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……肥ゆる秋

 カイルの言葉を聞いて、言われてみればと考えてしまう。


「僕の父が昔教えてくれたのだけどね。君の父上……ローズベル辺境伯も乗馬の腕はかなりのものだけど、知っているかい?

 君の母上に出会うまで馬に跨るのもやっとで、走らせるなんてもっての外だったそうだよ」


「え? そうなの」


 領内で大きな事故が起きると、父を呼びに出た伝令と共に馬に跨り颯爽と駆けていく姿は確かに覚えてはいる。


 穏やかでのんびりしていた父がその時だけとても機敏で、かっこいいと思ったこともあるけど……。

 男の人ってみんな馬に乗れるものだと思っていたから、父もそうだとばかり。


 カイルのおかげで父の過去を知れてうれしい反面、母との出会いに乗馬の技術がどう関わるのか全く分からない。


 顔にきっと『?』って書いてある私を見て、カイルが続きを話してくれた。


「デルフィーヌ夫人がまだ王都で暮らしていた時、父の叙爵を祝う式典へ出るために君の祖父……前辺境伯の名代として王都に来てくれて、式典後の夜会で初めて出会ったのだそうだ。


 それからデルフィーヌ夫人が頷くまで何度もロゼウェルと王都を往復することになり、馬車より早い事に気づいてそこから習得したという話だよ」


 仕事より大事なものなんて無さそうな父に、そんなエピソードがあっただなんて!


「でも、練習すればだれでも乗れるようなものなの?」


 流石に父に倣ってスパルタでここからロゼウェルの往復とかさせないわよね?

 幾分不安を覚えて問いかける。


「きちんと段階を踏めば大丈夫さ。動物は嫌いじゃないだろう?」


「嫌いではないけれど、腕の中に納まるサイズの子しか触ったことなんてないわよ」


 カイルの実家のある大公領は、ローズベルク辺境地に隣接している草原が広がる領地。

 穏やかで牧歌的な風景が続く王都随一の穀倉地帯がある。山間と連なりながら広がる、なだらかな丘と草原。

 そこに数えきれないほどの大きな牛や、もこもこの羊の群れが牧草を食べている平和な光景を思い出す。


 でも、草を食んでいた大人数人分はありそうな、大きな体の子は触るどころか近づいた記憶もない……。


 それなのに突然、大きな馬に乗るだなんて言われても想像すら出来ないわ。


「必要があるのはわかったけど、今覚える必要はあるのかしら。それ以前に乗馬服が手に入るかもわからないのに」


 次にロゼウェルに戻る予定が出来てからゆっくり覚えればよいのでは? と、頭に浮かんだことを素直に伝えてみる。


「思い立ったら吉日っていうよね」


 それ、思い立つのは私ではなくて?


「まあ、冗談はさておき。オリヴィア様も君が頻繁にロゼウェルとの行き来を重ねるようになることを、心配されていたよ。もちろん無理を押し付けるわけじゃない、内心の話だけどもさ」


 僕が一緒にいれば安全だと思うけど。なんてカイルはつけ足した。


「あら、私と大事な甥御がふたりして旅だったら、心配が倍になるのでは?」


 カイルのほうがきっと王妃様にとっては大事な相手でしょう? 義兄と女学生時代からの親友との間に出来た可愛い甥っ子ですもの。


「もしもの話なので気を悪くしてほしくないのだけど、もしも馬車が事故や故障で立ち往生してしまい、その隙をついて盗賊の襲撃にあったとして。


 護衛騎士のうち必ず一人、君を抱きかかえ庇うために剣を振れずにいる場合。それと、馬にしがみ付いて走らせることだけでも出来れば、君だけでもその危険な場所から離れることが出来るうえ、戦力も減ることはない場合。この2つのうち生き残れる可能性があるのはどちらかな」


 死ぬ間際まで人の重荷になるのはいやね。


 前の生の時に迎えた死のように、重荷どころか価値すらもない、ごみのような扱いを受けるのはもっと嫌。


 ……死んでしまえばどちらも一緒なのかもしれないけど、死にざまくらいは自分で選びたい。


 それでもなかなか返事を言えないのは、お父様の時のように『必要に駆られて、どうしても』な状況じゃないからなのよね……。


 うう~ん、と小さく唸っていると、冷めてしまった紅茶をマリアが絶妙なタイミングで下げてくれ、香り立つ新しい紅茶を淹れてくれた。


 温かなカップを手にしてマリアに礼を告げる。

 カップの中は渋味の少ないストレート。まだ少し熱いから香りを楽しむために口元へ寄せる。


 マリアは前のカップを手早く片付け、傍に控えていた侍女へトレーごと渡した。そして私の傍に戻って来るなりこう告げた。


「奥様、一言宜しいでしょうか」


「なぁに?」


 こうやって会話が膠着状態になると、マリアがそっと助言をくれることがある。

 だから今回もそれだと思って、何も考えずに返事をしていた。


「されてみたらよいではないでしょうか」


「……あなたまで」


「正直な話ですと、多少覚えた程度で身を守れるとは思ってはおりません。それでも全くの無知よりはましです。……それに、奥様はお忙しいと執務室にこもりきりで。お茶やサロンに招かれるかしないと、腰を上げる事もいたしませんので」


 失礼ね、腰くらいは上げていてよ。

 なんて思っていたら、マリアがカイルに届かない程度の音量で私に囁いた。


「馬肥ゆる秋と言いますが……馬だけではありませんよ」


 気にしていたのに! ちょっと最近ごはんが美味しいなって、ほんのちょっとなのに。


 でも…… ドレスが入らなくなったら大問題だわ……。


「若いお嬢様達の間でも乗馬は流行っておいでですし、話題のひとつとして習得するべき項目かと。


 大公閣下がお話を持ってきてくださったと言うなら、指導も伝手や考えがおありだとわたしめは愚考した次第です」


 流行っているということは、後入りでよい指導環境をそろえるのが難しいということ。


 マリアが言いたいのは鴨がお宝抱えてやって来たので狩りなさいってことかな……。うん。


 そうね、気の置ける指導者に巡り合うにも時間がかかるだろうから、彼の伝手ならおかしなことはないはず。せっかくなので学ばせてもらおう。


「わかったわ。覚えるからちゃんと相談に乗ってね?」


 ****


「ああ、任せて」


 その言葉が頼もしいと感じた日もありました。


 乗馬服や道具類は王妃様の愛用されているお店を紹介して貰いどうにか揃えられた。


 オーダーで作る時間は流石にないので今回は既製品で。 多少の手直しをしてから手渡されたと思えば、カイルが訪ねて来ての。いま。


 練習用にと買った乗馬服に身を包み、不安定な鞍にまたがりカイルが馬を引いて庭の中を行ったり来たり。


 物珍しいのか手の空いている侍女たちも窓辺に鈴なりだわ。

 どうしてこういうときはマリアのカミナリが落ちないのかしら……。 


 

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