第37章 魔王に甘い葡萄酒を(後編)
十日間におよんだ使節団の仕事は終わった。
私は魔王城に帰国し、三日間ほどかけて研修の報告書をまとめた。
まとめた報告書を情報統括局の事務次官に届ける。事務次官に届けたと言えば大そうなお役人さまに届けたと思うかも知れないけど、正しくは、事務次官の下の部長の下の審議官のまた下の下の何んとか室長って言う人の秘書にだ(汗)。
ちなみに、ルーボードタン連邦は魔王さまが提唱して創設されたものだけど、魔王国における連邦の管理部門は、ルーボードタン連邦管理局という名前の組織で、当然、ボスは外務大臣のスティルヴィッシュ伯爵なんだけど、研修生の私の報告書など大臣に提出できるわけなどなく、上に書いたように、形式的に下っ端の方の役人に提出したわけ。
これで一応、研修生としての仕事は終わったわけで、あとは、あの何んとか室長って言う人が思い出した時に報告書を見て- たぶん、報告書の題名と提出者名を見て、さらっと30枚ほどの報告書を見て、『可』とか採点して秘書に保管させるのだろう。
あ、それも秘書が忘れずに、何んとか室長って言う人の机の『処理待ち書類』の箱に入れておくのを忘れなければの話だ。
私は語学の勉強にもどって、ドワーフ族の先生とトロール族の先生から、毎日、午前と午後、毎日みっちりと会話文法との授業を受けていた。
ダユーネフ国への研修から2週間ほど経ったころ―
突然、私は魔王さまに呼び出された。ちょうど、庭でトロール語の授業中だった。
3メートルも身長があるチェニーレ先生にトロール族の身ぶりを習っていた時だった。
トロール族って、身体はでっかいけど、話すときに手ぶり身ぶりをよく使うので、彼らと話す時、こちらも同じように手ぶり身ぶりを使って話すと、トロールたちもすぐに親近感を抱いてくれて交渉も進みやすいんだそう。
なので、懸命にチェニーレ先生の真似をしていると、“ブン!”と先生が勢いよく手をふったところにあの白ヒゲのメエゲレスさんがいた。
メエゲレスさん、背が160センチほどでよかったよ。
2メートルあったら、チェニーレ先生の大木みたいな腕が当たって、確実に首が飛んでいたね(汗)。
「メエエエっ!? この老人を殺す気ですか?」
メエゲレスさん、腰を抜かしちゃったよ。
「あらっ、すみません。トロールの身ぶり手ぶりって仕草が大きいから、教室の中だと器具を壊してしまいそうなので広いお庭でしていたんですけど」
チェニーレ先生、大きい身体を小さくして平謝りだ。
この先生、大きな身体に似合わず、とてもやさしいトロール人なので好きだ。
「あ、どうも申訳ない。いや、突然、走りこんで来たわたしも悪いのです。そう謝らなくても...」
助け起こす私に礼を言いながら、大きな身体を折って謝る先生をなだめるメエゲレスさん。
「おっ、こんなことをしている場合じゃない!アリシアさま、早く、『平安の間』に行ってください。魔王さまがお待ちですっ!」
「え?『平安の間』って... どこですか?」
「魔宮殿の衛兵に聞けばすぐにわかります。魔王さまから呼ばれていると言えば、すぐに教えてくれます。アイタタ...」
腰をさするメエゲレスさんを「だいじょうぶですか?」と心配そうな顔で聞いているチェニーレ先生をちらっと見てから、私は急ぎ足で魔宮殿に向かった。
「失礼します」
衛兵に教えてもらった『平安の間』の扉を開いて入ると―
中には、魔王さまがいた。
いや、魔王さまだけじゃなくて、アマンダさま、プリシルさま、リリスさまとハウェンさま。
そして― スティルヴィッシュ伯爵さま(外務大臣)、ペンナス伯爵さま(経済・貿易大臣)、ギャストン伯爵さま(軍務大臣)、ゲラルド侯爵さま(農業・漁業・工業大臣)たちが、ずらりと並んで座っていた!
その後ろの方には、使節団でいっしょだった政務官や事務次官の顔も見える。
「アリシアさん、授業中のところ、急にお呼びして悪かったわね。さあ、そこに座って」
「は、はい...」
プリシルさまが、やさしい声で言ってくださったので座ったけど、重厚なテーブルの対面に魔王さまを始め、アマンダさまたち魔王妃全員、それに魔王国の主だった大臣さまが座っているのを見ると、まるで戦犯裁判で被告席に座らされているような気分になった。
「そう緊張しなくともよい。何もダユーネフ国における研修の落ち度を糾弾するわけではない」
魔王さまが、私の強ばった顔を見て、そうおっしゃった。
やはり、ダユーネフ国で、何か私がしたことが問題になっているのだ...
どんな失敗をしたのだろう?どんなヘマをやったのだろう?
頭を全力回転させて、ダユーネフ国で起こったことを思い出してみる。
使節団について、あちこちを訪問し、ダユーネフ国の役人や貴族や商人や市民と話した。
皇帝に招待された晩餐会でたくさんの貴族と踊ったこと。いや、皇帝とも踊ったっけ。
ブリュストン伯爵さまとナスガアルの街を歩き、食事をし、観劇をした。
ドゥモレ男爵さまに連れられてレッべガアルを訪問し、醸造所をいくつか回り、あの裏通りにあった酒場でユキヒョウ族のオッサンたちと遅くまで楽しく飲み、おしゃべりをした...
やはり、最後のあの酒場での振舞いが、魔王国の使節団の一員にふさわしくないことであったと、政務官か事務次官の誰かから報告があったに違いない。
「大へん申し訳ございません。せっかく魔王国の使節団の一員として末席に加えて頂きながら、魔王国を辱めるような振舞いをしてしまいました。どのような厳罰も受けますので、お父さまたちは、何とぞ処罰をしないで...」
「ん?何を言ってるのだ?」
「はい?だって、私があのレッべガアルの裏通りの酒場で...」
「そうだ。その『ユキヒョウ親父の酒場』で、ブレスタンネス伯爵がおまえと酒を飲んで...」
「スティルヴィッシュ伯爵、アリシアさんは元王女ですわ。おまえなんて失礼です!」
「おっ、そうだった。ドゥモレ男爵が連れて来た貴女と酒を飲んで《魔王国に、これほど才知に長け、美女でありながらまったく飾らず、庶民の中年オヤジたちと楽しく酒を飲む外交官がいたとは知らなかった》と魔王さまに手紙を送って来たのだ」
スティルヴィッシュ伯爵さまが、プリシルさまに指摘され、あらたまった口調で話しはじめた。
“ブレスタンネス伯爵?... あの時、あの薄暗い酒場にいたのは、右腕を魔王軍との戦いで失くしたエドディガさんと金物屋をやっていると言ったデンバルドさん、町役場に務めているヴァガルドさん、肉屋をやっているベルスタルさん、それに農機具を作っているハブジジルさんと酒場の亭主しかいなかった。
あの場にいた唯一の貴族は、ドゥモレ男爵さまだけだ。
「す、すみません。そのブレスタンネス伯爵さまという貴族は、晩餐会でお会いした方なのでしょうか?」
「ブレスタンネス伯爵は、晩餐会には行っておられませんよ、アリシアさま」
ペンナス伯爵さまが、そうではないと言った。
「アリシア子爵、あ、いや、アリシア。おまえは『ユキヒョウ親父の酒場』で片腕がないパンサニディオスの男を見たであろう?」
「え?あ、はい、エドディガ さんですね?」
“スティルヴィッシュ伯爵が、何を勘違いしたのか、私を子爵と呼び間違えた?”
「そうだ。彼の名前は、エドディガ・バドードリン・ブレスタンネス伯爵。レッべガアルの領主なのだ」
「え... エドディガさんが... 伯爵さま?... レッべガアルの領主――――?!!!」
ぶったまげてしまった。
あの、傷痍軍人のオッサンが伯爵さま?
それも、あのダユーネフ国でも屈指の葡萄酒の名産地であるレッべガアルの領主さまですって?
あのオッサン、貴族らしい恰好はまったくしてなかったし、言葉遣いも庶民のオッサンそのものだったし、誰があの酒飲みのオッサンが伯爵さまってわかるってのよ???
でも、“魔王国に、これほど才知に長け、美女でありながらまったく飾らず、庶民の中年オヤジたちと楽しく酒を飲む外交官がいたとは知らなかった”って...
すっご―――――い、誉め言葉じゃない???
あ、いや、問題はそこか。
私は“研修生”であって“外交官”ではない。
これは、魔王国としては由々しき問題なのだろう...
「魔王さまも、ブレスタンネス伯爵からの手紙にとても感心され...」
アマンダさまが何かおっしゃってるけど、もう耳には入ってなかった。
“一介の研修生風情が、外交官などと名乗って... いや、自分はそう名乗ってないけど、ドゥモレ男爵さまがそう紹介した時に訂正をしなかった... 後悔後に立たずだ。
外交官とかベッピン外交官さんとか呼ばれて有頂天になって…
バカな、浅はかな、ネコ耳娘...
「それで、ビリチバン室長の机に止まっていた報告書を至急持って来させて確認したの。そして報告書を読んで、その内容、つまり、あなたの観察眼に驚いたのですわ。ていねいにダユーネフ国の各層の者たちの考えていることを述べ、とくに魔王さまと魔王国に関するダユーネフ国の各層国民の意見や考えを分析した内容は、スティルヴィッシュ伯爵のみならず、ペンナス伯爵、ギャストン伯爵も刮目され、ゲラルド侯爵などは「これは一級の調査報告書に等しい!」と絶賛され、魔王さまにも報告書をお見せすることになったのです」
「誠に申し訳ございませんせした。正式な外交官でもないのに...」
「いや、あなたは自分から外交官とは名乗ってないのでしょう?」
「はい。アマンダさま。私は研修生ですので...」
「じゃあ、今日からは正式な外交官ですね」
「いや、ですから... え? 正式な...外交官?」
何か、私の考えている事と違っている?
「えーっと、正式な役職は何だったかな、ゲミヌス事務次官?」
「はい。魔王国外務省ルーボードタン連邦管理局の8級職員となります。基本俸給は月に金貨4枚で、これに生活補助手当として、扶養手当、住居手当、通勤手当、単身赴任手当が...」
「詳細はいい。書類を渡してやれ、いや、渡してやりなさい」
スティルヴィッシュ伯爵さまが、事務次官に言った言葉を言い直した。
先ほど、プリシルさまに注意されたので、少し丁寧な言葉で言ったのだ。
十数枚の書類が私の前に持って来られた。
「それで、連邦管理局の8級職員の業務内容は... ゲミヌス事務次官!」
「はい。 8級職員の連邦管理局における業務内容は、連邦を構成する魔王国及び各国国民の利益の追求という使命を遂行する。連邦管理局全体としては、連邦を構成する魔王国及び各国と地域やそれらの国の関係省庁との関係構築、安全保障、経済外交、協力体制促進、連邦内の課題、文化交流... と幅広い分野を担当することに...」
「もう、結構だ。 ゲミヌス事務次官。残りは文書を読めばわかることだ」
「はい」
また十数枚の書類が私の前に持って来られた。
「まあ、そのようなものですけど、アリシアさんの場合は、魔王さまのお考えで、叙爵をされることになりましたので、領地がない貴族に支払われる報酬があたえられます」
「子爵ですから、年間金貨500枚ですね」
言ってしまったあとから、 ペンナス伯爵さまは「あ、しまった!」と小さな声で言った。
「え...?子爵?金貨500枚?」
子爵という言葉より、金貨500枚という言葉の方が脳髄に響いた。
金貨50枚の間違いだろう。まさか、500枚もね...
「 ペンナス伯爵が先に言ってしまったけれど、あなたは魔王国の子爵に叙爵されます」
「.........」
何が何だかわからなかった。
えーっと、落ちぶれたブレストピア王国の元王女が子爵ってことは...?
貴族になるってことだよね?
あ、だから先ほどスティルヴィッシュ伯爵が、私を子爵と呼びかけたんだ。
彼らは、すでに私が子爵になることを知っていたんだ。
「あの... 子爵で、報酬が年間金貨500枚って先ほど聞いたのですけど、50枚の間違いですよね?」
「いえ。間違いではありませんよ、アリシアさん。1年に魔王国政府が、子爵に払う報酬は金貨500枚です。それに年末にも少し報酬がありますが...」
ゲミヌス事務次官さんが、当然ですよ?みたいな顔で事務的に言った!
私の頭の中は... 金貨500枚が... グルグルと飛び回っていた。
金貨500枚って、どんな量なのだろう?
どれだけ重いのだろう?
はたして、お給料をもらった日に抱えて持って帰れるのだろうか?
色々と心配が頭をよぎる。
「アリシアさん、あなたの今回のダユーネフ国行きは、一介の研修生ではとても出来ない、不可能な業績を成し遂げました。エドディガ・ブレスタンネス伯爵からの手紙だけでなく、ロレアンスロゥプ皇帝からも、ディアマトマム大統領からも、親書が魔王さま宛てに送られて来ており、いずれもアリシアさんの振舞いと美しさを絶賛しています。ほかにもクルフォルム侯爵やギルレウム伯爵などからも...」
アマンダさまが、私の心配などかまわずに、テーブルの上に置かれてあった数通の手紙を見せた。
「先ほどのエドディガ・ブレスタンネス伯爵からは《我が輩の領土でとれた葡萄酒で作られた葡萄酒を、あれほど楽しく、うまそうに飲む美女は未だかって見たことがない。アリシア殿が大そう気にいられた、この葡萄酒を是非とも魔王陛下にも飲んでいただきたい》との手紙とともに、葡萄酒が10箱も送って来られたのよ!」
プリシルさまが、そう言って、床に置いてあったらしい箱から葡萄酒の瓶をとってテーブルに置いた。
そうか。エドディガさん、私と葡萄酒を飲んだのがとても気にいったのね。
「ブレスタンネス伯爵は、魔王国の者は、魔王はじめ、すべて人でなしの非道な者ばかりだと考えていて、先の戦いでも多くの将兵を失くし... あ、すみません」
「構わん」
アマンダさまは、失言に気づいて魔王さまに謝ったが、魔王さまは気にしてなかった。
「ブレスタンネス伯爵も戦いで片腕を失くしたこともあって、魔王国をとても憎んでいたみたいだけど、アリシアさんを知って考えが変わったって手紙に書いてあったわ」
「ブレスタンネス伯爵だけでなく、ダユーネフ国の指導階級ならび皇帝のわが魔王国に対する認識まで変えたようだ。これは、外務大臣であるスティルヴィッシュ伯爵をもってしても、恐らく出来なかったことだ。そこで、ネコ耳、おまえはまだ年が若いが、プリシルやスティルヴィッシュ伯爵、ペンナス伯爵、ギャストン伯爵、ゲラルド侯爵たちの推薦もあり、おまえを子爵にすることを承認したのだ」
魔王さまが、なぜ、私が叙爵されるのか、その理由を話しはじめた。
「身に余る光栄でございます」
私は立ち上がって、深く頭を下げた。
「おまえは語学の才能もあるようだし、その、誰でも魅了してしまう美貌と才知は、いかにも魔王国の外交官にふさわしいと言える!」
「あまり褒められると有頂天になってしまいます...」
ちょっぴり本音を言った(汗)。
「とこで、あの《ベーラ・アリシア・インペリアル》は、何だ?」
突然の話題転換。
それも、あの、私の名前がつけられた超貴重な葡萄酒の話になった!
「葡萄酒の名前が、ネコ耳のおまえの名前と同じとは、偶然にしては過ぎると思うが、あの黄金色をした葡萄酒は絶品だったぞ?」
「魔王さまは、あなたからお土産に頂いた葡萄酒を、そのまま酒蔵室にしまっておいたみたいですけど、わたくしたちがあまり美味しいので、頂いた分をすぐに飲んでしまったと言ったら...」
「すぐに酒蔵室から出して、飲んでから唸られていたわ」
「魔王さまは、“甘くて好みの葡萄酒ではないが、絶品であることには間違いない”て感嘆なされていたわ」
「本当に、あんな美味しい葡萄酒は飲んだことありませんでしたもの!」
アマンダさまたちが、魔王さまがいかに《ベーラ・アリシア・インペリアル》を気にいられたかを話した。
「ほう、そのように美味しい葡萄酒をお土産に持って来ておったのですか?」
「私もご相伴に預かりたかったですな!」
「ダユーネフ国で、そんなうまい葡萄酒が作られていたとは知りませんでしたな!」
「調べたところ、あの《ベーラ・アリシア・インペリアル》は、1本金貨50枚ほどの価値があるそうです」
「何と?!」
「金貨50枚!」
「ブレスタンネス伯爵は、よく気前よくそんな高い葡萄酒を土産に持たせたものですな!」
ゲラルド侯爵さまが、《ベーラ・アリ連邦管理局シア・インペリアル》の“推定”相場価格を言うと、大臣たちも、ほかの連邦管理局の役人たちも唖然となった。
「いえ、あれは、エドディガさん、いえ、ブレスタンネス伯爵さまに頂いたものではなく、私が醸造所でお金を払って買ったものです」
「アリシアさまのおっしゃる通りです。ブレスタンネス伯爵の持つ醸造所の一つを訪れた時に、金貨2枚で10本買われたと醸造所の管理を任されているヴィディスという男が言ったそうです」
なるほど。ヴィディスさんは醸造所の支配人だったわけね...
しかし、私が“たったの金貨2枚で1本金貨50枚の価値があるという銘酒を10本を買ったとわかって、それからしばらく『平安の間』は葡萄酒の話でにぎわった(汗)。




