薔薇の咲く丘へ
「それでこの馬車はどこへ向かっているの?」
ロゼウェルの街を出てから大体1時間くらい過ぎた気がする。
景色を堪能しながらのんびりしたペースで進む馬車の行き先を、そろそろ教えてほしいと彼に問う。
「……んー、どこというか名前がついているような場所じゃないと思う。先日大公領から、こちらに来た者たちが教えてくれたんだ。ああ、あの大きな古木の立つ小さな丘の先と聞いていたからもうすぐかな」
あそこだと彼が指さすのは、今上っている坂道の一番高いところ。
高いとはいっても緩い坂道の途中に出来た、ほんの少しだけ小高い丘になっている場所。
指示された場所に確かに大きな木が数本並び立ち、こんもりと葉を豊かに茂らせて海風に揺れながら葉音を奏でていた。
小さな丘の上に着くと古木の影の下に馬車を止める。
先に降りた彼の助けを受けながら御者台から降り、彼に手を引かれて海のほうへ足を向ける。
そして海側に面した斜面が見える場所へたどり着くと、そこから広がる見事な景色に言葉も出せぬまま息を飲んだ。
「まあ……ッ」
砂浜へと続くなだらかな斜面一面に薔薇が咲き誇っている。
王都の庭園で見かけるような改良された品種ではなく、自然のままに根を生やし蔓を伸ばす力強さを感じる原種の薔薇。
この辺境の大地が『ローズベルク(薔薇咲く丘)』と名付けられた理由を教えてくれるかのような景色が広がっていた。
「どう? 気に入ってくれた」
「ええ、もう花も終わりの時期なのにこんなにたくさん! 凄いわ、なんて素敵なの」
「君の家の庭園の薔薇も素敵だけれど、たまにはこういうのも気分転換にいいかと思って」
こんな街道沿いで街からもさほど離れていない場所なのに、薔薇の咲く斜面を見るためには少し上らないとならない。
街道からは見ることは出来ない上、この近くに民家もない。
だからなのか、この薔薇の斜面はずっと誰の目にも留まらぬまま、ひっそりと咲いていたらしい。
大公家の使用人はロゼウェルに訪れたとき馬が少し調子を崩したとき休ませるためにちょうど良い木陰のあるこの丘の上で馬車を止めたとのこと。そして馬を休めている間使用人の1人が時間を潰すために近くを散策していた時にこの斜面を見つけたという偶然の産物なのだそうだ。
キャビンの中に置いてあった荷物の中身は包まれた2人分のランチと果実水、それに敷物や日よけの傘などピクニックの用具がまとめられていたのでカイルと二人でそれらを並べお昼の用意をした。
いつもは使用人たちがしてくれるようなことも、二人で協力し合えば結構何とかなる。それに楽しいものね、なんて考える。
木陰の地面にある小石を彼がどかしながら、草を踏んで平らに馴らしてくれる。そこに敷物を広げて荷物を置いた。
敷物もあるし誰も見てないよと、率先して靴を脱いでくれた彼を習って私も靴を脱ぐ。
そのまま足を延ばして敷物の上に腰を下ろした。まるで足枷を解かれたかのような、何とも言えない解放感にしばし目を細めながら大きく深呼吸。
「外で裸足になるだなんていつぶりだろう、気持ちいいなぁ」
なんて言いながら彼も同じように足を延ばした格好で、私の隣に腰を下ろして私に笑いかける。
隣に座ったカイルへ視線を向ける。いつの間にか帽子を外していた、彼の蜂蜜色の見事な金髪が風に揺れていた。
同じことを考えているってわかるだけで不思議なほど心が弾む。
息をするたびに体の中にたまっていたもやもやとかイライラがすぅっと抜けていく感覚がして、自然に笑みがこぼれ落ちる。
何も背負ってなかった子供の頃みたいに、すっかりゆるゆるになっている互いの顔を見合わせながら大きな声を上げて笑い合う。
薔薇の斜面を眺めながら、シェフが忙しい時間を割いて作ってくれただろうランチを味わった。
薄いパンの間にこぼれるほど具材を挟み込まれたサンドイッチ。
小さく切り分けるものがないから、食べ方がわからなくて困っていれば「こうやって食べるんだよ」と目の前でカイルが大胆な食べ方を実演してくれる。
「こう、かしら……んぅ~~~ん♡♡美味しいっ」
サンドイッチをしっかりと具材がはみ出ないように、両手で保持してから大きく口を開いて噛り付く。
口いっぱいに食べ物を頬張るだなんて、大好物のあの焼き菓子をマリアの目を隠れて詰め込んだ幼かったあの時以来かも。
はしたないと叱らないでちょうだいね、マリア。
だってこれがピクニックでの正式なマナーだと、大公閣下に言われたら倣うしかないもの――と、心の中で言い訳した。
カイルのひと口は男性だけあって大きいから、私が格闘している間にぺろりと食べきってしまう。
手の空いた彼が、夢中になって大きすぎるサンドイッチと戦っている私の様子を、嬉しそうな顔で眺めているのに気が付いた。
恥ずかしさに思わず慌ててしまった私は、頬張っていたものを嚙まずに大きな塊のままのそれを飲み込んでしまい喉に詰まらせる。
「り、リズ……! 大丈夫かい」
サンドイッチが喉に痞えて急に胸をたたいて苦しみだした私を見て、彼が慌てながらも果実水の入ったカップを手渡してくれたから、どうにか助かった。
「もう、食べている顔をじっと見ていたらダメでしょ、驚いて変なとこに入っちゃったじゃない」
「ごめんよ、あんまりにも美味しそうに食べてるから、つい」
悪かったよと謝る彼の顔もなんだかうれしそうで、本当に悪かったと思ってるのかしら……と、ジト目で睨んであげる。
「あ、見てよリズ。あそこから浜に降りられるみたいだ、少し待っていて、危なくないか見てくる」
すると誤魔化すようにそう言って彼は腰を上げると、裸足のまま指さしたほうへと歩き出す。
自然にできたものかは私にはわからないけれど、確かに浜辺へと降りられる小道があるよう。カイルはその道を少し歩き浜辺のほうを確認するように眺めてから、大丈夫だと手を振りながら戻って来た。
「砂浜じゃないんだからちゃんと靴を履いて。怪我したら大変よ」
「あはは、そうだね。じゃあ敷物とか片づけて降りてみようか。ロゼウェルには港はあるけれど砂浜はあまりないようだし」
戻って来たカイルに靴を渡し私も靴を履きなおして片づけを手伝った。
まだ空に輝く陽の角度を見てもうしばらくの間くらいは馬車は日陰に入っているだろうと、のんびりと下草を食む馬たちへ彼は留守を頼むと声をかけ、馬車から離れて浜辺へ降りる小道へと歩き出した。
まるで咲き誇る野薔薇が敷き詰められてた斜面から、浜辺へ続く小さな小道に私とカイルふたりだけ……。
小さなころに拵えた秘密の隠れ家みたいなそんな特別な場所を、忘れないように斜面に咲く薔薇を心に焼き付ける。
エスコートにと差し出された彼の手を、もう躊躇うことなく自身の手を添えゆっくり砂浜に向かって丘を降りていく。
天候か日当たり……それとも両方かしらと、咲く時期が遅れたバラたちを眺めつつ、屋敷へ戻ったら庭師に聞いてみようと頭の中のメモに言葉を書き記した。
「今日は風も静かだから波も高くないのね。それとも砂浜だから違うのかしら」
「そうだね、ロゼウェルの海風はもう少し強いかな」
ロゼウェルの街で見る海は、大きな船が出入りする貿易港や海軍の軍港ばかり。なので人の手の入った堤防に囲まれていることもあり、こうした砂浜はあまりないのだ。
少し離れた漁村のほうは砂浜があったようなおぼろげな記憶にあるくらい。彼の領地に向かう街道沿いはこんな砂浜が広がっているのねと改めて知った。
風が静かだと告げた私へ風の神が違うと抗議したのかというタイミングで、突然強い風が薔薇の斜面を走り抜け、花びらが空へと舞い上がる。
「きゃあっ……あっ、帽子が」
手で押さえたにもかかわらず、大きなつばの帽子が風にさらわれて花びらと共に空へと高く舞う。
カイルも空へ舞い上がったそれをつかもうと、腕を伸ばした。けれど風の神様はよほど悪戯坊やなのか、帽子はするりとその手を躱して海へ向かい浅瀬に落ちた。
「大丈夫、リズ。僕がとってくるから」
沖へ流されないうちに取り返してくると告げて海へ向かって走り出す彼の背を見つめる。
出会った頃からずっと見ていたはずの彼の背中は、知らないうちにとても大きく広くなっていて、どうしようもないほど大切なものなのだって何度も自覚してしまう。
大切にしてくれる彼の気持ちへ報いる存在になりたい。
どうか、彼の隣に並び立つ勇気を。
心の中で芽生えた小さな決意に背中を押されながら私も彼の後を追って走り出す。
砂浜に入ると浅いヒールも砂に取られてしまうから、靴を脱ぎ棄て心のままに彼を追いかけた。
波打ち際で靴を脱ぎズボンを膝までまくり上げた彼が、ざぶざぶと海の中へ入っていき、のんびりと波間に浮かんでいた帽子に手を伸ばす。
「リズ、捕獲成功だ。……って、うわぁ!」
……と、戦利品のように帽子を高く掲げて見せるため、波打ち際に立つ私へ振り返った。
そして次の瞬間、油断は禁物というように少しだけ高い波が彼の背に被さった。前のめりとなって姿勢を崩した彼は引き潮に足を取られてひっくり返る。
「カイル! 大丈夫?」
大きな波しぶきのせいで一瞬視界から消えた彼にびっくりして私のバシャバシャと浅瀬の中に足を踏み入れた。
熱い砂の上を素足で走っていたから、海の水の冷たさが心地よい。
波が引くとすっかり水浸しになってしまったカイルの姿があったので無事だったとほっとしたけれど……。
「大丈夫だよ。急に大きな波が来たからびっくりして転んじゃった。あまり沖に出ないほうがいいね」
カイルが起き上がると帽子を片手に持ち、濡れた髪をかき上げながら岸へと戻ってくる。
降り注ぐ陽光の下で濡れた髪から滴り落ちる水滴は、彼の髪に更なるきらめきを与える。濡れて張り付くシャツやズボンが鍛錬している逞しい肉体の形を際立たせた。
ほかの人だったなら酒の席で披露して皆の笑いを取るような失敗談だと思うのに、まるで海からもたらされた黄金の神がこの地上へ降臨したのかと思う。
無駄なほどの神々しさが眩しくて目が痛い。
やっぱり無理かも。だって普通の人間だもの……私。
一瞬で彼の隣に並ぶ勇気が塩水に漬かった青菜のようにしおしおとなったのだけど、彼はそんな私の気持ちなどお構いないのだ。
「まあ、この陽気だからほっといても乾くと思うよ。御者台は風通しがいいし……しかしほんとずぶ濡れになってるな、少しは絞らないと君まで濡らしてしまいそうだ」
「ならいいけど……っちょ! もう!」
彼が海から運んでくれた帽子を受け取るために近寄る。
彼はそのまま何気ない仕草で、濡れて重くなったシャツの裾をまとめ持ち絞り出すものだから、捲れあがったシャツの隙間から覗く引き締まった腹筋が目の前で露になった。
恥ずかしくて反射的に手のひらで顔を覆ってしまったけど、指の隙間からしっかり見てしまった事はお墓までもっていく私だけの秘密にしたい……。
ラストのリズさんのらくがきです
https://comic.corola.work/2023/03/05/1044/
挿絵というほどのものではないほぼネタ絵なので見たい方は上のURLからどうぞ(私のブログです)













