後
昼ごはんを同僚と食べ終えた千夏は、化粧室に向かおうとした。
…しまった、係長の存在をすっかり忘れていた。係長、お昼ご飯食べたのかな?
係長はパソコンで何か作業をしている。
「係長、ご飯食べました?」
「いや、食べていないんだ。」
「お腹空きません?いつも社食でしたっけ?」
「あーそれが、社食まで行ったんだが、入れなかったんだ。」
「入れない?」
その帽子被ったまま行ったのか。係長メンタル強いな。
「弾かれてしまってな。エレベーターにも乗れなかったんだよ。一階のコンビニにも入れなくてなー。」
はっはっはと係長は悲しそうに笑った。
「外のコンビニにも行こうと思ったんだけどな。」
「…それ行かなくて正解だったと思いますよ。出たらうちのビルにも入れなくなってたかもしれませんよ。」
「そうか!やはりな。そうじゃないかと思ったんだ。」
係長はうんうんと頷く。
「…あの、私何か買ってきましょうか。コンビニで。」
「すまない、お願いしてもいいだろうか。」
係長は眉を下げた。
千夏は係長の顔をじっと見つめた。
…係長こんな困った顔とかもするんだ。今日は新たな発見がたくさんあるな。
では適当に買ってきます、と千夏はコンビニに向かった。
ごはんをコンビニで買って帰ると、中年男性の笑い声がした。
あの後ろ姿は…部長?
「いやあ、君のところで面白い試みをしていると聞いてね、見に来たよ。」
「わざわざお越しいただきありがとうございます!」
「で、これはどういう主旨なのかな?」
「はい、我々は商社です。お客様のニーズを把握することが必要不可欠です。現代で失われつつある伝統行事を大切にすることで、季節感を感じ、お客様により寄り添ったサービスを提供することを目的としています!」
「そうかそうか、それで君が自ら鬼になったのか。廊下で働いているのはなぜかね?」
「はっこれはチームを外から見ることで、視点を変え、足りないところ、改善すべきことを客観視するようにです。また、リーダー不在の中で部下のリーダーシップスキルを伸ばすという意味もあります。」
「うん!いいね、いいね!常識を打ち破るその姿勢。これからも期待しているよ。」
部長は係長の肩を叩いて満足そうに去っていった。お辞儀から顔を上げた係長は、千夏と目が合うと、気まずそうに目を逸らした。
もうそろそろ終業時刻という頃。
「係長、そろそろどうにかしないとお家にも帰れなくなっちゃいますよ?」
千夏は係長に声をかけた。
係長の机の上にはお菓子などのお供物がたくさん置いてある。今日一日で部下からの好感度が上がったようだ。
「そうなんだよ。最悪、ここに泊まるしかないかなと思っているのだが。」
係長は俯く。
「廊下はさすがに寒いと思いますよ。空調が効いているとはいえ冬ですし。」
「そうなんだよな。しかし外出るのはリスクが高すぎるからな。」
係長は今度は天を仰ぐ。そろそろお疲れのようだ。
「……」
千夏はしばらく係長を見ていたが、意を決したように声をかけた。
「大丈夫です、私に任せてください。」
千夏はそう言うと、係長の手を取り椅子から立ち上がらせ、係長の手を自分の額につけると目を閉じた。
…係長、あなたはいい人です。無表情だしキツいし何考えてるか分からないけど、仕事量がしんどいときはさりげなくフォローしてくれるし、残業の時は一緒に残ってくれるし、前の係長からの置き土産のほぼ枯れた観葉植物にお水をあげて復活させたのも係長だって知ってます。
今日は係長のいろんな顔を見れて、とても楽しかったです。特に困った顔がなんともツボです。もっと困らせたい、困ったところを見てみたい、いじめたい…
…いかんいかん、欲望が混じってしまった。
とにかく係長はいい人です!
千夏は目を開けると係長を見た。係長はもう片方の手で顔を覆っている。目元が真っ赤だ。
え、やだかわいい。もっと見た…
…いかんいかん、今はそれどころではない。
「さ、係長、行きますよ。」
「え?」
「中に入ります。『福は内』ですよ。」
「福は内…」
「声が小さい!もっと大きな声で!」
「福は内!」
「はい!せーので行きますよ!」
「「福はー内!」」
2人は手を繋いだままオフィスの中に入った。
「はっ入れた!」
係長は感動して目を潤ませている。
自然とオフィスから湧き起こる拍手。
「おめでとう!」
「やりましたね、係長!」
「新婚カップルみたいね。」
ゆるふわ女子の花梨がおっとりと告げる。
「そんなわけではっ!」
係長は慌てて千夏の手をほどくと、頭を掻こうとして、
「はっ外れる!」
帽子が外れることに気づいた。
「鬼はいなくなりましたね。」
千夏はにっこり笑って係長を見た。
「今日は本当に世話になった。お礼に…食事でもどうだろうか?何か食べたいものはあるか?」
千夏はうーんと考えると、目をきらりと輝かせて言った。
「じゃあ…恵方巻きで。」
うっと詰まった係長は、
「できればその、節分とは遠ざかってほしいのだが…」
と目を泳がせた。
千夏は眉の下がった係長の顔を目を細めて見つめた。
結局お寿司を食べにいくことになった。回らないカウンターの店だ。
「今日は節分なんでサービスです。」
と大将がミニ恵方巻きをカウンターに置くと、係長は困った顔をしてお礼を言っている。
…ああ、この顔。ゴチです。係長の困った顔、もっと見たい。
千夏はうっとりと係長を見つめた。