③もう誰にも期待はしない。
ルシアはレミリアのことが嫌いだ。
だが、そこにスヴェンとのことや、レミリアの為人は関係していない。……そもそも、知らない。
レミリアもルシアと同様に、幼い頃に母を亡くしていた。レミリアとの違いは母の死因とその後の待遇である。
父である公爵は宰相とは違う。自分を構えなかったのは状況的に仕方がないことだが、レミリアを見ると理不尽に苛立つ──自分が手に入れられなかったものを、手に入れている女の子だから。
レミリアには全く罪はない。
単なる嫉妬であることは理解している。
──だから、嫌いだ。
★★★
「ルシア、婚約を解消してくれないか」
王宮に召されてから3年。ルシアは17になろうとしていた。
この国の社交界デビューの年齢は16で、大体18ぐらいにはもう結婚をする。
おそらくそのあたりが考慮されたのであろう。ルシアとしてもレミリアとしても、もう限界だ。
「とうとうですか、それはおめでとうございます。 ……私に尋ねる必要があったことに驚きましたわ」
最初にお茶をした場所で、あの日のように凪いだ風のそよぐ麗らかな午後。ルシアの憎まれ口も相変わらずだった。
この婚約は王命ではないが王家の意向という圧はあった。彼女の意思など関係ないが、ルシアは公爵家を出たかったし、学園にも行きたくなかったので喜んで受け入れた。ちなみに社交をしないルシアがレミリアとのことを知ったのは、王宮に来てからである。
喜んで受け入れた一方で、また心が死んでいった。
やっぱりこの家には、自分は必要ないのだ、と。
──ああ、いつまで期待を捨てられないのだろうか。
「結局君は……変わらなかったな」
なんとも言えない微妙な表情で、スヴェンはどういう意味にも取れる言葉を吐いた。だが、ルシアは彼を一瞥しただけで、真意を問う気などはない。
「……殿下はお変わりになりました。 ハーグナー嬢のおかげでしょう」
「君のおかげでもある」
「あら……私はなにもしておりません」
事実、ルシアはなにもしていない。苛立ちをぶつけただけだ。だがふたりはそうは思っていなかった。
ルシアをきちんと見るようになったスヴェンは、彼女のことを調べ、実家との確執を知る。情報は秘されていたが、彼が知り得るレベルで。なにか力になってやりたかったが、ルシアは一旦引いた線を彼が侵すことを決して許さなかった。
努力しても、泣きわめいても、結果は同じ……誰もルシアを見てはくれないのだと幼い彼女が気付き、受け入れるまでにあった様々な出来事。それはルシアの心に今も取れない染みのようにこびりついていて、彼女を頑なにしていた。
──『どのみち周りは変わらない。』
努力をしたらしただけ。当然だ、と褒められることもなくハードルだけは上がっていく。他人に愛されるのはもう期待しない、だからその為の努力はしない。泣くのも憤るのも疲れるだけ。
ルシアはスヴェンに対して期待を持ちたくなかった。
勿論、スヴェンだけでなく、誰に対しても、もう。
スヴェンとレミリアがそれに気付いたのは、いつの頃からだっただろうか。状況的にもふたりがルシアの力になることはままならず、ただ歯痒い日々が続いていた。
相変わらず──のようだが、ルシアもちゃんと知っていた。
何故ふたりが、ここまで問題を引き延ばしてくれていたのかを。
「ルシア。 私も彼女も君の友となれたら、と願っている……君さえ良ければ」
そんなこと言わなくていいのに、と心のどこかが小さく悲鳴を上げる。ルシアはなにもしなかった。ただ苛立ちをぶつけただけだ。第二王子であるスヴェンもレミリアも、努力が実になる立場にあるのに、と。
「これからならば、それは有難いお言葉ですわ。 第二王子殿下」
「……スヴェンで構わない。 婚約者の時は一回も呼んでくれなかったが、親愛の証だ」
「スヴェン様……ふふ」
あまりにも滑稽で、ルシアは笑う。
スヴェンは作り笑い以外で初めて見るルシアの笑顔の幼さに、胸を締め付けられた。
「忘れないでくれ。 私もレミリアも、君と友人になりたい……なにかあったら頼って欲しい」
「お心、感謝致します。 レミリア様にも宜しくお伝えください」
ルシアはカーテシーをした後で「お二人に祝福があらんことを」と言う筈のなかった言葉を、心からの気持ちで捧げた。
次の日の早朝、誰にも会わない内に王宮を辞したルシアは、王家が用意してくれた馬車の中、スヴェンの言葉を思い出して久しぶりに少し、泣いた。
今更真意を問うつもりなどなかった。罪悪感や同情など、欲していない。
それでも王宮の居心地が思いの外良かったのは、スヴェンの──いや、ふたりのお陰だった。
ルシアはふたりの為になにかをした訳では無い。王宮に留まりたいとしても、そんな気持ちがあるならレミリアと仲良くなる選択はできた。それをしなかったのは捨てることのできない……くだらない保身の為。自分の心を守る為。
どこまでかは知らないが、それを理解してくれていた。
初めて自分を見てくれたふたり──状況が違えば、もっとちゃんと心を通わせることもあったのかもしれない。
(状況が違えば……? くだらない……)
あの状況だからこそ関わったふたりだ。
そして……だからおそらく、これからも頼ることはない。充分だ。充分にふたりは自分を王宮で庇護してくれていた。レミリアとは会うことは殆どなかった。会えなくて良かったと心から思う。これからも会うつもりはない。
ルシアはレミリアが嫌いだ。スヴェンと違い、嫌いな分感情を乱される……好きになんてなりたくない。
ルシアは無力だから、なにもしない。関わらないまま、ただ理不尽に嫌っていたい。
──突如、馬の嘶きと共に馬車が止まった。
王家の馬車であり、警備も万全……しかも城下町裏手から出たとはいえ、まだ王都の中央だ。
馬車は動かず、大きく揉めているような、不穏な気配でもない。一応カーテンは開けないまま、御者に尋ねる。
「どうしたの?」
「は、はい……今、騎士達が」
「──ガヴェイン公爵令嬢、」
騎士の一人……おそらくこの中で責任を負う立場の者が、困惑の色を顕に外から声を掛けた。
「ハーグナー侯爵令嬢が、どうしてもお会いしたいと……如何なさいます?」
「?!」
カーテンを引くと、困った表情の騎士の隣に、レミリアの姿。目が合った彼女はニコリと微笑み、恭しくカーテシーをする。
これからも会うつもりはない──のに、彼女は現れた。