知らない隣人
「ゆーた、台風でちってよ」
「あー、やっぱりね」
キッチンの小窓から外を見遣ると、今にも降り出しそうなどんよりとした空模様だ。
ぴゆはリビングでお気に入りのクッションに埋もれながらつまらなそうにテレビを観ている。
毎日欠かさずに観ているお気に入りの教育番組が終わってしまい、そのままの流れで始まったニュースを惰性で流し見ていたようだ。
「ぴゆ強い風きやい」
「ちゃんと家の中に全部しまっちゃえば、台風なんて怖くないよ」
クッションに顔を埋めたぴゆのふわふわの後頭部をそっと撫でる。
春の嵐で大事なものをなくしたことはぴゆの記憶に新しい。
勿論、大雨や強風は侮れないが、わざわざ不安を煽ってぴゆの古傷を抉るような真似をすることはない。
それに我が家の近くには氾濫する河川もないし、マンションの3階の高さまで飛んでくる物もそうそうないので台風に関してはそこまで警戒する必要はなかった。
台風の進路や各交通機関の運行状況などを事細かに報じるニュースを、どこか他人事のように感じながら何と無しに観ていると、ふいに何か物音が聞こえた気がしてベランダのほうを見る。
予報では雨が降るのは夕方ごろだったが、もう降り出したのだろうか。
本格的に降り出す前に物干し竿を下ろしておくかなどと考えながら改めてベランダを見るが、コンクリートの床は変わらず薄いネズミ色をしていて濡れた様子はない。
ーー風で何か…小石でも飛んできて、たまたま窓に当たったんだろうか。
不思議に思いながらじっとベランダを見つめていると、お隣さんとのベランダを区切る間仕切りから、何か黒っぽいふわふわしたものが見え隠れしている。
「なんだろ」
「何かあったんでちか?」
ニュースに見飽きたぴゆがクッションから俺の膝に飛び乗り、一緒にベランダを眺め出す。
相変わらず灰色をした空だが、少し風が強くなってきている。
「いや、何だろ…
ベランダに黒いものが見えるんだけど…
風でお隣さんの洗濯物が飛ばされて、どっかに引っ掛かってるのかな」
次の瞬間、間仕切りから黒いウサギのぬいぐるみがおずおずと現れ、小さく振りかぶると、我が家の窓めがけてキラリと光る何かを投げつけてきた。
「え!」
「なんでちよアレ」
ぴゆは大して興味も無さそうに欠伸をしながら聞いてくるが、そんなのこっちが知りたい。
間仕切りのせいで小さなウサギからは此方の様子はよく見えないらしく、一度引っ込んだ後、またよく分からない小さな何かを窓にぶつけてくる。
特徴的な長い耳は如何にもウサギだが、仕草や毛並みからして本物のそれには到底見えない。
イタズラだろうか。それにしてもお隣の尾池さんのお家にはイタズラをするような人はいない。
意を決して立ち上がりベランダの窓を開けると、間仕切りから半身を見せていたウサギがビクッと飛び上がるような素振りを見せて、また引っ込んでしまった。
足元を見るとウサギが投げつけていたであろう、小さく光るものが2.3個落ちている。
「…ビーズ?」
サンダルを穿いてベランダの床に散らばるそれを拾い上げると、それは手芸で使われる小さなプラスチック製のビーズだった。
ふと視線を感じて顔を上げると、またウサギが間仕切りから半身を覗かせている。
「えーと…こんにちは…」
ウサギはぷるぷる震えながら、間仕切りから顔を出したり引っ込めたりしている。
まるで本当に生きているかのような動きだ。
ウサギは首の辺りに白いビーズでつくられたリボンをしているようだが、ふちの部分のビーズが欠けていた。
どうやらそのリボンのビーズをちぎって投げていたようだった。
「…シュウくんのお友達?」
シュウくんという言葉に反応したのか、ウサギの震えはぴたりと止まり、そのまま間仕切りを越えて此方のベランダまでふわふわと飛んできた。
そう。
飛んできたのだ。




