⑨公爵令嬢と、あまりなにもできない侍女。
「それじゃ、クライヴ・ホーエンハイム卿が?」
「はい」
飲み物の購入をすると言ってルシアと離れたレミリアは、先に戻した護衛から報告を受けていた。
公爵家から誰かが来るのは想定の範囲内──だが予定は多少狂った。
なのでスヴェンはクライヴが来たのを知ると同時に、侯爵家に遣いを出した。その報告に来た護衛が目配せしたので、休憩を理由にこの店を選んで入ったのだ。
レミリアがルシアを留めることに成功した場合は、スヴェンは公爵家にその旨と経緯を記した手紙を出すことになっていた。
元・婚約者の新しい婚約者から出すよりは、曲がりなりにも王家の正統な血を引く第二王子スヴェンが出した方がいい。『ルシアが誘いを受けた』ということへの信ぴょう性と、侯爵家への不信感が幾分マシにはなるだろう。
侯爵邸ではなく王宮に来た場合、公爵家の者を相手にするのは、スヴェンの役目だったが──あまりに来るのが早い。
そもそも、ルシアは利用されたかたちでのスヴェンとの婚約……なのにその継続などの判断が彼女に一任されていたくらいだ。
(公爵家に思うところがありそうなルシア様の態度を見ても、折り合いが悪いのだとばかり思っていたけれど……)
無関心どころか、すぐにやってくるとは想定外だった。
しかも、おそらくスヴェンに頼んだ手紙ではなく、王家からの連絡が届いてすぐ。
思い返せばルシアの所作や振る舞いは間違いなく貴族淑女のそれだが、細かく見れば他の諸々も公爵家の特異さを物語っていた。
しかしレミリアが父に詰め寄っても、第二王子でまだ婚約者だったスヴェンが、王太子である第一王子や国王陛下に尋ねても、教えては貰えなかった。
スヴェンが代わりに言われたことは『彼女に聞け』……まあ、聞いたところでルシアも知らないので、わかりはしなかったのだが。
より悪い方を予想してはいたが、実際ルシアの扱いは腫物じみたところはあれど、下にも置かぬもの。最初に仕えた侍女らは全て解雇されているし、王太子妃や王妃も彼女を誘ったりしていた。そして……勿論丁重にだが、断ることすら彼女は許されていた。
その莫大な献金を思えばガウェイン公爵家の強さは理解できるにせよ、王家との関係はいいのだ……果たして公爵が疎んじる娘であった場合、王家がそこまでする必要があるのかと言われると、微妙な気がする。
(しかし早いにしても、早さが尋常じゃないわ。 それに、『公爵代理』?)
レミリアもスヴェンと同じ疑問を抱いた。
実際に駆け抜けた馬を見ているが、あの時のルシアは確かに会いたくなさそうではあったものの、おびえている様子ではなかった。
「……スヴェン様にお会いするわ。 場合によってはホーエンハイム卿にも」
その判断と時間は任せる……そう伝えるように護衛に告げ、ルシアの待つ席に向かった。
ホテルに戻り、夕食を摂ったあと、レミリアとルシアのふたりは同じベッドで横になった。王宮や公爵邸程でなくても、広い部屋の広いベッド……仲良くなるのが目的のレミリアである。元々一部屋しか取っていない。
「姉妹みたいね! 実はこういうの憧れてたの」
それは本心だ。レミリアには兄しかいないので、姉妹に憧れはあった。
それにたとえ恩義がきっかけで、青臭い使命感や同情心から動き出したのだとしても……もうこの一日でレミリアはルシアが好きになっていた。
親しみを覚え、情が深まるのに時間が掛かることもあるが、時にそうでないことはある。
明るく社交的なレミリアだが、それは幼い頃から王宮に市井にと、様々な人間を見て接してきた結果だ。朗らかで親切にしていれば、相手は大体好意があると思ってくれるだけ。それはただの処世術に過ぎないが、相手は自分に都合がよければ気になどしないのが常。
そういう相手と違う相手は、周囲に悟られないようにきっちりわけている──もうルシアと仲良くなるのは目的からではない。仲良くなりたいだけで、そこに面倒な理由は必要なかった。
「……あら」
てっきりまた憎まれ口が返ってくると思っていたら、ルシアは既に眠っていた。
(よっぽど疲れたのね)
目論見通りと言えば、そう。でも純粋に微笑ましく、ふふ、と無意識に笑いが漏れる。
楽しんでくれていたならいい……そう思ってレミリアは灯りを消した。
翌朝──というには少し遅い時間。
寝坊してしまったルシアが目を覚ましたとき、レミリアは既に起きて用意を済ませていた。
「おはよう、ルシアちゃん」
(……いつまでその呼び方なのかしら)
「……おはよう」
(──ま、いいわ。 歳上だし……それに)
──気取るのも、もう面倒臭い。
寝起きというのもあるが、誰かと眠るなんて十数年ぶりのこと。すっかりルシアはレミリアに警戒心を解いてしまっていた。
もう既にいい時間なのだが部屋は薄暗い。
ベッドの奥にある窓のカーテンを開けようと身体を起こすルシアに、レミリアは言った。
「まだ寝てていいのよ? 昨日は引っ張り回したから、疲れたでしょう」
「アナタは……どこかへ?」
口調はくだけたままだが、レミリアは貴族令嬢らしいきちんとしたデイドレスに身を包んでいる。
「少し用事があって王宮に行かなければならないの。 お昼には戻るからゆっくりしていて。 隣の部屋に軽食と小説を用意しておいたの。 部屋にはちょっと粗忽な私の侍女がいるから、起きたら遠慮なくこき使ってね!」
(粗忽な侍女……こき使う……)
随分と淑女らしからぬ物言いだな、とルシアが思っているうちに「じゃ、いってきます!」と彼女は元気よく出ていった。
レミリアがルシアの為に呼び寄せたのは、侍女見習いの田舎子爵の娘、ローズメリア・アンダーソン。侍女としてはまだ確かに粗忽だが、朴訥で、とにかく一生懸命な可愛らしい娘。
せっかく打ち解けてきたのだ……待たせる間にルシアが息苦しくならないよう、敢えて侍女としても貴族淑女としても未熟で、表裏のない娘を選んだ。
(身体、痛いわ……)
筋肉痛で身体中がギシギシする。
暫くの間どうしようか悩んでいたが、ベッドに戻るのもなんだか勿体ないような……そんな気分だ。
レミリアがいなくなって30分程経って、ルシアはようやくベッドから緩慢な仕草で這い出て、隣の間の扉をそっと開けた。
「……」
「…………ふぁッ?!」
ローズメリアは小説を読んでいた。
なにもせず待っている時間に耐えられなくなったローズメリアは、ルシアの為に用意した数冊の小説をなんとなく手にし、少しだけ読むつもりが、つい熱中してしまったのだ。
なるほど、これは粗忽者である──だが、彼女の失態はこれで終わらなかった。
「あああの、おはようござっ……ます! レミリアお嬢様から……ッ、ワタクシ、ローズメリアが言い付けられましてございます!──ぐぅっ!!」
やらかしを見られて焦り、取り繕おうとするも、盛大に噛んだことで更に焦ったローズメリア。大分残念な挨拶になりながら小説を持ったのも忘れ、その場でカーテシーを取ろうとした為手に持っていた分厚い小説が落下、足の爪先に直撃する──という連続技を繰り広げた。
「…………大丈夫?」
「ダイジョブデス……」
好き嫌いは別として、これに警戒心を抱けるとしたら、それもなかなか凄い。ルシアは当然、淑女でいる必要性を感じずに済んだ。
……流石にレミリアも、ここまでは想定していなかったが。