序章『如月奏という男』
夢現―ゆめうつつ―
夢と現実。または夢か現実か判断できない状態の事を指す。
夢を妖、現を人とするならば…
この物語を目にしているアナタはどちらかな?
夢とは超自然的で不確かな希望的存在の全て。
現とは五感で感じ取れる確信的存在。
もしアナタが現であるならば、夢の存在をどう受け止める?
確かにこの世にあると理想を求める?
あくまで不確かなままでありたいと望む?
それとも、所詮は幻だと見て見ぬフリをする?
ここから先の物語は、そんな夢を確かな存在と定め、その者達との共存共栄を調律する存在―――調律師“現”の活動記録。
いや。
一人の調律師見習いの、妖達との“絆”の物語である―――
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東京都内某所。
その場所に住所は存在しない。その場所は、一日の内に何度も場所を移動するからだ。
何故そんな事が可能なのか。それは、その場所が限られた者にしか存在を明記されていない不確実領域とされているからだ。
そんな理解不能な領域の存在を、当然一般人が認知している訳もない。
ただ風の噂で、小耳に挟んだ程度で、『そんな場所があるのでは?』と思われている。
その場所は、謂わば“都市伝説”なのだ。
しかし。当然ながらこの物語の中では、不確実領域としてではなく、その場所で日々国のバランスを調律する者達の活動領域としてお伝えします。
何のバランスかって?
軍事? 経済? 国民同士のいざこざ?
違う。違う。違う。
彼等は知っている。この日本という国の各地に残される伝承の根源が、確かに存在しているという事を…。
この日本という国が“妖散在大国”であるという事を…。
お伽話に出てくる様な存在とされる妖達。しかし、それ等は確かに存在する。
そして、それ等が引き起こす奇々怪々な現象は、一般人には対処出来ない。
そんな妖がきっかけとなって起きる問題を、人知れず、陰ながら処理する者達の事を、妖と人が共存共栄する世の安寧秩序を調律する存在―――調律師。また、その界隈では“現”と称される。
そして、そんな調律師達が日々集い、情報交流や鍛錬に励む場所が、住所不明記の不確実領域―――東京“二十五区”なのだ。
何故、二十四区ではないかって? 今後人口増加とかで東京湾とかに人工増設区域が出来たりしたら、二十四区って絶対名付けるからです。多分。偉い人がそう言っていた。
そんな国民不認知の区域にはどうやって辿り着けるのか。それは二十五区を利用する調律師達しか知らないので教えられない。
そもそも、東京都の土地の上にあるのかどうかも……定かではない。
この物語を見届けているアナタには分かりやすく『異空間に存在している場所』とでも言って、細かい事は濁しておきましょう。
さて、そんな調律師“現”の活動内容は、簡単に言えば『妖と人の共存共栄のバランスを調律する事』。
よって調律師達が行う事は、人の世に悪影響を及ぼす問題を穏便に処理する事だ。
要は、人に害を及ぼす妖の―――処分。
その意見無情と思われる方法は、近年激化し続けているのだった。
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「神無月家若頭、調律師神無月刀。貴公を調律師規定第十三条に反した罰とし、約一年間の地方調律師支部への異動を義務づけるものとする」
そう、覆面で顔を覆った男の感情の無い淡々とした言葉が、漆塗りの壁に覆われた部屋の中に響く。
言葉を発した覆面の男の左右にはそれぞれ三名ずつ距離を取って均等に並び、同じ様に顔を覆面で覆っている。
それぞれ仮面には墨汁で感じが一文字ずつ書かれ、順に左から『食』『色』『妬』『傲』『欲』『憤』『怠』と並んでいた。所謂、七大罪を現している。
そして、その七大罪の覆面達に囲まれ床に膝を着く、スーツ姿の男が一人。
男はひれ伏した状態のまま、『傲』の覆面が発した言葉に目を見開いて驚愕した。
目尻がつり上がった双眸は真っ直ぐに七人の覆面達を見上げ、そして徐々に恨めしそうに睨み付ける。
狼の様に鋭い犬歯を露わにして歯軋りし、地に膝を着いたまま背を丸めて肩を怒らせる。
その姿は正に敵を威嚇する姿勢の野獣だ。
「っ…ざけんなぁ! 何で俺が地方の支部へ左遷なんだよ!!」
男―――神無月刀が声を荒げて反論する。
床に着いていた片手で握り拳を作り、更に相手への威嚇と言わんばかりに床を殴り大きな音を立てる。
されどそんな事など無意味だとでも言う様に、目の前に佇む覆面達は微動だにしなかった。寧ろ呆れ返る様に鼻を鳴らして、その威嚇を一蹴する。
「今言った通りだ。神無月の若頭よ。貴公の調律師としての行いは調律師規定第十三条に反した。それ故に下った罰だと…」
「だから! 何処が違反してるって!? 俺は調律師として完璧に仕事を熟してきたはずだ! どの一族のどの調律師よりもだ!!」
「確かに貴公のここ一年間の妖討伐数は群を抜いている。この数は歴代の調律師の中でもかなり上位に組み込まれるだろう」
「じゃあ何故だ!!!」
「それが問題なのだ」
刀の問いに『傲』の覆面が冷淡な声音で返す。
何が問題なのか?―――それが全く理解出来ない刀は覆面の言葉を待った。
問題視された理由それは……―――
「殺しすぎなのだ」
―――この痴れ者が―――
「っ……」
覆面の放った最後の言葉が、絶句する刀の鼓膜の奥で、何度も、何度も、反響した。
*
東京都から新幹線と電車とタクシーを乗り継いで約六時間弱。
降り立ったその地には、見慣れた高層ビル群も、洒落たカフェも、SNS映えするスポットも無い。あるのは山、川、田畑。圧倒的に緑が多い。目に優しい。
そのほぼ自然しかない空間にチラホラ見える古びた住居。その家にも人が住んでいる事に間違いないが、確認するまでもなくギャルやチャラ男は居ないだろう。
そんな『ド』が付く程の田舎町に、タクシーから降りた神無月刀は一人ぽつんと取り残された。
ダークグレーのスーツの上着を小脇に抱え、両手には大きめのトラベルバッグとキャリーバッグ、そして背には竹刀ケースを背負い、堅気とは思えない強面な顔を更に顰めて仁王立ちになる。
閑散とした田舎町を見渡し、真っ先に出てくる言葉と言えば大抵決まって…
「………………何も無ぇ」
それに限る。
(ふざけんじゃねぇぞ…! こんな原始時代みたいな場所で一年も過ごせってのか!? つーか此処ホントに日本かよ? アルプスじゃねーだろうな?)
「あークソッ。こんなトコに突っ立っててもしょうがねぇし、ここの担当調律師んトコに行くか…」
刀は悪態をつきながらも大荷物を抱えて移動し始めた。
キャリーバッグのキャスターが荒めのコンクリートの上でガタガタ音を立てながら回る。
肩を怒らせて大股で田舎道を進んで行く刀。約二十分程に亘って、変わり映えのしない道を歩き続け、ようやく見渡す限り田畑しか映らない視界に一本の小川が映り込んだ。涼し気な川の細流。天から差す太陽の光に水面がキラキラと輝く。
(へぇ…。意外にキレイなもんだな。落ち着く…)
都会ではあまり見られない光景なだけに、その光景を刀は素直に評価した。
思えば、これ程の自然に触れ合う機など今まで無かったかもしれないと、刀は徐に幼い頃の記憶を辿った。
脳裏に溢れ返る幼い頃の―――忌々しい記憶が…。
「……チッ」
(ヤな事思い出しちまった。さっさと此処の調律師のトコに―――)
再び苛立ち始めた自身を大きな深呼吸で落ち着かせ、刀は目的地への道を急ぐ。
更に足早に荒れたコンクリートの道を歩いていると、視界の端に小川の畔で飛び跳ねる存在を発見した。
遠目からその存在の姿を視認すると、刀は只でさえ深い眉間の皺を、より深くした。
刀が視認したその存在は三匹。その正体を一言で言い表せば…………『スライム』だった。
「チッ。水辺に群がる液状球体の妖……“水ノ玉”かよ」
“水ノ玉”―――川や池、雨などの『水』から稀に生まれる下級の妖。
彼等、彼女等、或いは性別の無いそれ等は集団で群れを成し、水辺の近くに棲み付く。特に人の世に影響を及ぼした事例は無く、その妖の在り様は雨上がりの後の水溜まりと何ら違いはないのだ。
ただし、それ等には普通の水溜まりと違い、意思がある。
意思がある為、同族達の中には喋られる者も居る。
(流石はド田舎だぜ。人通りのある道からでも簡単に見える場所で堂々と生息してるとはな…)
都会の妖に限らずに本来の妖の習性として、人の目が行き届く場所で活動はしない。その理由は単純―――危険だからだ。
妖の類は平安時代よりその存在が表立つようになり、当時は人が妖を恐れる事が常識だった。されど時代が移り変わり、人が文明開化を促進して行くに連れて、当時の妖の脅威は人の記憶から消えていった。更には霊力が高い人には妖を祓う力が備わり、弱い妖程淘汰される。
歴代の調律師達が残した文献には、こういった記しもある。
―――“人の心は、妖の餌となる”。
心とは、人の身体を示す言葉ではない。故に、正確にどこの事を示しているのか分からない。喜怒哀楽により心拍数に変動が生じる心臓=心だという考えが一般的であろう。
だが、その考えで言うならば、喜怒哀楽をもっと直感的に感じ取る、脳みそが心なのでは?
などと、考えた所で正確な答えなんてありはしない。
一つ言えることは、“心”とは実に不可解なものでありながら、確かに存在しているモノ。
―――つまり、“心”と“妖”は、存在がとても近しい存在なのだ。
故に共鳴してしまう。天から降る雨が、山水となり、麓に流れる小川に交り合う様に、自然と…。
「それにしてもデケェな。水ノ玉ってあんなデケェか?」
都会で稀に見かける水ノ玉は大きくてもテニスボールサイズだった。今視界に捉えている水ノ玉は、遠目からでもバスケットボールはあるだろう。
(ここの調律師は何してんだよ。あんな雑魚があそこまでデカくなるまで放置してんじゃねーよ!)
刀は苛立ち混じりに舌打ちをして、荷物を足元に乱暴に落とす。背に背負っていた竹刀ケースのファスナーを開け、中から取り出した竹刀―――ではなく、本物の刀の柄と鞘を握り、標的を見据える。
「だらしねぇ田舎の調律師がよぉ。アイツ等の亡骸を手土産にしてやらぁ―――!!」
獰猛な獣の様な威圧感を撒き散らし、雄々しい獅子のように咆哮する。刀を構え、身を低くして、今正に地を蹴り飛び出そうとする刀。
―――しかし。
「止ーめーろ」
「なっ―――」
突然、背後から聴こえた何処か気の抜けた声と共に、ガラ空きだった後頭部に軽い衝撃が走る。痛みは無い。しかしそれでも刀は有り得ない程の衝撃を受けた。肉体にではなく、心にだ。
刀は完全に戦闘態勢に入っていた。この態勢に入ったら、幼い頃から積み重ねて来た修行の癖で、全方位を警戒する様になっていたはずだ。
それなのに、こうも簡単に背後を取られた。軽いが一撃を受けた。更に、刀が衝撃を受けたのはそれだけではなかった。予期せぬ奇襲に、刀は反射的に刀を鞘に仕舞ったまま後方へ薙ぎの一撃を放った。一般人かもしれないと焦る前に、刀の放った一撃は空を切り、倒そうとした対象に当たる事はなかったのだ。
後頭部を叩いたのは何者かの手の感触だった。手が届く程の距離まで詰めていたはずなのに攻撃が当たらなかった事へも、刀は内心でかなりのショックを受けた。
自分に幾つもの衝撃を与えた相手。その相手は刀の当たらない位置まで後退し、平然とした様子で突っ立っている。
刀はショックを隠すかのように鬼の形相になり、あの相手に向かって吠える。
「テメェ何モンだ!」
その問いに、向かい合うその人物―――男は不思議そうに小首を傾げた。
ダークブラウン色の艶のある短髪がそよ風に吹かれ、前髪から覗く優しい眼差しと目が合う。端正な顔立ちで女性らしい雰囲気があるが、高身長なのと服の上からでも骨格が角張っている所があると分かり、すぐに男だと判断した。
男は自分と同年代くらいだろう。男もそれを分かっているのか、初対面にも関わらず返した言葉はタメ口だった。
「何モンって、この土地担当の同業者だけど?」
「は―――ど、同業者って、まさか…!」
「あぁ、そうだよ」
刀は本日一番のショックを受けた。簡単に自分の背後を取った強者と思しき存在が、今の今まで『だらしねぇ』と嘲ていた相手だったのだ。
男は小さく薄い唇で軽く弧を描き、警戒心剥き出しの刀に向かって躊躇無く右手を差し出した。
「アンタと同じ。“現”所属。『如月一族』の調律師―――如月奏だ」
男―――如月奏はそう自己紹介して、人当たりの良さそうな笑みを向ける。
この偶然とは言い難い出会いは、後に“現”所属の調律師達の間で暫し止む事のない話題となって広まって行った。
神無月一族の“辻斬りの刀”の異名を持つ若頭が、ど田舎育ちの如月家の次男……
通称“妖タラシ”に籠絡されてしまった―――と。
初のローファンタジーに挑戦してみました!