02.魔王陛下と政略結婚
しかし身体の弱かったお母様は、恵まれたとは言えない環境で寒い冬に風邪を引いたのをきっかけに身体を壊してしまった。医者もろくに呼べず、薬も用意出来ずに私達が必死に看病しても、みるみるうちに衰弱してしまった。
「イヴァン。貴方は私に似て頭が良いわ。でも貴方はちょっぴり泣き虫で優しすぎるから、きっと悩みを抱えこんでしまうのだろうけど、イザベラを、人を頼っていいんだからね」
「母様……」
「イザベラ。貴方は私に似て強い子になったわね。今も泣かないように我慢して、不器用なところも私に似ちゃったわね。泣きたい時は、信頼する人の前でならいっぱい泣いていいんだからね」
「……あぁ、分かった」
「二人共、愛してるわ」
それから行われた葬式は私達しか出席しなかった。
体裁的に少しだけ顔を出した国王は興味なさげに亡くなった母の顔を見た。国王についてきた側室はやっと死んだかと笑っていたのを私は今でも忘れない。
今までに沢山酷い嫌がらせやいじめを受けてきたが、憎悪という感情を覚えたのはこの時が初めてだった。
「駄目だよイザベラ。離れ離れになっちゃうかも」
そう言って泣きじゃくりながら私を抱きしめるお兄様に、私はようやく涙を流したのであった。
それからはお兄様と二人で支え合って生きてきた。
お兄様は成人した今、王宮で文官として働いている。そこで無能な義兄達の尻拭いをさせられていると聞く。本当に腹立たしいことだ。
しかし喜ばしいことに、お兄様には生前お母様が結んでくれた素敵な婚約者がいる。
その婚約者、アマンダ・スミス侯爵令嬢は頭脳明晰で容姿端麗な完璧な女性である。一人娘で優秀なため近い将来、侯爵家を継ぐ御方だ。
そしてお兄様との婚約者として親睦を深めるためのお茶会の時に、こっそり私にも会いに来てくれた心優しい女性だった。将来義姉妹になるのだからと今でもとても良くしてもらっている。
私としては仲睦まじい二人が大好きなので、兄には早く結婚してこんな腐りきった王家から抜け出し侯爵家に婿入りして幸せになってもらいたい。
しかし王族とはめんどくさいもので、上の王子達より先に結婚式を挙げるのが難しいため、第三、第四王子の結婚式の後になるらしい。女遊びが激しく、婚約破棄を行い一時期騒動を起こした愚か者の王子たちのせいで、お兄様達の結婚式は一体いつになるのやら。
そんな彼の双子の妹である私イザベラは、成人した今でも特に何もしていなかった。言い訳をさせてもらうと何もさせて貰えないというのが正しいのかもしれない。
義兄姉の嫌がらせで昔からお茶会や夜会には参加させて貰えず、まともなドレスの一着も持っていない。
また私の酷い噂も流されているようで、婚約者どころか親しい友人などできる訳もなく。身長が高く騎士と混じって泥まみれで駆け回るような男勝りな姫は人気がないのだとか。とほほ。
ならばお兄様の手伝いをしようと思えば、お兄様の上司に女にできる仕事はないと追い出されてしまった。
親愛なるお兄様に仕事を押し付けるしか脳のない愚兄共より絶対私の方がずっと仕事出来ると思うがな。私も兄みたいにとても頭がいい訳では無いけれども。
そして時間を持て余した私は、日々体を鍛えることに専念していた。将来、継承権を放棄して平民になって騎士になろうと思う。女騎士の門は狭く辛いと聞くが、それぐらい覚悟の上だ。この王宮での生活に比べたら優しいものだと思う。
夢のためにも、さてもうひと頑張りするかと思えば、誰かがこちらへ来る気配がして動きを止める。それは老齢の執事だった。
また何かの嫌がらせの刺客かと睨みつけるも、涼しい顔で見つめ返された。
「何の用だ」
「国王陛下がお呼びです」
「今すぐにか?」
「勿論でございます」
有無を言わせぬその言葉に、この呼び出しが絶対いいことでは無いなと確信して私はゲンナリする。それにしても、国王に謁見出来るような綺麗な服など持っていないのだが。今汗だくの身体だし。
身支度を、と言われても使用人はいないしまともな服もないと告げれば、あからさまにため息をつかれた。ため息をつきたいのはこっちだと思い肩をすくめる。
諦められたのか、執事にそのまま人攫いのように王宮の奥へと連れていかれた。私は体を鍛えているためすり抜けることは可能だが、それをしたらあとが怖いので大人しくしておくに限る。王の呼び出しに答えないなんて不敬罪がなんやらとめんどくさい事になるに違いない。
久しぶりに訪れた王宮内は相変わらず見栄を張るように煌びやかだ。謁見の間へと向かう間、ヒソヒソと嘲笑う声と私への視線が嫌味な突き刺さり鬱陶しい。
社交もまともに出来ず成人しても婚約者もいない私は世間での評価が良くない。一応王族であるというのに使用人にすら下に見られているため居心地が悪く、私も来たくて来た訳じゃないのにと眉をしかめてしまう。
前に国王の顔を見たのは母の葬式の場だったろうか。
前に見た時よりも更に肥えて、額には脂汗が滲み出ている。おでこも後退しているような。
私が深く頭を下げていれば、国王が口を開く。
「喜べ、貰い手のない行き遅れなお前に婚約者を見繕ってきた」
その言葉に驚きはありつつも、予想の範囲内だったため私は口を開く。
「その婚約者とは……」
「魔王だ」
魔族を統べる王、魔王。
悪魔の瞳に恐ろしい牙とツノを持ち、その体躯は5mを超えるだとか。不老不死とも噂され、正確な年齢は分からない。
魔国ヴァルディアとルネディア王国は、数百年も遡れば激しい戦争をしており、今も仲が良いとは言えず長年一触即発状態であるという。
「明日には魔国に旅立ってもらうから準備しておけ。話は以上だ」
一応血の繋がった娘と数年ぶりにあったというのにもう興味をなくしたのか、国王は横にでかい図体を見た目だけ豪華な椅子に投げ出していた。
文句を言う元気もない。もしこの婚約話をお母様が聞いたら怒り狂って国王を殴りかかりに言ってたかもしれないなと思う。
私がそうしても良かったのだが、そうしたら明日旅立つのは魔国ではなく不敬罪で天国行きになるだろう。それはそれでお母様に逢えていいのだが、泣き虫なお兄様が泣き崩れてしまうので一旦抑えておく。
執事から魔王様宛の手紙を受け取りようやく戻ることを許されて、私は家に帰った。
荷物をまとめるといっても所持品が少ないので小さい鞄一つで事足りる。住めば都とは決して言わないが、ボロ屋でもお母様と過ごし、お兄様と生まれ育った思い出のある家と今生の別れとなるかもしれないと思うと、少し寂しく感じる。
やることも終えていつもより早く薄い敷布団の中に入れば、不安で枕を涙で濡らし眠れない……なんてことはなく、いつものように三秒ぐらいで眠りについた。すぐ眠れるのは私の数少ない特技である。