言葉を賜るのは
カイルと共に会場に足を踏み入れる。
会場の中央にはすでに国王夫妻と王太子殿下の姿があり遅刻をしてしまったのかと焦りを覚えたが、背後から新たに入室を知らせる声が聞こえた事と、まだ音楽隊の演奏が始まっていないことに気づいて少し安心する。
なら陛下たちの挨拶を聞くためにどこか適当な場所で過ごすのかと思えば、カイルはどんどん先へと歩いていく。
ああ、彼は今は王太子殿下の片腕と称される立場だものね、なら殿下の傍で控えるのかしら?
会場内の貴族達は陛下の挨拶が済むまでは大体爵位順に会場内で控えている。
陛下たちを中心に外側に向かうほど爵位が下がる順で並び立っている。
ダンスが始まれば皆好き好きに移動し会話やダンスを楽しむのが通例だ。
カイルは王族に次ぐ大公の爵位を持つのだから、陛下たちの傍に行くのも当然かと考えながら足を進めていくが、そろそろ?この辺り?と思ってもカイルの足は全く止まる様子もなくて ――――。
「お待たせ致しました、陛下、王妃殿下」
国王夫妻の目の前まで運ばれて一瞬頭が白くなった。
私の前に居るのは名実ともにこの国の頂点。
赤い髪を短く刈り込み、皺が深く刻まれた目元は知性に満ち、海のような深い蒼の瞳は全てを見透かすような聡明さが溢れている。
若きときは身一つで戦場を駆け抜け、その聡明さと公正さですべての民を守って下さる王国の沈むぬ太陽。
ランディール・ソル・ド・リリエンタール陛下。
カイルの言葉が耳に入ってるのにその意味が入ってこないほどの緊張を覚えてしまうが、私が手を預けている腕はそのままに、もう片方の手を胸に当てて臣下の礼を取るカイルの動きに気づいて私もあわててドレスをつまみ、カーテシーをして陛下達に頭を下げた。
「……よい、挨拶を許す」
大きな声でないのにしっかりと響く耳心地のいい低い声。
兄弟だからか、国王陛下の声はどことなく亡くなったカイルのお父様に似ている。小さな頃遊んでくださった優しいお顔を思い出して少しだけ切なくなった。
挨拶をする許しをもらい、ゆっくり息を吸って呼吸を整えてから顔を上げる。
「リリエンタールの沈まぬ太陽、国王陛下にご挨拶申し上げます、並びに欠けぬ月、王妃殿下にご挨拶申し上げます。エリザベス・ティア・ロッテバルト、御前に参じました」
…………ああ、これは。確か前の時はアバンがしたことだ。
少しだけ余裕が出来たのだろうか、侯爵家の新しい当主として国王夫妻に最初の臣下の礼を執る。そして貴族社会の地位を高めたきっかけがこの夜会だと、アリスとアバンから聞かされたことを思い出した。
なのに今は私が、陛下達の目の前で口上を述べている。
少しずつ積み上げていた、小さな選択がいま大きな変化として新しい道を作っているのね……。
「皆の者、よいか。今、私は此処に新たな臣下を得た。名はエリザベス・ティア・ロッテバルト侯爵夫人。とくと心得よ、この者の手は小さく、儚く見えるが、この者の成した功績は大きい。王都リリエルと都市ロズウェルを深く結びつけた事でこの国はいっそう栄えるであろう」
陛下の声が広いホールに響き渡り、さざ波のように始まった拍手がホールを埋め尽くし、嵐のように大きく鳴り響いた。
外へ外へと商売を広げることに夢中で、自領の中の都市ロズウェルを育てることにしか気を回してなかった両親にはっぱをかけただけな気がするのだけど……。
私の功績の一つと讃えられたのは王都とロズウェルの間で起きた最大の事業となった街道整備と都市計画。
その工事のために必要な莫大な財源の一端を担ってくれたリューベルハルク大公家の当主であるカイルの顔をいいのかしら……と、ちらりと覗き見たけど、カイルはいつもと変わらぬ優しい微笑みを浮かべていただけだった。
そのあと、陛下が舞踏会の始まりを宣言すると音楽が鳴り始め、王太子殿下が婚約者である公爵令嬢とファーストダンスを踊り始める。
私もそろそろ仕事をしないと……と懇意にしてくださっているご夫人たちに挨拶をするためカイルの腕から指を外した時、王妃様に声をかけられた。
「立派な挨拶でしたね。貴方のような娘を持つローズベル辺境伯夫妻もさぞや鼻が高いでしょう」
「勿体ないお言葉でございます」
カイルの腕が私の肩をそっと押して王妃様の傍へ歩ませる。
「畏まらずともよい、せっかくの宴なのだから肩ひじ張らずに楽しみなさい。……ところで貴方のその衣装はどちらのものかしら。初めて見るものだけどとても美しいわ」
「ああ、これは遠い海の向こうの大陸にある、スイレン帝国のものですわ」
スカートの端をつまみ布地や刺繍がよく見えるように広げてみせると精緻な織のそれが光を纏い様々な色を見せていく。
「ほう、以前に特使が来ていたわね。……今は女帝陛下が治めていらっしゃると言う」
「はい、その国では女性の活躍が目覚ましくこのようなドレスが流行っているのだそうですわ。コルセットがない分のびのびできますが、慣れないと裾さばきが難しいのが難点です」
足元が見えづらいのはコルセットとスカートを広げる枠を付けた王都で流行しているスタイルのドレスも同じだけれど、いざとなればスカートをたくし上げてしまえば走れるものね……なんて考えていると。
「リズは昔からお転婆だから」
と、私の考えをすまし顔で当てて揶揄ってくる。
王妃様の前で!と文句を返したら仲がいいのねと微笑まれてしまった。
「そのアクセサリーも故郷のものなのかしら?」
見たことの無い鉱石だわ、と王妃様が興味深げに私の首に飾られたネックレスへ視線を向けてくださった。
こちらから言い出す前に興味を持っていただけたので、これを逃すわけにはいかないと少し食い気味に頷いてしまう。
そして首にかかるネックレスを外し、手のひらに載せて王妃様の前に差し出した。
「これもスイレン帝国のある大陸から採れる鉱石です。輝きも鈍く、宝飾品としてより一般的な置物の素材に使われていた石なのですが、交易を結んだ時試験的に持ち帰りこの国の職人達が加工して作り上げたものですわ。試行錯誤の末やっと輝きを損なうことなく磨き上げる術を見つけたのです」
元の鉱石を見たら別物だと思うほど、まるで水をそのまま宝石にしたような透明感のある結晶。
その中には小さな泡のようなものや、金糸のようなものと出土場所によってさまざまな内包物を閉じ込めていてそれがまた美しさを創り出している。
王妃様がネックレスを手に取り、光にかざして眺め始める。
「素晴らしいものね、少し青みのかかる透明な水……海のしずくのようだわ。この石の名は?」
「向こうの地では『さまざまな』という意味のあるザラという古い言葉から、ザラ石と言われているのですが、宝飾向けの名称はないので……
よろしければ王妃様がお付けになって下さいますか?そして試作ではなく職人たちの渾身の一作を王妃様に贈らせていただきたいと願います」
「そうね……この宝石を此れからはアクアティアと呼びましょう。それにアクアティアを初めて着ける王妃となる栄誉を頂きましょうね」
海の傍の辺境ローズベルから訪れた娘がもたらした鉱石とわかるように、王妃様のお付けになった名の中に私のミドルネームが入っていた。
難しい話はあの人としてねと、王妃様が悪戯めいた表情で陛下へ視線を向ける。
交易に関することや流通のことは詳しい人たちに任せましょうと頷き答えた。
そして私の着ているドレスも気に入ったと言われたので、店のオーナーを紹介することも約束し終え、宴を楽しんでと王妃からの声に甘えその場を離れようとした時……。
「エリザベス!」
私を呼ぶアバンの声が背後から響く。
近くにいた国王夫妻も私も声のするほうへ顔を向けてしまった。
視線が集まったせいかアバンは機嫌よくこちらへ歩いてくる。
まだダンスが始まって間もないのにもう赤ら顔だ。……どれだけ飲んだのかしら。
「す、少しわかりづらい所に居たため、不在と思われたようですね。私の妻が代わりに務めを立派に果たしたようですが……」
陛下に最初の挨拶をするのは自分だったのだと伝えようと焦ったか、アバンは頭を下げることも、言葉を告げる許しも得ずに陛下に話しかけた。
「卿は誰だ?」
朗らかだった声が一転して冷ややかで鋭い声色に代わる。
「……これはとんだご無礼を。わ、私はロッテバルト侯爵家当主、アバン・ナル・ロッテバルトです。今も日々王宮に参じ臣下の務めを立派に励んでおります!」
「……そうか、で、何用だ?」
陛下が私にしたように皆に自分の名を広めてもらえるだろうと期待して王を見つめた瞳が動揺に揺れる。
自分で立派に励んでいるとか自賛しちゃうから、傍に居る王の侍従さんまで残念そうな顔で見ているわ……恥ずかしい。
「いえ、ですから妻が私の代わりを立派に務めたことを褒めようと……」
「代わりとは何の事だ?私はロッテバルト侯爵夫人を指名して此処へ呼んだのだぞ?」
「今日の挨拶はロッテバルト侯爵家が行うと城の者が言っていたのを確かに聞いたのです。ならば当主の私が選ばれるのが当たり前ではないのですか?」
「たかだか当主が交代した程度、しかも功績も上げたことの無い者が選ばれるわけもなかろう。仮にそれが条件になるのであればそこにいるリューベルハルク大公のほうが相応しいのではないか?条件は同じであるぞ」
条件が同等なら爵位順で決めるものだからね。ぐうの音も出ない所なのにぐぅぅと唸りながらアバンはカイルを睨んでいる。
「おかしなことを口にいたしました…私共はこれで失礼します。…………おい!エリザベス、踊ってやるからさっさと来い」
「卿がエスコートしてきた令嬢は侯爵夫人ではなかったようだが?最初のダンスはエスコートした者とするのが一番禍根を残さぬ方法であるぞ」
パートナーを尊重しろと言っているようで、間違いだったとしても言葉を賜る大切な役目があると知っていながら正式な妻ではなく、そうではない女を連れて来たのだと他の貴族たちに伝えてくれている。
そしてアバンは肩を落としてアリスのいる場所へ戻っていった。
◇◇◇
……ワルツの前奏が流れ始めるとカイルが私に手を差し出す。
「栄誉に輝く明けの明星、どうか僕を最初のダンスの相手に選んでください」
向けられた優しい笑みに操られるように、気が付けば彼の手を取っていた。
巧みなリードに身を委ね、音楽と溶け合うようにダンスを楽しんでいたが、曲が終わりに近づき音が静かになると、遠くで小さな騒動の声が聞こえて来た。
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