“漁夫の利”を狙い続けたある男の人生
まだ物心がつくかつかないぐらいの幼い頃、強烈な印象を残してくれた絵本と出会った。
タイトルはもう記憶にないが、おそらく昔のことわざや故事成語などを絵で分かりやすく教えるというスタンスの本だったのだろう。
その中に、こんなものがあった。
シギとハマグリが海辺で喧嘩をしていた。シギは嘴でハマグリをつつこうとし、ハマグリは貝で嘴を挟んだ。
両者がもつれ合いになっているところに一人の漁師が通りかかる。
その漁師は労せずしてシギもハマグリも捕まえることができた。
二人が争っているところに現れた第三者が利益を総取りするという『漁夫の利』のエピソードである。
子供用の絵本なので、分かりやすくシギは“鳥”、ハマグリは“貝”くらいの紹介だった覚えがある。
とにかく、俺はあの絵本を読んで、こう思ったのを覚えている。
この通りにやれば、人生で得し続けることが可能ではないかと。
俺の“漁夫の利”狙いの人生の始まりである。
***
最初に大きなチャンスが訪れたのは、小学校の頃。
当時、学校の男子の間ではグループ内でリーダーを決めて、みんなそいつの言う通りに遊ぶという、いわゆる“ガキ大将”の文化があった。
俺のいたクラスでも、二人の男子がリーダーっぽく振舞い、しのぎを削っていた。
俺はグループの三番手、四番手ぐらいの地位だったのを覚えている。
この時、俺は“漁夫の利”のことを思い出していた。
リーダー候補の二人を喧嘩させ、疲れ切ったところを俺が同時に叩けば、俺がリーダーになれる。みんなに指図する自分を想像して、俺はほくそ笑んだ。
だが、「あいつと喧嘩しろ」と言って、人がその通り喧嘩するかというと、そんなわけがない。当時の俺でもさすがにそんなことは分かっていた。
だから、俺は褒めることにした。
片方の男子には「君はドッジボールが強くてすごいね!」と褒め、もう片方の男子には「ブランコからのジャンプで君に勝てる奴はいないよ!」と褒める。
こうして二人を褒めまくれば、二人は自信をつけ、「自分こそが一番に相応しい」という自尊心が芽生え、本格的に争い合うはず。
そんなシナリオを考えていたのだが……。
「お前ってすごくいい奴だよな。いつも人のこと褒めて……」
「え?」
「君を見てたら、自分が一番になりたいって思ってたのがバカらしくなったよ」
「ぜひ、お前がリーダーになってくれ!」
「え!?」
というわけで、二人から推薦されるような形で、俺は晴れてガキ大将に就任することができた。
こんなはずじゃなかったのに、という思いはあるが、リーダーになったんならそれらしく振る舞うしかない。
「よーし、今日はドロケイやるぞ!」
「オーッ!!!」
俺たちは元気よく校庭を走り回った。
***
中学では俺は卓球部に入った。
野球やサッカーと違い、小学校では卓球をやる機会はなかったので、つまり皆横並び。さほど苦労せず、部の中のいいポジションにつけるのではという思惑があったのだが……。
卓球部の花形イベントといえばやはり団体戦だ。
レギュラー争いは熾烈を極めた。
俺もシェークハンドのラケット片手に頑張ったが、このままではレギュラー入りは厳しい。ギリギリのところで入れそうにない。
そんな時、俺は“漁夫の利”を思い出す。
俺より少し実力が上ぐらいの部員二人に目をつけ、こいつらを競わせて、その中で俺が二人の弱点を見つける。そうすれば俺がレギュラーになれるという寸法だ。
というわけで、俺は二人を積極的に練習に誘った。
「いい卓球場見つけたんだ。今度一緒に練習しないか?」
「まあ、いいけど」
「俺もやるよ」
こうして俺たちは三人で自主練習を開始した。
すると、他の二人は――
「でもこうして練習しても、上の連中にはやっぱり敵わないよなー」
「1セットも取れないしな。練習も程々にしておいた方がいいかもしれないな」
これを聞いて俺はまずいと思った。
こいつらには真剣に競ってもらわないと、弱点を見抜くことができない。
そこで――
「もっと真剣にやろうぜ! 俺たちだって上の連中から何点かは取れるじゃないか! 一生懸命やれば、絶対勝てるようになる!」
俺の熱意が伝わったのか、二人はうなずく。
「そうだな……そうかもな」
「ちゃんと練習するよ!」
こうして俺たちは真剣に練習に取り組むようになった。
そして、気が付いた時には、俺は部のキャプテン、他の二人はダブルスでエースになっていた。
中学最後の大会では、県大会のかなりいいところまで勝ち上がることができた。
泣きじゃくる俺に、仲間たちは「お前がキャプテンだったからここまで来れた」と言ってくれた。
***
高校の時、俺は本気の恋をした。
初恋ではなかったが、「どんな手を使ってもこの子と付き合いたい」と思うほどの恋だった。
クラスメイトのショートヘアがよく似合う女子生徒。
美人で、成績もよく、性格も穏やかで、人気の出る要素しかないような女の子だった。
だから当然、恋敵も多い。
俺は俺の他に少なくとも二人、あの子に恋をしている奴がいると睨んでいた。しかも、どちらも俺より顔面偏差値もスペックも高い。
(まともにやったら、あの二人には勝てない……)
こんな時に思い出すのはやっぱり“漁夫の利”である。
あの二人が両方ともあの子にアプローチをする。すると、あの子は困ってしまう。そんな時、俺が優しく手を差し伸べれば、あの子は俺に振り向いてくれる。こんな青写真を描いた。
(となると、まずはあの二人があの子にコクるのを待つとするか……)
しかし、あの二人ときたらなかなかコクらない。
あいつらがあの子が眉をひそめるような見苦しい恋愛バトルをしないと、俺も仕掛けられないだろうが。
あまりにももどかしくなり、俺はとうとうあの子に直接コクった。
「す、好きです! 付き合って下さい!」
結果はオーケーだった。
ちなみに、他の二人はあの子を可愛いとは思っていたものの、告白するほどの好意は持っていなかったようだ。俺の早とちりだったというわけ。
俺の漁夫の利作戦、またしても空振りである。
ちなみにこの時付き合った彼女とは、後に夫婦となる。なんなんだ、こののろけ話は。
***
大学生の時、俺はファミレスで働いていた。
「いらっしゃいませー! 二名様ご案内でーす!」
我ながら結構頑張ってたと思う。
なにしろ俺は“バイトリーダー”になりたかった。
リーダーになれば時給が上がるし、ちょっと偉そうにできるし、就活の時のネタにもなる。
しかし、俺以上に優秀なバイトが二人いた。こいつらがいる限り、俺がバイトリーダーになることは難しい。
そこで俺はこいつらを仲違いさせて、険悪にさせることを思いついた。
他のメンバーと仲良くできない奴など、店長からリーダーに選ばれることはないだろうという計算だ。
俺がどうやってこいつらを喧嘩させようか考えていると――
「偉そうに指図すんなよ!」
「お前の仕事が雑なんだろ!」
二人は勝手に喧嘩を始めた。
お、いいぞいいぞ。こんなとこを店長が見たら、こいつらはリーダー候補から外れることだろう。せいぜい小競り合いしてくれ。
だが、喧嘩はエスカレートしていき、小競り合いでは済みそうにない。
このままだとマジで殴り合いになるんじゃと思った俺は、予定変更して二人を止めに入った。
「やめろ、やめろ! 俺たち仲間だろ!? 喧嘩なんかするなよ!」
心にも思ってない言葉が出てしまった。
「それぞれ仕事のやり方ってもんがある。お互いに尊重していこうじゃないか!」
こんな説得で喧嘩は収まってしまった。なんて単純な奴らだ。
ちなみにこの件が原因で、俺はこの二人から妙に気に入られてしまい、「リーダーならあいつを」と推薦までされてしまった。
バイトリーダーになった俺は大学卒業まで、このレストランで仕事を続けた。
大変なことも沢山あったけど、大きな経験となる四年間だった。
だけどおかしいな。俺の計画どこいった。
***
どうにか就職できた俺に、またしても試練が待ち受ける。
“出世争い”というやつだ。
同期に優秀なのが二人いて、こいつらが俺の世代の出世レースでトップ争いをすることは間違いなさそうだ。
だったら俺は――
(漁夫の利しかないな……)
こいつらを競わせて、お互いに疲弊させて、どこかで出し抜く。
そのためにはいざという時、こいつらを出し抜けるぐらいのポジションにはいないといけない。
当然、仕事を頑張るしかない。
やがて俺も結婚して、子供が生まれる。
こうなると、あの二人を出し抜くだとか考える余裕もなくなっていた。とにかく毎日が忙しい。
仕事ってのは次々難題が降りかかる。これをいかに効率よく消していくかのパズルゲームを延々プレイするようなものだ。
そんなゲームをクリアするのに一番いい方法は、余計なことを考えずに目の前にある難題に没頭すること。
気づくと、俺は出世頭になっていた。
「お前が一番に課長になるとはな!」
「だけど頑張ってたし、当然の結果だろうな!」
「……ありがとう!」
かつては追いかけていた二人に称えられ、俺はビールの入ったグラスを片手に照れ臭そうに笑った。
***
俺は社長になっていた。
社長というと社長室で椅子にふんぞり返れるかというと全然そんなことはなく、難題が降りかかるパズルゲームを続けることに変わりはない。
なにしろウチの会社は業界内では第三位。上にいる二社とは大きな差があり、このままじゃトップになるのは難しかった。
こういう時こそ初心に帰らねばならない。そう、こういう時こそ幼い頃に学んだ“漁夫の利”だ。
業界の一位と二位を潰し合わせ、虎視眈々とチャンスを待つ。これが俺の作戦。
とはいえ、社員たちに堂々とこんなことを告げるわけにはいかない。「ウチの社長、セコイ!」なんて思われたくないしな。
なので――
「我が社は業界第三位だ! チャンスを掴むには一位と二位の隙を突くしかない……しかし、君たちならそんなことせずとも実力で抜かせると信じている!」
むろん、本音は前半部分で、後半は建前である。
実力で抜かせたら苦労はしない。
こんな俺の演説は社内報でも使われ、どうも社員たちのモチベーションを大きく刺激したらしい。
社長は自分たちを信じてくれている、と。いや、あまり信じてないけど。
とにかく社員たちが発奮したおかげで、我が社の業績はグーンと伸びた。
たちまち業界トップになってしまった。
あるビジネス誌の取材に応じた時、こんなことを聞かれる。
「こちらの企業は長年業界三位に甘んじていましたが、一気に躍進を遂げました。どうやって社員のやる気を高めたのですか?」
そんなこと俺に聞かれても困る。
***
頭を触ると、白い毛がはらりと落ちる年頃になった。
俺は社長を勇退し、会社は優秀な後任に任せた。生涯現役って柄でもないしな。
今は自宅でのんびり暮らしている。たまに遊びに来る孫が俺の生きがい。
俺がリビングで本を読んでいると、孫三人がテレビゲームをやっている。コントローラーでキャラを操作して、場外に落とし合うゲームのようだ。
すると孫の一人が、他の二人が戦ってる隙を突いて、二人をまとめて場外に落としてしまった。
「やったーっ!」
「ずるいわ!」
「マジかよー!」
本気で罵り合っているわけじゃなく、楽しんでいるようだ。
今のプレイを見て、俺は思わず孫たちに声をかけた。
「ふふ、おじいちゃんもね、本当は今みたいなことをやりたかったんだよ」
意味が分からず、孫たちはきょとんとしている。
俺は漁夫の利らしい漁夫の利を成し遂げることはできなかったが、こういう人生も悪くないな、と思った。
完
お読み下さいましてありがとうございました。