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アイドルの端くれである香月琴乃の放課後は、基本的に事務所での歌やダンスなどのレッスンに充てられている。
今日は立ち姿を綺麗に見せるポージングのレッスンを受講する予定だ。
ポージングの講師は細かな姿勢の乱れなどを厳しく指摘してくるので、レッスンに向けて琴乃は気を引き締めつつ、最寄駅から事務所に歩みを進める。
「琴乃ちゃん、おはよっ」
しかし琴乃のレッスンに向けた緊張感は、デュオを組んでいる日生いぶきの能天気な声に乱されてしまう。
「……おはよう、日生さん」
「ポージングの講師のレッスン、とっても厳しいけど一緒に頑張ろうねっ」
「そうね、頑張りましょ」
前回のポージングのレッスンで再三苦言を呈されたにも関わらず、いぶきは物怖じしているようには見えない。
剛胆なのかもしれないし、ただ単に鈍感なのかもしれないが、いぶきの何事にも常にポジティブな姿勢を琴乃は一応評価している。
「やっぱりプロの講師の指導ってすごいよねぇ。ちょっと首の角度とか足の開き方を変えるだけで全然雰囲気が違って見えるようになるんだから」
「けれど、その微妙なバランス感覚を身に付けるのは容易じゃないわよね」
いぶきと並んで歩きながら琴乃は相槌を打つ。
「やっぱ琴乃ちゃんでもポージングを綺麗に見せるのは難しいんだ。ちょっと安心した」
「まぁね。単に姿勢がいいだけじゃ、格好いいポージングにはならないと思い知らされたわ」
「わたし、背筋が真っ直ぐなのには自信あったんだけどなぁ……」
上背が170cmほどあるだけでなく、肩幅もそこそこ広いいぶきが落胆したように肩を竦めると余計に縮こまって見えてしまう。
「日生さんの体幹の強さとかバランス感覚は講師も誉めていたでしょ。真っ直ぐに立つって基本は出来てるんだし、練習すれば貴女も格好いいポーズも出来るようになるわ」
「ありがとう、琴乃ちゃんにそう言ってもらえるとなんかやれそうな気がしてきたっ」
このまま気落ちされたままでも面倒なので、柄にもなく琴乃がおだててみるといぶきは瞬く間に調子を取り戻す。
だがお世辞ではなく、いぶきの立つ姿勢は肩や膝の位置も左右対称でとても綺麗なのも事実だ。
いぶきの長い四肢は柔軟性としなやかさも備えており、きちんとポージングレッスンを受ければファッションモデルにだってなれるだろう。
「やれそうじゃなくて、アイドルとして綺麗で格好いいポージングを貴女も私も出来るようにならなきゃいけないでしょ?」
ポージングを決められるようになることなんて『ピエドプール』なら問題なく出来るはずだと、琴乃は相方に挑戦的な流し目を向ける。
「琴乃ちゃん。綺麗とか格好いいだけじゃなくて、やっぱりセクシーなポーズも出来るようになるべきだよね?」
「セクシーなポーズね……いずれ必要になるとは思うけど、男に媚びるみたいなイヤらしくて破廉恥なことはしたくないわ。日生さんだってそうでしょう?」
アイドルを続けられたまま大人の女性になれば、セクシーさも身に付けておくべきだと琴乃も理解している。
しかし綺麗さとかクールさの延長上にあるものならともかく、牡の劣情に訴えるような下品で猥褻なものは願い下げだ。
「もちろんエッチなのはわたしもイヤだよ。でも水着のグラビアとかやるかもしれないし、そうなったらセクシーなポーズも出来なきゃいけないのなって」
「水着のグラビアなんてお断りよ。そんな仕事、絶対に引き受けないわ」
「わたしだって水着の写真を撮られるなんて考えただけでも恥ずかしいよ。でもクラスの男の子たちがアイドルならきっとグラビアの仕事もあるだろうから練習しとけって……」
「日生さん、猿同然のバカな連中の冷やかしなんて真に受けないで。『ピエドプール』はステージパフォーマンスだけで充分にファンを満足させられる実力派アイドルよ」
哀れにも実年齢よりも幼気で、よくも悪くも純粋ないぶきは性欲剥き出しの牡どもの発言を馬鹿正直に聞き入れてしまっている。
琴乃はパートナーとして、素肌を曝して衆目を集めるような浅ましい小細工なんて自分たちには不要だといぶきに諭す。
「え、でもドラマで何本も主演をしているような売れっ子だって駆け出しの頃は水着のグラビアとかしてるよ?」
「私たちは身体しか取り柄のない安っぽい女じゃない。日生さん、アーティストとしてのプライドを持ちなさい」
琴乃もいぶきもメリハリのある女性的なプロポーションをしているが、琴乃はそれを安売りする気はないし、パートナーにもそんな真似をさせるつもりはない。
好き放題放言する外野の言葉に踊らされてしまっている相方の肩に両手を添えると、琴乃はいぶきにアーティストとしての威厳を持つように訴える。
「そうだね、琴乃ちゃんの言う通りエッチなサービスなんかしなくたって、わたしたち『ピエドプール』はやっていけるよね」
「当然でしょ。さ、バカな話はここまでにしてレッスンに行きましょう」
「うんっ」
パアッと弾けるような満面の笑みでいぶきは琴乃に頷き返す。
真昼の太陽みたいな眩さだけできっと万人を虜に出来るいぶきの笑顔は正真正銘アイドルに相応しいものと感じるのは、きっと身内贔屓なんかじゃないはずだと琴乃は頬を緩めた。
* *
「……やっぱり2人の露出を増やさなきゃ駄目だよなぁ」
ポージングのレッスンを終えた後、琴乃といぶきは担当のマネージャーと今後の仕事のスケジュール確認などの打ち合わせを行っている。
その打ち合わせ中、彼女たちのマネージャー、足柄颯介が聞き捨てならない独り言を漏らす。
「嫌ですっ。わたしたち『ピエドプール』はエッチなグラビアのお仕事なんか絶対にしませんからね!」
いぶきは両手で二の腕を抱え込みながら、乙女の柔肌を曝して牡どもの性欲を充足させる破廉恥な仕事に対して断固抗議する。
「グラビアか……今まで考えたこともなかったけど、琴乃もいぶきも出るトコは出て、引っ込むべきトコは引っ込んでるいい身体してるし、そのセンも全然アリだな」
「このケダモノ……やっぱり貴方も私たちをそういうイヤらしい目で見ているんですね?」
琴乃といぶきは身を寄せ合い、無意味に精力をもて余した野獣に批難の眼差しを向ける。
「いぶきも琴乃も落ち着けっ。もったいないとは思うけど、2人がそこまで嫌がるならグラビアの仕事はさせないから安心しろっ」
「もったいないと思うことは、やはり貴方は不埒な感情を私と日生さんに抱いてるんですね?」
「マネージャー最低、このロリコン!」
「勘違いするなっ、俺はロリコンじゃないっ」
マネージャーはアイドルからの非難を即座に否定する。
年下の女の子たちにむきになって反論するとは大人げないが、彼が及び腰にならずに反応してくれたことで、自分たちも言い過ぎたと琴乃は反省する気になる。
「お前らは年増で身体が弛んだグラドルや半端なAV女優よりエロい身体してるじゃねぇかっ。そんなそそられる身体をしたアイドルと四六時中、膝を付き合わせてんのに健全な男児がそれを意識しない訳ねぇだろっ」
マネージャーは胸に秘めた想いを赤裸々に琴乃たちへ打ち明ける。
「ストーップ、琴乃ちゃんっ。今のマネージャーの発言は正直アウトだと思うけど、警察に通報するのはよそうっ!?」
「いいえ日生さん。私たちの身の安全を確保するためにも、そして今後この変質者の毒牙にかかる被害者を出さないためにも、この男を早々に然るべき場所に突き出すべきよ」
琴乃がスマホで110番に発信しようとするのを、いぶきが眼前の変態への温情で留めてくる。
「セクハラ発言はしたけど今日は大目に見てあげようよ、琴乃ちゃんっ。それに代わりの人が今のマネージャーよりもまともな人とは限らないしさっ」
いぶきの発言にも一理あると感じ、琴乃はスマホの発信キーを押すのを思い止まる。
聞き捨てならないセクハラ発言はしたものの、このマネージャーから直接的な被害は現状受けてはいない。
それに新米で能力も経験値も不足しているだけでなく、脇の甘い今のマネージャーはいくらでも付け入る隙がある。
半端にキャリアを積んで年端もゆかぬ乙女をいいように出来る搦め手の使える大人よりは、彼がマネージャーでいる方が自分たちの意向を反映しやすいはずだ。
「……そうですね。今日の所はお互いに感情的になり過ぎましたし、おあいこにしてあげます」
「よかったぁ……マネージャー、これに懲りたらヘンなこと言っちゃダメだよ?」
「……琴乃もいぶきも恩に着るよ」
琴乃がスマホを鞄にしまうのを見届けて、どうにか窮地を脱したとマネージャーは安堵の息を吐く。
「でも弁明はさせてくれ。さっき露出を増やすと言ったのは、グラビアの仕事とかでお前らの肌を曝すって意味じゃない」
「じゃあ他にどういう意味があるんですか?」
「そんなの『ピエドプール』って魅力的なアイドルデュオを、メディアに売り込んで多くの人の目に留まるようにプッシュしてくことに決まってるだろ?」
マネージャーは真摯な眼差しを琴乃といぶきに真っ直ぐ向ける。
先ほどセクハラ発言をした通り、この男は度々不躾な発言はしているが、 自身の劣情を満たす目的で琴乃たちに指一本触れていない。
この頼りない男とアイドル活動をするのを琴乃は存外不快ではなかった。
「ご、ごめんねマネージャー。わたしが早とちりしちゃったせいで変な雰囲気にしちゃって……」
「いや、俺もいぶきたちを誤解させるようなことを言ってすまなかった」
いぶきとマネージャーは互いに頭をヘコヘコさせるが、共に比較的大柄な男女がそうしているのは傍目にはとても滑稽な眺めだ。
「軽率な発言で日生さんと私を誤解させた責任、きっちりと取ってくださいねマネージャーさん?」
いぶきとマネージャーさんのやり取りを続けても埒が開かないので、琴乃は強引に論点をすり替える。
「ああ、もちろんだ。『ピエドプール』が最高のアイドルだってことは、マネージャーの俺が一番よく知ってるからな。それならお前たちを売り込んでくのが俺の使命だ」
黙っていればそれなりに精悍な顔を引き締めて、マネージャーさんは琴乃の問い掛けに力強く頷く。
「……マネージャーがアイドルを売り込むなんて当たり前のことを格好つけて言わないでください」
成人男性のくせに同世代の少年よりも澄んだ眼差しでマネージャーに直視されると、何だかこっちが気恥ずかしくなったので琴乃は彼から視線を背ける。
パートナーと言い、マネージャーと言い、自分の身近な連中は子どもみたいに純真で真っ直ぐな奴ばかりなのか──
ビジネスパートナーとしてはアテにできないが、その分利用しやすいから不利益はないと、琴乃はアイドルとして置かれた現状に不満は抱かなかった。