歪な空間-1
「あの・・・どこに行くんですか?」
「大丈夫大丈夫!心配しないでついてきて」
先ほどまで忘年会をしていた繁華街。
彼女は公園から、私の来た道を戻り、またあの騒がしい場所へと戻ってきていた。
私はまだ彼女の手を握りしめていた。
着いて行くというよりも引っ張られるというのだろうか。
私は行く宛も分からずに彼女の手の温かさだけを感じていた。
「ここだよ!ここ!」
「ここは・・・バーですか?」
公園から歩いて10分くらいだろうか。
繁華街の少し路地に入ったそこに彼女の言う場所はあった。
―――New Feel―――
ネオン管で書かれた文字は鮮やかに光を放って、
暗がりの路地を明るく照らし出していた。
「バー兼ライブハウス。俺のいきつけ!」
彼女が店の扉を開けると、途端に大きな音が耳に飛び込んでくる。
軽快な音楽に乗った歌詞。あまり音楽に詳しくないだけなのか曲名はわからない。
店の中に入るとまるで音に包み込まれているかのようだった。
それでもうるさいとは感じなかった。
「どう!?君はこういうところには来たことある?」
「いえ!初めてです!」
音に消されないようにお互い少し声を張っている。
左手のカウンターでは一人の店員がシェイカーを振り、右手には小上りになったステージ上で一人の男が歌っていた。それを扇状にスタンドテーブルが並び50人近い客が彼に声援を送っている。
「おいで!」
彼女は繋いだままの私の手を更に引っぱった。
初めて経験するボリュームの歌。初めて経験するそれに負けないくらいの声援。
まるで会場が一体になっているかのようだった。
すごい・・・。
手を引かれながら思わず声に出してしまうほどに。
私は彼女に案内されるがままにカウンターの椅子に座る。
「シェリー!俺にはいつものウィスキー!彼女には好きなの作って!」
「あら。今日は遅かったのね」
シェリーと呼ばれた店員は美しかった。女性・・・ではなく男性だろう。
見た目では判断が難しい彼は髪を耳にかけ直しながらこちらに視線を向けた。
「こんばんは。綺麗な顔のあなたは何がいいかしら」
「あっ、あっ、私はなんでもいいです!」
妙に艶っぽいシェリーさんの声に私は緊張して言葉がガタガタになってしまう。
そんな私に、シェリーさんはふふふっと笑いかけてくる。
「ええっと何ちゃんって呼べばいいかしら」
「そういや俺も名前知らないな」
「なんで連れてきたあなたが知らないのよ」
彼女は叱られた。
「ユズキです。それと・・・私も彼女の名前を知らないです」
「ユズキちゃん・・・名前も知らない人にホイホイついて来たの?」
私も叱られた。
「やーい!叱られてやんの!」
「あなたのせいでしょうが」
また叱られた彼女は違いないと笑い飛ばす。
そんな彼女をため息混じりに見つめるシェリーさんは、それでもどこか楽しそうに思えた。
話しながらも手を止めないシェリーさんから自分のお酒を受け取った彼女は、
「遅くなったが俺はアサヒ!この世界観を楽しんでくれ!」
そういう彼女は両手を広げてステージを紹介してみせた。
改めて見せつけられたこの空間。
会場から伝わってくる熱気と汗の匂い。
歌手の本気さを、観客の本気さを、曲名も知らない私でさえ感じとれる。
私の体の中が熱くなっていくのを感じた。私の心が震えているようだった。
「そんなユズキちゃんにはこのお酒ね」
カウンターをすべらせて差し出されるそのお酒は今の私の気持ちを表すかのように赤かった。
「エル・ディアブロ。悪魔のお酒。カクテル言葉は”気・を・付・け・て”」
悪魔のお酒。これまでの、そしてこれからの私は何に気を付けるべきなのか。
意味ありげに話す彼の瞳は、お酒の意味と同じように、
とても深い意味があるようなそんな気がした。