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ふたりのお母様

 ゆっくり景色を楽しみながら進んだ行きの行程に比べれば、はるかに速いペースで馬車はロゼウェルの辺境伯屋敷へ辿り着いた。


「悪い、トーマス爺。せっかく貸してもらったのに、御者台を砂まみれにしてしまった」


 玄関先へ到着した馬車をしまおうと彼から引き継ぐために近づいた、御者頭のトーマスへ済まなげに声を掛けながら御者台から彼が降りてくる。


 夏の強い日差しと吹き寄せる海風によってシャツが乾いたのはいいが、その代わりに纏わりついていた砂は彼が動くたびに零れ落ちている。なので彼の座った場所を囲むように、砂が積まれていた。


「丸洗いしてしまえば砂くらいどうってことありませんよ、カイル坊ちゃん。それにしても教えた甲斐がある、本当にいい腕だ。大公閣下にしておくのが惜しいくらいでさ」


「食うに困ったときは是非雇ってくれ」


 今回のサプライズに全面的に協力していたらしいトーマスと、軽口を言い合い笑う二人を横目にしながら、私もそっと馬車のキャビンの扉を開けた。


 カイルのように砂まみれとはいかないけれど、浜辺を素足で歩いていたし、靴の中にも砂が入るし……。海風の運ぶ塩気のせいで少し髪がきしむ。


 いろいろあって崩れたお化粧も直したいしと心の中で言い訳をしながら、その場からカイルを置いてそそくさとひとりで馬車から降り部屋へ戻ろうと歩き出す。それに気づいたカイルが私の後を追いかけてきた。


「リズ、部屋まで……」


「カイル様! そこでお止まり下さいませ~!」


 部屋まで送ると言葉を言い終える前にカイルの前に侍女が数人壁を作るように立ちはだかり、カイルの足が止まる。

 ごめんね、と心の中で謝りながら再沸騰してしまいそうな頬を抑え、自室を目指して屋敷の中に消えていった。


「ちょっ、リズ待って。……いったい何が……」


「何がではございません、足元をご覧くださいませ!」


「足元って……あ」


 シャツやズボンから零れ落ちる砂が馬車から彼の歩いた場所を辿るように筋になって落ちていた。


 『その状態で屋敷に入らないでくださいませ』と、子供の頃から私や彼の世話してくれている古株の侍女に懇願される。


 彼は仕方なく私を追いかけるのを諦めて、中庭を経由して裏庭の井戸へと案内された。


 状況を知らされたカイルの侍従が、その場所まで着替えやタオルを運んでくる。

 彼は人気のない裏の井戸で全身の砂を落とすために頭から水を何度も浴びることになり、その光景を目ざとい侍女たちが、裏庭を覗ける廊下の窓へ鈴なりに張り付いて見物していたという。


 後日それを知ったマリアがはしたないって怒っていたのよね。


 何故知られたかというとあの彫像の様な彼の体を目撃してしまった侍女たちは、それこそ数日魂が抜けたようになっていたらしい。


 ……あれを見てどうにかなっちゃいそうになるのは、私だけじゃないの。


 そう、あれが正しい反応なのよ!


 それに屋敷の中と裏庭くらい離れていれば、もう少し落ち着いて眺めていられたのかしらなんてはしたない事まで考えちゃうのも、全部カイルのせいなのだから!


 心の中で理不尽な悪態をつきながら、帰宅早々お湯を用意してもらいバスタイムを堪能する。


 湯に溶かす香油は薔薇の香りのモノを選び湯に浸かる。


 目を閉じてあの薔薇の丘をまぶたの裏に思い描き、彼の真心だけを反復して心に刻み、心の平穏を呼び込み落ち着きを取り戻してから身支度を整えた。


 ***


 母付きの侍女が部屋に訪ねてきて、昼下がりに珍しく時間が取れたからお茶でもと誘ってくれた。


 あの丘で思いついたアイデアを母に相談するのによいかと思ったところだったので、ここはありがたく応じさせて貰うことにする。


 母の侍女に先導されて、家族が使う小さなサロンへ案内を受ける。そしてその部屋の前にカイルの姿があった。


 砂まみれ御者見習い姿だった姿はもう想像もできない。貴公子然とした笑みを帯びた口元と礼服。


 髪も綺麗に整えられているから、くすみひとつないミルク色の彼の肌がほんの少しだけ日に焼けた痕らしく、鼻や頬が赤らんでいること以外はすっかりいつもの彼に戻っている。


 傍に別の侍女が控えていたので彼も母にお呼ばれされたのかしら?


「やあ。君もデルフィーヌ様に?」


「ええ、時間が空いたからお茶にしないかって。あなたも誘われたのね」


 もはや声を聞くだけで顔を手で覆ってしゃがみ込みたくなる衝動を抑え、母付きの侍女たちが傍にいるのだからと必死に表情筋を励ましていつもの笑顔を作り上げる。


 そして、入室のエスコートを頼むように手を差し出した。頑張れ私。


「何か話でもあるのかな? 待たせるのは悪いから、まずは入ろう」


 もう私の気持ちも知らずに涼しい顔をして!


 ……だなんて心の中でやつ当たりしても、彼の顔をちゃんと見ることも出来ないでいた私には、彼の耳が決して日焼けのせいじゃない赤みを灯していたことに気づけるわけもなく……。


「奥様、前大公妃殿下。おふたりが到着なさいました」


 案内に立ってくれていた侍女が中で待つ母に声をあげて私たちの到着を知らせる。母と共に呼ばれた名に瞳を丸くして驚いてしまう。


「おかえりなさいな。リズちゃん、カイルくん」


 のんびりとした口調で手招く母の隣のソファに座っていらっしゃる、カイルのお母様の姿があった。視線が合うと美しくも悠然な笑みを浮かべて下さったので、頭を下げて挨拶をする。


「ただいま戻りましたわ、お母様。ソフィア様もお久しぶりです。お元気そうなお顔が見られて嬉しいです」


「お招きいただきありがとうございます。デルフィーヌ様。あと母上、随分と早かったのですね」


 ソフィア様がこの場へお呼びになったのはどうやらカイルのよう。私たちが出かけている間にこちらへ到着されたようで……。


 そして母に促されるまま、おふたりの向かいに置かれた3人掛けの長ソファに並んで座る。それと同時にソフィア様が声を上げた。


「カイル、あなた楽しい計画を企てているのなら、それもまとめて知らせておきなさいよ。私もリズさんとお出かけしたかったわ」


「たとえ母上でも私は容赦なく馬で蹴り上げますよ」


「もう、カイルったらソフィア様に向かってなんてこと言うの」


 ……それじゃまるで私たちがデートに出かけていたみたいじゃない。


 ソフィア様だって私が嫁いでしまった事くらいご存じなはず。


 婚約者も居ないカイルにとって醜聞になりかねないのに。カイルがそれでもいいって、言ってくれてはいるけれど……。


 のほほんとしている私の両親相手ならともかく、カイルの実母であられるソフィア様とは事情が違うと思うの。


 だって、ソフィア様からすればカイルは大事な一人息子で、これから先大公家を牽引する大事な存在。


 そして彼の血を受け継ぐ跡取りの事だってあるのだから、婚活市場で彼の価値に傷がつくだろうと、事情を知らないソフィア様が不快に思われたらどうしようと、おろおろしていたらソフィア様は「大丈夫よ」と笑み返してくださった。


「どんな場合も傷つくのはリズ自身なのだから、守り通せる自信があるのなら好きになさい。と私の背を押してくれたのはそこに居る母上だから安心して」


 君への気持ちなんて当の昔に母はお見通しだったと、隣で苦笑するカイル。


 ソフィア様の御心を知ってしまえば、嬉しさと恥ずかしさが手を取り合いやっと落ち着き始めた心臓と共に踊りだす。


 ああもうっ! 3年も彼より長く生きているはずなのに、この気持ちの対処の仕方が未だにわからない。嫌じゃなくて嬉しいからこそ、どうしていいかわからなくて困ってしまう。


「もういいわよ、私が勝手にリズさん連れて遊びに行くから。ねえ、そのうちデルフィーヌ様ともご一緒に女性だけでお出掛けしましょうね。きっと楽しくてよ」


「はい! 是非! ご一緒させてくださいませ」


 こんな状況でも……いえ、こんな状況だからか話題が変えられるならと言う縋る気持ちも含めてソフィア様の言葉に即答する。


 なぜか悔し気なカイルと、得意げなソフィア様の表情を交互に見比べて頭の中が『?』で埋まったので心臓のダンスも少しだけ落ち着いてくれた。


「そういえばソフィア様どうしてこちらへ?」


 お母様と前からのお約束なのか、それともカイルに用事があるのかしらと問いかける。


「人手が減ったのでお手伝いに来て欲しいと、そこの息子から呼び出しをもらったのよ」


 人手って何の事? と首を傾げながらカイルをちらりと見上げてみた。


「いや、ワルド夫人が茶会の前にこの屋敷を去っただろう? そのきっかけを作ったのは僕だけど、茶会の手伝いは流石に役に立ちそうにはない。だから急な頼みごとを君に誤解を与えることなく出来る女性で、思いつくのが母しかいなかった」


「そんな、ソフィア様ご迷惑だったのではなくて?」


 だってそれってほんの少し前の出来事で本当に急な呼び出しじゃない……。


「いいのよ、リズさん。もう夫の喪も明けてしばらく経つのだし屋敷に閉じこもってばかりじゃ良くないものね、あなたさえよければお手伝いさせてちょうだい」


 そう微笑みながら告げて下さった。


 カイルのお父様がお亡くなりになってから喪に服していたのもあるけど、ずっとお屋敷の中で過ごしていたという話を聞く。


 ならば手伝って下さることが、ソフィア様の気を紛らわせるということになるのなら甘えさせていただこう。


「わかりました。私にとっても初めて開催する側のお茶会なので、経験豊富な方が傍にいて下さると心強いです」


「この子は王都に出たきりで、めったに帰ってこないから本当に退屈なのよ。男の子の親って大きくなると一緒に出来ることなんて、ほんと無くなってしまうの。娘が居たら違ったのかもしれないなあって、ほんとデルフィーヌ様が羨ましいわ」


「女の子だってお嫁に行ってしまうのだもの、寂しいのは変わりないわよ。私だって男の子がいたらって思うことがあってよ」


「まあ、でしたらお互い夢がかなう日も……」


 ソフィア様の言葉に母が答える。お茶を飲みながら少女のように華やぐ姿は、娘の目から見ても微笑ましく思うけど、ああ、どうしよう。会話の内容が……ッ。


「母上、其処までにして下さい。そういう話はもうしばらくの間おふたりだけの場でお願いします」


 困らせないで上げて下さいと、先ほどまで一番困らせていたのは誰だったかしらとか考えつつ。

 母たちの会話が止まったのでほっと息をつく。




「あの……カイルが気分転換に、郊外へ連れて行ってくれたんです。そこで思いついたことがあるのですが、よい機会なのでおふたりに聞いていただけたらと思って……」 

 

次回はお茶会本番。アルルベルも久しぶりの登場です

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