惜春
片腕で荷物を抱えて玄関ドアを開ける。
すぐに戻るだろうから鍵は掛けなくてもいいかなんて不用心な考えが一瞬よぎったが、いかんいかんと一度荷物を床に置いて鍵を閉めた。
荷物を持ち上げ、歩き出すと同時に隣部屋のドアが開いてドキリとする。
「あら〜!裕太くんおはよう!
ゴミ捨て?今日粗大ゴミだもんね!
朝早くから偉いわねぇ〜」
「あ……はは、どうも」
お隣さんの尾池さん。おしゃべり好きな朗らかなおばさんだ。
母さんの知り合いの人で、俺が小さい頃からずっと見た目が変わらない。
俺が一人暮らしをするにあたって色々と世話を焼いてくれた。
久し振りに会ったにも関わらず、明るく接してくれる尾池さんに下手な愛想笑いを浮かべながらさり気なくバッグを背中側に持ち直す。
ぴゆがバッグの中でもぞもぞと体制を変えたのが分かった。
「シュウくん!お隣の裕太くん!
遊んでもらったことあるでしょ!」
尾池さんが玄関から自宅へ声を掛けるとすぐに小走りの足音が聞こえ、尾池さんの後ろから『シュウくん』と呼ばれた男の子が照れたように笑いながらひょっこり顔を覗かせた。
「…こんちわ」
「シュウくん久し振りだね。また今度遊ぼうね」
「うん」
シュウくんは顔を少し赤くして頷くと、すぐに室内に戻っていった。
去年の夏に一緒にゲームして遊んだ時より、少し背が伸びたようだ。
「今ね、ちょっと喘息が良くなくて病院にかかってるの。今日も病院で…」
「そうなんですか…しばらくはシュウくん尾池さんのお宅にいるんですか?」
「うん、週末はうちに。両親が忙しいからね。
孫と一緒に過ごせるのはおばあちゃんとしては嬉しいけど…事情が事情だけに複雑よね。
あっ、やーだ!私ったら引き止めちゃって!
回収車来ちゃうわね!またね裕太くん!」
尾池さんはコロコロと表情を変えながら忙しなく一息に話すと、玄関ドア横に配置された箱から配達された牛乳を取り出し、別れの挨拶もそこそこに家の中に戻っていった。
その一連の様子を見送り、詰めていた息を吐く。
「ふぅ……ぴゆ、大丈夫?」
「へいきでち。
ぴゆシップが大気圏突入すゆ時に比べたや、かなり快適でちよ」
バッグを身体の真横に持ち直して小声でぴゆに話しかけると、ぴゆはバッグの隙間から此方を見ながらサムズアップしている。
「もう少ししたら階段降りるから、苦しかったらすぐ言ってね」
「おてい!」
(おてい……オッケーのことか?)
頭を悩ませながら廊下を進み、飾り気のない階段をゆっくり降りる。
途中、バッグの中でぴゆが動いた気配がしたが特にこれと言って話しかけてくることもなく、各住民のポストが行儀よく並ぶ一階エントランスに到着した。
エントランスのドアを開けると、常緑樹の植木の奥、少し人目を忍んだところに共用のゴミ捨て場がある。
一般的な家庭ゴミは蓋付きのダストボックスへ、それ以外の動物が散らかさないような物は指定の袋にまとめてレンガで区切られた場所に捨てる決まりだ。
早い時間にも関わらず、既にいくつかの粗大ゴミが置かれている。
いつもだったら見たまま以上のことは何も思い浮かばないけれど、ここに捨てられた物一つ一つさえも誰かが愛用していた物だと思うと、何だか感慨深いような寂しいような気持ちになった。
一旦足元に荷物を置き、辺りを見回して誰もいないことを確認して小声でぴゆに話しかけた。
「ぴゆ、着いたよ」
「お!」
バッグを開いてぴゆを抱き上げようとしたが、ぴゆは自分でよじよじと這い出て、俺の体を伝いながら地面に降りた。
ゴミ捨て場で回収されるのを待つ使い古された風呂用イスや色褪せた扇風機を見ながら、ぴゆはうんうんと頷く。
「この子たちもお役目を果たしたんでちね」
「そうだね。…ぴゆハウス、一緒に置こうか」
足元に置いた荷物を持ち上げ、自分と身長差の激しい小さいぴゆが端を持てるように斜めに傾ける。
「この辺りでいいかな。
ーーはい、じゃあ置くよ」
「よいちょっと!」
実際持っていたのは俺で、ぴゆは袋の端っこをつまんでいただけだが、少しだけ晴れやかな顔をしていた。
気の利いたことを何か言えないか考えていると、回収車と思われるトラックが大きなエンジン音を響かせて植木の向こう側に停車した。
バン、バンとトラックのドアを閉める音がして、作業服を着た恰幅のいい初老の男性と、背の高い若い男性がこちらに向かって早足で歩いてくる。
「どうも。おはようございます」
「おはようございます。えっと、宜しくお願いします」
「はーい、回収しちゃいますね」
初老の男性と挨拶を交わした後、若い男性に会釈をされて慌てて会釈を返すと、2人はそのままゴミ捨て場に置かれた物を脇に抱えてトラックに戻っていった。
ガチャガチャと荷台に荷物を載せる音がして、足元にいたぴゆが俺のズボンの裾をギュッと握る。
「…ちゃよならでちね」
植木の向こうで再びトラックのエンジンがかかる。
「ぴゆ、行こう」
「えっ」
驚くぴゆを抱き上げて急いでマンションの敷地の外へ向かった。
「これがさいごだから、ちゃんとお別れしよう」
次の回収場所へと走り去るトラックの荷台に載せられたいくつかの荷物に紛れて、ビニール袋に包まれたぴゆハウスのピンクの生地が見える。
「あっ……あいがと…!
ぴゆハウスも、みんなも、あいがとお!!!」
抱き上げられた腕の中、誰にも聞こえない大きな声で、ぴゆが泣きながら叫んだ。
トラックは停まることなく、未だ陽射しの入り込まない薄暗い住宅街を走ってゆく。
曲がり角でトラックが見えなくなるまで、ぴゆは遠ざかるぴゆハウスをじっと見送っていた。




