイザベラが幸せになってくれないと」
横から麗しい手が伸びてきて、私の頭をそっと撫でられる。
「そうよイザベラ。貴方も幸せにならないと」
タレ目がちだがどこか理知的な蜂蜜色の瞳を細め、見つめられる。艶やかなブロンドの髪が靡き、アマンダ様は相変わらず美しい人だなと関係の無いことを考えてしまう。
「国境の近くに私の領地があるから、もし魔王とか偉い人を殴ってしまって不敬罪で捕まりそうになったらすぐに逃げてらっしゃい。私が全力で保護するわ」
「心強いよ、ありがとう。」
「いや、殴っちゃ駄目だからね!?」
「善処する」
「不安だなぁ……」
お兄様の回転の速い脳は最悪の事態まで想定したのか、顔を青ざめて胃が痛そうにしている。そんな彼を横目に私はアマンダ様に向き直る。
「アマンダ様、どうかお兄様のことをよろしく頼む」
「もちろんイヴァンは私が幸せにするわ。イザベラも、幸せになるのを諦めては駄目よ」
「心強い言葉をありがとう」
「これは私のお下がりだから気にしないでね」
そう言って、彼女は私の薄っぺらいドレスの上にあたたかいコートを着せてくれた。
私とアマンダ義姉様は身長が20cmぐらい離れている。私に丈がぴったりなこのコートがお下がりな訳がなかった。私に気を使わせないようについた優しい嘘だと分かって、深く頭を下げた。
「僕のマフラーも持って行って」
「はは、すっかり温かくなってしまったな」
二人の優しさのお陰で心まで温かい。
ふと、コートの内ポケットに重みがあるのに気がついた。そっと見てみれば、価値のある宝石が何個も入っていた。
「アマンダ様、こんな高価なものは貰えない」
「優しい姉からの婚約祝いとして受け取りなさい。何事にもお金は役に立つのだから、いざと言う時は換金して使っていいから」
「……ありがとう、いつか返すよ」
「えぇ、貴方の笑顔を見せに会いにくれたら十分よ」
少し涙が溢れそうになってグッと顔に力を入れる。そんな私を見て、アマンダ様は柔らかく微笑んで抱きしめてくれた。本当にこんなにかっこよくて優しい人が、大好きなお兄様の婚約者で良かった。私の片割れが、きっと幸せになれると確信できるのだから。
出発する時間となり、私はもう一度二人と抱擁を交わして馬車へと乗り込む。
馬車が走り出しても、窓から二人がずっと手を振っているのが見えた。二人の姿が完全に見えなくなってから私はまぶたを閉じて笑った。
「お兄様、お義姉様。どうか幸せに」
もう届かない心からの言葉を呟いた。
私に用意されていた粗末な馬車は、中に入っても寒くて乗り心地が最悪だった。既に尻が痛い。
しかし先程アマンダ義姉様から貰ったコートとお兄様から貰ったマフラーのお陰で温かい。ここからの道のりは遠いので、体を休めるために目を閉じる。
これから向かうのは、私達人間が魔国と呼び恐れている
『ヴァルディア王国』だ。
とは言っても、私はその国についてあまり詳しくはなかった。人間はほとんど存在せず、魔族が多く住まう土地であることは最低限知っている。
魔族は人間を忌み嫌い、迫害しているだなんて噂を聞いたこともある。
嫁ぐ身だというのにヴァルディア王国について調べる時間すらくれなかったからな、あのクソジジイ。
そうして何時間かしばらく揺られていれば、ヴァルディア王国へと到着していた。絵本で見るようなおどろおどろしいような風景を想像していたが、窓の外には美しい自然と活気の溢れる街並みが広がっていた。
ヴァルディア王国の景観を楽しんでいれば、遠くに城らしき建物が見えてきた。
するとガタンと急ブレーキをして馬車が止まった。何事かと警戒していれば、扉が開け放たれる。
野盗かと構えを取っていれば、そこにいたのは御者であった。
「長時間座りっぱなしも疲れただろう。外の空気でも吸って身体を伸ばしてくれ」
「そうか、ありがとう」
確かに尻の痛みが限界だった私は有難く外に出て身体を伸ばす。少し肌寒いが、深呼吸をしてみれば空気も住んでいて気持ちよかった。
すると私が外に出たのを確認するやいなや、御者が私の荷物を思い切り外に投げ出した。そして勢いよく扉を閉めて、そのまま馬車は綺麗にUターンをしたのだった。
「嘘だろ」
予想外の出来事に呆然としていた私だが、ハッとする。
「おーーーい!!!待て!!!!」
腹が立った私は駆け出してその辺に落ちている大きめの石を馬車に向かって投げた。そして見事後ろの方に当たりへこんだ音がして、御者の悲鳴が聞こえてきた。
別に事故に遭わせて殺したいという訳では無いのでここらで諦めるとする。
まったく、国王に城の近くで引き返してこいと命令されたのか、もしくは恐れをなして早めに引き返したのか。
確かに森とかで放り出されたりするより、目的地の城は見えるだけマシなのだろうか。しかし目測にはなるが、私の脚力を持ってしても歩けば一時間はかかるであろう距離だ。
まぁクヨクヨしていても仕方ない。置いていかれることには慣れている。昔、クソ義兄共に庭の奥まで連れていかれて置いていかれて深夜に家に帰ったこともある私である。
私は荷物を身体に括りつけて、しっかりと足の屈伸を始める。あのだだっ広い城の外周を走ってた私ならなんとかなるさ。
そして私は城へと向かって走り出した。今更母国に帰ったところで居場所は無いのだし、当たって砕けろ精神でヴァルディア城に乗り込んだ方がいいだろう。
道には魔族の方々もいる訳で、不信な視線を向けられる……前に私は彼らの前を通りすぎていく。何十分走っていたことだろうか、城に近づくにつれて人影もなくなり、壮大な門が見えてきた。