㉜生きているからこそ。
「ルシア……!!」
ルシアがまず認識したのは、クライヴの感触と匂い。それに声。
身体が目覚めたのは王宮内の離れ。以前ルシアが使用していた部屋だったところだ。
もっとも、ぎゅうぎゅうとクライヴに抱き締められていたルシアは、すぐそれに気が付くことができなかったが。
「良かった……無事で」
「……」
顔を上げようとしたルシアの頬に落ちた雫は、先程とは別の透明なもの。
「……アナタ、こそ」
クライヴの身体の状態を尋ねたかったルシアだが、彼の体温と腕の力でおよその理解はできる。紡ごうとした言葉は戸惑いと、それ以上の安堵に途切れ、途中で詰まってしまった。
蟠りは残ったままだ。
だがそれも、生きているからこそ。
生きていてくれて、嬉しい。
……生きていて、良かったと思う。
目覚めて暫く、落ち着いたあたりでことの経緯が気になった。すると、傍で控えていた宮廷魔術師の女性がコホン、とわざとらしく咳をしたあと歩み出る。
「失礼致します、ガウェイン公爵令嬢。私は宮廷魔術師ユーレカ・ソルドレイン」
彼女は勅命を受け、ルシアの身柄の保護を任としていたという。
曰く、夜会前から既にルシアの動向は見張られていたそう。宮廷魔術師の配備も、なにかに備えてのこと。
「なにが起こるかまではわからなかったし、起こるかすらもわからなかったのですが」
そうユーレカは言う。
結果、『なにか』は起こり、宮廷魔術師が動いた。
使用された矢尻のようなものは、魔石と呼ばれる。魔獣の核に近いくらいに魔素を含んだ希少な鉱石だ。
もし魔法のようなものが発生した場合の対抗手段として、魔素を打ち消す術が施されていた。打ち消す際に粉々に砕けるので、あの場合クライヴが庇わなければ、怪我をする可能性はとても低かったのだという。
「ですが、それによってガウェイン公爵令嬢の体内に宿った力──魔素が、卿の治癒に向かい尽きたのだと思われます……ただしこれは、推測に過ぎませんが」
ルシアの慟哭とともに魔法陣が再び光り、そして消えた。
宮廷魔術師達が近付いた時には、ふたりはほぼ無傷の状態で意識を失っていたらしい。もっとも、クライヴはすぐに意識を取り戻し、今に至る。
「でも……どうして?」
その部分は、ユーレカ達にもわからなかった。彼女達は、命じられて動いていたに過ぎないが、『誰かからルシアが危険という情報が入ったのでは』と自分の見解を語る。
「あとは陛下の方から追ってご説明される、とのこと」
「……陛下から?」
「ええ、ガウェイン公爵代理と共に。 本日はこちらでこのまま……ガウェイン公爵代理は王宮にお部屋を御用意しております」
戸惑ったまま、ふたりは指示に従った。ハーグナー侯爵家の方には既に伝令が向かっているらしく、拒否のしようもない。
クライヴが王宮のゲストルームに通されて直ぐ、スヴェンが部屋に尋ねてきた。
「クライヴ卿。 お疲れとは思いますが、少し呑みませんか?」
「ええ……」
「この度は大変でしたね」
スヴェンはにこやかにクライヴを労ったが、クライヴは曖昧に笑みを返すよりない。とりあえず乾杯だけして、何に対してなのか今ひとつわからないことを素直に吐露すると、スヴェンは不思議そうな顔をした。
「夜会中王都に魔獣が出て、クライヴ卿が討伐されたと。 その特別報奨の為一旦こちらに、と」
「……ああ、成程」
どうやら、そういうことになっているらしかった。神殿周辺に確かに人はいなかったが、それでも公園内に人はいた。魔獣の咆哮や術による発光などが妙な噂になる前に、適当な理由を付けてしまう方が問題にならないだろう。
(なにか事実とは違うのか……)
スヴェンは察したがそこには触れず、夜会の話など別の話をした。
「──クライヴ卿、私の第二王子という役割には大した意味などありません」
王家の力はガウェイン公爵家との繋がりと宗教的問題(※統一宗教であり、王は所謂枢機卿と同等の立場にある)から非常に強い。領地が広がるにつれ政治の在り方が変わっていき、勢力問題が生まれるほど宮廷議会を重んじる体制になったのは、非常に柔軟であるといえる。
王と王妃の仲は睦まじく、王太子、スヴェン、第三王子と子供は三人いる。長子である王太子は王妃がまだ10代のうちに産んだ子であり、第二子にはなかなか恵まれなかったことからスヴェンとは歳が10も離れている。
健康で、次代の王として大事に育てられた王太子がこの国の成人を迎えたとき、スヴェンはまだ6つ。丁度その頃第三王子が産まれたこともあり、余計な諍いを招かないようにスヴェンには帝王学等を敢えて学ばせないことになった。王太子が結婚し息子が産まれたことで、第三王子も同様に。つまり、スヴェンや第三王子は王太子のスペアではない。
スペアとしての意味のない第二王子……それは『必要のない存在』という意味ではなく、『求められている役目は全く別のもの』という意味だ。
「それに意味を生むのは、自分自身だと……ルシア嬢に教わりました」
「もっとも、教えたつもりなどないでしょうが」と言ってスヴェンは笑う。
実際に、王家や次代の為にどう価値を示すかをスヴェンは彼自身で決めねばならず、現王や王太子もそれを望んでいたからこそ彼は放置されていた。今それなりの仕事を与えられているが、おそらくあのままなにもせずルシアと婚姻していた場合、スヴェンは自身の役目を見出すこともなく、ただガウェイン公爵家という後ろ盾に縋って生きるかたちになったのだ。或いはそれにすら気付かなかったかもしれない。
なにもできない自分への自覚と、それに向き合う中でスヴェンは変わった。彼は直接的に政治に関わることは難しい立場だが、王立アカデミーを通して有益に人脈を広げた彼とレミリアの手腕は高く評価された。
「今も私個人にできることは非常に少ない。 ですが、今日を迎えるまでになにかをやろうと思うことの大事さや、人の繋がりの大切さを学びました。 もしなにかお困りの際は仰ってください……微力ですが、お力添えできることがあるかもしれません」
彼もまた、ルシア同様に何も知らない。
だから、そういうことが起こったのだろうと推測し、スヴェンはそんな話をしたのだ。
無力さを自分に示した上で、それでもなにかできることがあるなら、できることで力になると告げてくれた彼を、クライヴは好ましく思った。
翌日、王との謁見──
そこには王太子殿下と国王陛下、ルシアとクライヴのみ。勿論外には兵が配置されてはいるが、明らかに人払いが行われた状況。
ふたりの困惑はやや意味合いが違うが、どちらも緊張気味に臣下の礼をとる。
「ガウェイン公爵代理クライヴ、ガウェイン公爵令嬢ルシア、面を上げ楽にせよ」
そう言って陛下は、昨夜スヴェンが述べたような作り物の事実をふたりに告げた。陛下からの説明とされた部分は『予兆はあったが、災害のようなもの』との補足的で曖昧なもののみ。
「……大義であった。 今後も国の為に尽くすがよい」
クライヴは、まあいい。
だがルシアは、自分の行いが何故不問とされたのかわからない。
結果としてなにも起こらなかったようなものだとしても、宮廷魔術師を使い、貴重な資源である魔石をいくつも無駄にさせたのだ。
しかしここでなにか言うことは、国への叛意と捉えられても仕方がなく、ルシアは黙って礼を述べる以外に選択肢はなかった。




