再びユーリカとレナード
「大丈夫、子爵の身分や財産が失われるようなことにはさせないよ」
「そうなの?」
「ああ、あの場で厳しく告げたのも夫人自身が自分の思うまま利己的にふるまうと、大事なものをすべて失いかねないと悟らなければいけなかったからね。これで少しは身に染みただろう」
あれで、少しなんだ。
そうカイルにすら思われてる叔母さまって褒めるわけじゃないけどなんだかすごい人なのね……。
「子爵が失脚でもしたら限りある有能な官吏をダメにするなとナイジェルから怒られるだろうし、かといって君に何か不利益が生まれたり傷つきでもしたらオリヴィア様から恨まれかねない。いい塩梅に収まりそうだ」
――王族案件に成りかねなかったのね、それは確かに大事になる前でよかった。
でも矛先がカイルに向いていたような……?
でも王妃様にそこまで心配して頂けていたなんていうのはありがたいというか……くすぐったいというか不思議な気分。
ひと月前は雲の上のような憧れの方だったのに……。
「さて、次は君たちの番だ」
扉のほうへ視線を向けていたカイルが再び部屋の奥にいるユーリカたちへ振り替える。
すっかり観念し切ったように俯くレナードとその傍に寄り添うユーリカ。
これが彼らのあたりまえの距離だったのかしら。
「僕が積み重ねた罪を償う覚悟はできています……大公閣下」
「この件に関して処分を決める役目は僕にはない。頭を下げるべき相手は他にいるだろう?」
「は、はいっ」
「ただ、その前にひとつ君へ問おう」
視線を寄り添うユーリカへ向けるよう頭を起こしたレナードにカイルが話しかけると、レナードの頭が再び下がる。
「何なりとお聞きください。どのようなことでも正直に告白すると誓います」
「いい心がけだ。では問おう、レナード・ルウゼ、君はあのサギー・ルウゼの後継者なのは間違いないはずだ。どうして店の名を出さなかった?」
それどころか彼はファーストネームしか名乗らなかった。
ラストネームいわゆる家名を表す名字を持たない庶民は多いが、商人は店の名と格を上げるために名字を名乗る人が多いし、店の名が職人としての大きな後見にもなる。
それがないまま見知らぬ土地で働くのなら、見習いからの再スタートになるかもしれない。
今回は彼の腕を見せるという行為がなければ、私も戦力としての紹介は出来ないと断ったしれないし。
「出したくなかったのです。過去にしがみつきあのように貴族まで騙して再び成り上がろうとしている親の名を。僕もその立場を利用していたけれど、そうでもしないとあの場所から逃げ出すこともできなかった。僕には誰にも負けない技術はある、父の命じるまま仕事を続けるだけでは……未来がなかったのです」
自業自得ではあったけれど、王妃様から捨てられたルウゼの名は職人からすれば呪いなのだろう。
彼の名を聞けば王都のほかの店が彼を雇い入れるわけもない。そしてあの店はアリスのドレスと同じように流行りを模倣するだけで職人の才や時間を食いつぶすことを続けるだろう。
古い伝統に凝り固まった貴族や資金力のない下級貴族が偽物のドレスを安く買うからどうにか店として体裁は保てていた。それも王都へ吹いた新しい風が吹き飛ばしてしまうかもしれない不安が渦巻いた。
…………だから叔母の誘いに乗ってしまった。
ロゼウェルで伝手を作れれば王都のしがらみから逃げる手立てが作れるうえ、自分の腕があれば成功するはずだと望みに縋ったと告げる彼の目から溢れる涙はその未来も閉じていく絶望なのか。
それとも彼女を自分の利己的な思惑に巻き込み危険な目へ合わせた後悔からか……どちらなのかしら。
「焦るあまりユーリカを騙してあんな場所に一人で置き去りにしてしまった。ユーリカは何も知らない弱い女の子だからきっと罪に問われず保護されるものだと思い込んでいた……
ユーリカ、もう謝ったところで許されることじゃないのは理解してる。今更謝罪の言葉を出すだなんて遅すぎるってわかってるけど、ごめん、本当にごめん。大切な幼馴染を犠牲にしていいことじゃなかった」
彼の謝罪の声の後、聞こえるのはユーリカの言葉だろうかと私もカイルも周りの使用人たちも誰もが口を挟めずにユーリカたちを見つめていると、部屋に響いたのはユーリカの声ではなく甲高い衝撃音。
パァン!
ユーリカの右の掌がレナードの頬にクリーンヒットした音だった。
そして彼自身、ユーリカの行動を予測もできなかったようで、そのまま横に流れるように倒れこみ頬を抑えたまま彼女を凝視して固まった。
「ホント! ほんとに遅いのよ! ほんの一言迎えに来るからって言ってくれるだけでよかったのに、私は馬鹿だからあんたのその言葉だけでおばあちゃんになっても待ってたわよ!
ただの幼馴染で恋人というほど近くなれなくても頑張るあなたを見ているだけでよかったのに、一緒になろう、店を持とうって言うからぁ……信じちゃったのに。
目が覚めたらあなた何処にも居なくなっていて、宿屋のおじさんに怒鳴られるよりもあなたが黙って居なくなるほど、私はそんなに信用されてなかったのかってそれがどれだけ怖かったのかわかってないでしょ!」
私と出会ったばかりの時は捨てられたと彼を恨んで通報に協力したけれど、時間がたてばたつほど彼のことが気になってしまった。
もしかして事故にあったり事件に巻き込まれたのではないかと彼の無事をただ知りたくて……休みになるたびロゼウェルの仕立て屋を周って彼を探していたと、彼女はつづけた。
熱心に職探しをしていたのかと思ってたけれど、助けた私たちにそんなこと言えないものね。
そんな不安を抱えながら過ごす日々はどれだけ辛かっただろう。
あの裏庭の小さな小屋の中でカイルからもらった押し花を眺めながら押しつぶされそうなほどの不安に震えた夜。私しか覚えていないあの寂しさを思い出して胸が苦しくなった。
「エ、エリザベス様。立て替えていただいた宿代やロゼウェルまでの馬車代はもちろん、彼が迷惑をかけた全てを私が責任もってお返しします。どこにでも謝罪に行かせてもらいます。私のためにしてくださったご恩を仇で返してしまうようで申し訳ないです、でもレナードを……彼を許してください」
ユーリカがレナードの前に立ち、私たちに頭を下げる。
「宿の代金は払ったから、実質被害にあったのは置き去りにされたユーリカだけだけど……ユーリカはそれでいいの?」
「はい、謝ってくれましたから。これが最後だけど騙されてあげます」
「だ、騙してなんて……」
「お父様のこと嫌っているのに時折見栄を張って同じ振る舞いをするの、気づいてるよね。
そのたびに後悔してるから騙されてあげていたけどもう、此処にはお父様もいないしあの店の名もあなたの背にないわ。だから騙されてあげるのはもう最後だから」
「うん、うんっ……わかったよ、もう黙って勝手なことをしない」
「それに私は幼馴染のままなの?」
「……こんな僕でいいのかい? でも……約束する。君を守れるような男になるから、傍にいて」
なんだか丸く収まるどころか出来の良すぎるお芝居を見ている気持になるくらいの大団円。
あ、でもカイルの意見も聞かないとダメよね。私が無理やり巻き込んでるんだから。
……と思ったのでそうするべく隣に立って居るカイルに視線を向けた。
同じようなタイミングで彼も私へ何か囁こうと腰をかがめたから至近距離で視線が重なってしまった。
見つめあう距離で空色の瞳に映る自分を見つけてしまった瞬間、さっきまで少し苦しかった胸が大きく高鳴った。
こんな場合じゃないのに胸の高鳴りがなかなか収まってくれなくて、このドキドキする胸の鼓動が隣へ立つ彼に聞こえてないかって気になって仕方ないのだけれど、目の前の騒ぎを収拾させないと……。頑張れ、私。
「レナード、ユーリカがあなたを罪に問わないと言うのなら私も事を荒立てるつもりはないわ。ギルドや商会長、街道警備の人たちへは解決したと話をしておきます。でもお金はあなたがきちんと働いて返すことは約束してちょうだい」
「はいっもちろんです……。仕立ての仕事でなくてもどこかの家の下働きでも何でもして返します」
「なんでも……、ね。そう……なんでも」
ああ、今気が付いちゃった。
ロゼウェルの街中捜し歩いても見つけられなかった『手の空いている仕立て職人』が目の前にいるわ……。
しかも飛び切り腕の立つ。
王都にはないデザインのドレスを模倣であれ見ただけのものをあの日数で問題点すら改善して、それも一人で完成させているのだもの。腕がたつって自分で言うのもわかるほどの腕よね。
「私のドレスを仕立て直すお仕事も、その『なんでも』のうちに入るかしら」
「……リズッ!?」
「お嬢様!?」
私とレナードの間に立つカイルの背中から顔を覗かせて告げたお願いに応接室がまた騒がしくなった。
読んでくださってありがとうございます。
好きな子のために頑張るちょっと頼りない男子がどうやら好みなようです(作者)
これでユーリカたちは晴れてカップルになりました。カイルとリズを置いてけぼりにして
先に出来上がるカップルはこの先何組出て来るでしょうか。