㉞お別れ。
その後、ふたりは王宮を辞し、ハーグナー侯爵家に挨拶に立ち寄ってから、ガウェイン公爵家に戻ることにした。
今度こそ王家の馬車で、公爵領の領門まで送られることとなった。
別れを惜しむレミリアとローズメリアが馬車に乗り込み『領門まで一緒に行く』と言ったのには、流石にスヴェンも苦笑いしたが、反面予想はしていたようだ。馬で来たクライヴと共に、彼も自ら馬で送ることにしたらしい。
結果、警備兵と侍女の馬車が加わり、なんだかとても仰々しい感じになったのは、致し方ない。
「ですが、クライヴ卿も悪いですよ。 馬で一人来るとかありません……ルシア嬢の帰りはどうされるつもりだったんです?」
「あのときは…………短慮でした」
「ははっ」
恥ずかしそうな顔を見せるクライヴに、スヴェンが快活に笑った。
馬車も馬ものんびり進む。通常通りといえばそう。急ぐ理由も特になく、馬車にはふたりの大切なご令嬢だ。数はおかしいが、速度は本来、このゆっくりなペースが正しい。
心地よい程度に柔らかく木々を揺らす風。
市街地を抜けると、ローズメリアは「折角だから王都の風景を見せたい」というレミリアの指示で、座席横にあるルーバー窓のハンドルを回し、カーテンを開けた。
横でスヴェンと話しながら馬に乗るクライヴと目が合い、ルシアははにかみながら手を振る。
それは何度も目にしたようでいて、とても新鮮にレミリアは感じた。違うのは、ルシアの表情というか……纏う空気。
「もしかして昨夜帰って来なかったのって……そういうこと?」
「そういう……? ──ッ!? ち違うわよ!」
「え、違うのですか? 私はてっきり騎士様が『今日の君は美しすぎて』どうのこうの、という流れでそうなったとばかり……」
「ローズメリアは小説の読み過ぎだわ! 大体なにその『騎士様』って?」
間違ってもいないが何故そう呼ぶのかというと、大した情報もなく、脳内が恋愛小説に汚染されているローズメリアは、最初からクライヴを『ツンデレ姫君を守る騎士様』という目で見ていたそう。勿論ふたりの間になにか確執があるのは見て取れたものの、ルシアは『ツンデレ』なので、そこはあまり疑問に感じなかったらしい。一人妙に緊張感がなかったのは彼女の性格だけでなく、両片想いの恋愛ストーリーがローズメリアの中で繰り広げられていたからのようだ。
今更のローズメリアのそんな告白にルシアは呆れ、レミリアは笑っていた。
今だってルシアは正直なところ、恋とかそういうのは、よくわからない。
クライヴとは口付けを交わし、肌も晒してしまったけれど、他の衝動の方が強かった。途中、ときめきのようなモノも確かに感じることがあったのは否定しないが、今はただ穏やかな満足感が殆どを占めている。
「……まだ、そういうのじゃないのよ」
「まだ? へぇ~」
「いいでしょ! 多分婚約者なのだから!」
「多分……ああ、スヴェン殿下との婚約がありましたもんね……引き裂かれたふたつの恋人達……そして夜会で!」
またローズメリアの小説的な妄想が膨らみ出し、ふたりは若干引いた。
「……まあ、間違ってはいないような?」
「間違ってるわよ……合ってるのはレミリアのところだけでしょ……」
(──だけど、まぁ……いいわ)
くだらないような日常の遣り取りの中で、ローズメリアの言葉は何度もルシアの芯を突いた。物語という緩衝材を通しての自分にではない鋭い指摘だからこそ、素直に揺さぶられるものがあったのだと思う。
そうじゃなかったとしても、ローズメリアと過ごしたのは素敵な時間だった。
レミリアとは、それ以上に。
馬車での道中、ルシアはふたりとふざけた会話をしながら、それを噛み締めた。
「ルシア」
「なに?」
ガウェイン公爵領の領門が近付くと、徐々に口数が減ってきたレミリアは、なにを言おうか迷っている様子が見て取れる。
「…………大丈夫?」
「──」
ようやく口から出た言葉は、とても単純で。だからこそレミリアの言い表せない思いを感じ取って、ルシアは眉を下げる。
「大丈夫よ……きっと。 これからは、前よりも」
虚勢も嘘もない言葉で返すと「大丈夫じゃなかったら、必ず私を頼って」と真面目な顔で言うレミリアに、ルシアは「それじゃヒロインじゃなくてヒーローだわ」と笑った。
★★★
「女王になった少女もそうだけどね、元来女性の方が力を持ちやすいんだ……だからこそ、女児は生を受けづらい」
事も無げに魔法使いは言ったが、ベンジャミンはそこに含まれた意味を理解した気がした。
ソニアは健康そのものだった。
──ルシアを孕むまでは。
それで娘への想いが変わるわけではない……そう思いつつも、ベンジャミンの瞳は揺れた。それを感情の読み取れない瞳で見詰めながら、男は淡々と続ける。
「シュナイダーの術は成功した。 だがまだルシアは女性として未成熟なことが原因か……その力が眠ったままだったので、術は反作用した。 本来目覚める筈の力は、術によって封じられたんだ。 ルシアが初潮を迎えても、ただの少女のままさ」
「そんな!」
それを聞いてシュナイダーが叫んだ。
腕を拘束されて吊るされているが、彼の両手足の腱は既に切られている。
「そんなことって……! じゃあ僕のした事は」
「──うるさい!! 貴様は黙っていろ!!」
どこにそんな力が残っていたのかわからない程の剣幕で、叫び、暴れるシュナイダーをベンジャミンは強く蹴り上げた。自身のいいようのない気持ちをぶつけるかのように、意味なく。
それを温度のない目で睥睨し、魔法使いは口角を僅かに上げる。
「ベンジャミン、君には『おめでとう』と言うべきかな?」
「なに……?」
「君が望んだことだろう? 愛する娘には重責を負わせたくなかった、君の望み通りだ」
「……!!」
畏れも敬いも忘れ、ベンジャミンは男に掴みかかっていた。
「そんなわけないだろう!! 娘は……ッ、妻は!!」
「へぇ? なら、ルシアに話すといいよ。ソニアにはもう話せないけれど。 真面目な君だ……王には一連の流れを報告するのだろう?」
忠臣であり、神に忠誠を誓った『ガウェイン公爵家当主』だ。王を粛清できる身であるには、相応に潔癖でなければならない。
決して国を割るような真似を望むことはなく、皆の為に──それは彼の、そして歴代当主らの誓い。それを守り続けていたことは、彼等の誇りだ。
シュナイダーの言う通り盟約の義式が呪いだとしても、『火の神の加護』そのものや儀式で受け継いできたモノが呪いなのではない。その誇りこそが呪いなのだ……ベンジャミンは歴史の中で、それに初めて気が付き、立ち尽くした。
──良かれと思って。
それらの行為はどれだけ我儘で傲慢で、醜悪だったのか。
シュナイダーは既に事切れていた。
彼の死体に近付き、魔法使いは小瓶になにかを移す。
「ご覧、ベンジャミン。 綺麗だろう……シュナイダーの魂だよ。 コレは貰っていくね。 ──君は君の思うままに」
満足そうに小瓶の中の光るものを眺め、彼は知らぬ間に消えていた。
ベンジャミンは、ただ呆然と眺めていた。
血だらけで伏したシュナイダーの、酷い亡骸を。




