㉟魔法のようなもの。
ルシアとクライヴは、少し馬を休ませる為に食事を摂ってから公爵邸まで戻ることにした。「馬車を呼ぼうか」というクライヴの申し出を、ルシアが断ったのだ。
食事と休憩を充分に摂ったあと、邸宅へ向かおうと声を掛けたのはルシア。
「いいのか? もう少しゆっくり散策とかをしても構わなかったのに」
「その分ゆっくり馬に乗ればいいわ」
「うん……まぁ……」
ガウェイン公爵領ではクライヴの顔が知られすぎている為、散策しても王都の時のような気楽さがない。ルシアがとりたいのは、彼とふたりの時間だ。
クライヴも似た気持ちはあるが、馬だと距離の近さが気になってどうにもならない。ある意味ご褒美ではあるが、ルシアに怒りをぶつけられたこともあり、以前よりも更に『浮かれてはいけない』と気を引き締めているクライヴには、厳しい時間でもある。
今思い出してみても、肌を晒したことをルシアはそこまで恥ずかしいとは思えずにいる。
シュナイダーの時は今よりずっと子供の身体だったのに、もっとずっと恥ずかしかった。試しにスヴェンで想像したら『無理』と思えたので、あの時に羞恥心が消えてしまったわけでもないようだ。
ルシアはクライヴへずっと抱いていた特別な気持ちがなんなのか、今もわからずにいる。
わかる必要もないのかもしれないが、もっと近付きたかった。クライヴとの距離だけでなく、自分の心とも。
他愛ない話をしながら、ゆっくり馬は進む。
クライヴが話す度、頭ひとつ分より少し大きい彼の声が、ルシアのつむじを擽る。
ルシアはクライヴの表情が見たくて、肩を借りるように身体を預け、顔を目一杯上げた。
「危ない!」
「あら、ごめんなさい」
例の如く、なるべくルシアと身体が密着しないようにしていたクライヴだが、彼女の予期せぬ動きに今度は必要以上に密着することになった。
「クライヴ、顔が赤いわ」
顔が見えたのは一瞬で、あとは殆ど顎しか見えなかったけれど。
「誰のせいだと思っているんだ……」
「私のせいなの?」
「~~~ああ!!」
クライヴは赤い顔のまま、半ばヤケ気味に肯定する。
思えば散々酷いことをした。
多分誰よりも自分のことで割を食っているのは彼だと思う。
3つしか年齢の変わらないクライヴに、沢山のモノを求め、ぶつけてしまった。それは彼に求めるべきでないモノも、おそらく含まれている。
ルシアはそんな風に思って、更に酷いことに笑いが込み上げてきた。
「馬鹿ね、クライヴ。 貴方は大馬鹿だわ」
この気持ちがなんなのかなんて、わかる筈がない。とても醜くて仄暗く、美しくて眩しく、激しくて穏やかで、時に我儘に放り出してしまいたいくらい、執着した大事なもの。
──強いて言うなら、これまでのルシアの全て。
それを全身全霊で受け止めようとしたのだから、ルシアだって身体ごとくれてやっても構わなかった。
その気持ちがどこまで伝わったのかわからないが、クライヴはルシアの身体を支えるように、そっと態勢を整える。
「……ゆっくりでいい。 これからは、ちゃんと充分に、伝えていくから」
クライヴは寡黙で口下手だ。「伝えられるの?」と笑うと、自信なさげに「……努力する」と返すので益々笑った。
クライヴの気持ちとルシアの気持ちは違うが、きっと強引に変えてしまうことはできると思う。そうしてしまっても構わないのに、そうしないクライヴは、どこまでもルシアに甘い。
だが、彼は彼で献身的な愛情からそうしているだけでもなかった。そこには元々あった卑屈さや臆病さ、幼いルシアへの罪悪感や後悔、それらを生んだ日々を埋めなければいけないという贖罪のような想いも同時に存在する。
風に紛れて頬に飛んできた雫に、クライヴは少しだけ、ルシアの身体を支える両腕を僅かに狭めた。
触れる肌に、胸が高鳴ったのはクライヴだけではなく、そこからはふたり、暫く無言だった。
「……ゆっくりでいいのよね?」
「…………ああ」
多分、これから少しずつ変わっていく。
きっとなにもかも都合よくはいかないけれど、それでいい。
──ベンジャミンはあの後、結局ルシアにはなにも言わず、王にのみ事のあらましを話すに至った。
自身が信じ、培ってきたものを否定することが出来なかっただけではない。その中には「これ以上ルシアを傷付けたくない」という想いもある。なにもかも伏せてしまったことへの後悔と葛藤はあったが、ルシアは傷付いたばかりだ。今話して母が死んだことを、自分のせいだと思うようなことになって欲しくはなかった。
王は彼に心を寄せ、教義の中に、『王家並びに公爵家に産まれし女児は、神の贈物と思い慈しむべし』という一文を添えるとまで約束してくれた。
しかし、ベンジャミンは自身の判断が正しいとも思ってはいなかった。
これを含め、ずっと迷ったまま決断し損ねたようなかたちでしたいくつかの選択は、ずっとタイミングを測りかねたまま、今も尚、ベンジャミンのルシアへの態度に影響し続けている。
迷ったままのベンジャミンが、なにかを語ることはおそらくこれからもない。時が経ちすぎてしまったのだ。蟠りや出来てしまった溝は、そう簡単に埋まらないだろう。
数々の困難な状況の中とはいえ、娘への接し方は褒められたものではなかった。またクライヴを息子のようには思ってきたつもりだが、彼に様々なものを強いてしまったのは事実。シュナイダーのした事も許せないが、彼が自分に尽くしたこともまた、事実だった。
呑み込めないことや犠牲にした色々なものを後悔と共に思い出しながらも、結果的に言えばベンジャミンは、与えられた役どころを全うするのを選んだことになる。
彼にとっての救いの光は、クライヴのルシアへの想いと献身──
揃って戻ってきてくれたふたりを、彼はただ抱き締めた。
「……お帰り。 ルシア、クライヴ」
「お父様…………」
戸惑いながら、ルシアはそれに応える。
「ただいま、帰り……ました」
父の身体から香る匂いからだろうか。不意に、男の言葉が過ぎった。
『貴女のお望みに合わせて……やり直しでも、新しい出発でも』
選ばなかったように思っていたけれど、どちらもこれがそうなのかもしれない。
解決していない諸々や、これから起こるであろう別のことに悩み、足掻きながら。
魔素の変換をする代わりに、想いを不器用に紡いでいく──それはきっと少しずつで、魔法のようにはいかないけれど。
なんだか魔法みたいだ。
そんな風に思う。
ルシアは子供のような仕草で腕を広げ、ふたりの背に回した。
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