喜ばしくて忙しい
昨日どんよりと曇っていた空は嘘のように晴れた秋の空。
午前中の執務を終えた私は出かけるため侍女たちに手伝ってもらい身支度を整える。
長い廊下を渡り玄関ホールに降りていく。そこには下ろしたての新作のコートを羽織ったアンドルと、侍女の姿を見て私は足を止めた。
「それじゃ、出かけて来きます。その後立ち寄るところがいくつかあるけど夕食前には戻るわ。アンドルも遅れずにお願いね?」
「もちろんでございます。しっかり奥様の名代の役目を務めてまいりますのでどうかご安心を。さあ、まずは奥様をお見送り致しませんと」
自分が出かけるのはその後だと使用人の立場を崩そうとしない彼の言葉に、相変わらずねと肩を揺らして笑いながらアンドルの声に頷く。
今日の彼は黒の燕尾の上に秋用のコートを重ねて羽織った外出用の姿。
普段は組紐を使い束ねられている長い黒髪には装いに合わせた紫のベルベットリボンが括られ風に揺れていた。
日頃装いを変えずきっちりとした礼服姿の家令は、たったそれだけでも新鮮に映る。
そんな彼に先導されながら玄関へと出ていくと、騎士と御者の待つ馬車が見えた。
御者が私に気づいてすかさず馬車の扉を開き御者台へと移動する。
馬車へと近づけば「お手をどうぞ」と護衛騎士が恭しげな態度で差し出してくれたので、その手を借りて馬車へと乗り込んだ。
王宮での舞踏会でアリスの起こした騒動がきっかけと言えばいいのか。
その後のナイジェル様を始めとした王家の方々のご配慮で設けられた、交流の場をきっかけに令息令嬢たちの婚約が何組も成立した。
今日はその喜ばしい契約のひとつを見届けるために、招待された教会へと向かっている。
ただ、本日招待を受けたのは2組のカップル。
ほぼ変わらぬ時刻に始まるため、一方の席へは名代としてアンドルを祝いの場に使いへ出した。
直接参列してお祝いしたいのはやまやまなのだけど、後日お会いした時に直接祝いの言葉を届けようと思う……。
バカンスから戻って以降、事業面や社交で他家の方との交流の機会も驚くほど増えた。
もともと嫁ぎ先の屋敷を取りまわすのに『新生活を始めると雑事が増えるので手が足りないのでは』という理由で彼らは送られてきたにすぎず。人数的には必要最低限。
私の名代として動けるのが、家令のアンドルと家政婦長のマリアの2名しかいない。
そのうえどちらも一緒に屋敷を離れるわけにもいかないので、私の代わりに動けるものはひとりだけ、な状態。
私個人の事業が大きくなり、侯爵家と実家が共同で興した事業の管理はもはや、アンドルへ丸投げになっている。
そのため屋敷の取り回しはどうしてもマリアの受け持ちとなるので、当家の上級使用人たちのオーバーワーク加減が心配を通り越して不安になる。
数人分の仕事は余裕でこなしてしまう有能ぶりはわかるのだけれど、そろそろ彼らの右腕となるべき人材の育成に、目を向けるべき時期が来ているのではないかしら。
……今日みたいに私の代わりに参加してもらう催しは、間違いなく今後も増えるだろうし。
……そもそも前の生の記憶では侯爵家との事業こんなに大きな規模ではなかったのよ。
もちろんあの時ですら父が託してくれた事業は、かなりの利益を生み出してはいた、頑張ったのだもの。その利益は侯爵家の財政を立て直しだけではなく、私の支えになるには十分すぎる額だった。
……はずなのにアバンや前侯爵の散財と使用人たちの横領、様々な要因で……見事に食いつぶされたのよね。
まあ、父や母の仕事をただ見たことがある程度の、実務なんて何も知らない素人同然だった私と、高い教育と豊かな経験に育まれた辺境伯家自慢の家令の能力に差があるのは当たり前よね。
一緒にしてはいけないわ、むしろ破綻しなかっただけでも褒めてあげたい。
言われるがまま侯爵家にすべてを託してしまったことが……いいえ、アバンを信じ伴侶としてしまうだなんて愚かな選択をした私が一番の原因。
今回の帰郷でわかったことは、両親から愛されていたという事実。
前の生で父や母が私と接触して来なかったのは、疎まれていたわけでも無関心だったわけではないと今なら信じられる。
私のことを想い身を案じてくれていたからこそ、侯爵家に何も手を出せなかったのだろう……。
私が婚家との関係を壊さぬよう、アバン達から何を言われても黙って聞いてくれていたに違いない。
「……今では知ることも出来ないけれど」
愛してやまない人たちの瞳を二度と曇らせることの無いよう願いながら、私の呟きは馬車の車輪の音に飲まれて消えていく。
賑やかな屋敷から離れてひとり考え事をしていると、あの頃の気持ちに引っ張られてしまいそうになる……と苦笑した。
景色が流れ続ける扉の小窓に視線を向けてみれば目的地の教会はすぐ目の前。
気持ちを引き締めるためにぱちんと両手で軽く頬を叩いた。
今日は両家にとって喜ばしい日なのだから笑顔でいなければと気を引き締め直し、そのまま頬に添えた指先で口角の周りをマッサージする。
そうしている合間に馬車は目的地の教会へ到着した。
「これはロッテバルト侯爵夫人、やぁやぁ、此度は娘のためにようこそおいでくださった」
馬車を降りると婚姻式に招待された客たちの集う控えの間に通された。
そこに待ち構えていた髭を蓄えた恰幅の良い紳士……という風貌の令嬢の御父上が満面の笑みをたたえながら近づいて来る。
「お招きありがとうございます、ユリシーズ子爵。この度はお嬢様の御婚約おめでとうございます。昨日までの曇りが嘘のように晴れ渡った秋空。……神も両家を祝福してくださっている証でしょうね」
膝を軽く降り、気品を感じさせるよう注意を払った所作でカーテシーを向ける。
マッサージの賜物か、顔をあげ子爵に向けた笑顔は口角も良く上がっている気がするわ。
今日の主役のうちひとりはあのアリスに立ち向かった、勇気溢れる令嬢のテレア様。
ご自分も被害にあわれたというのに、周りの令嬢をかばった上アリスと対峙された勇敢な方。
あの騒動の後王妃様から賜ったドレスに着替え、ナイジェル様がまだ婚約者のいない令息たちを集めて交流の場を設けて下さった場で、伯爵家のご子息に見初められたのだという。
両家の仲も良好のようで本当に良い縁に恵まれたようで喜ばしい。
あの時は侯爵家の客人であり、当主のアバンが連れてきたのだからアリスの無礼は侯爵家の無礼ではあるのだけれど……。
あの娘を叱り飛ばしたときの凛々しさと立ち向かう姿にとても好感を抱いたのだ。
お嫁入されてもお友達になれたらうれしい。
ユリシーズ子爵と挨拶を交わしていると、子爵夫人に婚家となる伯爵家のご夫妻からも挨拶を受けた。
親族やご友人も話の輪に加わり、婚約されるおふたりのお話を聞かせていただいていると式の準備が整ったとシスターが呼びに現れた。
聖堂へ移動して案内を受けて席へ着席する。
厳かな雰囲気の中、祭壇の前に立つ年若いふたりへ司教様が朗々と響く声で聖句を読み上げていく。
――ああ、これが普通の貴族のあるべき姿よね。
書類を交わすだけで終わった婚約式と、誰も呼ばずに執り行われた式とも呼べないような結婚式。
またもや自分の身に起きた出来事を思い出してしまい、沈みそうになる気持ちを無理やり引き上げるように祭壇の前で両家の縁を結ばれたふたりにお祝いの拍手を贈ったのだった。
アバン相手では嫌だけど、式そのものには未練があるのね……、と自分の心の内を知った。
生涯ただ一度と言われるものを台無しにされたことへの恨みはきっとこれから先も深まるに違いない。
だって招待されている婚約式、この先もたくさんあるのだもの……ッ!
次回はアルルベルちゃんとショーンに挟まれ回。













