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ヴィオラは十七年の人生で、これ以上ないくらいに、我慢の限界というものを迎えていた。
意味がわからない。
同じ言語で会話をしていても、そう思うことはこれまでにも多々あった。
だけど人にはそれぞれ個性があって、それぞれ考え方が違うのが当たり前であり、その理解できない部分を理解しようとしなければ人間関係なんてすぐに破綻してしまうと常々思っていたからこそ、我慢した。
自分の常識の範囲外の事態が起きたとしても、冷静に相手との対話を深め、互いに理解し合えるよう努力してきた方だと思っている。
母が亡くなってすぐに父が再婚し、義母とその連れ子が家に来たときでさえも、ヴィオラは言いたいことは呑み込み笑顔で歓迎した。
妻を亡くした父の寂しさも理解できたし、軟弱な子しか産めなかったからといきなり離縁されて寄る辺をなくした義母が、親戚だった父に手を差し伸べられて再婚を決めた気持ちも理解できた。はじめは会話すらままならなかった義母の連れ子とも、今ではそれなりに友好関係を築けるようにもなった。どうにかこうにか家族という形にできたのは、ヴィオラが努力したからである。
だからこそ、婚約者との初顔合わせのときに、なに食わぬ顔をしてついてきた彼の妹を、最初から邪魔者扱いして排除しようとはしなかった。
たぶんそれがいけなかったのだろうと、今ならわかる。
それ以降、デートの度に金魚の糞のようにくっついて来る彼の妹に対して、回を重ねるごとに顔を引き攣らせていくヴィオラはきっと悪くない。
だから心の中でくらい言わせてほしい。
(本当に、なんなのかしら、この子……)
婚約者の言い分はこうだった。
「オペラに行くって言ったらどうしても行きたいって。これから家族になるわけだし、今から親交を深めておくのも悪くはないだろう?」
分別のつかない子供ならいざ知らず、彼の妹は十五歳。駄々をこねて許されるような年齢ではない気がしたが、彼にとってはまだまだ小さな子供のように映るらしく、眼差しひとつ取ってもあまやかしているのが見て取れた。
「だって留守番なんて、寂しいんだもの!」
そう言い切った彼女はなにをどうしたらそうなるのか、彼の腕にしがみつきながらうるうるとした上目遣いでこちらを窺ってきた。自分の主張が通らないはずがないというその目に思うところはあったが、ヴィオラはぐっと堪えた。
ここで言い返したら自分が悪者になる。
彼の妹は元々持病があり、幼少期はずっと、空気のいい田舎で暮らしていた。ようやく元気になったことで、王都に出てきたという。それはあちこち行きたいところばかりだろう。
そんな境遇を鑑みて、我慢した。きっと健康優良児の自分にはわからない、つらさとか寂しさとかがあるのだろう、と。
十五歳など多感な時期だ。とはいえヴィオラとは二歳しか違わないが、年下は年下。幼過ぎると思わなくはないが、年下は年下。
「そういうわけで、妹も一緒に連れて行ってもいいかな?」
なにがそういうわけなのかまったくわからなかったが、さすがに帰れとは言えなかった。正直意味不明な理論だと思ったが、いくらなんでも今さら無下に追い返すのも大人げないと、仕方なく彼らの言い分を受け入れた。その一回きりのつもりだったから。
ちゃんと確認しなかったヴィオラが悪いのか、相変わらずデートは小姑同伴。
「妹はまだこっちで友達ができてないらしくて。家にこもりっぱなしではかわいそうだろう? きみともすっかり打ち解けたみたいだしさ。まぁ、今だけだから、よろしく頼むよ」
今だけって。
具体的な日数を提示してくれれば、ヴィオラだってその期間くらいは我慢する。だが返ってきたのは曖昧な苦笑。たぶんいつまでとは決まっていないのだろう。
慕ってくれるお兄ちゃん子の妹がかわいいのはわかる。それはちゃんとわかっている。
婚約者の目には妹とヴィオラが打ち解けているように見えているらしいが、言わせてもらえば、これで打ち解けているのなら世界の大半はヴィオラの友達だ。控えめに言って、眼球が死んでいる。
婚約者の目のないところで睨まれていると言ったら、彼は果たしてどちらの言い分を信じるのか。
いや、言わなくてもわかる。きっと大人げないとヴィオラが窘められて終わりだ。
家族と、もうすぐ家族になる他人。比べるまでもない。
ヴィオラはすっかり貼りつけ慣れた笑みを浮かべると、婚約者の腕を引く妹の後に続いた。はたから見ればヴィオラこそが金魚の糞だったことだろう。
(……本当に意味がわからないわ)
この妹が良心のあるまともな子ならば、ヴィオラとてここまで思い悩むことはなかったろうが、残念ながら彼女は人を不快にさせる天才だった。
三人で向かったオペラ。まず、並びがおかしかった。
婚約者、妹、ヴィオラの席順。デートに来ているのに、なぜ婚約者との間に小姑を挟まなければならないのか。納得のいく答えを導き出せないままオペラがはじまった。
当たり前のように寄り添う婚約者と妹。それをおかしいと思っていないようで、婚約者も当然のように受け入れている。
本当に、意味がわからない。
(あなたが婚約者なの? だったらわたしはなんなの?)
従者かなにかだとでも思ってるのだろうか。
いっそ怒って帰ればいい。ヴィオラが彼の家に嫁に行く予定ではあるが、まだ後継として家に残るという選択肢も残されているのだ。
この国は女王陛下の統治する国なので、女性でも爵位を継ぐことができる。
ヴィオラはひとり娘ではあるが、実家はしがない子爵家。父がよかれと思い、ヴィオラには裕福な伯爵家との縁談を見つけてきてくれたのだ。
残念ながら今は家を継ぐ方に気持ちが傾いているが。
正直このまま逃げてもいいのだ。
だけどそれだとヴィオラが負けたようではないか。こんな……頭の悪そうな子供に。
それだけはなけなしのプライドが許さなかった。
婚約者も別に悪い人ではない。むしろ優し過ぎる。だから付け込まれる。この小悪魔に。
この妹は優しい兄を他人に取られたくないのだ。本当に行動原理が子供過ぎて呆れる。
オペラの内容などほとんど頭に入って来ず、気づいたら幕が降りていた。
食事のときもそうだ。四人掛けテーブルに、彼らは並んで座る。まあ、それはいい。あちらは兄妹なのだから。
だけど。
(お互いの料理を食べさせ合うのは、違わない?)
自分は一体、なに見せつけられているのか。
ヴィオラはそっと天を仰いだ。ムードのある天井の照明にいっそ泣けてくる。
しっかりデザートまで堪能した婚約者の妹は、明日からダイエットをがんばると謎の宣言をしていた。
今日からがんばれない人が明日からがんばれるとでも思っているのだろうか。
太りたくないならその辺の草でも食ってろと言いたい。言わないが。
だいたいそのコルセットを必要としない細さで、なにを寝ぼけたことを抜かしているのか。胸があるせいで太って見られがちなヴィオラに対する嫌味なのか。いや、間違いなく嫌味なのだろう。
妹を傍に置いているせいで、ご飯を食べたら当然お開き。健全なデートで、はい終了ー……。
「じゃあまた」
「またね、お姉さん」
仲良く手を振って、ふたり同じ馬車へ。同じ家へと帰って行く。
「また……?」
ヴィオラは中途半端にあげた手を、そっと握り締めた。
(また次もついて来る気なの、あの小娘……!)
ああ、もうだめだ。
もはや怒りしかない。
(……だめよ。落ち着きなさい、わたし)
相手は子供。生意気だけど、まだ子供。人の気持ちを考えられなくても仕方ない。世界が自分中心で回っていると信じていても、あと数年したらその考えの痛さにも気づくことだろう。誰もが一度は通る、病。そう、あの子は病気なのだ、怒っても仕方ない。だって、病気なのだから。
どうせ恥ずかしくて身悶えする運命だ。今はそっとしておいてやろう。それが大人の務めだ。
そもそもあの妹がここまで増長してしまったのは、ヴィオラが最初に強く言わずに受け入れてしまったからだ。
責任の一端は自分にもある。そこは反省すべき点だ。
少し冷静になって考えてみる。
たとえば、ヴィオラが今の婚約者の立場だったら、どうだろうか。
もし自分に彼女のような妹がいたとして、その子が懐いてくれていたとしたら、確かに連れて出歩くかもしれない。
これまでなにもない田舎で療養するしかなかった不憫な子だ。王都で人生を謳歌してほしいと思うのは当然のこと。
大丈夫。そこは理解はできている。
もう少し彼らの気持ちを知れたら、彼らの心に寄り添えたら、この燻った怒りだけは、ひとまず鎮まりそう。
そこでふと、ヴィオラはあることを思い出して手を打った。
「なんてこと! わたしにもいるじゃない!」
すっかりと失念していたが、義母の連れ子であるアリスの年齢は、婚約者の妹と同じ十五歳。しかもちょうどいいことにあの子も病弱ということで通っている。身体的ではなく精神的な方面の話ではあるが、病弱は病弱。
ヴィオラも彼らの真似をしてみればいいのではないか。
そこからなにか見えてくるものがあるかもしれないし、それに、いい加減彼らもヴィオラの気持ちを理解すべきなのだ。
(わたしったら、天才かもしれないわ)
思い立ったが吉日とばかりに、ヴィオラは意気揚々と馬車へと乗り込んで家路についたのだった。
ヴィオラは帰宅してすぐ、自室の前を通り過ぎて普段はあまり足を伸ばすことのない廊下の奥へと進んで行き、目的地である部屋の前に到着すると、ドアを少々強めにノックした。
「アリス! ちょっと話があるのだけれど」
中から、ガタガタッ、という物音がして、しばらくそのままの姿勢で待っていると、ドアがごく薄ーく開いた。
淡い金色の髪から覗くばっちりとした水色の瞳が、怯えたうさぎのようにこちらを見上げている。アリスだ。
「お、お義姉様……?」
「そうよ。あなたの義姉の、ヴィオラよ。ちょっと話があるから、部屋に入れてちょうだい」
「へ、部屋にっ……?」
上擦った声をあげたアリスは、目をうろうろとさせている。いじめている気分になるから無理に押し入るのは気が進まないのだが、さすがに廊下で話す内容ではないのだ。
「散らかっていても気にしないから」
「そういうことでは……。ど、どうぞ……」
アリスがおどおどしながらドアを開けてくれたのでヴィオラは躊躇わずに入室した。
アリスの部屋は、五歳のお姫様が住んでいそうなパステルカラーの愛らしい色味で統一されている。少女趣味なアリスの好みが前面に押し出された内装だ。
部屋は特に散らかってはいないが、家具や小物がヴィオラの趣味と違い過ぎて、夢の中にいるかのようでどうにも落ち着かない。なによりぬいぐるみが多過ぎた。全部色違いのユニコーンのぬいぐるみなのだが、ひとつひとつがそこそこの大きさだ。ぬいぐるみしか友達がいない子なので仕方なくはあるが、やはり十五体はヴィオラの感覚では多い。
アリスは自室だというのに、不安そうにスカートを握りしめて所在なさげに立っているので、ヴィオラは小さくため息をついて問いかけた。
「ソファを勧めてはくれないの?」
「あ……どうぞ」
慌てて勧められたパステルピンクのソファに腰を下ろしたものの、左右にいるパステルカラーのユニコーンのぬいぐるみたちからの圧迫感。つんとした角がちょっと腕に刺さる。やわらかい生地なので別にいいのだが。
やはりユニコーンのぬいぐるみに挟まれるようにして向かいに腰を下ろしたアリスを、ヴィオラは改めて観察した。
腰まである淡い金色の髪は艶めいており、小さな顔は肌が透き通るほどに白い。長いまつ毛の下にあるパッチリとした水色の瞳は常に潤んでいて、鼻筋は通り、薄い唇など紅をつけずとも薄紅色だ。容姿にぴったりのフリルとレースとリボンたっぷりのベビーピンクのドレスを着こなし、白靴下を履いた足元は赤いエナメルの靴だった。
婚約者の妹と同じ十五歳。婚約者の妹もそれなりに美少女ではあったが、お人形さん然とするアリスは別格だろう。
「今日はなにをしていたの?」
あいさつ代わりにそう問いかけると、アリスは恥じらうように俯き、ユニコーンのぬいぐるみのひとつを膝の上へと乗せるとぽそりと答えた。
「マルガレーテと、おしゃべりを……」
「マルゲリータ? おいしそうないい名前ね」
「……えぇと。……ありがとう、ございます」
婚約者の妹も年齢の割に精神が幼かったが、幼さで言うのならうちのアリスも負けてはいない。ぬいぐるみとおしゃべりしている十五歳もなかなかいないだろう。
「マルゲリータとはなにを話していたの?」
「あ、えぇと……落ち込んでいたら、慰めてくれて」
「そう。マルゲリータはいい子なのね」
「! は、はい!」
「それと、気分が落ち込むのは、日の光を浴びずにずっと室内にいるからよ。窓辺でもいいから日光浴をしなさい」
「は、はい……」
叱られたと思ったのかしゅんとするアリスにヴィオラは肩をすくめる。
「いじめたりしないから、びくびくしないで背筋を伸ばしなさい」
「はっ、はい」
背筋は伸びたが、目は相変わらずうろうろしているし、白魚のような細い指も首元のチョーカーをいじってどうにも落ち着かない様子。
「あの……お義姉様にいじめられるとは、思っていません……」
「それならいいけれど」
アリスは子供の頃、同世代の子供たちに散々いじめられたらしく、よほどの用がなければ家からほぼ出ないくらいの極度の対人恐怖症なのだ。
ひとまずヴィオラが怖がられているわけではなさそうなので、早速とばかりに本題を切り出した。
「今度の婚約者とのデートに、あなたもついて来てほしいの」
「……はい?」
「そう、了承してくれてありがとう」
「えっ、いえ、違っ……」
「気負わなくても大丈夫よ。どうせ婚約話は白紙になると思うから」
「えっ、え?」
「理由なら、行けばわかるわ」
「あの、でも、無理です。そんな非常識なこと……」
おろおろとするアリスの言葉に、ヴィオラは目を丸くした。
「やっぱり、婚約者とのデートに身内とはいえ第三者がついて来るのは、非常識だと思う?」
アリスはきょとんとしてから、戸惑い顔でこくりとうなずく。
「非常識だと思いますが……」
ほぼ家から出ないアリスでさえ、それがいかに非常識なことであるのかわかるというのに。あの婚約者とその妹にはわからないのだ。これはもう田舎にいたからでは済まされない常識のなさだ。
「その非常識な行いを、わたしがされているとしたら?」
「…………は?」
めずらしくアリスが真顔になった。顔立ちが愛らしいので凄みはないが。
「顔合わせから今日まで、婚約者と会う度に、彼の妹がついて来るの。それも毎回。飽きもせず、ね」
アリスは顎に指を当てて、しばらく考えるような仕草をしていたが、急に震え出した。
「……あのっ、それって、もしかして…………幽霊かなにかですか……?」
涙目でぶるぶるしながらそう言ったので、ヴィオラは思わず笑ってしまった。
「あなた、おもしろいことを言うわね」
それはそれで嫌だが、幽霊ならばいっそ、話が通じなくても仕方ないと割り切れるかもしれない。
だが、残念ながら相手は生身の小娘だ。
「幽霊じゃないわよ。たぶんわたしに対する嫌がらせ。気に入らないのよ、兄嫁ができることが」
するとアリスが表情を曇らせ、マルゲリータの角あたりに目を落とすと、ぽつりとつふやいた。
「……ごめんなさい。それ、ちょっとだけ……わかります」
「それ?」
「わたしも、いきなりお義姉様の婚約者だと言われても……その……赤の他人、ですし」
「……まぁ、そうね」
ヴィオラとしても、その気持ちはわかる。父がいきなり義母とアリスを連れて来たときに、まさしくそう思った記憶がある。
そうは思いはしても、ヴィオラは笑顔で迎え入れた。それができるくらいには大人びた子供だった。
「お義姉様の婚約者、わたしも、嫌です」
「会ったこともないでしょうに」
「でも、嫌いです。わたしは、お義姉様が…………いえ、お義姉様にはうちを継いでほしいと思っていますから……」
それを言われてしまうとヴィオラは弱い。
父は、身体的には問題ないのだからとアリスに家を継がせる気だが、やはり荷が重いのだろう。
アリスは、生家を追い出されることがなければ順当にそちらの家を継いでいたはずであり、そのために勉強だってしていたと聞いている。
もしアリスに結婚する気がなくても、そのときは親戚から養子を取ればいい。少ない領民たちが穏やかに暮らせるための堅実な領地経営をしてくれる真面目な人ならば、後継は直系でなくともいいと思っている。せっかく学んだことを活かした方がいい。父はそう言ってアリスを懐柔した。
アリスにはすでに家から出なくてもやれる仕事を父が試しにちょこちょこと任せはじめているのだが、今のところすべて問題なくこなしていると聞く。
正直な話、ヴィオラは別にどちらでもいいのだ。嫁に行くのでも、婿を取るのでも。
ただ、家から出られないアリスのことを考えると、ヴィオラが出た方が効率がいいと思っただけで。
だが今のままだと、嫁として出たところで一番の務めが果たせそうにない。
婚約者と結婚したら、初夜のベッドに三人肩を並べて眠ることになりそうだ。もちろん、彼の妹が真ん中で。
それはさすがにぞっとする。
想像なのに現実味を帯びているところが怖過ぎた。
「お義父様に言って、白紙にしてもらったらいいのではないですか?」
「だめ。やり返さないと気が済まない」
「やり返す……? ……ああ、そういう」
察しのいい子だ。頭の回転が早いのだろう。父が後を継がせようと思うくらいには、真面目で実直。対人恐怖症でなければもっと外で活躍できたのにと思ってしまう。
「……お義姉様に求められている役割は、たぶん、理解できました」
「そう? じゃあ、今度のデートについて来てくれるわね?」
「それは……でも……」
「もちろんタダでとは言わない。わたしのお願いを聞いてくれる代わりに、あなたのお願いも聞いてあげる」
「えっ!」
急に頰を染めてそわそわとしながらユニコーンのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめるアリス。この様子だと、ヴィオラになにか頼みたいお願いごとがあったようだ。
はなから対価なしで交渉しようとは思っていなかった。引きこもりの子を、ヴィオラが無理やり外に連れ出すのだ。それくらいの対価はあって然るべきだろう。
「ほ、本当ですか? なんでも……?」
アリスがきらきらした瞳でヴィオラを見つめてくる。まるでおもちゃを前にした子供だ。
「叶えられる範囲内でならね」
きっとうちを継いでほしいと正式に頼まれるのだろう。すでに想定していたことだ。それ以外でも、アリスの性格ならそう無理難題はぶつけてこないだろう。
「それなら、やります」
「本当? ありがとう。じゃあ、日にちが決まったらまた来るわ。それと、当日はいつもと同じような格好でいいから。マルゲリータを連れて来てもいいわよ」
「は、はい……!」
マルゲリータ同伴の許可がよほど嬉しかったのか、アリスは破顔しながらこくこくとうなずいた。
「マルガレーテ、マルガレーテ、マルガレーテ……」
アリスは何度もマルガレーテと発声しては、その細い首を傾げていた。
「まだ、マルゲリータって聞こえるかな……?」
自分ではマルガレーテと言っているつもりなのだが、なにせこれまでたらだの一度も声を張ったことすらないアリスだ。人の顔色を窺い、ぽそぽそとしか話せないため、マルゲリータと聞き間違えられてしまったのもうなずける。
「マルガレーテ、マルガレーテ、マルガレーテ……」
何度も練習を重ねてから、意を決してヴィオラの前で切り出した。
「あの、マルガレーテが……」
「マルゲリータが、どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません」
「そう?」
すでにマルゲリータと覚えてしまっているヴィオラの前に、無駄な徒労を悟ったアリスだった。