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 アイドルが立つステージは決して華やかなものばかりではない。


 駆け出しのアイドル、香月琴乃(こうづきことの)たちが今日行う仕事も、地域のイベントにゲストとして参加をするものだ。


 琴乃が所属するアイドルデュオ『ピエドプール』は、マネージャーが運転する車で目的地の房総半島南端に向かっている。


 夜明け前の薄闇の中、車に揺られているだけだと琴乃は眠気が込み上げてくる。


 辺鄙な場所での仕事なので近隣に前泊出来ればよかったのだが、生憎と昨日は都内でラジオ番組に出演しなければならず、それは叶わなかった。


 少しずつではあるが『ピエドプール』の知名度は上がってきている。


 今は地方へのどさ回りみたいなことが多いが、売れっ子になればわざわざ朝早くに強行軍をしてまで田舎に赴く必要はなくなるはずだと琴乃は考える。


 下積みとして必要な苦労だと割り切って、琴乃は眠気をこらえつつ、表情を引き締める。


「ふぁ……いつもならこの時間はまだベッドの中だよぉ……」


 琴乃とデュオを組む日生(ひなせ)いぶきは、アイドルどころか年頃の女の子としても問題があるくらい大口を開けて間の抜けた欠伸をする。


「2人ともこんな早い時間からすまないな。現場に着くまで眠っててもいいぞ?」


「それじゃ、マネージャーのお言葉に甘えて……」


「ちょっと日生さん、居眠りなんかしたらメイクが……」


 マネージャーと遠足に行くような調子で能天気に会話するいぶきに鋭く一瞥を向けた時、彼女がノーメイクであることに琴乃は気づく。


「現場に着いたらちゃんと顔を洗うからさ、メイクのお手伝いよろしくね琴乃ちゃん」


「また私が貴女に手を貸さなきゃいけないの?」


「だってわたしが独りでやるよりも、琴乃ちゃんに手伝ってもらった方がずっと綺麗にお化粧できるんだもの」


 悪意は持っていないのだろうが、いぶきは琴乃を体よくスタイリストとしている節がある。


 パートナーの身嗜みが整っていないせいで足を引っ張られるのも癪なので、結局ほぼ毎回琴乃がメイクを手伝う羽目になるものの、この現状に彼女はかなり不満を募らせている。


「……嫌よ、今日は一切手を貸さないわ」


「ええっ!?」


「頼むよ琴乃、いぶきが化粧に慣れてないのはお前がよく知っているだろ?」


「日生さんだってプロなんだから、ちょっとしたメイクくらいはいい加減独りで出来るようになってもらわないと困ります」


 頼りないパートナーとマネージャーは縋りついてこようとするのを、琴乃は断固とした態度で拒絶する。


 もしいぶきが不出来なメイクをするポカをしたところで、今日みたいな地方でのちっぽけな仕事でなら大した問題にはならないはずだと、琴乃はきついお灸を据えることにした。


「そ、そうだよね。わたしだってアイドルのお仕事をしてお金を貰ってるプロなんだから、それくらい出来なきゃ駄目だよね……」


 少しだけ緊張感を漂わせていぶきは琴乃の発言を聞き入れる。


「すまんいぶき、メイクに関して男の俺じゃ力になれない……」


「あらマネージャーさん、最近ではお化粧する男性も珍しくありませんよ?」


 化粧は女性だけがするもので、男性に無関係なものなんて前時代的な発言をしたマネージャーを琴乃は遠回しに批難する。


「琴乃が言うように化粧する男もいるけどさぁ、なんか個人的には気色悪いっつーか、生理的に受け付けねぇんだよな」


「マネージャーがお化粧しても、きっと全然似合わないよね」


 マネージャーが下手なメイクをした姿を想像したらしいいぶきが失笑する。


 彼女の言う通り、この不器用なマネージャーが綺麗にメイクが出来るとは琴乃も思えない。


 そもそも角張った男性的な輪郭をしたマネージャーが化粧をしたところで、舞台の上の歌舞伎役者のように顔の迫力が増すだけで、女性的な華やかさや柔らかさなど微塵も出さないだろう。


「琴乃まで笑うなっ。こうなったら見てろ、完璧にメイクしてお前らみたいな小娘じゃ出せない妖艶な大人の色気を醸し出してやる!」


「あははっ、マネージャーが気合いいれてメイクしたってオバケみたいになるだけだって」


「日生さんは他人(ひと)のことを笑う余裕があるの?」


「そ、それは……」


 琴乃に忠告されると、いぶきは大柄な身体を自身無さそうに縮こまらせた。


 早朝、というか未明の出発だった事もあり琴乃たちはイベントの出演時間まで十分な余裕を持って現場に到着出来た。


「お仕事の前に腹ごしらえっと……」


 いぶきは待合室に到着するや否や、リュックから保冷バックを取り出すと持参した大きなおにぎりにかぶりつく。


「……くどいようだけど私は貴女のメイクに手を貸さないからね」


「わかってるよ、琴乃ちゃんの力を借りずに何とかやってみる」


「……唇とか歯におにぎりの海苔をつけたままステージに立たないでよ」


 これまではいぶきのメイクを琴乃がしてやっていたが、彼女の自主性を促すため今日は一切手を貸さないと釘を刺す。


 おにぎりを頬張りながら返事をしてきたいぶきの言動に説得力なんて欠片もなかったが、琴乃も本番に備えて暇ではないのでそれ以上の言及はしない。


「お母さん……はお仕事中だし、やっぱユナちゃんかなぁ」


 おにぎりを平らげて歯磨きや洗顔を済ませたいぶきは、スマホを操作して学校の友達にメイクの相談をしようとする。


「……ユナちゃんが駄目なら、次は」


 しかし電話をかけても繋がらなかったり、十分な時間を割いてくれたりする相手をいぶきはなかなか捕まえられない。


 琴乃がメイクを終えてステージ衣装に着替えても、鏡やコスメを収めたポーチの置かれた長机の前でいぶきは戸惑うばかりで、メイクが全く出来ていなかった。


「まさか日生さん、すっぴんのままステージに立つつもりじゃないわよね?」


「……琴乃ちゃん、頼みがあるんだけど」


 いぶきは切羽詰まった顔を向けてきたが、何があっても琴乃は彼女のメイクを手伝わない意思を曲げるつもりはない。


「手伝わなくていいからお化粧の仕方、教えて。お願いっ」


 真っ直ぐに姿勢を正してからいぶきは深々と頭を下げて琴乃にメイクの指南を求める。


 頭を垂れたいぶきをしばらく睥睨して、琴乃は彼女の頼みに応じるべきか葛藤する。


「……時間もないし、基本的なことだけよ。それと口は出すけど手は貸さないからね」


 高校生にもなって化粧すらまともに出来ない相方に呆れてばかりだったが、冷静に考えてみると琴乃はいぶきにメイクを覚える機会を与えてもいなかった。


 だからいぶきが独りでメイク出来ない状況を作ってしまったのは、自分の落ち度でもあると反省して、助言だけはしようと琴乃は考え直す。


「ありがとう、琴乃ちゃんっ」


「貴女は口じゃなくて、まずは手を動かす。ほら、まずは……」


 いぶきは琴乃の指示に素直に従って化粧をしていく。


「貴女の顔、化粧のノリがすごくいいわね。化粧水は何処のものを使ってるの?」


「お母さんが使ってるのを分けて貰ってるだけだよ」


「……日生さん、化粧水はお母様と同じものじゃなくて自分にあったものを買いなさい」


 この()はアイドルどころか年頃の女の子としてもお洒落に無頓着だと再認識させられて、琴乃は嘆息する。


 やっぱり日生いぶきを好きになれないが、だから変な馴れ合いをせずに彼女とアイドルの仕事をやっていけるのだと琴乃は苦笑する。


「化粧水っていくらくらいするの、お小遣いで買えるかなぁ」


「仕事のための必要経費なんだから、安くて質の悪いものを買わないでよ」


「分かった。お母さんに少しお小遣い増やして貰えるようお願いする……」


 難しい要求を母親にすることに対して気が重そうにいぶきは肩を落とす。


「お小遣いを増やして貰わなくても、仕事の稼ぎがあるでしょう?」


「え、琴乃ちゃんもお給料はお母さんに渡してるでしょ?」


「待って日生さん。貴女、アイドルとして貰ったお金をお母様に渡してるの?」


「うん。そんなに多くはないけど私がアイドルとして稼いだ分、少しは家計(カケー)の助けになるじゃん」


 さも当然と言う顔をいぶきんは浮かべて、琴乃の顔を覗き込む。


「家計の助けって……貴女はそれでいいの?」


「ウチあんまお金ないのに、お父さんもお母さんもわたしがアイドルをするの応援してくれてるんだから、その恩返しをするのは当たり前でしょ」


 いぶきは家族の生活のためにアイドルの仕事をしていて、それを当然と受け入れている。


 それは今の琴乃が持っていない感性だった。


「……偉そうなこと言ってごめんなさい。貴女は立派なプロね」


 さんざん子供っぽくてプロ意識がないと見下してきた相手が、自分よりも大人の感覚を持っているとを知り、琴乃はいぶきに非礼を詫びる。


「そうだよ、琴乃ちゃんのパートナーなんだからわたしだってプロのアイドルだよ」


「……ええ。今日もプロとして恥ずかしくない仕事をしましょう」


 いぶきの言葉に感銘を受けて、琴乃は素直に頷く。


 * *


「2人とも朝早くからお疲れ様。でもお客さんたちもお前たちのトークで楽しんでくれてたし、早起きした甲斐はあっただろ?」


「うん、みんな笑顔になってくれたねっ」


 イベントにトークショーのゲスト出演した帰り道、マネージャーの労いにいぶきは満足そうな顔を浮かべる。


「……笑顔というか半ば失笑気味ではあったけどね」


 今日の仕事に達成感を覚えている相方と対照的に琴乃は渋い顔で仕事の成果を悔やむ。


「琴乃、あんまり気にするなよ。漁業に精通したアイドルがそうそういる訳ないだろ?」


「……そんなニッチな需要に応えられるアイドルが何人もいるのも考えものですが、それでももう少し事前に準備をしておけば、体裁を保てたはずです」


 プライドの高い琴乃にとって、司会者からの質問に見当外れな回答ばかりしたことは屈辱的な経験として堪えたらしい。


「わたしは今日のイベント、クイズ大会みたいで面白かったけどなぁ」


「いぶきは本当に楽しそうにトークショーに参加してたよなぁ。それに出世魚の名前とか蒲鉾の材料をきちんと答えられてたな」


「たまたま知ってただけだよ、イベントに備えて勉強した訳じゃないし」


 マネージャーの褒め言葉を耳にして、いぶきが少し照れ臭そうにはにかむ。


「とにかく貴女がいくつか質問に正解してくれて格好がついたわ、ありがとう」


 琴乃も珍しくいぶきに小言を口にせず礼を言う。


「……私、何かおかしな事を言ったマネージャーさん?」


 デュオを組んで活動しているのだから、こうして互いに励まし合う関係になればいいとマネージャーが微笑ましく感じて口の端を綻ばせたのを琴乃は曲解したらしい。


「いや、琴乃がいぶきを労ることもあるんだなって思っただけさ」


「失礼ね、私は他人の頑張りを認めれないほど心が狭くないわ」


「そうだよ。わたしがしっかり頑張ったら琴乃誉めてくれるよ。今のところは怒られてばっかりだけど……」


 いぶきも琴乃の肩を持とうとするが、己の言動を省みてあまり強気な態度には出られない。


「初めは真逆のタイプの2人がデュオを組むと聞いてどうなることかと思ったが、意外とどうにかなるもんだな」


 アイドルデュオ『ピエドプール』として活動を重ねていくうちに、琴乃といぶきは少しずつ噛み合うようになってきた。


 彼女たちが互いのことを理解していき、段々といいコンビになっていくのを間近で見届けられるのはマネージャー冥利に尽きるだろう。


「やっぱマネージャーもそう思うよね。少しずつわたしたちいいパートナーになってきてるよねっ」


「ああ、お前たちが打ち解けていくにつれてアイドルデュオの『ピエドプール』の実力も確実に増してきている」


 いぶきの意見にマネージャーは首肯する。


「……2人とも調子のいいこと言わないで。最底辺からのスタートなんだから上がることしかないでしょう?」


「スタート位置はともかく成長が実感できるのは悪いことじゃないでしょ、琴乃ちゃん?」


「……そうね、伸び代が幾らでもあるのは悪いことではないわ」


 ややいぶきの勢いに押されてはいるものの、琴乃もいぶきの主張に同意する。


 アイドルたちに寄り添うマネージャーとしての立場だけでなく、年長者として琴乃といぶきが青春を謳歌出来るよう彼女たちを今後も見守っていきたいと彼は強く願う。


 元々は可愛い女の子とお近づきになって、あわよくば恋仲になりたいという下心だけで今の職場の求人に応募した時と比べれば、随分心変わりしたものだとマネージャーは思う。


 今日だって琴乃といぶきをそれぞれの自宅までピックアップに伺わなければならなかったから、マネージャーはろくに寝れていない。


 エナジードリンクやらコーヒーをがぶ飲みしてカフェイン中毒でハイになりながら、彼は送迎車のハンドルを握っている。


 琴乃たちは後部シートに座っているものの、それでも時折彼女たちの若くみずみずしい肢体が発散する甘い香りがマネージャーの元に漂ってくる。


 興奮状態で年頃の女の子、しかもアイドルをしている見目麗しい少女たちと車内と言う密室にいるにも関わらず、彼は劣情を募らせてはいなかった。


 連日の激務で心身が疲弊しきって性欲が減衰していることもないわけではないが、それ以上に琴乃たちを自宅まで送り届けるというマネージャーとしての義務感を強い。


 彼女たち『ピエドプール』はアイドルとしての高みを目指していけるダイヤの原石だ。


 そんな魅力的な女の子たちの前途をマネージャーが運転ミスなどで閉ざす訳にはいかない。


 紳士的な理由ではなく、勤め人として、そしてアイドルのファンの1人として彼は安全運転を心掛けて車を走らせた。

長年コンテンツとしては親しんでいるアイドル物に挑戦した習作。

あまり話も捻れずにベタな新人アイドルたちとマネージャーの掛け合いを描いただけでした(泣)

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