④公爵令嬢はなにも知らない。
「……何故ルシアを王宮になど行かせたのです」
「クライヴ……」
婚約が成され、ルシアはそのまま王宮に召された──その日の公爵邸。
それを知ったクライヴは、ひとり帰ってきたガヴェイン公爵であるベンジャミンに問い詰めた。抑えた口調だが、瞳は怒りに満ちており、握った手は爪が食い込むほど。
クライヴは騎士団長であるホーエンハイムの末の息子。一人娘であるルシアに公爵家の当主の役割を継がせたくないベンジャミンは、いずれは婿に入ってもらうつもりで彼を公爵家に迎えた。
ベンジャミンは、ルシアを愛していたが、ふたりはすれ違ってしまった。そしてそれから今までの間に起こった諸々は、すれ違いの一言で片付けられるものではなく……ルシアと公爵の間には深い溝ができている。
その溝のひとつの要因がクライヴのこと。
彼が自分の婿になる予定で公爵家に入ったことをルシアは知らず、養子……義理の兄だと伝えられた。これは公爵に、ではない。第三者に、意図的に。
そして彼が来たことで、自分は見限られたのだと思ってしまった。
スヴェンとの婚約は王命ではないが王家の意向という圧はあった。ルシアの意思など関係ない……というのは以前に記した通り。だが、ガヴェイン公爵は否と言える立場にある。──彼が是としたのは、ルシアが是としたからであることも、やはり彼女は知らなかった。
ルシアは知らないことが多い。溝の要因となる諸々やルシアに悪意が注がれるのを許したのは、ひとえにそのせいである。
そしてそれは、ルシアを想うが故に起こったすれ違いの原因だった。
──かつては王家を護ることが任であったガヴェイン公爵家の領地は王都から程近く、広大な敷地を保有している。
この国に面する海と森には魔獣が出る。
ガヴェイン公爵家の保有する領地の広大さや、王都からの近さはこれが理由のひとつである。領地は広大だが、人が生活しているのは王都近くの公爵邸付近と、点在する城壁に囲まれた街とごく僅かだ。ベンジャミンがなかなか邸宅に戻れないのは、軍を率いての魔獣の討伐こそが彼の責務だからである。
ガヴェイン公爵家の当主は軍神である火の神の加護を持ち、戦場では一騎当千、軍を統率するカリスマ性を発揮するとされている。そして王とは神の声を聞く者……つまりそもそもは神官である。故に公爵家当主の代替わりには、火の神との盟約の儀式が行われる。儀式で誓う忠誠は、土地神である火の神に対して。王家にではない。王が誤ったとき、粛清する役割も担っているのだ。尚、ベンジャミンは王家の血筋になるが、当主が血筋の者でなくても構わない。盟約の儀式で立場を継いだ者が、次の当主である。
盟約云々については、公にされていない。
そもそも王家の一員だった軍の総統という役割を切り離し、国を広げる為に遷都したことによってできた、『ガヴェイン公爵家』の歴史はまだ浅く、役割の分断によって特殊な立場になった。
彼等の討伐した魔獣の死体は国の重要な資源であり、財源でもある。──国を割りかねないガヴェイン公爵家の立場は秘され、莫大な財産と権力はあるが、表舞台には顔を出さない存在となった。
だからルシアは本来、王子の婚約者に選ばれることなどない。だが、ベンジャミンが『娘には当主を継がせない』と決めたことや、彼女の身に起こった諸々がそれを覆した。
ガヴェイン公爵家の広大な敷地と莫大な財産。そして精々軍のことまでは知っていても、滅多に社交の場に顔を出すことも無い彼等の諸々を知る貴族は、王家の一部と宮廷に携わる法衣貴族の一部のみ。単純に王家の威信を上げる、ガヴェイン公爵家が王家に忠誠を誓っている存在だということを周囲に知らしめられれば良いのなら、ルシアの婚約は有効だった。
婚約はそのまま婚姻までいっても、円満に解消であっても、全く問題はない。
第二王子であるスヴェンとレミリア……そして王宮の侍女らがそれを理解していなくても当然のこと。まさか粗雑に扱うとは、想定外だったが……それはこの時点ではまだほんの少し先の話である。
ルシアもガヴェイン公爵家のことを知らない。
別邸でルシアが強いられた数々の勉強は、通常の高位貴族令嬢の為のもの。それも必要がないとは言わないが、ガヴェイン公爵家にとってはあまり関係がないものが殆どだった。
分家が出しゃばったのは、公爵がルシアを大事に想い当主を継がせないつもりであるというのに付け込み、ルシアを社交界に引っ張りだそうという思惑があった為である。
それはガヴェイン公爵家の歴史の歪みから生まれた結果と言えた。
「ルシアが行くと言ったのだ。 スヴェン殿下と上手くいくならそれでいいし、もし上手く行かなくても構わない」
「私はルシアの……!」
「クライヴ、ルシアがいようといまいと、お前の立場は変わらない」
ベンジャミンがルシアではなくクライヴを当主を継ぐ者として選んだのは、戦地に赴くことや盟約の為であり、娘を思っての行動だ。
だがガヴェイン公爵家のことを知らないルシアが、当然それを知ろう筈もない。
本来教えられる筈の諸々は、詰め込んだ間違った教育に疲弊したルシアを慮り、先延ばしされてしまった。そして予定していた時にはまた別の悲劇が彼女を襲い、心を閉ざしたルシアに教えられる状況ではなくなってしまったのだ。
「そういうことではありません!!」
「……クライヴ、責任感なら」
「違う! 私は……ッ」
──そしてクライヴが彼女を望んでいたことも、ルシアは知らない。
「クライヴ……──そうか。 ……すまない」
「……」
クライヴもまた不器用だった。
ルシアと出会うタイミングもやはり悪く、彼もまた誤解されていた。自身のせいでもあるそれに、言葉は途切れ、公爵に謝らせてしまった彼にはもう、なにも言えなかった。
「──だが、ルシアがここにいるのは辛いと思ったんだ……環境を変えれば」
「……学園だって、寮でしょう」
「ルシアは学園には行くつもりはないようだった。 なら王宮の方が、まだ。 ……ルシア自身はなにも言ってくれないから」
「……」
そしてルシアの身に起こったことやその後の彼女の変化を考えれば、公爵の言い分も悔しいが理解できた。
ルシアはなにも知らない。
そしてルシアを想って伏せていたあれこれは、全て裏目に出ており、溝を埋めようにも公爵もクライヴも完全に拒絶されていた。ふたりはルシアを愛しているのに、彼女を想うあまりどうしたらいいかわからず、なにもできないまま。
★★★
「本日も御機嫌麗しく、ガヴェイン公爵令嬢……うふふ、ルシア様とお呼びしても?」
突然現れたレミリアは、美しいカーテシーのあと、にこやかに図々しく言った。勿論ルシアはスルーする。
「ハーグナー侯爵令嬢……なにか?」
「ブランチのお誘いに。 折角の王都ですもの、是非そのままお戻りになる前に」
「……!」
このまま王家の馬車に乗っていれば、間違いなく公爵領まではそのまま送られてしまう。レミリアの言葉はそれを示唆していた。
頼るつもりは無かった……だが。
「……理由がないわ」
「私達にはございます。 お世話になりましたので、どうぞお返しに」
スヴェンから言われた言葉が過ぎる。
ルシアはなにもしていない。なにもしていないが、したと解釈するならば。
「…………そう。 では有難く」
王宮ではルシアのことは好意的に受け止められていて、ふたりの恋を後押ししたかのようになっていた。スヴェンとレミリアの意図もあるが、王家の公爵家への忖度でもある。
威信の為に利用したかたちの王家だが、ルシアの事情はそれなりに知っていた。『環境を変えてみては』というかたちで公爵に話を持ち掛けはしたが、ガヴェイン公爵家の大事な娘を預かったことに変わりはない。
ルシアが来たばかりの頃のように、失態を犯す訳にはいかなかった。
侯爵家の馬車に乗り換えようとするルシアに、騎士達は戸惑った。
「ガヴェイン公爵令嬢、困ります!」
「なにも困らないわ。 そのまま報告して構いません。 そうですね? レミリア様」
「ええ、ルシア様。 スヴェン殿下とハーグナー侯爵家が責任を」
「だ、そうよ」
そもそも相手は侯爵令嬢、ただでさえ扱いづらいのにスヴェンとの婚約が内定している女性だ。王家に仕える者として、第二王子であるスヴェンの名前が出た以上、断ることは難しい。
しかもルシアも受け入れている。
「……わかりました。 くれぐれもお気を付けて」
それだけ言うと、せめて報告は素早くしなければ、と一団は素早く踵を返した。
★作者の一人言
ヒストリカル知識不足を補う為に唐突にファンタジー要素ぶっ込んでくるのよせ、という苦情は受け付けない所存。(だが自覚はある)