第93章 アリシア伯爵の領地改革-検地編③
私が拝領したゼーブランド元伯爵の領地の状況は、予想をはるかに超えて悪かった。
ゲラルド侯爵さまの話しによると、農業従事者は1人当たり約1.3ヘクタールの面積を農耕できるので、それから計算すると、ゼーブランド元伯爵領は77万人ほどの農業従事者が要ることになるのだが、現在 31万7850人ということは、単純計算で40万人ほど不足していることになるのだそうだ。
つまり、私の新領地でこれから先、順調に農業をやって行くためには、せめて現在の倍に農村人口を増やさなければならないということだ。
「アリシア伯爵、ここまで来たのですから、魔都に帰る前に一度ご自分の領地をざっと見て回ったらどうですか?」
家令のボイロンさんから説明を受け、帳簿を見せてもらったあとで礼を言って、ボイロンさんが部屋から出て行くとゲネンドル伯爵さまは私に領地を視察することを勧めた。
「それはいい案ですわ!」
フロルフさまも館にいるのに飽きたのか、視察に大賛成だ。
「私もどんな領地なのか甚だ興味があります」
ペンナス伯爵さまも睡眠不足で眠そうな目を開いて大きく頷いた。
「じゃあ、そうします」
私の決定で、ハリジさんたちが、ドコデモボードを午前中に若い農業技師たちを連れて行った座標にふたたび設定した。
ハリジさんの手先から、淡い光がドコデモボードに向けて放たれ
ジ…ジジジ…ジジジジ…
周囲の空気が震えるような音がしはじめた。
暖炉の前の空間に小さな穴が開いたと思ったら、見る見るうちにその穴は大きくなり、山の間に流れる川の景色が見えて来た。
「通り道、開きました」
ハリジさんの声で、次々とゲートを通る。
「ここが領地の北部です。先ほども説明しましたが、山岳地帯は手つかずのままで、山岳地帯を端とする川が領地中央部の盆地や平野に流れこんでいますが、盆地はほんの少ししか耕作がされていません」
いっしょについて来た若い農業技術者が説明してくれる。
まあ、このあたり、町から40キロくらい離れているからね。
木材を伐採して売るとしても、馬車で1日半か2日かかるんじゃない?
それなら、町の近くの森で木材を伐採した方がマシね。
北部の山岳地帯
次に移動したのは、南部だった。
見渡す限りの大草原!うねうねと起伏に富んだ丘陵地帯がどこまでも続いている。
はるかにオロタウル山脈が見え、川が平野を流れている。
ふうむ... ここ牧畜に向いてないだろうか?
牛さんとか馬さんとか飼育したら儲かるんじゃ?
フロルフさまやイクゼルさまは、大草原に圧倒されていた。
ゲラルド侯爵さまは、しゃがんで草を見ていた。私も同じようにしゃがんで草を見てみる。
「ゲラルド侯爵さま、ここで放牧が出来ないでしょうか?」
「これは牧畜に適した草です。うまく管理すれば、放牧が可能でしょう」
おお、太鼓判を押してくれた!
「ただ、野生のオオカミなどに気をつける必要があります」
「オオカミ!」
「ヤギやヒツジはオオカミの大好物ですからね」
むむむ...
放牧を始める前にオオカミ対策を考えないと。
それにしても、ヤギとヒツジを飼うのもいいかも?
ヒツジは羊毛がとれるし、ヤギも飼うのにそれほど手がかからないみたいだし。
問題は、ヒツジの肉やヤギの肉をどうするかだよね。
西ディアローム帝国では肉食は禁止されているので、誰も肉は食べないんだよね。
羊毛とヤギの乳だけの販売ってのも、効率が悪いし...
その時、私の脳に、領地に最初に来た時に会ったカプラニディオ族の女性、アデラさんの家での光景が蘇った。彼女の家の納屋で何か肉処理をしていた。
あれは、誰が消費するのだろうか?
もう一度、アデラさんに会って聞いてみたい。
南部の丘陵地帯
三番目に行ったのは、領土の西だった。
西部は平原が広がっており、ここからさらに西に進むと標高が次第に高くなって行き、やがて標高2600メートルのズデーネン山脈に続くことになるのだが、伯爵領はズデーネン山脈の手前までだ。
ズデーネン山脈は、おとなりのアングルスト帝国との境界になる。
アングルスト軍は西ディアローム帝国の西から攻めこんで来たんだけど、幸いにもゼーランド領は通過しなかったので被害はゼロだ。
西部は肥沃な盆地が広がる
そして最後に飛んだのが、領土の東だった。
東部は、隣接する公爵領との境界にダウモール川と言う大きな川が流れていて、山を下って来た川は河床を侵食した土砂を運搬し、大量の堆積物を下流にもたらすので、この一帯は肥沃な河川流域となっている。
だけど、近年の水害や冷害、それに元領主の搾取があまりにも酷であったことから餓死者が多く出て、かなりの農民が領地から逃げ出したと家令のボイロンさんが言っていた。
肥沃な土地がありながら、餓死する。とても信じられないことだった。
私は、ゲラルド侯爵さまに協力をお願いして、この私の領地を農民たちが笑って楽しく暮らせる領地にしてみせる! すでに傾きかけた太陽を見て、心に固く誓った私だった。
東部ー東進するにつれ標高が増しズデーネン山脈へと続く
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数年が経ち―
私は市井の様子を見るために、ごくシンプルな格子柄のロングスカートに長袖ブラウス姿で肩にショールを掛け、鍔の広い帽子を深めに被り、布製の肩掛けバッグを肩に館を出た。
お忍びで町を見て回るつもりだったのだけど...
広場に着いたとたんに、噴水で遊んでいた子どもたちが、目ざとく私を見破ってしまった!
「アリシア伯爵さまだ!」
「ワーイ!アリシア伯爵さまよ!」
「ネコ耳伯爵さまだー!」
「伯爵さまだ!」
「はくしゃくちゃまだー!」
たちまち子どもに取り囲まれた。
「あらあら。子どもの目は誤魔化せないわね!」
私は微笑みながら、肩掛けバッグから手製のキャンデーを取りだし、子どもたちに分けてあげる。
子どもたちが一段と騒ぎだし、新たな子どもたちがキャンデーをもらおうと駆け寄って来て、広場の一角は押すな押すなの混雑になる。
キャンデーをすべて配り終えると、子どもたちは口々に
「アリシア伯爵さま、ありがとう!」
「はくしゃくちゃま、ありがと!」
「ネコ耳伯爵さま、いつもありがとう!」
「伯爵さま、ありがとう!」
とお礼を言って駆けて行った。
その様子を見ていた町の人たちも
「アリシア伯爵さま、こんにちわ!」
「アリシア伯爵さま、今日もご視察ですか?」
「アリシア伯爵さま、今日もたいへんお美しいですね!」
「伯爵さま、ご機嫌よう!」
と笑顔であいさつしてくれる。
広場の反対側にある教会の前をホウキで掃いていたセルヴィニディオス族の修道女が
「伯爵さま、こんにちわ!」
と笑顔であいさつをする。
役所の中から出て来たカニスディオ族市の職員も
「アリシア伯爵さま、今日は一段とおきれいですね!」
と笑顔で言葉をかけてくれる。
町の中は、かなりの人出だ。
農村の景気がいいので、町の中も活気がある。
「いらっしゃい!いらっしゃい!今日は特価品があるよ!」
「いらっしゃい!いらっしゃい!今日はお客さま特別奉仕価格で3割引きだ!」
店子たちの客を呼び込む声も元気いい。
私が、客で賑わう店の中を覗きながら歩いていると
「アリシア伯爵さま、こんにちわ!」
「伯爵さま、今日はご視察ですか!」
「アリシア伯爵さま、あいかららずお美しいですね!」
「伯爵さま、こんにちは!」
「アリシア伯爵さま、こんにちわ!」
店子たちや、道を歩いている人たちがあいさつしてくれる。
私もにこやかに答える。
「こんにちは!」
「そうよ。活気のある街を見るのが好きなの!」
「こんにちは!」
「こんにちは。ずいぶん繁盛しているわね!」
大通りには、商品や建材、農産物を満載した馬車が行き交い、町は大賑わいだ。
町の拡張計画も順調に進んでいる。上水・下水工事も予定通りだし、これで衛生面でもじきに問題なくなる。
「アリシア伯爵さま、もうすぐですね!」
「うん。ありがとう」
「男の子でしょうか、それとも女の子でしょうか?」
「え?」
「女の子だったら、伯爵さま似で美人になるでしょうね!」
「ええ?」
「そのお腹のようすだと、そろそろ生まれるんじゃないですか?」
自分のお腹を見た。
私のお腹はボ――ンと大きなスイカのように膨らんでいた!
えええっ、これ、どういうこと――???
私、妊娠9ヵ月なの?
いつ妊娠したの?
父親は誰なの?!
「アリシア。身重でお産間近だと言うのに、ひとりで出歩いちゃダメじゃないか?」
後ろからそっと肩を抱かれた。
ふり返って見ると―
そこには、結婚してから風格の出はじめた美男パンサニディオスの夫が笑いながらも、少し心配そうな顔をして立っていた。
その顔は―
リンド君だった!
えっ、私、いつ護衛君と結婚したの?
突然、脚を温かい水が伝わるのを感じた。
「伯爵さま――っ、破水です、子どもが生まれます!」
「大通りでお生みになるんですか――?」
いやいや、だから、一体全体、どうなっているのよオオオ―――?
「日が落ちましたね。早く館へもどりましょう」
ゲラルド侯爵さまの声でハッと我に返った。
ええっ、私、おかしな未来を想像していたってわけ?
通り道が開けられ、館にもどる前に、私は後ろの方にいる仏頂面の護衛君を見た。
リンド君は、私の視線に気づいて赤くなった。
いやいや、リンド君と結婚とか、彼の子どもを産むとか、どんだけ私は想像力、いや、妄想力が豊かなのよ?
でも、リンド君の反応から推察すると、彼は私が好きみたい?
でも、私は彼に対してそんな感情はもってない。
まあ、カッコいい男だとは思うけどね...
館にもどり、伯爵領にひとり置き去りにされることになったリンド君を残して魔王国へ帰ることにした。
ゼーブランド元伯爵の次女ミルイーズは、私の家のメイドとして連れ帰ることにした。
ミルイーズは16歳。私やミンタちゃんと同い年で、フローリナちゃん、ロニアちゃん、アマラちゃん、それにペーミンちゃんより1歳年下だ。
年が同じか近いので、私の家でもうまくやっていけるだろう。
貴族のお嬢さまからメイドへの転落は辛いだろうけど、私の元でマジメに仕事をしてくれれば決して悪いようにはしない。
ドコデモボードを使って魔王城にもどるべく広間に入って、魔王城内のドコデモボード部屋に移る前に仏頂面のリンド君に別れを告げようとした。
するとフローリナちゃん、何を思ったのかー
「アリシア伯爵さま、私もここに残っていいでしょうか?」
突然突拍子もないお願いをした!
「え、あなた、ここにリンド君といっしょにいたいの?」
「いえ、そうではありません。リンドさまには失礼ですけど、私の方が領地や町のことなどよく分かると思うんです。ハリジさんたちの協力があれば、一週間で詳細に調査することができます!」
うむむ。それもそうだ。
1日いただけ、人から話を聞いただけでは、わからないこともたくさんある。
「室長さま、フローリナちゃんが残るのなら、わたしもいっしょに残っていいですか?」
「あら、フローリナちゃんとマルレーヌちゃんが残るなら、私も残っていいですか?」
結局、リンド君ひとりでは可哀想と思ったのか、または伯爵領に関心があるのか、フローリナちゃんとマルレーヌちゃんとレイカちゃんの三人も残ることになった。
まあ、フローリナちゃん一人だけなのも心配なので、マルレーヌちゃんとレイカちゃんがいっしょに残ってくれるというのは助かる。
「アリシア伯爵さま、では、私も魔術師を一人残すことにします」
ハリジさんも護衛のためか、居残った者が何か緊急事態でも発生した時にドコデモボードで移動できるためにマナリという名前の魔術師を残してくれることになった。
これで必要な場合は、いつでも魔都へ帰れることになる。
「じゃあ、みんな身体に気をつけて。とくに飲み水は沸かした水を飲むのよ!」
まるでわが子と別れる母親みたいな口調になった(汗)。
「はい」
「は――い!」
「室長さまも、あまりヤキトリ食べすぎて喉につまらせないようにね!」
「わたしたちのこと、忘れないでくださいね――!」
マルレーヌちゃん、ヤキトリのことをゲラルド侯爵さまやペンナス伯爵さまの前で言わないで!
レイカちゃん、あなたの柔肌忘れるはずがないじゃない。
って、たったの一週間だよ?
リンド君、女の子たちつまみ食いしちゃダメだよ?
ゲネンドル伯爵領のイメージに合うと思う画像を入れて見ました。




