第60章 アリシア子爵、トロール人の真似をして涙を流す
私は初日の朝、マデンキに送られて来た最新情報にざっと目を通しながら、昨夜の歓迎会・情報局設立を祝う会のことを想い出していた。
「アリシア室長、おはよう!」
8時半にリエルさんが入って来た。
さすが副室長だけあって、登庁が早い。
彼女も、ロニアさんたちが早く来ているのにびっくりしたけど。
「うんうん。こうでなくちゃあね!」
なんてつぶやきながらコートを脱いでハンガーポールにかけている。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございまーす!」
「おはようございます」
「おはようございます。昨日はご苦労さまでしたぁ!」
9時前に元連邦管理局翻訳・通訳班の連中が申し合わせたように、ぞろぞろと入って来た。
そして、彼らに続くように、一般公募で採用された者たちや、研修生たちがにぎやかにおしゃべりしながら入って来た。
すぐに、アダリヌ主任とマクジム副主任が私のデスクにやって来て、私とリエルさんがざっと仕分けた連絡文を自分たちのデスクに持って行って、それに古参のモイーズさんとゼナイデさんを交えてさらに細かく仕分け、言語別に翻訳する者たちに配り始める。
ビアたち研修生や、まだ翻訳に不慣れな新規採用職員は、仕事に慣れている職員が、内容が簡単な連絡文の翻訳をさせることになる。
翻訳が終わった連絡文は、翻訳間違いがないか再三確認したあとで、重要度によって私たちのデスクに運ばれてくる。重要と見なされた情報の分析は、主に私とリエルさんが分析を行うが、ここでロニアさんたち“分析官”が加わることになる。
彼女たちには、忌憚のない意見を出すように言った。
彼女たちも新職員であることに変わりはないが、テルースの世界における“国と国の間の力関係、政治関係などについての彼女たちの見識は一聴するだけある...
と言っても、まだ彼女たちも、どこまで意見を述べていいのかその限度をよく知らないので、私とリエルさんが意見を交わすのを聞いたりしてさらに知識を増やし、選択の基準などを覚えて行くのだ。
分析が終わると、分析結果を記録したエリゼッテちゃんとエイルファちゃんが、報告書を作成させ、それをマデンキで軍事省や外務省などの関係部署や参謀部などに送る。
初日の午前中は、みんな新しい職場だということもあってか- それに、連邦管理局からの移籍組の連中は情報分析室で働くにあたって、全員公務員階級が上がり、それについて給料も30パーセントほど上がったのですごく張り切っているし、新規採用職員もほかの官庁職員に比べて30パーセントほど高い給料をもらうことになるので俄然張り切っている。
研修生たちも、毎月金貨2枚という破格の研修費用をもらえるのですごくよろこんで働いている。
ビアもこれで当分お小遣いには困らないだろう。
お昼は、まだ職員レストランが完成してないので、プリシルさまが魔王城のダイニングルームから水平移動部屋を使って温かい料理を運ばせてくれたので、それをみんなで会議室で食べる。
って、水平移動部屋、私も乗ってみたかったのに、口惜しいことに“料理”に先を越された?
「料理よ、私はおまえたちが羨ましい。私より先に水平移動部屋に乗れたのだからな!」
なんて言いながら、胡椒のよく利いたガルの手羽先をかじっていると
私の前で食べていたプリシルさまが、私の顔をいたずらっぽい顔で見て言った。
「アリシアちゃん、もうすぐトロールの人たちが魔王城に到着するから、あなたも私といっしょに迎えに行くのよ!」
「えっ、私も水平移動部屋に乗っていいんですか?」
「もちろんよ。それから、あの水平移動部屋は、マフトレーンっていう名前だって、トゥンシー大先生がおっしゃっていたわ」
「やった――!」
うれしさのあまり、思わず2メートルほど飛びあがってしまったので、同じテーブルにいたロニアさんたちがアングリと口を開いて驚いていた。
移籍組やリエルさんたちは、もう知っているのでそれほど驚かない。
新規採用職員たちは、少しびっくりしたようだけど、食べるのに忙しいようでよかった。
「まったく... お姉ちゃんったら、子どもなんだから!」
グヌヌヌ。
ビアの声が鋭い聴覚を持つ私に聴こえて来た。
今度、新しい服が欲しいとねだったら、貯金して買いなさいって言ってやろう。
リエルさんにあとを頼んで、プリシルさまと垂直移動部屋に乗って地下3階まで降りる。
そこは、マフトレーンの発着専用の階らしく、全長100メートル程の長い乗降場を挟んで両側にトンネルがあった。
その片側のトンネルに、全長15メートルほど、高さ4メートルに幅4メートルで、前後が同じように丸味をおびた銀色のマフトレーンが停まっていた。
「!......」
私は、銀色のマフトレーンに目が釘付けになった。
「やあ、アリシアさん、こんにちは!」
「子爵さま、お久しぶりですね!」
「お元気そうですね!」
「ますます美人になりましたね」
「お久しぶり」
マフトレーンのそばにいた人たちが声をかけた。
ソントンプ研究所の若い研究者たちだ。
このマフトレーンの操縦をしたり、走り具合を見たりしているのだろう。
顔ぶれは、トゥンシー大先生の甥のトム君と妻のメリッサちゃん。
錬金学の研究家のユーカワ君と妻のデュリアさん、それに魔法陣の研究家のバラキ師匠だ。
「あ、こん...にち...わ」
私は、上の空で挨拶を返し、しばらくの間、何も言わずにマフトレーンを見ていた。
マフトレーンは流れるような美しさだった。そしてかなり大きい。
これまで見たどんな馬車よりも...
いや、これは馬車とはとても比べようもないモノだ。
こんな大きなモノが馬なしで動くとは信じがたかった。
地上では、徒歩か馬、または馬車を使ってしか移動する方法がないのに、魔王城と魔都の主要官庁間をつなぐためだけに、こんな想像もできない魔法式移動装置を作っちゃうなんて、魔王さまは一体どんな考えを持っているのだろう…
「アリシアちゃん、マフトレーンを撫でるのは、もうそれくらいでいいかしら?」
プリシルさまの声にハッと我に返ると、マフトレーンの美しい銀色の車体に頬をつけて、しきりに手で車体を撫でていた(汗)。
「あ、申し訳ありません。冷たくて気持ちいいので火照った顔を冷やしていました」
プリシルさまの後ろにいた護衛のリンド君が、怪訝そうな目で私を見ていた!
幸いトム君たちは、すでにマフトレーンの中に入っていて- 御者席って、馬車ではないんだけど、マフトレーンの前の方で何やら話し合っていたので、恥ずかしい仕草を見られなくてよかった。
「乗りましょ、乗りましょ!」
恥ずかしさで赤くなった顔を見られないように、開いたドアから入る。
さすがに広いし、天井も高い。
これならトロールたちも問題なく乗れるだろう。
座席は、三人ほどが楽に座れる大きめの椅子が通路を挟んで両側に10列並んでいて、前後と中央に椅子のないところがある。たぶん、大きな荷物などを置くためだろう。
この椅子なら、獣人族の体格のいい種族でも...
いや、ヒポホルスディオ族とかエレファントディオ族は図体がでっかいから一人しか座れないか。
じゃあ、トロール族も一人しか座れないのかな?
品のいいベージュ色の(私にとっては少々大きすぎる)椅子に座ると、まるで子どもが大人の椅子に座っているみたいな奇妙な感じがした。
車内は、壁も天井も同じベージュ色で統一されていて、床はベージュ色と合う模様入りの茶色の絨毯が敷かれていた。
「どう、お気に召した?」
私の前の椅子に座ったプリシルさまがにっこりと微笑んで聞いた。
「はい。すごい乗り物ですね」
「よろしいですか? じゃあ、出発しますよ!」
御者席に座ったトム君が私たちの方を見て言った。
「はい。動かしてもだいじょうぶです」
プリシルさまが答える。
私の心臓がドキドキするのが感じられた。
急にマフトレーンが浮いたのが感じられた。
「この乗り物は、魔法陣で浮いて走るんですよ。だから、トンネルの天井と床に魔法陣が描かれていて、それにマフトレーンの車体の上部と下部にある魔法陣が反応して...」
私たちのそばに来たバラキ師匠が説明してくれるけど、魔法の事も魔法陣のことも何もわからない私にはチンプンカンプンだった。
そう言えば、トンネルの天井には、ずらーっと何かフクザツな模様が描かれていた。
マフトレーンの速度が増すのが感じられた。
窓ガラスはあるけど、トンネルの中は真っ暗なので、どれくらいの早さで走っているかわからない。
と思ったら、窓の外が急に明るくなり、魔王城の地下3階にある乗り降り場に到着した。
「え、もう着いたの?」
「わずか500メートルですからね。ゆっくり走って30秒で着きます」
トム君が得意げに話す。
魔王城地下の乗降場は、情報総局のとは比べものにならない広さだ。
そして乗降り場には、巨大なトロールたちが大勢いた。
みんな、マフトレーンを見て大きな目をさらに大きくさせている。
エヘン!魔王国の秘密兵器をとくとご覧あれ!
って、私が作ったんじゃないけど...
トロールたちは、男も女も3メートルほどの身長で横にも大きい。
体重は、私の10倍はありそう(汗)。
みんなきちんと礼装しているけど、お腹に色鮮やかな腹巻をしている。
あれがトロール族の正装なんだとチェニーレ先生が教えてくれた。
あ、チェニーレ先生がいる!
私を見てニコニコ笑っている。そばにいるのは、旦那さんらしい。
マフトレーンが止まり、ドアが開いて私たちが乗り降り場に出ると、トロールたちは、全員、拳を胸の前に上げて軽く胸を叩いて私たちに一礼した。これはトロール族が相手に敬意を示す習慣なのだとか。
「プリシル王妃さま、アリシア子爵さま、お初にお目にかかります!」
「こちらが、義兄のトマーラ=ケカイ・ゾーリュ王子で、今回、トロールたちを集めるのに協力してくれたのよ」
チェニーレ先生が紹介してくれる。
えっ、王子さま?
「遠い国から、ようこそいらっしゃいました。プリシル・リリアーヌ・ギオンサトゥバ王妃です。よろしくお願いします」
プリシルさまのお名前、長くてカッコイイ!
「.........」
「.........」
一瞬、静かになった。
「アリシア子爵さん?」
はっ、私も自己紹介しなきゃいけないんだった!
「アリシア・ミラーニア・ゲネンドル王女... いや、子爵です。よ、よろしくお願いします」
拳を胸の前に上げて、胸を強く叩いてしまった。
「痛ァーっ!」
ゲゲゲ!
大失敗だ。
大失態だ。
オッパイの激痛に涙が出るが、今はそれどころではない。
外交的な大失敗を...
「がっはっはっは!」
「わーっはっはっは!」
「ぎゃははははは!」
「グワッハッハッハ!」
「ハーハハハハ!」
トロールたちが一斉に笑い出した。
え?
どういうこと?
お咎めなし?
「ガ―――ッハッハッハ!ガ―――ッハッハッハ!」
トロールたちは、笑うのを止めたが、まだバカ笑いをしている者がいた。
この笑い声は- そう、あのバカ伯爵、ギャストン伯爵だ。
「ギャストン伯爵さま、それくらいでよろしいでしょう?」
プリシルさまの一声で笑うのを止めた。
見ると、図体の大きいトロールたちのせいで見えなかったが、ギャストン伯爵、スティルヴィッシュ伯爵、ペンナス伯爵、ダルドフェル伯爵、ダルドフェル公爵、ハンノンベリ辺境伯、ベテラーブ公爵など、大臣や将軍たちお歴々がいた?
これ、どういうこと?
「妹から、アリシア子爵さまは、気さくな方だと聞いておりましたが、さすが魔王さまが見こまれ、今回、情報分析室長に任命されただけあって、トロールの伝統にもお詳しいことがわかりました。ただ、胸を叩く時は、叩いても痛くないところを軽く叩くのがコツです」
トマーラ王子が、すっかり緊張が解けた笑顔で言った。
王子って、このオッサントロール、40歳超えているんじゃないの?
それに、この人が王子さまなら、チェニーレ先生は妃殿下じゃないの?
「我々は、まだこのマフトレーンに乗ったことがないので、トロールの方たちが乗るついでに乗りに来たのですよ、子爵殿」
スティルヴィッシュ伯爵さまの言葉で納得がいった。
それにしても、多すぎない?
将軍さまたちって、ヒマなのかしら?
トム君たちに先導されて、ぞろぞろとマフトレーンに入る。
みんな座席に座ったけど、物珍しそうに座席を触ったり、壁を見たり、窓を見たりしている。
やはり、トロールは大きいので三人用の椅子に一人が座って少し隙間が空くくらいだ。
隙間と言っても、1メートルほどの隙間なので、そこに私たちが座れる。
私はチェニーレ先生の横に座ることにした。
今回、難解中の難解なトロール国の情報を解読するという重要な役割が情報分析室に課せられた。
私は、その課題を解決する方法をチェニーレ先生に相談した。
彼女は、私がトロール語を習っていた個人教師で、彼女ならいい考えがあるかも知れないと思ったのだ。
トロール人は、魔王国や西ディアローム帝国やその他の同盟国にも少なからず住んでいるが、アングルスト帝国とベルミンジャン王国の情報を得るためには、この両国内で情報収集活動をしなければならない。
しかし、国外からトロール人がアングルスト帝国とベルミンジャン王国に入国した場合、必ず怪しまれて憲兵に監視追跡される。
それを避けるためには、アングルスト帝国とベルミンジャン王国に住むトロール人でなければならないのだ。
「私の義兄は、ベルミンジャン王国の元王族だった一族です。もし、何らかの手段で夫をベルミンジャン王国に潜入させることが出来たら、義兄を説得出来るかも知れません」
早速、その提案をプリシルさまに相談したところ、アマンダさまも同意され、急遽チェニーレ先生の旦那さまであり、魔王国に亡命していたクマーラ王子と会って話し合った。
西ディアローム帝国側が、今回の戦いでベルミンジャン王国に勝利することが出来たら、元王族にふさわしい地位をあたえるという条件で、クマーラ王子はドコデモボードでベルミンジャン王国に飛び、兄のトマーラ王子と会って説得し、彼らの影響力を使ってアングルスト帝国とベルミンジャン王国の国内に情報収集網を構築する役割を引き受けた。
この隠密作戦には、チェニーレ先生も夫と同行した。
トマーラ王子は魔王国の提案を受け入れ、一ヶ月ほどで親族の多いアングルスト国内とベルミンジャン国内に情報取集網を作り上げた。両国とも、西ディアローム帝国を裏切って戦争を拡大した現政権に対する国民の不満が大きく、想像していたより短い期間内に収集網を作り上げることが出来た。
そして、アングルスト帝国とベルミンジャン王国の情報収集秘密拠点にドコデモボードを設置し、そこから情報を魔王国の情報分析室に送る手筈を整えてから、翻訳に協力するトロール人たちを連れてトマーラ王子自身が妻を同行して魔都にやって来たというわけだ。




