㉗ふたつの望み。
「クライヴ、神殿へ行きましょう」
公園に着き少し歩いた後で、ルシアはクライヴを神殿へ誘った。
貴族の冠婚葬祭の儀式に使用する時以外、神殿には特に誰もいない。精々昼間、墓参りのついでに立ち寄ってみた人たちがいるか、掃除夫が清掃の為に足を踏み入れるくらい。夜間は尚、人が寄り付くことはなく、警備兵が隣接された墓の周りをうろついている程度。
これは王都に限らず、どこの神殿でもそうだ。
何故なら神殿は以前語った通り、『公爵領神殿への魔獣転移』の為に作られたもの。人は少ない方がいい。神殿にあるのは魔法陣の描かれた床、太い円柱と、屋根のみ。呼び込むのが目的だ、当然壁はない。
人的被害を減らし魔獣を呼び込むのには自然があること、それに墓と隣接していることが重要……この国の庶民は墓を持たないことが多く、死ぬと火葬する方が合理的であるので火葬の方が圧倒的に多い。
だが貴族の遺体は、宗教的な理由から基本的に土葬だ。生きている時は魔素を蓄えることができない人間の身体だが、死体は微量ではあるが魔素を蓄える。つまり、土葬の方が『神に近くなる』という理由から。
魔獣の生態はあまりよくわかっていないが、『人肉を好むものの、生きているより腐敗した死体の方を好む』という報告もある。また直接的な攻撃よりも毒に魔素を変換させるものが多いことなどから、捕らえやすくした獲物を暫く放置、或いは保存してから食べるのではないか、とも。人間の死体が微量ではあるが魔素を蓄えることと、魔獣の行動を繋げて考える研究者も多い。
シュナイダーはその事実から、やはり教義が後付けで作られたのだ、と見ていた。余談だが『幽霊』などは『死体に蓄えられた魔素の為、出ることがある』と考えられている。
「神殿へ?」
「ええ」
神殿は公園内の、小高い丘のようになった場所に佇んでいる。二度目に会った時、クライヴが最後に連れて行ってくれた場所のように。
それを理由に行きたいと言えば、案の定クライヴは簡単に了承した。特に断る理由などない。
ルシアは忍ばせていた魔法の入った小瓶を、クライヴと繋いでいない方の手で握り締めた。
──あの日。
「私の望みはふたつあるの。 ふたつでも大丈夫かしら?」
魔道具屋の店主の男にルシアはそう尋ねた。
男は美しく微笑むと、妖艶に唇に人差し指をそっと当て、こう言った。
「秘密ですが、私は『魔法使い』です。 なんでもできるわけではありませんが、きっと、貴女のお力になれるでしょう。 もう気付いていらっしゃるでしょう? 私は貴女に会う為に、ここにいるのだと」
まるで口説き文句だ──そう思ってルシアはふふ、と笑った。
そして、口説き文句でもなければそれは、とても信じられない滅茶苦茶な話。
だがきっと、それは真実なのだと思った。理由など知らないが彼はその為にここにいて、ルシアにとってはそれ以上問う意味もないこと。
「ひとつめはある出来事の再現。 もうひとつは、私という存在の全てを消してしまうこと」
ルシアはふたつの願いを口にした。
提示したプランとは掛け離れた願いに、軽く瞠目はしたものの、何故か男は、色の異なる目に喜色を滲ませて細める。
「ふむ……ならば、組み合わせましょう。 神殿へ赴かれるのですね?」
「ええ」
ある出来事がなにか、男は知っている様子だが、もうルシアはそれをおかしいとは感じなかった。
「ならば容易です」
テーブルに置いた小瓶を両手で覆うと、男は小さく口を動かし、なにかを唱えた。
前回見送られた際に感じた、異空間にいるような、外界から切り離されたような、そんな感じに身体がフワリとする。まるで貧血で眩暈を起こした時のようで……ルシアの視界には、よくわからない発光色のみ。本当に見ているのかすら不明瞭だ。
チャポン……という小さな水音に、世界が戻り、ハッと息を呑む。
目の前では先程と同じように、男が美しく微笑んでいた。
「これを神殿の魔法陣に垂らすのです。 貴女のお望みに書き換えることができるでしょう。 ひとつめが成功すると、ふたつめの魔法が発動されるように」
公園には夜会帰りの貴族がいないでもなかった。
だが神殿は小高い位置にあり隣には墓。わざわざドレスとヒール姿でやってくる者はいないようで、そちらの方には案の定誰もいない。
神殿までクライヴの手を引きながら、先導するように魔法陣の描かれたところに歩を進める。クライヴはなんの意図があるのかわからないまま、それに従う。
「! ルシア?」
ルシアはその途中で、突如彼の手を払い除け、小走りで距離を取った。
「──ねぇ、クライヴ? 」
背を向けたままだが立ち止まったルシアに、クライヴは少し安堵する。彼が近付く足音を聞きながら、手の中の小瓶の魔法薬をただ握りしめた。牽制するように振り返らずに尋ねる。
「貴方は、私をどう思っているの?」
「……ルシア?」
「答えて」
「!」
「言って欲しいの、ちゃんと」
口調は厳しくないが抑揚もなく、そこには明確な非難が込められていた。
今まで、なにも言ってくれなかった事への。
いつだって示したつもりでいたけれど、またきちんと伝えられていなかった。
自ら言えずに、このように彼女からねだられるかたちになってしまったのは情けないが……
今度こそちゃんと伝えたい。
「……大切に想っている」
「ずっと、初めて会った時から。 それは変わらないけれど、三度目に会った時、恋に落ちた」
「……」
「君は俺が知っている幼いお姫様ではなく、小さな淑女だった。 だから……君に相応しくなりたかった」
「……」
そこまで語ると、クライヴは小さく息を吐いた。溜息ではない、緊張の吐息を。
「──ルシア」
やがて、決意したような声で彼女の名を呼ぶ。
「こっちを向いてくれないか。 ちゃんと君の顔を見て言いたい……今の気持ちを」
含まれる真剣さと逼迫感から、声だけでも気持ちは確認できた。
だが勿論、これでは終われない──
むしろ、ここからが始まりなのだから。
ルシアは手に持っていた小瓶の蓋を開け、中の液体を床に垂らすと、ゆっくりと振り向いた。




