歴史家は語り、彼らは日常を生きる
「教授ー、また歴史書読んでるんですかー?」
「……おやおやネデリビビくん、もしかしてもう授業の時間かい?」
窓から刺す明かりが埃っぽさを表している部屋で、モノクル眼鏡の老紳士が分厚い本をから顔を上げる。
ネデリビビと呼ばれた少女は首を横に振りつつ小さい体にめい一杯抱えた資料をテーブルに置きながら答えた。
「まだもう少しありますけど……あ、資料はここに置いておくんで必要なものがあれば準備はご自分でお願いしますね?」
「ありがとう。」
荷物を運んできて少しくたびれたのか、グイッと腰を伸ばしつつ教授と呼ばれた男が広げていた歴史書を覗き見る。
「……?これ、人類側の歴史書じゃないですか?なんで今さら?しかも年代は西暦1999年て大昔じゃないですか。」
「ああ……」
短く返事をすると、少し考え込むように紙をなぞる。
「地球の歴史を振り返る時、どこが特異点であると思うかね?」
「特異点……?」
教授は語る。
例えば歴史が1つの流れとして見た時に、激流をもたらした地点が存在する。そこを特異点とするならば一体どこに当たるのかと。
「1つ、初めてゲートが出現した2025年7月5日の四国事変。」
「あー……確かにそれまでは文明も世界地図も大きな変動は無かったですからねー。」
「1つ、世に狂言が溢れ出した1999年頃。」
「まあその実、胡散臭いのも多かったみたいですけど……当たってはいたのかな?」
「……1つ、ロズウェル事件と呼ばれた1947年7月と言う歴史家も居る。」
「あの宇宙人が落ちたとか騒いでたあれですか?まっさかー!」
そんな反応に、教授は意味深に笑う。
「ふふふ、でも未確認のオブジェクトとして〝記録〟に残っているのは確かだよ?その当時の技術力は凌駕した物だったのだから。」
「それを言うならスフィンクスだってそうじゃないですか?アレだって魔族が明らかにしなければただの歴史的建造物扱いだったわけで……。」
「そうだね。だから私はこう考えた。」
パタリ、と本を閉じる。
それによって表紙で隠れていたいくつかの写真が現れた。
「……これは……ん?この人、坂本光一郎ですよね?初代日本国代表外交員の。あとは……マッドサイエンティストのツェズゲラ・コルチェニコフ博士……と、42代アメリカ大統領のクリントン?までは分かるけど他は誰です?」
並んでいるのは小学期の歴史科目で習う面々と、見覚えのない人物たち。
「大雑把に言うと……人、だね。」
「それはわかりますよー!」
教授は笑う。
「歴史というのは、人の歩みでありその記録なんだ。」
であれば、と続ける。
「誰を主人公にするかで始点は変わってくるし、視点も変わってくるんだよ。」
「ふーん?」
「例えば……」
かつて鼻の高さで歴史が変わっていたと言われるクレオパトラ7世と彼女を取り巻く〝歴史的建造物〟との物語。
大国の大統領として未知と戦い、凶弾に散ったビル・クリントン大統領。
わかり易い歴史で言えば、発現した能力を駆使して人種の壁を取り払った坂本光一郎氏の功績。
「だったら私は坂本氏の息子の慶次郎くんに1票かなー!イケメンだし!」
「それもまた有り得るのだよ。だが彼の場合は歴史とは少し違うな。」
「そっかー……って、教授!授業授業!もうあと5分でチャイムなります!」
「おっと、それはいかんな。」
ゆったりと立ち上がると、教授はジャケットを羽織りまとめてあった名簿と資料を手に扉へと向かう。
「……あー、ネデリビビくん。」
「どうかしました?ていうか急がないと本当に遅れますよ?鍵はいつものように私が閉めて職員室に預けとくんで……」
教授は扉に手をかけたまま、背後の女性に続けた。
「君、という選択肢もあるのだよ?無論、私という可能性もね。」
「……えー、んな馬鹿な……てか早く!ほら急いで!」
意味深げに笑う教授は押し出されるように部屋を出る。だから彼女がテーブルの上の全ての写真に気付くことは無かった。
沢城・フィオパトル・ネデリビビの写真もそこにあったことを。
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「てめえ今なんつったゴラァ!」
「……だから、海苔は読んで字のごとく海の苔だ。だから海産物に含まれると言った。」
「んなわけねえだろ!海のミルクとか海でミルク採れねえだろうが!」
「意味が分からん……そもそもお前、海のミルクが何か知ってるのか?」
教室につくと、いつものように2人の男子生徒が言い争いをしていた。
1人はガタイのいい金髪リーゼントの男、もう1人は和装に身を包んだ長髪の美形だ。
リーゼントはテリー・ジョーダン、和服は佐々木武蔵、2人とも僕らの幼馴染だ。
「おいケイ!!おせーじゃねーか!!」
「あー、おはようテリー。それで、今日はどうしたんだ?」
「おう、聞いてくれよ兄弟!あのロン毛野郎、こともあろうに俺様が大好きなノリが海で採れるとかぬかしやがったんだ!」
ダメだ、もう頭が痛い。武蔵に目を向けると、毎度巻き込んですまないと頭を下げた。
「俺が海の物が嫌いだと知って、あの野郎が嵌めようとしてやがる!ケイも何とか言ってやってくれ!おらガツンと!」
「……テリー」
「んあ?」
「……海苔は海産物だよ。」
ピシッと固まる金髪の大男。
「ほ、ホントかよ……俺ぁ……これから毎朝何をパンに乗っければ良い……!」
「そもそもパンに乗っけるものでも無い。普通にバターを使えバターを。」
落ち着いた声で武蔵が言う。
「それこそファックだぜ。せっかく日本にいるから日本のもん食いてえじゃねえか!」
「なら米を食えよ。そもそもその考えは旅行に来てるくらいの価値観だろ。何年日本に住んでると思ってるんだお前は。」
いまだ言い合いを続ける2人を後目に座席につく。
教室はホール型になっていて、僕の席は階段を1段登った窓際だ。机は映像が浮かぶ構造になっていて、授業のデータなどは全てこれらに入っているし成績表やお知らせ、教授らからの指示などもこれで一覧するため個人IDが割り振られている。
基本的には生年月日、学年、クラス、名前、国籍、能力者指定符号がIDで、僕の場合は20810711-03C-KEIJIRO-JP-☆となる。
「……あれ、今日ってゲート実習あったっけ?」
「私は何も聞いてないけど?」
「ふんっ、どうせクソ虫が何かやらかして追試なのだろう。ど、どうしてもと言うなら付き添っても良いが?どうしてもと言うならな?」
「いや、シェリルはクレアと学徒会の仕事でしょ。チソンも僕も手伝い嫌だよー、今日は急いで帰ってゲームするんだから。ホントは僕らだってケイ誘いたかったのに〜。」
「ぐっ……!」
困った様子でシェリルを見ながら笑うクレアと、「いやしかし2人きりで……」とか呟くシェリルの様子をうかがう余裕は僕にはなかった。
【お知らせ】
緑ゲート出現に伴う調査依頼。以下学徒は補佐任務に同行すること。
3年Cクラス 坂本慶次郎(班長)
4年Aクラス ポワ・2081・ドラコラス(副長)
3年Sクラス 長垣薫
2年Cクラス クォ・シャオミ
「また班長か……ていうかダイガン、妹のシャオも放課後に補佐任務だとさ。」
「あれ、マジでか〜。でも班長は慶次郎なんでしょ?じゃあ危険はなさそうだね〜。」
いやいや、緑とはいえ普通にモンスターは出るし能力者でも普通に死人が出る可能性あるんだけど。それに僕は戦闘力のある能力者じゃないし。
「……そう不安そうにするな。ダイガンじゃないが、俺ももし敵に回すならケイのチームは御免だ。勝てる気がしない。」
「史上最年少で黒段位傭兵になったチソンが何言ってるのさ……。」
僕自身の能力にモンスターを相手取る攻撃手段なんて無い。周りを見てみれば、例えばエルフ種のクレアとシェリルは風系魔法でヒト種じゃ太刀打ちできない強さを誇るし、ダイガンは闇系に発露した能力者、チソンは改造生体として100年に1人の天才、まだ言い争っているテリーは破壊力抜群の強化系能力者で、武蔵は剣術名家で本人も若くして剣聖の呼び声高い雷系能力者だ。
「おーい、みんな席に着けー!ホームルーム始めんぞー!」
3年Cクラス担任教授の呼びかけに、パラパラと席へついて行く。
僕は頭を切りかえて机のタブレットシステムを起動するのだった。