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アイドルデュオ『ピエドプール』がゲスト出演する地域のお祭り当日。
楽屋として宛がわれた公民館の1室で、ステージ衣装を纏った日生いぶきと香月琴乃は出番に向けて待機している。
「1、2、ここでターン……3、4、ここで細かいステップ……」
いつもは明るい笑顔を絶やさないいぶきだったが、初めて人前でパフォーマンスをする緊張感からか、とても強張った表情をしてスマホでダンスの振りを念入りに確認している。
「今更あたふたしても手遅れよ、いい加減覚悟を決めなさい日生さん」
「で、でもまだ本番まで少し時間あるし、念のため……」
呆れ顔をした琴乃にスマホを取り上げられたいぶきの顔は不安に苛まれて半泣きになっていた。
「ただでさえ良くない記憶力なのに、そんなに緊張感してちゃますますアテにならないでしょう?」
「そ、そうだね……ごめんね、わたし頭悪くて……」
もう本番直前だと言うのに、いぶきは肩を竦めて縮こまってしまう。
「~♪」
こんな調子では満足なパフォーマンスどころか、いぶきがステージに立つことさえ危ういと感じて、何とか場の空気を変えられないかとマネージャーが知恵を絞ろうとした瞬間、心地好い歌声が狭い控え室を包み込む。
「……琴乃ちゃん?」
「もうすぐライブなのに縮こまってどうするのよ。わたしは発声練習するから、貴女はそれにあわせてストレッチ代わりに軽くステップのおさらいでもしたら?」
「う、うん……」
琴乃に横目で一瞥されると、いぶきは反射的に頷き返して椅子から立ち上がる。
オーダーメイドで仕立てられたステージ衣装を纏った身体の線が露になった琴乃の括れた腰は誇張なしに折れそうなくらい細い。
しかし発声練習をする彼女の声はそんな華奢な肢体から発せられているとは思えないくらい力強く室内に響き渡る。
琴乃の厳かながらも情動に訴えかけてくるハミングに鼓舞されたように、最初は遠慮がちに始めたいぶきのダンスステップが小気味よい警戒な靴音を奏でだす。
いつの間にか琴乃はハミングではなく、はっきりとした歌詞を口ずさむようになっていた。
琴乃が口ずさんでいるのは、これからステージで彼女たちが披露する楽曲だ。
琴乃の生歌を耳にして気持ちが高ぶってきたらしく、いぶきが踏むステップもより軽やかにそして複雑になっていく。
自然といぶきは先程まで不安げな顔で眺めていたダンスの振りを完璧に舞っていた。
祭りの来場者に先駆けて『ピエドプール』の素晴らしいパフォーマンスを拝見する僥倖に恵まれたマネージャーの至福の一時は、遠慮がちにドアをノックする音で終わりを告げる。
「ワナビープロの皆さん、そろそろステージにお越しください」
「分かりました。さぁ、行ってこい!」
「はいっ、行ってきますっ」
マネージャーの呼び掛けに応じた時には、いぶきの表情はいつもの生命力に満ち溢れた明るいものになっていた。
「日生さん、少しはいい顔になったじゃない」
「琴乃ちゃん。わたし、出来ることを頑張るからよろしくね」
ある程度は復調できたものの、琴乃に対して負い目を感じているのか、いぶきの返答はまだ硬さが残っている。
「日生さん、骨身に浸みるほど徹底的に叩き込んだダンスステップは自信を持っていいわ。考えるよりも先に身体が動くはずよ」
「確かにそうかも。だって琴乃ちゃんの歌を聴いただけで自然にステップ踏めたし……」
琴乃が背中越しに投げ掛けてきた言葉に対して、いぶきは少し苦笑しながらも首肯する。
「それとサビの部分だけど、今日は貴女の好きなように声を出していいから」
「本当にわたしの好きにしていいの……!?」
「とにかく今日の日生さんはダンスにだけ集中して。ボーカルは私が完璧にこなすから、貴女は思うままに気持ちよくシャウトしていいわ」
ライブに向けて琴乃が示した妥協案は、いぶきにダンスだけは完璧に仕上げさせることだった。
ダンスを徹底的に仕上げるため、二人は昨日まで事務所の傍のビジホに泊まり込みで昼夜を問わずレッスンに明け暮れた。
そんな猛特訓の甲斐があってか、いぶきは条件反射でダンスステップをこなせるようになった。
歌についてはメインボーカルを琴乃が引き受け、いぶきはサビの部分の盛り上げで歓声を発するだけの役割に限定した。
「わかったっ、ありがとう琴乃ちゃん!」
「気が早いわね。いい加減なパフォーマンスをしたらただじゃ済まさないんだから」
歓喜の声を発したいぶきを窘める琴乃の声音はいつもよりも幾分優しいトーンに聞こえたのは気のせいだろうか。
「行ってくるわ。私たちのライブから目を離さないでね、マネージャーさん」
「お、おう……」
琴乃がドアノブを捻って開かれた扉から『ピエドプール』の2人はステージへと向かっていく。
薄暗い控え室にサッと光が射し込んできて、その眩さにマネージャーが目を細めているうちに担当のアイドルたちの姿は扉の前から消えていた。
いつまでも控え室に留まっている訳には行かない、マネージャーとして彼女たちの初ステージをきちんと見届ける義務がある──
貸与された鍵で控え室を施錠すると、アイドルたちに遅ればせながらマネージャーも陽の光の中へ歩を踏み出す。
初夏の強烈な陽光を浴びて脳内にセロトニンが生成されたためか、『ピエドプール』の初ライブが大成功を納めたような楽観的な気分にマネージャーはなった。
* *
「2人とも初ライブお疲れぇ。いやぁ、担当のアイドルの堂々としたパフォーマンス、マジで感動したぜ……」
感情が抑え切れずに涙ぐんだ瞼を彼女たちのマネージャー、足柄颯介は手の甲で荒っぽく拭う。
「あ~緊張したぁ、でもお客さんたち喜んでくれてたねぇ」
こちらも感極まった表情で、頼りないパイプ椅子の背凭れに身体を預けながら日生いぶきが安堵の吐息をする。
「マネージャーさんも日生さんも達成感に浸らないでよ。今日のお客さんのほとんどが、本来なら私たちの客層に入らないお子様かおじいちゃんおばあちゃんばっかりだったじゃない……」
あくまでも香月琴乃の自己評価だが、今日のパフォーマンスには致命的なミスはなかった。
琴乃は振り付け通りのダンスをこなす傍ら、生歌でメインボーカルを務め上げ、いぶきもバックダンサーの役割をしっかりと果たした。
けれど一端のアイドルとして充分な公演を見届けてくれた観客は微々たる数だった。
おまけにアイドルがマーケティングのターゲットとしなければならない10~20代の観客数はかなり乏しい有り様だった。
「そんなことないよぉ、わたしの学校の友達たちがたくさんいたじゃん」
「ええ、ざっと見て50人くらいはいたわね。本当に大した人望だわ……」
貴重なティーンエイジャーの客層の大半がいぶきの学友だったらしく、皮肉ではなく本心から琴乃はその人望に感謝する。
「休みの日にわざわざ田舎からみんな来てくれて感謝だよ~でも琴乃ちゃんの友達っぽい人が少なかったのは意外だなぁ」
「……みんな忙しいのよ」
在籍している高校ではほぼぼっちの上、琴乃はアイドルをしていると公言してない。
いぶきのように学友にライブへの参加を呼び掛けられなかったことを伏せるために、適当なことを言って琴乃はお茶を濁す。
「だよねぇ、琴乃ちゃんが通ってるのって名門のお嬢様学校だもんねぇ。きっと皆、花嫁修行とかお見合いとかで忙しいんだろうなぁ」
「ま、まぁ、そんな所ね……」
「あっ、琴乃ちゃんはまだお嫁に行っちゃ駄目だよっ?」
適当に相槌を打ったのが悪手だったらしく、いぶきは琴乃に肉薄して二の腕にすがり付く。
「い、いきなり何言ってるのよ日生さんっ!?」
「きっと琴乃ちゃんにもお金持ちの許嫁の男がいるんだろうけど、わたしは琴乃ちゃんとアイドルを続けたいっ」
「許嫁っていつの時代の話よ、そんな男いないから安心して。それに私だってアイドルとして成功するまで辞める気はないから」
小さな子どもをあやすように琴乃はいぶきの背中を優しく擦りながら、興奮している彼女に平静さを取り戻すよう言い聞かせる。
「よかったぁ、じゃあこれからもわたしは琴乃ちゃんと『ピエドプール』を続けられるんだぁ……」
「何がこれからもよ、ようやく今日始まったばかりじゃない」
本当にこの娘は私と同学年なのだろうかと疑わしく思いつつ、大きなトラブルはなくライブを終えられたに琴乃も達成感を覚えている。
そして今日のライブはアイドルとしての第一歩としては物足りないものではあったが、琴乃にとっていくつかよい収穫がなかった訳でもない。
物覚えは悪いものの、ずば抜けた運動能力を持ついぶきは、徹底的に身体に覚え込ませれば完璧なダンスステップが出来ることがその1つ。
おまけにいぶきは単純にステップを踏むだけではなく、例えステップに遅れや先走りがあってもライブ中にきちんと修正出来るリカバリーも出来ることも確かめられた。
それにいぶきの人当たりの良さは学校生活でも存分に発揮されており、正直親しい友人のいない琴乃にはない、同年代への口コミの発信力を彼女は潜在的に備えている。
3つ目の、というよりも今日のライブで再確認できたことは、やはりいぶきは圧倒的な声量と歌唱力を持っていることだ。
おまけに単に大声を張り上げるだけではなくて、ライブでの会場の盛り上りや空気感を把握した上でよりいっそう熱気を駆り立てるような吸引力が彼女の歌声にはある。
今日はコーラスに徹してもらったから隠し通せたが、いぶきがメロディパートを歌えるようになったら琴乃の歌声は彼女に喰われてしまうかもしれないと不安を抱かずにはいられない。
でも己を追い落とせるような傑物と競いあって、利用して、そして最終的に踏み台にしなければきっとアイドルとしての高みには登れないだろうと琴乃は野心を燃やす。
「ああそうだっ、今日のステージが『ピエドプール』の伝説の始まりだっ」
年甲斐もなくはしゃぐマネージャーが口走ったように、このちっぽけなステージが、本当の意味で自分たちがアイドルとして踏み出した第一歩であることだけは琴乃も同意した。






