第36章 魔王に甘い葡萄酒を(前編)
「最初に葡萄酒の醸造所を見学しましょう」
ドゥモレ男爵さまの案内で、葡萄畑の中にある醸造所に行った。
男爵さまは、醸造所の持ち主と顔なじみのようで、持ち主の中年のパンサニディオスの男は、相好を崩して迎えてくれた。
「おや、男爵さま。今日は新しい恋人をお連れですか?」
「あ、いや、こちらは例の連邦の使節団の外交官の方だ」
「おお!見ればお若いのに、連邦の外交官殿とは!」
“かなり優秀な方なのでしょう”と言わんばかりの驚きようだった。
“いや、私は外交官じゃなくて、研修生なんですけど”と言っても始まらないので、
「アリシアです。よろしくお願いいたします」
とにっこりと微笑んであいさつをした。
ドゥモレ男爵さまは、持ち主が差し出す葡萄酒を次々に一口ずつ口に含んで、小さなバケツに吐き出し、そして水で口を濯いで、また持ち主が差し出す葡萄酒を口に含んで...ということをやりはじめた。
“え、男爵さまは下戸なの?下戸だけど葡萄酒は好き?”
目を丸くして見ているのに気づいた男爵さまが説明してくれた。
「ははは。驚かれたでしょう?これは“利き酒”と言って、葡萄酒の品質を見ているのですよ。葡萄酒の”色合い”を「見て」、”香り”を「嗅いで」、少し口に含んで”味”を「確かめる」ているのです」
「ええっ?なぜ、そのようなことをなさってるんですか?」
葡萄酒の品質を見るためにしていると言うのはわかった
全然知らなかったことだ- だけど、何でそんなことをしているのかが分からなかった。
「ははは!こう見えても、わたくしはナスガアル城の葡萄酒調達をまかされているのです」
「ナスガアル城の葡萄酒調達!?」
驚いている私に、男爵さまは、彼の葡萄酒好きを知ったナスガアル城の食料・酒類の担当をしている大臣が男爵にその役目を頼んだのだとか。
「そういうわけで、かれこれもう10年ほど、こんなことをやっているのですよ」
楽しそうに説明してくれた。
醸造所の持ち主は、「ちょっと失礼!」と言って、走って奥の方に行ったと思ったら、埃をかぶった一本の葡萄酒瓶をもってもどり、栓を開けると小さなグラスに葡萄酒をついで私に差し出した。
「一口いかがですか?」
グラスに入っている葡萄酒は、黄金色をしていた。
口に含んで見ると、果物の味が口いっぱいに広がった!
味は爽やかな甘さで、すごく美味しい。
「むぐぐっ?」
“こんなに美味しいものを吐き出さなければいけないんですか?”
と持ち主のパンサニディオスさんを見ると
「はっはっは。それは、ヴィディスさんが、貴女が飲むように差し上げたんですよ!」
“ああ、良かった!”と安心して飲んだのだけど、喉を通る時も甘さを感じた。
「とても美味しいです。シャンパンよりも美味しいみたい」
「それはどうもありがとうございます」
「どれどれ...」
ドゥモレ男爵さまも、その埃だらけの瓶の葡萄酒をためす。
「おう... 甘すぎて、わたくしの好みではないが、これは女性たちに喜ばれそうな味だ。色もとてもいい!」
「この葡萄酒の原料の葡萄の木は、希少種でとても育てにくい種類でしてね。ワシが温室の中で細々と20年ほど手塩をかけて育て、ようやく5年前から葡萄酒を造りはじめたのですよ」
「そうか。じゃあ、これも100本ほど...」
ナスガアル城の貴族たちや宮殿用に、男爵さまはさっそく大量注文をしようとしたが―
「いえ、男爵さま。それは無理でございます。この瓶をのぞいて9本しかございませんので」
「なに?そうか。9本では買っても意味がないな」
「わ、私が買ってもいいですか?」
思わず手を上げていた。
こんな美味しい葡萄酒、お父さまやお母さまたちにお土産に買ってあげたい。
ブリュストン伯爵さまにも、魔王さまやアマンダさまたちにも、いつも世話になっているお礼に差し上げたいと思った。
まあ、ブリュストン伯爵さまと魔王さまには“お世話になっている”とは言えないけど。
“恋人”?“交際相手”?よく分からないけど、とにかく贈り物としてあげたかった。
「よろしいですよ。そうですな、この葡萄酒はまだ名前をつけていませんので...」
と持ち主は言って、私の顔を見ていたが...
何と私の名前をとって、《ベーラ・アリシア・インペリアル》というラベルを張ってくれた!!
それも手書きのラベルを!
ヴィディスさん、絵の才能もあるらしく、さっさと白いラベルに鍔広の白い帽子をかぶった少女が葡萄畑の中にいる絵を描いて、華麗な装飾文字で葡萄酒名を入れた。
ヴィディスさんに10本 -1本開けたのも栓をして持って帰ることにした- の代金、金貨2枚を払って、男爵さまが購入された葡萄酒といっしょにナスガアル城に送ってもらうことにした。
研修生としての報酬は、わずか金貨1枚で、持ち金もそれだけだったので、足りない分は男爵さまからお借りすることにした。
あと3ヵ所ほど醸造所を回りますと言う男爵さまといっしょに馬に乗って、次の醸造所に向かう道筋で―
「アリシアさんが買われた、あの葡萄酒、出すところに出せば、1本金貨10枚はしますよ」
と言われ、あやうく馬から落ちそうになったくらい驚いた。
「そ、そんなに高い葡萄酒を、たったの金貨2枚で?」
「ヴィディスさん、すごく貴女のことを気にいったようです。それに、あなたが高貴な女性と言うことは、彼も分かったのでしょう。10本をタダみたいな値段で売っても、あの《ベーラ・アリシア・インペリアル》を造った醸造所ということで、醸造所の評判が口伝に広まれば、金貨の10枚や20枚よりも効率のよい宣伝になるというものですよ」
なーるほど。つまり、あのヴィディスさん、投資をしたわけね?
ま、いいか。利用されている気がしないでもないけど、自分の名前がついた高級葡萄酒なんて誰でも持っているわけじゃないから、これはこれで凄いお土産話に... なるかしら?
ベーラ・アリシアまではいいけど、インペリアルは帝国のとか言う名前だから、あくまでも偶然、同じ名前の葡萄酒を見つけたと言うしかないわ。
“帝国のアリシア”なんて言う名前が知れ渡ったら、すわ、ブレストピア王国再建の謀反か?なんて大騒動になりかねない(汗)。
結局、そのあとであと3ヵ所醸造所を回った。
どういうわけか、どこでも私は“大歓迎”され、お土産 -これは無料だった- に、かなりの高級葡萄酒を5本も10本ももらうことになった。
私って... けっこうモテるのね?
モテ過ぎて怖い...
これ、一度言ってみたかった言葉なの(汗)。
もらった葡萄酒は、男爵さまが購入された葡萄酒といっしょに一度ナスガアルに送ってもらい、それから魔王城に転送してもらうことにした。
「はっはっは。今日は大収穫でしたね?おかげさまで、わたくしもいい値段で交渉ができました!」
すでに日が落ちた山道をレッべガアル目指して急いだ。
峠を超えた時、街灯に浮かび上がるレッべガアルの街並みを見て、思わず息を止めた。
薄く霧に包まれたレッべガアルの町は、童話の世界そのものだった。
「今日は、とっておきの穴場をご紹介しますよ!」
そう言って、男爵さまが連れて行ってくれたのは、高級レストランでもなければ、レッべガアル料理を出す郷土料理店でもなかった。
裏通りにあるその店は、がっしりした古い木の扉のある、年代物の建物だった。
分厚い扉を開けて入ると、木製の長いカウンターと同じく木製の背もたれのない丸い椅子が並んでおり、壁には分厚い木の棚がいくつもあって、酒類や瓶詰の漬物などが並べられていて、そして床は何と土間だった。
「ん?おう、男爵じゃねえか!」
囲炉裏らしいものを囲んでいたパンサニディオス -いや、ユキヒョウ族だろう- の男が、私たちを見て声を上げた。
「お、男爵だ!三ヶ月ぶりか?」
「そのベッピンさんは誰だい?」
「新しい恋人か?」
いや、男爵さま、顔なじみだった(汗)。
と言うか、常連さん?
男爵さま、いつも違った恋人を連れて来ているの?
「みなさん、こんばんは!今日もおそろいですね? こちらは、連邦使節団の外交官のアリシアさまです」
「初めまして、アリシアです」
「ええっ?こんな若い、それもベッピンさんが連邦の外交官だって?」
「連邦ってのはすげえな?」
「優秀なお嬢さんなんだろうな!」
ここでも、すごく注目された。
恥ずかしいけど、うれしい。
そして、男爵さまの心遣いにも感謝した。
ここでも“魔王国の外交官”と言わずに、“連邦の外交官”と言ってくださった。
まあ、魔王国の外交官、じゃなく研修生と紹介されても、本当の事なので文句も言えないけど、やはり魔王国=怖い国ってみんな思っているからね。
「オヤジ、葡萄酒を2杯だ。男爵には濃い赤のいつものヤツ、賓客の美人の外交官さまには、ヴィディスのところで作られた淡紅のヤツをだ!」
ユキヒョウ族の男たちの中で、茶色の髪に白髪が少し混じっている男がカウンターにいる亭主に叫んだ。
「おうよ!」
「ヴィディスさんのところで出来た葡萄酒、ここにもあるんですか?」
「ん?そりゃ当りまえだろ、ベッピン外交官さん。ヴィディスは、レッべガアルの葡萄酒作りの中でも10本指、いや5本指か...にはいる葡萄酒作りだぜ?」
「10本指だろ、エドディガ?」
「いや、5本指だ。片腕は魔王軍のヤツらにふっ飛ばされちまったからな!」
エドディガという名前のユキヒョウ族の男は、木製の義手が付いた片手を上げて見せた。
それを見て、私は胸が締めつけられる気がした。
やっぱり、戦争なんて、教室で習ったり、城で聞いたりするのは、勝者によって都合よく美化された戦争でしかないんだ...
「しかし、その左手のおかげで、おまえさんは定年が20年ほど早まったんだろうが?」
ちょび髭を生やした酒場の亭主が、トレーにグラスを二つ乗せて持って来た。
「ガハハハッ!ちげえねえ!」
エドディガさんは、大きなグラスに入った赤葡萄酒を飲むと、私たちを手招きした。
「男爵さんとベッピンさん、ここだ、ここだ。ここに俺たちといっしょに座るといい!」
背もたれのない丸い椅子を尻ポケットから出したハンカチで払うと手で示した。
「おう、じゃあ、お邪魔しますよ!」
男爵さまは快活に答えて、先に座った。
「失礼します」
私もグラスを手に横の丸椅子に座る。
囲炉裏と思ったのは、ひとかかえもありそうな大きな鉄製のバケツのようなコンロで、その上に金網を乗せて何やらたくさん焼いていた。見ると、太く長い腸詰を網が見えないくらいたくさん並べて焼いていた。
男たちは、柄の長いフォークのようなもので時々腸詰をひっくり返していた。
ジュウ―ゥゥウ…
腸詰の脂が真っ赤に燃えている炭の上に落ちて、音を立て、美味しそうな匂いが漂う。
その匂いを嗅いだとたんにお腹がグ――っと鳴った。
昼食をとってから、すでに6時間以上が経っていた。
お腹は空っぽだった!
「おう、ベッピン外交官さんは、お腹を空かせているようだ!」
「さあ、腸詰も食べごろに焼けたようだ。レディーファーストで、ベッピンさんが先だ」
「よし、そこのパンをとってくれ!」
「ほい!」
大きな銅製の皿に入っていた黒パンをとると、大きなナイフで二つに切り、こんがりと焼けた腸詰をはさんで、手渡しで私にくれた。
「さあ、ベッピン外交官さん、食いな。熱いうちが一番うまい!」
「ありがとうございます。いただきます!」
酸味のある黒パンに、程よく脂の乗った腸詰がよく合い、これまで食べたどんなご馳走よりも美味しかった。
「美味しい!」
空腹のあまり、香ばしく焼けた腸詰のはさまったパンを
ろくに咀嚼もせずに半分ほど一気に食べた。
「おう、ベッピンさんの食いっぷり、気にいったぜ!」
「この腸詰には、濃い赤の葡萄酒が合うんだ。おい、オヤジ!濃い赤の葡萄酒を瓶ごと持って来い!」
「おうよ!」
酒場の亭主から瓶を受け取ると、エドディガさんは空になった私のグラスに葡萄酒をついだ。
飲んでみると、濃厚で深い味わいがあり、確かにこの腸詰に合う。
お腹が空いていたので、たちまち最初のパンを食べてしまい、二つ目を食べた。
「これを食ってみな!シュウリッソっと言ってな、ブタの血と脂に香辛料を入れて作った腸詰だ」
「はい」
ブタの血で作っているという割には、全然生臭くなく、旨みが凝縮していておいしい。
ヤミツキになりそうな味で、葡萄酒がますます進む。
まあ、フェリノディオって、基本は肉食なので、こういう料理は大好物なの。
「こいつは、トウガラシが入ったヤツだ!辛いぞ?食えるか?」
「食べます、食べます!」
舌がピリピリするけど、葡萄酒と合ってすごく旨い!
葡萄酒のグラスがすぐに空になる。
「ベッピンさん、本当にいい飲みっぷりだな!」
「デンバルドさん、もうあまり勧めない方がいいですよ?」
ドゥモレ男爵さまが、少し心配そうな顔で言っているけど
「いやあ、このフェリノディオのお嬢ちゃん、気にいったぜ!」
「もっと飲みねえ、食いねえ!」
「はい、飲んでいます。ゴクゴク... 食べています... ムシャムシャ」
私は、親切に次から次へと腸詰を焼いてくれ、グラスに葡萄酒をついでくれるユキヒョウ族のオッサンたちを好意を無下にするわけにはいかなかった。
と言うか、ドゥモレ男爵さまみたいに、長年いっしょにこの酒場で飲み合って来た“飲み友だち”のように私に接してくれるオッサンたちがすごく好きになっていた。
2時間後―
千鳥足で酒場を出た私は、もはや馬に乗ることなど出来なかった。
酔ってグラグラする頭で感じたのは、ゴトゴトと馬車に揺られていると言うことだった。
「さあ、ナスガアル城に着きましたよ、ベッピン外交官さん」
抱きかかえられて、城内の自分の部屋に連れて行ってもらって
ベッドに寝かせられて…
お休みのキスを唇にされた!?




