⑤なにもしなくてもやってくる。
「『くれぐれもお気を付けて』……ですって。 失礼しちゃうわ!」
馬車に乗るなり、レミリアはそうプンプン怒り、誰に言うでもなく文句を付けた。とても表情が豊かで、夜会で数度だけ見た彼女の印象とは大分違う。口調もぞんざいだ。
「ハーグナー侯爵令嬢」
「レミリアと」
「どこに連れて行ってくださるの?」
レミリアの言葉を再び無視してルシアが切り出すと、彼女は不敵に微笑み「貴女の望むところへ」と芝居がかった口調で言った。
その後。
「……でも、とりあえず侯爵家へ」
と、すぐに訂正するあたり。
どうにも締まらないが、これも彼女の話術なのかもしれない。ルシアが呆れた顔をすると、レミリアはあどけなく笑った。
レミリアとスヴェンは恩義を感じているようだが、ルシアは結局なにもしていない。
婚約はスヴェンとレミリアの努力により、円満に解消され、ふたりは晴れて婚約内定を勝ち取ったのである。報われる努力ならするべきだ。そして彼らはそうした。そしてルシアは、無意味な努力はしないと決めていた。ただそれだけのこと。
だがなにもしなかったことにより、思っていたよりも大した疵瑕にはならないようで、ルシアはそれが残念だった。瑕疵になればそれを理由に修道院にいくつもりだったから、その為の努力はしたつもりだ。
ルシアはスヴェンの読み通り、王子妃教育を『努力しているが、できない』フリをしていた。
なのにルシアが不出来なのを理由に解消されたというよりは、スヴェンとレミリアの恋愛の方に話は寄っている様子。あまつさえ後押ししていたようになっていると知り、これには本当にガッカリした。
──自分の努力は、いつも意味がない。
「折角の王都です、色々見て回りませんか? 庶民の格好をして市井を回るのも楽しいですし、観劇に行くのも素敵」
「ハーグナー侯爵令嬢」
「レミリアと。 迷われるなら、全部やりましょう。 ルシア様がお急ぎでなければ」
「……」
「まずはウチでブランチを。 侯爵邸は王都の貴族邸宅にしてはそれなりに広いんですよ? 領地がないぶん、ですけれど」
「……ハーグナー侯爵令」
「レミリアと」
レミリアは強引で、朗らか。ルシアは彼女に辟易しながらも悪い気持ちではなかった。彼女は他人を楽しい気持ちにさせる、気分を盛り上げる空気を作るのが上手い。
ルシアがレミリアへの嫉妬に呑まれるより強い力で、中に入り込んでこようとする。
ルシアの周りには、いなかったタイプだ。
ルシアが抱いていたレミリアの印象と実際の彼女が違っていたように、レミリアもまたルシアに対して考えていたイメージとの乖離を感じていた。
今まで抱いていたイメージは、態度や物言いそのままのルシア──柵を受け入れながらも、毅然と我を通す。年齢よりも大人びた……それ故の諦観。
いざ会ってみると、それはまるで子供の虚勢で、酷く痛々しく感じた。
(スヴェン様ではわからなかったでしょうね……)
第二王子であるスヴェンは、自ら人の懐に飛び込むようなことはしないでいい立場にある。おまけに彼は優しく真面目だが、言い換えれば決断力に欠ける。
それに、彼のせいばかりではない。
王宮や婚約という枷がある、限定された空間の中で……節度を以て関わり合う人間達。
いわば、そこは舞台の上だ。背景や小道具の揃った中で演じるならば、それらしく見える。その安心感、或いは逆に舞台上である緊張感から、完璧に演じることができたのだろう。
枷が外れた今、ルシアの演技には綻びが生じている。なによりこれまで誰も、強引に踏み込んでくるような真似などしなかった。
余談だが、スヴェンの婚約話が出た時相手は決まっていなかったが、その候補の中で宰相は娘でなくルシアを推した。
宰相であるグレンは、娘の恋愛を悪いとは思っていなかったが、浮かれた気持ちのまま王家になど嫁いで欲しくなかった。
それは平和な時代に第二王子としてのびのび育ったスヴェンにも問題があったからである。彼にはなにかを切り捨て選び取るような判断ができない。娘がしっかりするか、スヴェンが成長するか……いずれにせよ、このままではいけないと思っていた。
意外なかたちではあったが、ふたりの成長と恋愛の成就という最も望ましい結果が生まれたのは、ルシアのおかげであるので、彼もまたルシアに恩義を感じていた。
そんなわけで、ルシアを留める話には宰相も黙認というかたちで一枚噛んでいた。レミリアは気が済むまでルシアを侯爵家に滞在させるつもりでいる。
王宮から公爵領方面へと向かっていた、王家の馬車から侯爵家への馬車に乗り換えて暫く。
ルシアはレミリアの話に不思議な高揚感と居心地の悪さを感じて、不貞腐れたように窓から外を眺めていた。
「……?」
近付いてくる、激しい蹄音。
侯爵家の馬車の横を、物凄い速さで駆け抜ける馬──
「──! ……!?」
それを見て思わずルシアは窓にしがみつき、走り去った馬を二度三度となにかを確かめるように眺めた。
──お義兄様……?!
それは、間違いなくルシアが義兄と思っている男……クライヴだった。
「何故ここに……」
「……ルシア様?」
僅かにペースを落とした馬車と、『どうされました?』とこちらを慮る御者の声。
「お停め致しますか?」
「──いえ、ゆっくり……そのままお願い」
変な動きをするのは却って良くないかも、と判断したレミリアは御者にそう指示を出し、ルシアに向き直る。
「ルシア様、今のにお心当たりが?」
「……なんでもないわ」
(『なんでもない』って顔じゃないじゃない……)
だが、今の返事でレミリアは再認識した。ルシアがそもそも、こちらを頼る気ではいなかったことを。
思っていた以上に手応えは感じていたが、3年もスヴェンに一切心を開かなかっただけのことはある。
実際スヴェンから伝てで、侯爵家で彼女を暫く預かる旨を記した手紙は公爵家に送っている。それが届くより明らかに早いが、おそらく公爵家の誰かだろう。少なくともルシアが会いたくない相手であることは間違いない。
馬が向かったのは王宮の方向だ。このまま侯爵邸に戻ればすぐルシアの会いたくない相手はやってきてしまう。ルシアが承諾した以上こちらに疚しいことなどないから突っぱねることは可能だが、公爵家の家人ならば揉めるのは面倒な相手である。
なによりまだレミリアは、ルシアと仲良くなっていない。
「……──そうだわ、予定を変更しましょう! ルシア様、私、お近付きになった記念にお揃いの物が欲しいわ。 今日は市井で買い物をして、そのままホテルに泊まりましょう」
レミリアはわざと明るい調子でそう言うと、御者に行先の変更を告げる。護衛の一人には先にホテルの予約と家への連絡を頼んだ。