第105章 アリシア伯爵、舌戦を繰り広げる①
ダイダロス宮を出た馬車は、広い庭園の中を10分ほど走り大統領府に着いた。
玄関には、キャルニボル大統領とボンガゥル侯爵、それに側近たちが出迎えに来ていた。
馬車から降り、形通りの外交的な挨拶を交わす。
キャルニボル大統領は、自分の娘が公使の補佐官としてキビキビと動いている姿を見て、目を細めて見ていた。ボンガゥル侯爵は、私の胸の勲章を目を大きく開けて見ていた?
応接室に案内されると、私はさっそく魔王国の全権公使として表敬訪問に来た旨を告げ、魔王国政府発行の信任状の写しをキャルニボル大統領に渡した。
「アングルスト帝国ならびにベルミンジャン王国との戦況は一段落したとは言え、まだまだ予断は許されません。このような緊迫した事態の中、戦後処理を視野に入れた交渉の先鋒を任されるとは、どれだけ魔王陛下と魔王国政府がゲネンドル伯爵殿に信頼をおいているかわかると言うものです」
さすが、長年困難な政治的綱渡りをして来ただけあって、大統領は私が渡した信任状の写しを見ながら大きく頷きながら言った。
「つきましては、『三国首脳会談』で合意がなされ、貴国政府も承認した、アングルスト帝国、ベルミンジャン王国ならびに東ディアローム帝国の領土の線引きを確認したいと思います」
「えっ、線引き?!」
キャルニボル大統領が驚き
「今、ここでですか?」
私の勲章に穴が開くんじゃないかと思うくらい見ていたボンガゥル侯爵が呆けたような声を出した。
大統領の側近たちも騒ぎ出す。
「三国首脳会談で決められた割譲の確認を?」
「公使殿、今、なさるのですか?それは、後日改めて...」
エイルボット子爵とハソルム男爵も、慌てている。
「何を悠長なことを言っているんですか?魔王国軍、ドヴェルグ国軍、それに鬼人族国軍は、西ディアローム帝国政府が認めた割譲案を正式に書式にて承認しない限り、同盟国三国は、これ以上は一兵も動かさないと通告して来ているのですよ!」
エイルボット子爵とハソルム男爵は、黙ってしまった。
私は全権公使なのだ。交渉相手が拒否しない限り、魔王国政府の代表としてどのような交渉も出来る権限を持っているのだ。
魔王さまとドヴェルグ国のドンゴ・ロス王、鬼人族国のモモコ大王と西ディアローム帝国政府との間で交わされた『密約』では、西ディアローム帝国との軍事協定を破り、攻めこんで来たアングルスト帝国軍とベルミンジャン王国軍によって存亡の危機に直面した西ディアローム帝国を救う代わりに、魔王国、ドヴェルグ国、鬼人族国の三国が二大トロール大国の軍を破り、東ディアローム帝国軍をも押しもどすことが出来たら、西ディアローム帝国はこれら三国が破ったアングルスト帝国、ベルミンジャン王国および東ディアローム帝国の領土を三国に都合がよいように割譲してもいいという条件を承認していた。
窮地にあった西ディアローム帝国政府は、この条件を認めて三国に救援を求めたのだ。
そして、魔王国軍、ドヴェルグ国軍、鬼人族国軍は、アングルスト帝国軍とベルミンジャン王国軍を西ディアローム帝国の領土から追い払う一歩手前まで押しもどし、東ディアローム帝国軍も大きく後退した。
この四国協定は、文書で交わされた協定ではなく、マデンキでの会談で交わされた紳士協定だった。それをいいことに、西ディアローム帝国政府は、そんなことは知りませんみたいな顔で私と話している。私が経験のない外交官だと思って見くびっているのだろう。
それならば、こちらにも方法がある。私は手ぶらで海千山千の政治家や将軍たちと会談に来たのではないということを見せてあげるわ。
私がエイルボット子爵とハソルム男爵に向かって激しい剣幕で言ったあとで、ロニアちゃんを見て頷いた。
それを見たロニアちゃんは、ロニアちゃんとアマラちゃんに手伝ってもらって魔王国から持って来た丸筒から広い紙を出してテーブルに広げた。
「これはテルースの地図!」
「公使殿は、東ディアローム帝国の領土割譲をわれわれと議論するおつもりなのか?」
「誰か、ガナパティ厩役伯爵を呼びに行ってくれ!」
大統領や側近たちが驚き、西ディアローム帝国の軍務大臣であるガナパティ厩役伯爵を呼びに行かせようとする。
「我が輩に何か?」
運よくと言うか、当のガナパティ厩役伯爵が応接室に入って来た。
「遅れて申し訳ない。陛下が、勲章の形とか意匠とかについて尋ねられ少し手間をとってしまった...」
そして、テーブルの上に広げられたテルースの世界地図を見て眉を寄せた。
「ゲネンドル公使殿は、東ディアローム帝国の領土の割譲を確認するおつもりか?」
そう言って私を見たガナパティ厩役伯爵の目は、いつもの柔和そうな目ではなく、百戦錬磨のライオニディオスの戦士でさえ竦みそうな怖そうな目を一瞬した。
ジワっと汗が脇の下に流れるのが感じられた。
「おっしゃる通りです!」
ガナパティ厩役伯爵に負けない気迫で声高に言った。
「むっ...」
ガナパティ厩役伯爵が、驚いた表情になった。
「魔王国軍、ドヴェルグ国軍、それに鬼人族国軍は、西ディアローム帝国政府が認めた割譲案を正式に書式にて承認しない限り、同盟三国はもう一兵も軍を動かさないと言って来ております」
そう言って、フローリナちゃんに目で合図をすると、彼女は大事そうに抱えていた分厚い書類入れカバンから二つの大きな封筒を出した。
「むっ、それは、ドヴェルグ王国の国章!」
「もう一通は鬼人族国のもの!」
「いかにも。ドヴェルグ国のドワラン・ドンゴ・ロス28世王陛下と鬼人族国のモモコ・ベンケー・シュテン7世大王からの国書でございます。魔王陛下宛に、魔王国の全権公使に東ディアローム帝国の領土割譲案を全面委任すると書かれてあり、署名されております」
「どうぞ」
フローリナちゃんが、封筒をキャルニボル大統領とガナパティ厩役伯爵にそれぞれ渡す。
「確かに...」
「うむ。確かに委任状だ」
大統領と厩役伯爵が内容を確認し、側近たちに渡す。
モモコ大王は、魔王国が私を全権公使として西ディアローム帝国に送り込むということを知ると―
「あ~、キャルニボル大統領との交渉は骨が折れると言ってな。十王の誰もゾオルに行きたがらないんだ!そう言う訳だから、アリシア伯爵に一任することにしたぞ!」
と魔王城に魔王さまとお風呂にいっしょに入るためにやって来た時に、そう言って委任状を渡したそうだ。
鬼人族国の十王でさえ、西ディアローム帝国政府との交渉は難しいと知っていたのだ。
一方、ドンゴ・ロス王の方も、モモコ大王が委任状を魔王さまに渡したと知ると- いやあ、魔王城での情報、同盟国には全部筒抜けなのよね(汗)。
「お~、ルーク殿― ルークは魔王さまのお名前だ。モモコ大王とかドンゴ・ロス王とか、魔王さまのことを全然怖がらない者は名前で呼ぶ― 聞くところによれば、モモコ大王は西ディアローム帝国との割譲についての交渉を、アリシアとか言うキャットニディオスの伯爵に一任したと言うではないか?じゃあ、ついでにドヴェルグ国の分も宜しく頼むぞ。委細はアガリ伯爵に聞いてくれ!」
と言う感じで、みんな魔王さまに丸投げしたみたいなの(汗)。
アガリさんって、魔王さまの12番目か13番目かの王妃なんだけど、ドヴェルグ国出身なの。
でも、アガリさんってエルフの血が混じっているので、エール樽みたいに太いドヴェルグ人と違ってほっそりした身体なのよね。
もちろん出るところは十分出ていて、政略結婚とは言え、魔王さまが王妃にしたくらいの女性なのですごい美人なのよね。おそらく- 確証はないけど- 彼女あたりからドンゴ・ロス王に情報が漏れたのだと思う。
「わかりました。では、場所を変えて会議室へ参りましょう」
さすがキャルニボルさま。大統領らしく、頭の切り替えが早い。
腹を決めて会議をするのに相応しい会議室へ移動することを勧めた。
そして、側近に「〇〇〇侯爵、◇◇◇伯爵、△△△伯爵、それと□□□子爵を至急会議室に呼んでください」と関係閣僚などを呼びに行かせた。
ガナパティ厩役伯爵も別の側近に「誰々と彼々を至急呼んできてくれ!」と言っていた。
半時間後―
大統領公邸の明るい大会議室には、長いテーブルを挟んで片側に私たち、反対側に西ディアローム帝国政府代表たちが座っていた。
大会議室の奥の壁には、許可をもらってテルースの世界地図が掛けられていた。
ビースーが、コホン!と咳をして、手に持った文書を読みはじめた。
「わが魔王国の魔王陛下、それにドヴェルグ国のドワラン・ドンゴ・ロス28世王陛下、ならびに鬼人族国のモモコ・ベンケー・シュテン7世大王からの要求は次の通りです。
1.東ディアローム帝国制圧の折りには、東ディアローム帝国の北西部一帯をドヴェルグ王国に割譲する。
2.ベルミンジャン王国制圧の折りには、鬼人族国とボロツク公国でベルミンジャン王国の領土を折半して両国の領土とする。
3.アングルスト帝国制圧の折りには、魔王国がアングルスト帝国の領土を魔王国の領土とする」
ワイワイガヤガヤ…
ビースーが読み終える前に、それまで静かだった会議場は一変して騒然となった。
「では、ドヴェルグ王国に割譲するのは... このあたりから上に...」
会議場の騒めきには一向に構わず、踏み台に上がったロニアちゃんが、赤いインクをたっぷりと付けた筆で東ディアローム帝国の上側に横一線に線を引く。
「そんなに!」
「何と!ドンゴ・ロス王は、東ディアローム帝国の北部を全部自国領とする気か?」
「東ディアローム帝国の領土の五分の一くらいになるではないか!」
「テアスジム王国とレウエンシア大公国もほぼ手中に収めたと言うのに、まだ領土を望むのか?」
「いくらドヴェルグ国と言えど要求が過ぎる!」
閣僚たちや、高官たちが騒めく。
「いくら何でも、それは欲張り過ぎと言うものだ!」
窮屈そうな軍服に身を包んだヒポポタディオスの将軍が、ドン!とテーブルを激しく叩いた。
将軍の近くにいた会議出席者の前に置かれていた水の入ったコップが倒れた。
私の前に置かれていたコップも衝撃で浮き上がり、倒れた。
近くにいた従僕たちが、あわててテーブルを拭く。
「何が欲張りなのですか、将軍?!」
バンッ!
手の平で思いっ切りテーブルを叩いた。
倒れていたコップが衝撃で浮き上がり、落下した。
「ムゥ」
ヒポポタディオスの将軍が、私の剣幕に驚く。
「西ディアローム帝国が、寝返ったアングルスト帝国とベルミンジャン王国に攻めこまれ、ゾオルも東ディアローム帝国と内通した反乱軍によって占領されかけ、ドリアンスロゥプ皇帝陛下とジャブイ皇后陛下も反乱軍によって囚われそうになっていた時、救いの手を差し伸べたのは魔王国であり、一方、ドヴェルグ軍は、東ディアローム帝国と呼応したテアスジム王国とレウエンシア大公国が、西ディアローム帝国に侵攻するのを防いでいたのですよ!」
「ムゥ...」
ヒポポタディオスの将軍は唸ったが、ガナパティ厩役伯爵の方を見て、軍務大臣である厩役伯爵が腕を組んだまま黙っているのを見て― いや、実際は少し冷ややかな目で将軍を見ていた― それ以上私の提案に抗議するのは、西ディアローム帝国軍部にとっても政府にとっても拙いと感じたのだろう。
「!... スマン、公使殿。ついカッとなってしまった... 確かに公使の申す通りだ。ドヴェルグ軍が、テアスジム王国軍とレウエンシア大公国軍と戦ってなかったら、我々は北からも攻め込まれ、手も足も出ないところだった」
ヒポポタディオスの将軍が、素直に謝った。
ふう、よかった。
でも、ヒポポタディオスの将軍さん、正直言って怖かったわ。
テーブルを叩いた時、手がジーンってなってまだ痛いけど、みんなに私の気力を示せたと思う。
「確かに、公使殿おっしゃる通りだ。ドヴェルグ軍が、テアスジム王国軍とレウエンシア大公国軍と戦ってくれたおかげで、わが国の東部は侵攻から免れることが出来た。ドンゴ・ロス王の要求ももっともで、許容範囲であると思いますが、大統領、いかがですか?」
ガナパティ厩役伯爵は、キャルニボル大統領に振った。
自分の意見は述べるが、最終回答は、あくまでも西ディアローム帝国行政府の首長としての大統領に委ねる。軍事担当の閣僚として賢明な態度だ。
軍務大臣というものは、“軍の力”でもって脅迫的に軍にとって都合のいいような政治決定をさせる事が多いと言われているが、さすがに西ディアローム帝国ではそのようなことはないようだ。
「わかりました。ゲネンドル公使殿の提案はもっともだと思いますし、ガナパティ伯爵殿もドヴェルグ軍の果たしている大きな役割について認めておりますので、公使殿の提案の形でよろしいと思います」
ムムムムム――………
声にならない声が、会議場に響く。
しかし、大統領が決定したことに、今さら口を挟む者はいない。
おまけに軍部の最高責任者であるガナパティ厩役伯爵も、私の主張を認めたのだ。
この期に及んで不満の一つでも言おう閣僚でもいようものなら、襟をつままれて会議場から追放される...こともないだろうけど、これにてこの件は落着だ。
「東ディアローム帝国の東側は、ミタン王国とボードニアン王国に半分ずつ割譲いたします...」
ビースーが、手に持った文書の続きを読んだ。
「では、ヴェルグ王国に割譲するのは... このあたりから上に...」
今度はアマラちゃんが、赤いインクをたっぷりと付けた筆で東ディアローム帝国の東側の領土- アジオニア王国とダエユーネフ共和国と魔王国と東で国境を接し、鬼人族国と南西で国境を接する部分の真ん中あたりに縦一線に線を引いた。
テルースの世界線引き案
「ギュルウ! 今日の会議は、ドヴェルグ王国と鬼人族国への東ディアローム帝国の領土割譲と魔王国と鬼人族国が、アングルスト帝国とベルミンジャン王国の両国を占領したあと、それぞれの統治下におくという話しだけではなかったのですか?」
気色ばんで立ち上がったのは、外務大臣だと紹介されたカプリコルニディオスの貴族だった。
「ギュルウ !そもそも、公使殿はミタン王からもボードニアン王からも委任状を託されておらんではないですか?!」
このカプリコルニディオスの貴族、さすが外務大臣だけあって、外交交渉のことに詳しいみたい(汗)。
私は、先ほど強くテーブルを叩いた時に水が半分こぼれたコップを手に取ると、ゴクゴクと飲み干した。
「たしかに、委任状は頂いておりません。しかし...」
私は、空になったコップに水差しから水を入れた。
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ゴクゴクゴク...
水を飲み干す。
みんなが、私の一挙一動を固唾を飲みこんで注目していた。




