⑧公爵令嬢は気にしない。
ソファに座るや否やクライヴは不敬なのを承知で、真っ先にスヴェンに尋ねた。
「彼女は今?」
そんなクライヴに対し、スヴェンの態度は至極丁寧だ。クライヴが公爵代理だからというのもあるのだろうが、それにしても。
スヴェンがそんな態度であるにも関わらず、クライヴは不信感を顕にしていた。ルシアと婚約を解消した彼が何故自分を呼んだか、何故ルシアの居場所を知っているのか。
なにより、早くルシアに会いたい。
今度こそ、彼女の傍にいたい。
肝心な時になにもできなかった自分とは、立場も状況も違う──なのに、3年前には手をこまねいているうちに、彼女は婚約してしまった。
そのことを思い出し、今度はすぐでなければ……という逼迫感もある。
しかし、スヴェンの返事はすげないものだった。
「それはまだお教え出来かねます、クライヴ卿。 率直に申しますと、私達はあなた方を信用していない」
その言葉の意図が見えず、困惑する。
「…………仰る意味がよく──」
わからない、とは言えなかった。
ルシアが公爵家に戻りたくない理由ならば、存分にある。
──『私達』とはルシアも含まれているのだろうか……
王家からの報告と、今更の婚約解消。
それに対し許せないという強い憤怒と、それによって現れた未来の希望。そして過去への悔恨と与えられた贖罪のチャンス。
……ルシアへの、想い。
諸々に突き動かされるようにここに来たクライヴは、血が昇っていた頭に冷水を被せられた気分になった。
ルシアとスヴェンが、婚約は別としたところでいい関係を築いているなら、容易にそれらの説明はつく。今のこの状況も。
抱いたなにもかもを、ルシアに拒絶された気がして、クライヴの濃紺の瞳が揺れた。
「──ルシアが……そう、望んでいるのですか」
「……」
呆然と尋ねるクライヴを、スヴェンは暫し黙って見ていた。
スヴェンとレミリアが公爵家を『信用していない』のは事実だ。ガウェイン公爵家にはわからないことが多い。慎重になるならいくつかの可能性のうち、最悪を想定しておくべきだ。
だが、スヴェンは雄々しかったクライヴの顔があまりに蒼白になったことで、少し認識を改めた。そもそも彼が来るのが早すぎる……という疑問もある。
(……彼を信用するかどうかは、これから決めればいい)
「まずはお話を伺っても? クライヴ卿……貴方は公爵代理として来られたのですね?」
「──ええ。 ですが、クライヴ・ホーエンハイムとしてでもあります。 一人の、男として」
クライヴはスヴェンを睨めつけ、続ける。
「こちらからも質問を? 第二王子殿下」
「……どうぞ」
「貴方は何故、彼女との婚約を解消されたのですか」
「勿論、それが互いの望みだったからですよ、クライヴ卿。 貴方個人としては、なにをしにこちらへ?」
「ルシアを迎えに……ですが、無理矢理連れ帰るつもりではありません。 それは、公爵代理としても言えることですが。 ──私は……」
クライヴはその先が言えず、不自然な沈黙が起きた。
整理し、純化するには今の彼の心は複雑過ぎる。また、スヴェンとルシアの関係性がわからず不信も消えてはいない。
睨めつけたスヴェンの瞳は嘘を言っているようには思えなかったが、真実だと思い込んでいる場合──人は悪魔のような所業を、美しく澄んだ瞳で犯すということを、クライヴは知っていた。
「──会わせてください」
「クライヴ卿」
「彼女が会いたくないというなら、見るだけでも。 殿下が不信を抱いているように、畏れながら私も信用できかねます。 公爵代理として陛下に直訴することもできますが、強権を振り翳すような真似はしたくない……殿下の仰ることが真実ならば」
「……クライヴ卿」
スヴェンは少し考えたあと無言で立ち上がり、机の上にある鈴を二回鳴らした。
「ガウェイン公爵代理がお泊まりになる。 その用意とお茶を」
やってきた侍従にそう指示を出した後、スヴェンはソファへと戻る。
「どのみちすぐにとはまいりません。 まずは明日、彼女を預かる者とお会いになってください……今日は、」
話を続けたまま、ゆっくりと深く腰を下ろした。
「私は……もう少し貴方という人を知りたいが、如何ですか?」
「……有り難きお言葉です。 ご配慮痛み入ります」
★★★
煉瓦造りの建物が連なった、王都の城下町。
赤茶色に染まる街並みの奥には、漆喰で美しく整えられた王宮がそびえ立つ。木と石造りの建物ばかりの公爵領とは違った華やかさだ。
盤面のように区分けされた道を一本先に進めば、多くの露店がひしめき合うように並んでいる。
レミリアは知り合いの店を回り、友人知人と会話し、ルシアに他愛もない話を振った。
店頭に並んだ商品の中でどれが可愛いかとか、どの色が好きかとか、どれを食べるかとか、彼女が答えやすい取り留めのない話を。
ルシアにとっては、見るもの触れるもの全てが新鮮だ。自身の身体の疲れさえも。
「少し疲れてきたわ~。 ルシアちゃんはどう?」
「少しじゃないわ、もうクタクタよ!」
「うふふ、文句をつけられるなら大丈夫ね」
「ふん。 大丈夫じゃないなんて、誰も言っていないわ」
そう憎まれ口を叩くルシアは、いつの間にかくだけた口調になっており、口数も増えていた。それに少しずつだが、表情もわかりやすく変えるようになっている。
「でもちょっと休憩しましょ? 喉が渇いちゃった」
そう言って繋いでいるルシアの右手を引っ張ると、レミリアは一階客席が外と繋がった開放的な作りの店へと向かった。カウンターで注文し、商品を受け取るタイプの店だ。
チラリと護衛を確認し、レミリアはルシアを席に着かせた。
「ここで待ってて」
彼女は「私のオススメを買ってくるわ」と、言いながらその場を離れる。独り席に残されたルシアは、行儀の悪さを気にせずに足と腕を伸ばした。
(疲れた……)
だが、嫌じゃない。……楽しい。
(──……あ)
ぼんやりと眺めていた人混みの中で、幼い女の子が転んだ。
「わあぁぁーん」
泣き出す少女に、少し大きな男の子が駆け寄る。
呆れたように声を掛け、抱き起こす父親と思しき男性。
「…………」
「…………」
言葉は街の喧騒に聞き取れない。
軽い既視感。
断片的だが鮮やかに蘇る、いくつかのシーン。
父の柔らかく、諌める声。
(おとうさま……)
レミリアに無理矢理繋がれた、まだ温かい掌。無理矢理だけど、優しくて、温かい……
(…………おにいさま)
──あの時もそうだった。
泣いていた自分を連れ出してくれた、少しだけ背が伸びたクライヴの、まだ幼い背中。
豆だらけでボロボロの手。
『……大丈夫、俺が……近くにいるから』
真っ赤になりながら紡いでくれた、真剣な言葉。だけど──
曖昧に開いていた手を見つめ、握り締める。
……それ以来、彼は来なかった。
きっと、咎められたんだろう。
そんなつもりじゃなかったとわかっている。
彼だってまだ子供だったのだから。
だからそれでも、再会した時は嬉しかった。
なのに……
「……嘘つき」
小さくそう呟く。
それもまた、喧騒に消えた。
「ルシアちゃん!」
「──」
「ごめんね、遅くなっちゃった」
両手に飲み物を持って小走りでやってくる、レミリアの笑顔。
「……気にしていないわ」
そうだ、気にしていない。
もう、気になんて、しない。