なみだうさぎ
「え、え!?」
ウサギは黒い布地を被ったようなシルエットで、足があるべき場所には何もなく、地面から数センチの場所で浮いている。
緊迫した状況にも関わらず、不思議な生き物って案外どこにでもいるもんなんだなあと思う。現実逃避だろうか。
「でも……でも!」
ウサギのオバケは意を決したようにそう呟くと、ふわりと宙を飛び俺の足元まで近付いてズボンを引っ張りながら何処かへ連れていこうとした。
「わ、わ、どうしよ…!」
「そいち、ゆーたを自分の家に連れていきたいんじゃないでちか?」
ぴゆは戸棚にしまっておいたはずのクッキー缶を抱えながら呑気に中身を物色している。
ベランダの前で座り込むぴゆの周りには、既にクッキーの食べカスが砂をばら撒いたように散らかっていた。
「えぇ!?そんなこと言われても、よそのお家に勝手に上がれないでしょ…
ていうか!クッキー食べるならテーブルの上に顔出して食べてよ!」
「んもう〜、ゆーたはうるちゃいでちね〜!
そんなお上品に食べるくっちーなんか美味しくないでちょ!
しゃくしゃく……あ、これうまでち」
「でも!でも!」
ぴゆとそうこう話してる間にも黒ウサギは俺のズボンをぐいぐいと引っ張り続けている。
必死なその顔は半ば泣いてるようにも見えた。
「ええと……キミは尾池さんちの子なの?」
しゃがみ込んだ俺の様子に驚いたのか、ビクッと飛び上がった拍子に黒ウサギの手が離れた。
できるだけ怖がらせないように体を屈めて、足元にいる黒ウサギと目線を近づける。
真珠のような不思議な光を放つ目から涙をこぼしながら、黒ウサギはこくこくと頷いた。
「お家に誰かいる?何かあったの?」
思い出したように小さな手で顔を覆いながらひたすら頷く。
家に誰かいるのに問題解決できない…?
助けを求めに来たということだろうか。
「でも、でも、でも」
頭を悩ませる俺に気付いたのか、黒ウサギは涙を浮かべながら何かジェスチャーを始めた。
目をぎゅっとつむりながら左手は胸の辺り、右手を口元に当てて、前屈みになって小さな声で呻いている。
「…誰か具合悪いの?」
「でも!!」
黒ウサギは体制を戻して一際大きな声で返事をした。
「そしたら一回様子見てみないと…!
一緒に来てくれる?」
慌ててサンダルを脱いで部屋に戻りながら話すと、黒ウサギはこくんと頷いて風を切る速さで俺の部屋に飛び込んだ。
急いで追いかける俺を宙返りして確認すると、器用に小さな手でリビングのドアを開き、次いで玄関のドアも開いてあっという間にマンションの廊下に飛び出していった。
バタバタと小走りで部屋の中を移動し、外用サンダルを突っ掛けて廊下に出ると、既に黒ウサギは黒い布地を翻して尾池さんの家のドアを開けて中に入っていくところだった。
「ちょっと…!俺は中に勝手には入れないよ…!」
聞こえるか聞こえないかの小声で叫びながら尾池さんの家の玄関ドアから中を伺う。
黒ウサギの必死な形相に気圧され、勢いでやってきたものの、よそのお宅に無断で侵入できるほど図太くはなれない。
「こ、こんにちは〜…柏木ですけど…」




