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鳴らない鐘  作者: 迎ラミン
第一章:小石川の留学生 ~一九三三年~
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小石川の留学生 ~一九三三年~ 1

 鉄の棒と円盤を組み合わせるその物体を、二十一歳になる「メイ」ことメアリー=シレアは知っていた。実際に使った経験もあった。


「さすが(こう)(どう)(かん)です。こちらのバーベルも買われたのですね」


 異例の早さで上手くなったと言われる日本語で、笑顔とともに感想を述べると、同門の先輩である(のり)(とみ)(まさ)()(あくた)(がわ)(あや)()(もり)(おか)(やす)()らが逆に驚いた表情を見せた。

 特に政子などは、


「メイちゃん、使い方知ってるの? ね、ね、教えて! これも()(れい)よね?」


 と、すぐにでもトレーニングを始めそうな勢いで、食いついてきたほどである。彼女の素晴らしい実力は、こうした好奇心や前向きな姿勢にも支えられているのだろう。


「わかりました。私も専門家というわけではないですけど、アメリカでコーチに教わったエクササイズをご紹介しますね」

「ありがとう! じゃあ、みんなでやりましょ!」


 当然のように自分たちも参加するものと決められてしまった綾子と康子も、「はいはい」「政子さんが言い出したら聞かないもんね」と言いながらも、どこか楽しそうだ。

 ()(のう)()()(ろう)師範が起ち上げたここ講道館は、昨年の一九三二年になんと創立五十周年を迎えた。けれどもメイたち女子部員の雰囲気が以前にも増して明るいのは、決してそれだけが理由ではない。自分たちも男子同様の段位認定をしてもらえるのでは、という話が、いよいよ現実味を帯びてきたからである。

 事実、今年一月には関西の大日本武徳会で活動する()(さき)(かつ)()初段が、同等の講道館段位を付与されたそうで、彼女に続けとばかり、一番の実力者として知られる政子を筆頭に、女子部の面々は一層稽古に熱が入っている。


 そうした中での八月。ウィーンで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)会議からの帰路を利用して、嘉納が日本初となるディスクローディング・タイプ、すなわちシャフトにプレートを装着して重量調節できるタイプの、新式バーベルを購入してきてくれたのだった。

 七十歳を超えてもスポーツ界・教育界における国際人として、変わらず日本の先頭を走り続ける嘉納は、筋力トレーニングも積極的に推奨する人だった。三十年以上前の時点で、プロイセンの力業師、ユージン=サンドウの鍛錬法を、


《此法を實行するもの漸く増加せば、國民體力増進の一助たるに庶幾からんか》


 と、『サンダウ体力養成法』として世に紹介していたことからも、彼の好奇心や進歩性、現代で言うところのオープンマインドな人柄が窺える。


「マサコさんは嘉納先生みたいですね」

「とんでもない! もう、やめてよ、メイちゃん!」


 大先生とどこか似た気質のある彼女を、メイがそんなふうにからかうのも、もはやお約束のようなものである。

 政子の謙遜はさておき、メイ自身が講道館で柔道を教わることができているのもまた、嘉納自身が快く許可してくれたからだ。


 同じ()(いし)(かわ)にある東京帝国大学の留学生であるメイは、約一年半前の一九三二年四月に来日してすぐ、かねてより憧れていた「コードーカン」の道場を訪れ入門を願い出た。

 滅多に現われない女性の、しかも金髪碧眼という入門希望者に道場生たちが驚く中、流暢な英語で応対してくれたのは、なんとあの「グランドマスター・カノー」本人だった。多忙な身ながら、たまたま道場に顔を出していたらしい。

 そうして彼は、面接というよりは茶飲み話のような調子で気さくに話をしながら、


「No Problem. Welcome to Kodokan. I hope you've nice days with us.」


 と、あっさりメイの入門を認めてくれたのである。その数ヶ月後、小崎甲子女史にまず武徳会での初段が付与されるのだが、これも審査試合に列席していた嘉納の、「女だっていいじゃないか」という一声が決め手だったという。女性参政権が認められるのが十五年近く先である史実を踏まえても、彼の開明的な思考がよくわかる。


「私もいつか、嘉納先生みたいになりたいです。日本とアメリカだけじゃなくて、いろんな国のいろんな人たちを繋いで、インターナショナルなスタディのサポートやヘルプをしていきたいんです」


 熱がこもると英語が交ざり始める口調のまま、メイはよく女子部の友人たちに語ってしまう。世界的慈善団体、ロックフェラー財団のまさにサポートのお陰で、日本という遠い国で学ばせてもらっている自分。だからこそ、母国へ帰ったら絶対に受けたサポートへの「オンガエシ」をしたい。

 大好きな日本語で抱き続けている、メイの大きな夢だった。




 道場の外、通称「鍛錬小屋」と呼ばれる小屋で、メイたち女子部の四人はさっそく新しいバーベルを触り始めた。

 ちょうどこの日、嘉納が欧州から持ち帰ったディスクローディング・バーベルとその複製品が計四セット、講道館に届いたのである。嘉納の知り合いの鉄工所が、預かった現物を参考に同じものを作ってくれたそうだ。

 しゃがみ込んだメイは、ひんやりとしたバーベルシャフトを握って仲間たちを見上げた。


「古いバーベルとの大きな違いはシャフト、つまり棒の部分が回るようになっているところです。ですから、こんなふうに――」


 言葉を切り、全身を伸び上がらせるようにしてシャフトを引き上げる。直後に手首をくるりと返し、逆に身体を沈み込ませて肩口のあたりで受け止めてみせた。


「ウエイトリフティングの動作ができるんです」


 見守る政子たちから、「おおー」という感嘆の声が上がる。今までも、鉄唖鈴を長くした形状のバーベルは小屋に置いてあったが、あちらは柄の部分が回転するわけではないので、こうした動作は不可能だった。メイ自身も、陸上競技をやっていたアメリカ時代にコーチから少し教わった程度なので、人前でウエイトリフティングを披露するのは、今回が初めてである。


「ウエイトリフティングって、重量挙げよね?」

「じゃ、あの人たちと同じことができるようになるんだ?」


 最初は苦笑しながら政子につき合う形だった綾子と康子も、メイの鮮やかな実技を目の当たりにして、すぐ興味を抱いてくれたようだ。立て続けに質問してくる。


「さすがにまったく同じ重さは無理でしょうけど、練習すれば皆さんも、動きは真似できるようになりますよ。それだけでも下半身と上半身のコーディネイトだったり、クイックネスのトレーニングとして効果があるそうです」

「なるほど。で、力がついてきたら、この丸い重りをどんどん増やしていけばいいのね」

「イグザクトリー。ヘビーなものをクイックに扱えるパワーは、柔道でも大切ですから」


 解説しながら、メイもますます楽しくなってきた。例によって英語とちゃんぽんになりつつある口調に、先輩たちが微笑んでいるのにも気づかない


「でもたしかに、これは便利ね」

「よっぽどじゃない限り、物足りなくなるってこともなさそうだもんね」


 頷き合う政子と康子に「イエス」と笑みを向けてから、メイは担いだままだったバーベルシャフトを、ひょいと頭上に押し上げてみせた。軽々とした動きに、先輩トリオがふたたび「わあ!」と感心している。


「ウエイトリフティングでは、このプレス動作もやるそうです。こちらは完全にアッパーボディ、上半身のエクササイズです」

「メイちゃん、やっぱり力持ちね!」

「引きも押しも、本当に強いものね」

「あの袖釣り込みなんて、男子にだってじゅうぶん通用してるしね」

「ありがとうございます。でもシャフトだけなら、皆さんもすぐにできると思いますよ」


 言い終わらないうちから、「よーし! 私もやってみる!」と政子がシャフトに手をかけてしゃがみ込んでいる。


「私たちも負けてらんないわね」

「みんなで強くなって、先生方を驚かせてやりましょ」


 笑顔を交わしながら、四人の女子柔道家は元気にバーベルを上げ始めた。

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