㉓望みを叶えてくれる魔法。
「お待ちしておりました。 美しいお嬢様」
なにもかもわかっていた様子で、店主の男はにこやかにルシアをソファへと促す。ルシアは愛想笑いを浮かべることも無く、無表情のまま、それに従った。
座るや否や、既に手元に用意していた小瓶をローテーブルに置く。
「どんな『魔法』をお望みです?」という男の言葉にルシアはようやく頬を緩め、ふっと笑った。
「どんな『魔法』ができるのかしら?」
「貴女のお望みに合わせて……やり直しでも、新しい出発でも」
男の紡ぐ言葉は柔らかく、妖しい真実味を帯びていた。それにルシアは浸るように、暫し瞼を閉じて想像する。
──なにもかもやり直し、なにもなく過ごした未来を。
「……夢みたいね」
ルシアはうっとりと呟き、長い夢から目を覚ましたように、望みを告げた。
「──もう終わったの?」
「ええ、ありがとう。 レミリア」
レミリアがそう言ったように、ルシアが戻るのは思った以上に早かった。だがルシアはとてもスッキリした顔をしている。
馬車に乗り込んだルシアは、レミリアに甘えるようにそっと寄りかかった。
「あら、どうしたの?」
「ふふ、今のうちに甘えておこうと思って。 もうすぐお別れだから」
「……」
レミリアは、肩に凭れたルシアの頭をそっと撫でる。ルシアには母の記憶はないけれど、もしも母がせめてもう少し長く生きていたなら、こんな記憶もあったのかもしれない。
「お別れだなんて……また王都に来ればいいわ? 理由なんて要らないのよ、だって、友達じゃない。 ずっと、これからも」
「……そうね、そうだったわね」
ルシアは長い睫毛をそっと伏せ、祈った。
──どうか、レミリアに幸多からんことを。
ルシアは帰る日程をきちんと定めたわけではなかった。これからクライヴと相談をするつもりだと知り、レミリアは夜会に誘うことにした。
この夜会で、レミリアはスヴェンの婚約者として正式に発表される。
その通知は既にガウェイン公爵家にも届いているが、ルシアが元婚約者であることや、元々不参加が許されている存在であることから、祝いの品が届くぐらいだろう。
そこまでは一緒にいて、是非クライヴと参加して欲しい……とレミリアはルシアに告げた。
「ルシアが私達にとって大切な友人であることを、陛下の御前で周囲に知らしめれば、これから先、ずっと会いやすくなるもの」
元々こうならなくても、ルシアはこの夜会に参加させるつもりでいた。なのでルシアの手持ちのドレスから採寸し、この日のために、レミリアと対になるようなドレスを用意しておいたのだという。
ルシアはそれを聞いて、おもわず吹き出した。
「アナタと私がお揃い? 酷い冗談ね」
確かに婚約の円満解消と、レミリアとルシアの仲の良さはアピール出来るが……そもそも婚約発表の場。そこはスヴェンと合わせるところだろう。
『政略的な部分の懸念も払拭できる』と胸を張るレミリアだが、あまりに突飛だ。
「仲良くなれなかったらどうしたの?」
「そんなこと、微塵も考えなかったわ。 だって、仲良くなりたかったのだもの」
「そんなだから『アナタは主人公だ』と言うのよ」と笑いながら、ルシアはそれを最後の日にすることにした。
それから暫く雨の日が続いたこともあり、ルシアは以前より穏やかな気持ちで、邸内をのんびりと過ごした。
レミリアが王宮に用事で出掛けたある日、ルシアはローズメリアにお勧めの小説を持ってきて貰うことにした。
「──あら、ローズメリア。 それ」
「うふふ。 少し糸を足してネックレスにしてみました! ブレスレットだと、仕事の邪魔になるので」
ローズメリアは三人お揃いで買ったブレスレットを加工し、ネックレスとして身に着けていた。「おふたりとお揃いが嬉しかったから、ずっと身に着けたくて」とはにかむローズメリアに、ルシアは出かかっていた『それもうお揃いじゃないのでは』という言葉を呑み込む。
「あっ、この間話した小説も持ってきたんですよ! お読みになりますか?」
「う~ん……それは、いいわ。 私には合わなさそう」
「面白かったですよ?」
ローズメリアは目をぱちくりしながら、他を探しつつ『ファンタジー要素が嫌なのか』とルシアに尋ねた。
「嫌なわけじゃなくて、共感できないのよ。 だって……そこにいるのは本当に同じ人なのか、疑問だもの」
「?? どういうことですか?」
「ローズメリアが過去どうしてもやりたいことがあって、過去に戻るじゃない? それでレミリアとの出会いが無くなってしまったとして……その後会ったレミリアは、少なくとも『ローズメリアと一定期間過ごしたレミリア』ではないのよ。 それは同じ人と言えるの?」
「? ……?? ……?! ……あ、ああ!」
ローズメリアは時間をかけて反芻し、意味がようやく呑み込めた様子だ。
「あ~成程、そんなこと思いつきもしませんでした……お嬢様凄いです!!」
ルシアはローズメリアの謎の賞賛を「ありがとう」と笑って、素直に受け取った。
「そんな中で、時が戻ってひとり記憶があるなんて、きっと孤独だと思わない?」
「う~ん、言われてみればそうかもしれませんね~」
そう、それはきっと孤独だ。
だから、ルシアはそんなこと願っていない。
なにもかもやり直し、なにもなく過ごした未来を、あの店でルシアは想像した。
それは幸せで──そうなり得ない未来。
仮に男が言葉通り、そんな魔法を使えるとしても。
だって、それはルシアの知っている皆ではない。
苦しみを経た、いや、今も苦しんでいる彼等こそ、ルシアの愛するクライヴとベンジャミンだ。向けてくれた愛情を、していた努力を──全てじゃないにせよ、ルシアは知っている。彼等の培ってきたものがあって、彼等は彼等なのだ。
許せない思いとは矛盾するようだが、それは違う。許すことができなくなったのは、タイミングを逸してしまったから……それは嫌われたくなくて拒絶してしまったことに起因し、今もずっとそうなだけだ。
許せないことがずっと苦しいのは。
嫌われるのが怖いのは。
行動の矛盾は。
根底に愛情と、それを欲する気持ちが存在する。
クライヴは夜会に出る為、質の良い既製品を身体に合わせて直すこととなった。意外にも『緊張する』と零すクライヴに、ルシアは揶揄うように言う。
「緊張する程のことでもないわ」
「いや、するさ。 君のパートナーだ……」
瞠目するルシアが不思議で、クライヴは「なに?」と尋ねた。
「……『公爵代理』という立場かと思っていたから」
「はは、そうだな。 それもあるかな。 でもそれも、君の隣にいる為だから……」
──薄々気が付いてはいた事実に、背筋が凍りつく。
きっと、そもそも彼は、自分の婚約者だったのだ。
(じゃあなんで……王宮に行くのを止めてくれなかったの?)
自分で決めたことなのに、そう詰りたかった。
だって、いつもそうだ。
クライヴもベンジャミンも、大事なことをなにも話してくれない。
話してくれれば、あんなことにはならなかったのに。
ずっと信じていられたのに。
シュナイダーは好きだったけれど、クライヴやベンジャミンはルシアにとって、もっと大切な存在だった。だからこそ、シュナイダーにそこを突かれたのだ。
幼く、無力で愚かな自分が悪い──そう悔やみながら、ふたりを責め続ける、日々。
拗ねる子供と同じように、いつだってそれをわかって、踏み込んで欲しかった。こんなに拗れてしまう前に。
(でも、もう終わり)
──ルシアの望みは、やり直すことなんかじゃない。
その世界では、レミリアと友情を育むこともないし、ローズメリアと出会うこともないだろう。出会ったとしても、友情を育んだとしても、それはやはり全く別物だ。
そんな世界では、ルシアただ一人だけ、本当に取り残されてしまう。
『やり直す』ということは、覚えていなければならないのだから。
魔道具屋の店主の男が、どこまで、なにを出来るのかによって、注文は変えるつもりだった。
(彼は私の望み通りのものをくれたわ。 本当に魔法使いなのかもしれないわね)
決意を固めたルシアが戻ったあと、スッキリした面持ちだったのは、葛藤していたことへの、憂いがなくなったからだ。
ルシアは全てをぶちまけて、クライヴを傷付けたあとで、この世界から完全に消えてしまうことにした。
クライヴがどれだけ傷付いたところで、ルシアへの記憶や想いがなくなってしまえば、問題はない。
本当はあてつけに死んでやり、自分の存在を心に刻んでやろうと思っていたのだが……躊躇いはずっとあった。
とても魅力的だが、悲しいことにそれでは自分への愛が強い程、彼が不幸になるのだ。
いくら下がらない溜飲も、死んだら終わりだ。傷付けてはやりたいけれど、生きていればこそ。死んだ後まで持ち越す意味なんかない。
クライヴを傷付け、自分に向けられた愛を確認したあとで、なにもかも遺さずただ消えてしまえるなら──それはなんて素敵だろう。
「完成が楽しみね。 きっと、とても似合うわ」
ふたりきりになったほんの僅かな時間に、初めての口付けを交わす。
クライヴの身体からは、仄かにあの香の匂いがした。
いわゆる『テセウスの船』問題。
こんなこと書いてるけど、ループものは大好き。




