扉を越えて
着替えを終えて廊下に出て小走りで通用口を目指す。
不思議なことに通用口まで使用人たちに会うこともなくたどり着き、沈黙を守ったままの扉をそっと押し開けた。
扉の向こうには言葉通りに私を待つカイルの姿。
そして私の顔を見て開口一番に彼が告げた言葉は……。
◇◇◇
「祭りに行こう、リズ」
夕日に照らされて赤味の濃くなった蜂蜜色の髪が風に揺れる。
綺麗に笑みの形に口角を上げた唇から零れる誘いの言葉に抗える女の子はどのくらい居るのだろうか。
きっと彼が望めばどんなにガードの固い深窓の令嬢でも、それこそ神殿に住まう女神すら魅了してしまうだろう、そんな顔面の威力を理解していないのは彼本人くらいなのよ。
生まれた時から傍に居て耐性を身に付けている私ですらそのまま流されそうなこの威力。
……カイルのこの誘い文句に乗ってしまった後どれだけ母やマリアに叱られたのか思い出すのよ、エリザベスッ!
「……な、何を言っているの、昨日私が謹慎処分を受けたことはあなたも良く知っているでしょう?王族直々のご命令は流石に……守らないと」
でも、渡された衣装をちゃっかり着込んでいる状態では彼に市井の行事がすごく気になっていることなんてきっと簡単に伝わっている。
「その格好で言われても説得力ないなぁ……、それともその衣装はお気に召してないのかな?今日ラルボ伯爵が我が邸を訪ねられてね、アルルベル嬢達が君を心配しているが、あんな事件のあとなので気軽に侯爵邸に赴くわけにも行かないから、と君の様子を心配して聞きに来られてね、その時に渡されたんだ。
……それは私からではなくてアルルベル嬢からの贈り物だって事」
「……え?」
「君を誘いたくてお茶会の時に祭りの話を出したらしいよ。君が祭りに興味を持っていたようだから衣装を用意して驚かせる心算だったとね。せめて屋敷の中で楽しめるようにと」
「私をそこまで思ってくれるなんて……」
アルルベル嬢の心の声を知れば、身につけた衣装がもっと大事な物に感じてしまう。
「王都にいい友人が出来たようだね」
カイルの言葉に小さく頷いた。
「じゃあ、アルルベル嬢のお気持ちに甘えて今夜はこの衣装で夜を過ごすわ。街に出かけている使用人たちが戻ったらみんなで過ごせばきっとお祭りみたいで楽しく過ごせそう。
……お届け物と伝言ありがとうカイル、貴方もいい夜を」
余り遅い時間に夫婦関係は破綻しているとは云え、既婚者である私の住まう屋敷に、婚約者もいないカイルがこんな時間に出入りをしていたと噂され、私のために彼の名に傷がついてしまうのは嫌だ。
だから、そう告げて通用口の扉を閉めようとすれば、ガっと、彼の足と手がすき間に入り込み、扉の動きを阻止してきた。
「なんでそうなるんだ!そこはこう、連れて行ってと強請るところじゃないのか!?」
「だから、謹慎中なのだから外に出られないのよ?まだ舞踏会の騒ぎの後始末は何も終わってないもの」
扉に体を無理やりねじ込んで叫ぶ彼が何となく癇癪を起こしてだだをこねる子供に見えてしまったので、思わず噛んで含み言い聞かせるようにゆっくりと言葉を返す。
「みんな君のせいじゃないって言ってくれてるよ。……まあ、そういうところも君らしいと思うけど。屋敷の皆は出かけるに賛成が総意らしいよ」
だからこんなお膳立てが整ったと笑いながら教えてくれる。
……確かに。屋敷の中の使用人がかなりの数出払っていたとしても、私の自室から外へ繋がるこの扉までの廊下に、誰も人がいないなんてあり得ないわ。
カイルの誘いと友人の真心、そして屋敷の使用人たちの温かいお膳立てに心が傾いていく。
「……たく、ナイジェルの戯言一つで君の心がこんなに頑なになるとは思いもよらなかった」
漏らした呟きに驚いて彼を見つめてしまう。
……もう、いくら親しい仲だからって……ッ!
「……戯言ではないでしょう?すぐ午前中に訪ねてきてくださったし……優しい方よ」
敬称もつけず、あきれた声で愚痴を言うカイルの横着ぶりに驚いてしまい、少しナイジェル様をかばったら、カイルがなんだか不機嫌そう。
カイルがズボンの後ろ側に挟んでいた何かを手にするけれど、彼の表情に意識を向けたままの私はそれに気づけなくて。
「…きゃっ……なに?」
柔らかな革の感触に驚いて声を上げる。
「これで解決。これで私も君も妖精の仲間だ……行き先も王都リリエルの街ではないよ」
私の目元に何かを被せる。……仮面かしら。
そっとそれに触れていると、カイルも同じもので顔を半分ほど覆っていく。
『ピピンの祭りは妖精の顔を模した仮面を被ったら妖精として振舞うのです。身分も出自も誰なのかも詮索しないことがルールですわ』
「……行き先は妖精達の住むどこかの村、かしら」
お茶会での言葉をふと思い出してから微笑んで問いかける。
「ご明察、今夜は様々な柵には目もくれずに、みな名もない小さな悪戯好きの妖精として騒ぐ一夜だ」
「……悪戯好きな妖精よりカイルはお忍びで下界に降りてきた精霊王に見えるけど……。溢れ出す高貴さは隠せないもの」
「なら、今夜の君は町娘に扮して妖精たちの中に紛れ込む、妖精と精霊たちを統べる夜の女王だ」
「精霊女王の名を賜るなんて、身に余る光栄ですわ」
そう芝居がかった言葉をたがいに掛け合ってから笑いあう。
王妃様も、ナイジェル様も、カイルも、屋敷の者達もどうしてこんなに優しいのだろう。
差し出されたカイルの手に自分の手をそっと乗せると私の手のひらを大きな手で包み込むように握りしめられた。
トクン、と心臓がはねると頬が赤く染まり、熱をはらむ。
星明りの下で見えた彼の耳もほんのり赤く染まっていたよう……。
通用口の扉を潜り抜けた時、私の心の深いところに蒔かれたままだった小さな種が芽吹いたのは、きっと、三日月の下で戯れる妖精達の魔法だったのかも……。
そして握りしめた手をカイルは離すことなく、通用門から通りへと出ると待たせていたらしい辻馬車に乗り込んで祭りのただなかの賑やかな通りを目指す。
高位貴族が使うような静かに走る馬車でも、整備された大通りでもない裏通りだから、乗るとガタガタと音を立てて大きく揺れながら馬車は走り出す。
きっと馬車の中でなら心臓の音は彼には聞こえないはず。
――― こんなに心臓が煩いのは、自分の足で踏みだした冒険への期待だと思う。
私の手でつかんだ未来は今様々な選択肢を与えてくれる。
彼の手を取ったのも、私がした小さな選択の一つ。
馬車は私たちを乗せて車輪の音を賑やかに響かせながら、妖精たちの集い騒ぐ喧噪の中へと向かっていた。
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