第61章 アリシア子爵、屋敷を拝領する(前編)
トロール人たちを情報分析室に案内し、それぞれのデスクを見せた。
めいめいデスクを選びガラス壁から魔都を見て大騒ぎをし、それからプリシルさまが運ばせておいた食事を会議室で食べた。トロール人たちは図体が大きいので、食べる量も半端ないけど、さすがプリシルさま、彼らが満足できる量を用意していた。
そして、トロール人たちが、遅めの昼食をとっている間、大臣さまや将軍さまたちは、わが子や孫が働いている職場訪問をしていた。
「ほう... ここであなたは仕事をしているのですか?」
「ええっ、パパ?」
「おう、ここで毎日働いているのか?」
「げっ!お父さん?」
「アラネイル、なかなか環境のいい場所じゃないかね?」
「ええ――っ、お父さま、どうしてここに来たの?」
なーるほど。
マフトレーンに乗ると言うのは口実で、実はここに来たかったのね?
ふふふ。
大臣さまや将軍さまたちの子どもや孫たちは、驚くやら、恥ずかしがるやら、得意げに仕事について話やら、その反応は様々だった。
とにかく、親御さまたちやお爺さまたちは、すっかり満足されたようで―
「アリシア子爵殿、まだ世間知らずの子ですが、よろしくお願いします」
「子爵、我が輩の子どもだと言って鼻にかけたら、厳しく叱ってやってください」
「アリシア殿、まだまだ至らぬところが多い娘と思うが、大人の許容で暖かく見て欲しい」
「アリシア子爵、ビシビシ鍛えてくだされ!」
「これで戦がなくなっても、外交官として食っていける!」
などと目尻が下がった上機嫌顔で帰って行った。
だけど、戦うことが職業であり生き甲斐みたいな将軍の中には、近い将来、戦争がなくなり、その時に語学に秀でたわが子が外交官として食っていけるって思っている人がいるっていうのには正直言っておどろいた。
「ふふふ。とんだ親バカ、爺バカね!」
プリシルさまが、彼らを垂直移動部屋まで見送ったあとで、会議室に私を呼んでクスクス笑っていた。
「まあ、こんな若い私が上司というので心配しておられたのでしょう」
「ギャストン伯爵やスティルヴィッシュ伯爵、ペンナス伯爵たちは、あなたの実力を知っているから、ただ見に来ただけでしょうけど、ほかの貴族は知らないでしょうからね」
「それにしても、あれだけたくさんの将軍たちが来るとは想像もしていませんでした」
「ああ、あれね。今、参謀本部でアングルスト帝国とベルミンジャン王国への反攻作戦を検討しているでしょう」
「えっ、アングルスト帝国とベルミンジャン王国の侵略が始まったばかりなのに、もう反攻作戦を考えているんですか?」
「それはそうよ。いつまでも侵略されっぱなしじゃ、モモコ大王さまが魔王軍の参謀本部に泊まり込みに来かねないわ」
それはそうだろう。
あの気の短いモモコ大王さまのことだ。
夫である魔王さまが腰を上げるのが遅いと思ったら、そんなこともやりかねない。
「トロール人たちも来たし、アングルスト帝国内とベルミンジャン王国内での情報収集網も完成したようだし、これでまず一安心ね」
「これから、アングルスト帝国とベルミンジャン王国の情報分析に全力をあげます」
「うん。それについては、まったく心配していないわ。何より、この情報分析室は魔王国でも屈指の優秀な人材が集まっているようだし...」
そう言って、ガラス張りの壁越しに、隣の情報分析室で腕まくりをして仕事を始めたトロール人たちと、それを取り巻いている若い職員や研修生たちを見た。
「アリシア子爵さん。トマーラ王子夫妻とクマーラ王子夫妻たちをお家にご招待して、夕食会を催しなさい」
「は?」
「だから、歓迎会をしなさいって言っているのですよ」
「お家って... 私、家なんて持ってないんですけど?」
当惑して、プリシルさまが何を言っているのかを理解しようと頭をフル回転させた。
誰かに家を借りて、私の家ですって言って王子夫妻とトロール人たちを招待しろってことかしら?
「あなた、家を持っているの?」
「持っていません...」
「そう。持ってないのよね。ちゃんとした貴族でありながら」
「申し訳ありません」
「家は用意してあげるから、今週末にトロール人たちを呼んで歓迎会を開きなさい。ついでに職員も全員招待したらいいわね」
「今週末ですか?」
話のあまりの急展開に頭がついて行かない感じ。
「そう。歓迎会を十日も二週間も遅らせるわけにはいないでしょ?」
「はあ...」
「心配しなくても、リリスさんとハウェンさんが手筈を整えてくれるわよ。じゃあ、わたくしは魔王城にもどるわ」
プリシルさまさまが出て行ったあとで、至急マデンキを私用で使って、リリスさまに連絡をとった。これは、職権乱用じゃないよ? あくまでも、魔王国にとっての賓客を接遇するために必要なことをやっただけ(汗)。
《あら、アリシアちゃん。お家のことね?プリシルさまがおっしゃった件でしょう?》
「はい」
《今日、そこの仕事が終わってから時間あるかしら?》
「あります、あります!」(必死!)
《じゃあ、東区の〇〇〇通りのどこそこに、とても大きな、遠くからでも目立つギンコの木がある屋敷があるので、そこで午後6時に落ち合いましょう》
「あ、どこそこですね?わかりました。よろしくお願いします」
午後5時の定時とともに、トロール人たちをリエルさんたちにお願いして、情報分析室から出て垂直移動部屋に乗り、建物の近くで待っていた馬車に飛び乗る。
リンド君も素早くタイロさんの横に座り、行き先を伝える。
「タイロさん、東区の〇〇〇通りのどこそこだ」
「へい。わかりやした。今日はどういったご用で?」
「子爵さまが、家を購入されるらしい」
「おお!それはおめでとうございます。やっぱり、貴族さまですからねぇ。立派なお家を持ってないと肩身が狭いでしょう」
「うむ...」
リンド君、それっきり黙ってしまった。
それにしても、護衛君、最近無口になったな。
私が毎晩ブリュストン伯爵さまの家に行っているから、嫉妬しているのかな?
1月の、まだ日が高い中をガラガラと音を響かせて馬車は魔都の東へ向かう。
東区は上流階級区で、ほとんどの貴族がこの区域に邸宅を持っている。
ドゥモレ男爵さまも東区に家を借りていたし、ギャストン伯爵、スティルヴィッシュ伯爵、ペンナス伯爵たちもこの区域に持っているし、ゲラルド・イクゼル夫妻もこの区域に住んでいる。
20分後、馬車はリリスさまがおっしゃったギンコの大木が塀越しに見えるひときわ立派な屋敷の前に着いた。
まだ誰もついてなく、あたりはネコの鳴き声も聴こえないほどの静かさだ。ギンコの大木が庭にある屋敷にも誰も住んでいないようで窓はすべて閉められている。
リンド君は馬車から降りて、あたりを見回していたと思ったら、十字路まで行ったり、もどって逆方向の十字路まで行ったりして、付近の状況を観察している。
さすが護衛だけあって、万一の場合に備えて住宅街の状況を把握しているのだ。
私は何もすることがないので、そんなリンド君の行動を感心して見ていた。
しばらくして、黒塗りの高級馬車が近づいて来た。
私の前に止まると、中からリリスさまとハウェンさまが降りて来た。
「ごめんなさい、待った?」
「いえ、私が早く着きすぎたんです」
「どう、胸がワクワクしていない?」
ハウェンさまが、私の目を覗きこむようにして聞く。
「あの... どの家なんですか?」
この区域は、ひときわ大きい邸宅ばかりなので、私に合いそうなこじんまりとした家は見当たらない。
「このギンコの大きな木がある家が、あなたの家になるのよ」
「え?!...」
私は絶句して、二階建ての大きな屋敷を見た。
「これ... 私には... 立派すぎるし、大き過ぎます」
「何をおっしゃっているの?あなた、子爵でしょう、これくらいの家に住まないと、魔王さまが笑われますわ」
また言われた。そう、私は領地なし、持ち家なしの魔王国政府からお給料をもらっている貴族なのだ。外国からのお客さまを招くにふさわしい家を持たなければならないのだ。
リリスさまが門の鍵を開け、大理石の階段を上がって正面玄関の扉を開く。
扉も両開きの重厚な扉だ。玄関の扉を入ると、また両開きの扉があった。
そこを通るとエントランスが10メートルほど続いていて、その両隣には、大広間と談話室と貴賓室があった。貴賓室もあるなんて、魔王さまをご招待できるじゃない?
ざっと、1時間ほどかけて前方と後方の二棟からなる屋敷の中を見て回った。
屋敷の間取りを要約すると―
地下1階
女官長室
侍従長室
第一厨房、第二厨房
食料倉庫2つ
使用人用食堂
馬丁控室
トイレ2つ
1階
エントランス
大広間
談話室
貴賓室(控室付き)
ダイニングルーム(来客用)
喫煙室、応接室、化粧室兼トイレ2つ、執事室、客室
食堂室、食料貯蔵室、女中部屋2つ、書斎、図書室、ギャラリー
2階
客用寝室6つ(トイレ・浴室付き)
寝室(トイレ・浴室付き)6つ
応接室3つ
書斎(資料室付き)1つ
さらに本館とは別に、厩舎、馬車庫、物置、使用人部屋、馬丁部屋などが屋敷の裏手にあり、庭もかなり広い。
アリシア子爵宅平面図
「お、お、大きすぎます(汗)」
「あら、お母さまやビアちゃん、それにモナさまなどといっしょに住んでもいいのよ?」
「.........」
たしかに、それも考えられる。
マイテさまは、どうされるか知らないけど、カリブはすでに家を持っているし、モナさまはジオン君(9歳)とキアラちゃん(5歳)だけだ。40以上も部屋がある大邸宅だ、お母さまとビア、それにモナさまの家族3人が住んでもまだ部屋があまる。
帰ってから相談してみよう。
「あの...それで、お値段の方は、どれくらいなのでしょうか? これくらいだと、月に金貨10枚、いや20枚くらいですか?」
借家の相場なんて全然知らないけど、これだけの立派な大邸宅、それくらいするんじゃないかしら?
「お値段は、金貨2000枚よ」
「き...金貨...2000枚!...」
そんな大金、持ってないよォ!
「だったらしいんだけど、魔王さまが値切って、金貨1000枚で購入されたの」
青ざめたであろう私の顔を面白そうに見ながら、ハウェンさまが言った。
「1000枚でも無理です」
「だから、魔王さまが購入されて、あなたにあげたのよ」
「え...? この、立派な お屋敷を 魔王さまが... 私に くださった?」
「そうなの。この屋敷に住んでいたデルン・エンギン辺境伯がね、もう年をとったから、故郷のブレストピア国のメッツガル地方... あ、今は鬼人族国になっちゃったけど、そこに帰って老後を暮らしたいって言ってね」
「息のジョードン子爵は、鬼人族国で貴族として立派にやっているので、この屋敷を手放すことを決めたということを私たちから聞いて、魔王さまが購入されたと言うわけ」
「魔王さまもね、アリシアさんを子爵にしたのはいいけど、いまだに屋敷を持ってないあなたにやきもきしてね。プリシルさまにもかなり督促していたみたいだけど...」
リリスさまとハウェンさまが、代わる代わるに説明してくれる。
ゲゲゲ。
そう言えば、プリシルさま、何度も私に持ちなさいって言ってたっけ。
とうとう痺れを切らして、今週末に歓迎会を開きなさいって言ったみたいだけど、あれは、もうこの屋敷を魔王さまが購入されたのを知っていたからなのね。
プリシルさまには、足を向けて寝られないわ。
もし、彼女が窮地に立った時は、一番に駆けつけてお力になろう!
「でね、一応、家具とか絨毯とか、装飾品とかそろっているわけど、まだ四日間あるから、好きなように模様替えしたり、家具や絨毯やカーテンを変えたらいいわよ」
「ありがとうございます。よく見てから、変えるか変えないか決めます」
「じゃあ、わたしたちの任務はこれで終わり」
「何か必要なことあったらリリスに連絡してね」
「屋敷の権利書は、あとで届けさせるわ」
「はい。どうもありがとうございます」
ハウェンさまとリリスさまを見送ったあとで、タイロさんに急いで魔王城にもどってお母さまたちとマイテさまとモナさまたちを屋敷に連れて来るように頼んだ。
もう夕方で、あと1時間もすればあたりは暗くなる。だけど、屋敷の中には電灯があるし、庭にも電灯がところどころあるので大丈夫だろう。
明日、明るい時間に見せたらいいだろうって?
いやいや、善は急げって言うでしょう?善じゃなくて朗報なんだけど、この際どちらでもいいじゃない。
お母さまたちが来るまでの間、私はリンド君に手伝ってもらって、もう一度屋敷の調度品、家具、装飾品などを見て回る。リンド君には、家具の再配置とかを頼むんじゃなくて、私が言う事を帳面に書いてもらう。
まず、二階の寝室。
二階の後方の棟の右奥にある寝室を私用とすることにした。
寝室は手頃な大きさだし、続き部屋として書斎もしくは仕事部屋に使える広い部屋があり、個人的な客(恋人?愛人?)を迎えることができる客室もあり、風呂とトイレがついている。
テラスがあるけど、家の裏側になるのでテラスで恋人とハダカで葡萄酒を片手にいちゃついても通りからは見えないという利点がある。って、私、何を考えているの?
辺境伯夫婦が何年、何十年使ったであろう大きな天蓋付きのベッドを見た。
しっかりしたベッドで、あと百年は使えそうな感じ。
辺境伯夫婦は、どんな恰好でこのベッドの上で愛し合ったのだろう。
白い躰の夫人をガッシリとした体格の辺境伯が愛している状況を想像した。
あえぎ声を上げながら、上を見た夫人の顔は私だった!
そして、ふり返って私の方を見た辺境伯の顔は、なぜかブリュストン伯爵さまだった(汗)。
「子爵さま。ベッドで休みたいんですか?」
痺れを切らした護衛君が、イライラした口調で訊いた。
「冗談でしょう? さ、書いて。奥の左側の寝室の家具、カーテン、絨毯はすべて交換。
客室の家具、調度品はそのままで、カーテンと絨毯だけを交換。
お風呂は、家具も浴槽もすべて交換...」
結局、二階の寝室のベッド、絨毯、カーテンは全室交換することにし、トイレ、浴槽は全部交換。一階も同じようにすることを決めた。客室などの家具類はそのまま使う。調度品も装飾品も今のところは同じものを使う。
家具とか調度品とか、こんな大きな屋敷にあるものすべてを買い替えるとなるとかなりの出費になる。
倹約できるところは倹約しなければ、お金がいくらあっても足りない。
一階の貴賓室の暖炉を調べていると、表で馬車の音がして、お母さまたちが入って来た。
「アリシア、どうしたの?こんな立派なお屋敷に呼んで?ここはどなたのお家なの?」
みんなの疑問を代表してお母さまが訊く。
タイロさん、何も言わなかったらしい。
「今週から、ここが私、アリシア・ミラーニア・ゲネンドル子爵の邸宅となります」
「え?...」
お母さまの目が丸くなった。




