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フランス語で千鳥格子を意味するピエドプール。

ユニット名の通りタイプが正反対の二人のアイドルが織り成す青春の一幕です。

 やっぱりあんな人となりを知れば知るほど駄目な所を露呈し続ける、頼りない(ひと)が私たちのマネージャーじゃ駄目だ──


 昨日の仕事で現在のマネージャーに対する不満を再認識にした香月琴乃(こうづきことの)は、担当者の交代を直談判することを決意した。


 今日は仕事もレッスンもない完全なオフの日だったが、放課後になると早々に琴乃は電車に乗って、在籍する芸能プロダクションのあるオフィスビルを訪れる。


 彼にスカウトされなかったら自分はアイドルになれていなかったかもしれない──


 しかしマネージャーに1つだけ借りがあることが琴乃の脳裏を過った途端、彼女の足は正面玄関の前で一瞬止まる。


「あっ、琴乃ちゃん。お疲れ~」


 背後から琴乃にかけられた声はとても朗らかなものだった。


 だが正直なところ琴乃はその声が、厳密にはその声の主が好きではない。


「……こんばんは、日生(ひなせ)さん」


「もう琴乃ちゃん。わたしの事はさん付けじゃなくて、いぶきって名前で呼んでって言ってるでしょ?」


「私が貴女をどう呼ぼうと仕事に問題はないでしょ?」


「よくないっ、ユニットの仲間同士がさん付けで呼びあってるなんて絶対変だよっ」


 大柄な体格をしているくせに、日生いぶきは小さな子供のように頬を膨らませて憤慨する。


 なんて年甲斐もなく子供っぽい仕草。それなのにそんな幼気な態度が不快に思えないのも、自分が日生いぶきを気に食わない理由だと琴乃は内心で舌打ちする。


「琴乃ちゃんだって他所のユニットがトークイベントとかでメンバー同士がさん付けで呼び合うのなんて見たことないよね?」


「なら、私たちがさん付けで呼び合えば新鮮味があっていいじゃない?」


「ダメだよっ、やっぱユニットの仲間なのにさん付けなんて余所余所しいじゃん」


「くどいわね、相手の呼び方なんてステージのパフォーマンスに影響しないでしょ?」


「するよっ。『ピエドプール』はわたしたち2人しかいないのに、態度が余所余所しかったらステージの見栄えが悪くなるって」


「……善処するわ、日生さん」


 いぶきの反論に一理あるのを琴乃は渋々認める。


「ホントに琴乃ちゃんは強情だなぁ。でも琴乃ちゃんの簡単に自分の意見を曲げないトコ、わたし結構好きだよ♪」


 ニカッと白い歯を浮かべながら、いぶきは親しげに琴乃に肩を寄せてくる。


 活動に支障がない程度に交流を図る意志を示した手前、琴乃もいぶきを悪し様に拒めず、仕方なく彼女と寄り添いながらオフィスビルの中に入る。


「ところで琴乃ちゃん、オフの日なのに事務所に来るなんてどうしたの?」


 ビルの2階にある事務所に向かう階段でいぶきが琴乃に訊ねる。


「……貴女だって今日はオフのはずなのに、何で事務所に来るのよ?」


 彼女たちはデュオを組んでいるので、基本的に同じスケジュールで行動している。


 今日はオフの予定なので本来ならば2人がここで顔を合わせることはないはずだ。


「あ~わたしはね……」


 2階のフロアにある事務所の前まで琴乃たちがやって来た時、唐突に中から扉が開け放たれる。


「おっ、早かったないぶき。あれ、琴乃と一緒にどうした?」


 事務所の中から青年がドアノブを握ったまま、不思議そうに2人の顔を覗き込んでくる。


 大学までサッカーに打ち込んでいたと自慢する通り引き締まった体つきはしているが、ふと目が合ってしまったその顔はやはり締まりがないと琴乃は感じる。


「たまたまビルの前で一緒になったんだよ、マネージャ~♪」


 いぶきが口にした通り、事務所の入口でぼうっとしているこの青年が彼女たちのマネージャー、足柄颯介(あしがらそうすけ)だ。


「やっぱりデュオは一心同体ってことか?」


「いえ、そんなことは……」


「だよねぇ、わたしたち『ピエドプール』は2人で1人だよね♪」


 マネージャーの放言を琴乃が否定するよりも早く、いぶきは満面の笑みを浮かべて青年に頷き返す。


「ところでいぶき、昨日の現場から持ち帰ってしまったものは持ってきたか?」


「もっちろん。はい、マネージャー」


「ひっ……!?」


 普段は持ち歩いていない帆布地のトートバッグからいぶきはプラスチック製の虫籠を取り出してマネージャーに差し出す。


 虫籠が透明なプラスチックで出来ているせいで、琴乃は見たくもないのに籠の中で蠢くトカゲを目の当たりにして反射的に悲鳴をあげてしまう。


 昨日、近隣のショッピングモールのイベントに琴乃たちはゲストとして招かれた。


 ショッピングモール内に出展しているペットショップから貸し出された動物とイベント中に触れ合うとは聞かされていたものの、琴乃はてっきり犬や猫を愛でるものだと予想していた。


 しかしイベントで触れ合う動物が蛇やトカゲだと判明すると、琴乃は事前に説明がないのだからこの仕事は受けられないと足柄マネージャーに断固抗議した。


 リアクション芸人ならいざ知らず、不気味な変温動物を扱うのはアイドルの仕事ではないという琴乃の正論は黙殺され、おまけにいぶきは真っ先にトグロを巻いた蛇に掴みかかっていく始末だ。


 琴乃は生きた心地がしないまま悪夢のような触れ合いイベントに参加せざるを得なかった。


「イベント中、このコと遊んでたらさ、つい返すの忘れちゃったんだよねぇ」


「俺はイベントでそのトカゲを逃がしてしまったかと、いぶきから連絡があるまで生きた心地しなかったよ……」


 いぶきは名残惜しそうな視線を虫籠の中で身動ぎするトカゲに向けている一方で、顔を青ざめさせていたマネージャーはようやく人心地がついたらしく胸を撫で下ろす。


「こんなちっちゃいのに数十万円もするんだっけ、マネージャーの給料の何ヵ月分?」


「……そんなの考えたくもない。さてと、昨日のイベントに参加していたペットショップにこいつを返してこなきゃな」


 いぶきからトカゲの入った虫籠を受け取るとマネージャーは琴乃たちにそう告げる。


「……迷惑かけてごめんね、マネージャー」


 自分の犯したミスの尻拭いをさせるのには罪悪感を覚えたらしく、いぶきは肩を落としてしおらしくマネージャーに詫びる。


「まぁ、いぶきが積極的に蛇やトカゲと接してくれたからイベントは盛り上がったんだし、今回のことは気にするな」


「……本当?」


「ああ。ただし今後は現場で借りたものはきっちり返してから帰るように気をつけるんだぞ?」


「わかった、同じミスは二度としない」


 意外と厳かな口調でマネージャーはいぶきを諭しており、彼女も引き締まった表情でマネージャーを見返す。


「そうだな、いぶきならきっと大丈夫だ。それじゃ、マネージャーとして責任をもってペットショップに詫びを入れてくるぜ」


 マネージャーはいぶきに微笑み返すと、虫籠を携えたまま階段を降りていく。


「ありがとうマネージャー、気をつけて」


 単なるお使いに出かけるだけなのに、いぶきからの労いの言葉にマネージャーは右手を軽く掲げて応えた。


 いぶきとマネージャーの他愛ないやり取りのせいで琴乃はすっかり興を削がれてしまって、今日は担当のマネージャー交代を願い出るのは辞めておこうと考え直す。


「マネージャーにあのコを預けられたからわたしの用事は済んだけど、琴乃ちゃんは事務所に何しに来たの?」


「……ホワイトボードでスケジュールの確認と、ちょっとダンスレッスンをしようとしただけよ」


 再びいぶきに事務所に来た目的を訊かれた琴乃はとっさに嘘をつく。


「じゃ、わたしも付き合うよ」


「え、いいわよ。用事が済んだなら日生さんは早く帰れば」


「だってパートナーが自主トレするのに、わたしだけサボる訳にはいかないよっ」


「……好きにすれば」


 いぶきに短く返事をした時、琴乃の口元は少しだけ緩んでいた。


 その理由はデュオを組む彼女がアイドル活動に対して意欲的なのが嬉しいからなのか、琴乃自身が下手な嘘をついて鬱陶しい奴に付きまとわれることになってしまった自虐の笑みなのかは定かではなかったが。


 * *


 日生(ひなせ)いぶきが無断で持ち出したトカゲは、彼女のマネージャーが予想した以上に希少なものだったらしい。


 いぶきから預かったトカゲを店頭に届けるや否や、マネージャーはペットショップの店員たちから非難轟々を浴びせられた。


 届けにきたトカゲはとても外的な刺激に敏感で、普段の生活環境と全く異なる状態に一晩曝された上、遮蔽物もない粗末なプラスチックの虫籠で連れ回したことを彼は散々叱責された。


 マネージャー自身は担当するアイドルが現場から希少なトカゲを持ち出していたとは露知らなかったのに、まるで彼がトカゲを盗み出したような理不尽さに耐えつつ、平身低頭でひたすら平謝りして相手の溜飲が下がるのを待つしかなかった。


 仕方ない。稼ぎ頭のアイドルに傷がつかないよう彼女たちの矢面に立つのが俺の仕事だと自分に言い聞かせても、やはりマネージャーはやるせない想いを払拭しきれなかった。


 ペットショップからの帰り道、このまま直帰しようかとも思ったが、やりかけの仕事が残っていたので彼は渋々事務所に戻ることにする。


 午後8時過ぎにマネージャーが帰社しても、それほど遅い時間ではないのでまだ事務所の明かりは点いていた。


 せめてコーヒーでも飲んで一息吐こうと彼が給湯室に向かう途中、床に靴のソールが擦れる小気味よいスキール音が聞こえてくる。


 会社が間借りしている2階フロアの奥はレッスン場になっており、時折アイドルたちが居残りでダンスレッスンをしていることもある。


 しかしうら若き乙女たちが熱心にレッスンに打ち込むのを看過して、彼女たちを遅くまで残らせていると、社長から大目玉を喰らうのはマネージャーたちスタッフ陣だ。


 誰かがレッスンしているのに気づいてしまった以上、放っておくことも出来ず彼は重い気持ちでレッスン室に向かう。


 こんな時間まで残ってレッスンしている練習熱心な娘が大人しく引き下がる訳もなく、またサンドバッグになるのは分かりきっていたが、アイドルから嫌われるのも仕事の内だとマネージャーは自分に言い聞かせる。


「おーい、いつまでも根を詰めてないでそろそろ帰れよ」


 一旦ノックしてからレッスン室の扉を開けると、彼は中にいるアイドルたちに声をかける。


「あ、マネージャー。戻ってきたんだね」


 レッスンをしていたのは彼が担当しているアイドルデュオ『ピエドプール』の2人だった。


 メンバーの1人、日生いぶきがステップを止めてこちらを振り返ってくる。


 少なくとも担当外の娘たちではなかっただけ話がしやすいとマネージャーは思う。


「戸締まりはきちんとしますから、私たちの事は気にしないでください」


 いぶきの相方である香月琴乃(こうづきことの)は秀麗な顔をあからさまにしかめて、彼を睨み返してくる。


「そういう訳にもいかないんだよ。アイドルがレッスンに没頭し過ぎて怪我でもされたら、こっちが監理不行き届きになっちまう」


「そんなヘマはしませんからお構いなく」


 琴乃は完全にマネージャーをレッスンの邪魔者と見なして取り付くしまもない態度だ。


「他にもあんまり子供の帰りが遅いと親御さんに心配かけちまうからな。ご両親を不安にさせたくはないだろ?」


 泣き落としにかかるつもりではなかったが、彼は琴乃といぶきへ交互に視線を投げ掛けて、彼女たちの良心に訴えかけた。


「あっ、帰りが遅くなるって連絡してなかったっ。まずいなぁ、きっと今頃お母さんカンカンに怒ってるよぉ……」


 マネージャーの予想通り、いぶきは慌ててスクールバッグからスマホを引っ張り出すと家族にメッセージを送る。


 そしていぶきがメッセージを送信して間髪置かずに彼女のスマホは着信音を奏でる。


 いぶきが恐る恐る通話に応じると、彼女は電話でこっぴどく母親から説教をされた。


「私は帰りが遅くなろうと問題ありません」


 案の定、琴乃はマネージャーの提言になど聞く耳持たず淡々とレッスンを続ける。


「いや、そういうことじゃなくてな。琴乃みたいな可愛い娘が遅い時間に夜道を歩くのは危険だろ?」


「今までも遅い時間に帰宅したことはありますから、余計なお世話です」


「……余計なお世話だって?」


 積もり積もったストレスで、彼はもう我慢の限界だった。


 マネージャーは声を荒らげて琴乃に詰め寄ると、彼女の細い肩を掴んで無理矢理自分の方に向き直らせる。


「きゃっ、いきなり何するんですかっ!?」


「ちょ、ちょっとマネージャー、乱暴は駄目だよっ!?」


 彼がしでかした突然の暴挙に琴乃だけでなく、いぶきも動揺してしまう。


「大人が子供を心配して何が悪いっ。単なるマネージャーでしかない俺でさえ放っておけないんだから、ましてお前の親御さんは尚更だろうっ」


 ちょっと顔が可愛いからってちやほやされてるガキのくせにいい気になりやがってという憤りと、やっぱり単なる仕事仲間でも可愛い娘を危険な目に遭わせたくないという心配が入り交じったままマネージャーは琴乃の顔を凝視する。


 性格にはかなり難があるけれど、やっぱり琴乃の顔はちょっとどころか滅茶苦茶可愛い、というか綺麗だ──


 彼女の横柄な態度への怒りも、年下の可愛い女の子への心配も忘れて、マネージャーは不覚にも琴乃の美貌に見惚れてしまう。


「……知ったような口を利かないでください。周りの大人は誰も私のことなんて気にしてませんから」


 しばらく彼と琴乃の視線は交錯していたが、やがて彼女はぷいと視線を背ける。


「仮にそれが本当でも、やっぱり俺はマネージャーとしてお前の安全を守る責任があるんだ」


「……分かりました、今日は大人しく帰ります」


 再三の説得の末に頑な琴乃もようやく折れて、どうにか彼は彼女にレッスンを終了させることを成功する。


「ちょっと、いつまで掴んでるんですか?」


「す、すまん……」


 琴乃にジト目を向けられると、マネージャーは掴みっぱなしになっていた彼女の肩から手を離す。


「まったく、お肌に痕が残ったらどうしてくれるんですか?」


「すまんっ。もし俺のせいで琴乃が傷物になっちまったら、責任は絶対に取るからっ」


 本当に今日は平謝りしてばかりだと自嘲したくなりながら、彼は両手を合わせて琴乃に頭を下げる。


「……あ、貴方に傷物にされるなんて冗談じゃありませんっ」


「えっ、琴乃ちゃん……顔真っ赤だけど?」


「そんなことないわ。お疲れ様、日生さんっ」


 琴乃は一瞬息を詰まらせると、荷物を担ぎ上げて着の身着のままレッスン室から駆け去って行く。


 希少なトカゲを無断で現場から持ち出したいぶきに負けず劣らず、いや、気難しい琴乃と付き合っていくのは、いぶきと関わる以上に難儀なことだとマネージャーは再認識した。

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