㉒お願いごと。
それからもルシアとクライヴは仲の良い様子でいた。レミリアはあのあとも頻繁に色々なところへ連れ出してくれて、大体は彼女らと楽しく過ごした後、帰りはクライヴと少しの時間、馬を楽しむくらいの感じだ。
クライヴは嬉しそうにしているものの、ふたりで出掛けることを望まず、「彼女が王子妃になったら気軽に会えないから」とレミリアを優先するよう勧めた。
レミリアもそう遠くない未来、王宮に入らねばならない。
彼女が好きに動けた一番の理由は、それがあるからだ。
スヴェンは第二王子。王子妃に特別な素養はそこまで求められない。
幼少期からスヴェンとの婚姻を夢見ていたレミリアだ。学園では優秀な成績を修めていたし、幼い頃から他国の言語をコツコツと学び、既に身に付けている。王宮で可愛がられていた彼女は王宮のマナーやルールも理解していた。なので学園に通わないで呼ばれたルシアとは違い、レミリアは特別な勉強を必要とはしなかった。
彼女は今までの学業の成果があり、『王宮に入るまで』の我儘として、暫しの自由を容認されていたのである。
当初レミリアは、ルシアと仲良くなり、彼女が公爵家へ戻るのを嫌がった場合、王宮に側仕えとして引き込むつもりでいた。
公爵家の嫡子はルシアのみ……それが可能かどうかは別として、『王子妃』という立場になれば、ガウェイン公爵と話し合う余地ができる、そう考えてのこと。
ガウェイン公爵家当主の本来の任や加護は知らなくとも、大軍を率い戦うことや、故に代々当主は男であることは知っている。分家に年頃の青年もいるので養子を勧めたいが、仮にルシアを戻して婿を取るにせよ、いい相手を考えて提示することくらいまではできるかもしれない。なんにせよ、話し合うことができるなら、希望はある。
そんなことを考えていたレミリアだったが──今はクライヴがいる。
ルシアが公爵家に戻る気になったならば、レミリアにできることはもう、この時間を楽しみ、互いにいい思い出を作ることと、友情を深めることくらいだ。
クライヴが話していない為、彼が婚約者であることはレミリアは今も知らないが、『公爵代行』を名乗る男だ、それは予想できた。
あれからも、ルシアの態度はずっと変わらない。
漠然と不安を抱いていたレミリアに、ルシアはある日『お願いがある』と言い出した。
「どうしたの?」
「またあの魔道具屋に行きたいの」
「それは構わないけれど、そんなお願い?」
「いえ……実は、一人だけで行きたいの」
「一人だけで?」
レミリアはルシアのお願いに、少しだけ怪訝な顔をする。それにルシアは眉を下げ、はにかんだ。
「『占い』をしてくれる、と言っていたでしょう? 今ほら……ちょっと、気になることが……」
両手を合わせ、「ね?」と可愛らしくおねだりされては、レミリアも無碍にはできない。
少し離れたところに待機するならば、という条件でそれを許すことにした。
(きっとクライヴ卿のことよね……)
占いに頼るなんて『ファンタジー音痴』のルシアらしくはない。だが、恋愛小説のファンタジーを解せぬのは、ファンタジーではなく、そもそも『恋愛音痴』だからなのかもしれない。ふたりの温度差も、その可能性はある。
近しいからこそ言えないことも、往々にしてあるものだ。異性だが中性的で、金銭を介し、占いというツールを使う第三者の彼になら、という気持ちから相談するのかも……とレミリアは想像した。同性で諸々の関係ない相手だからこそ、自分に心を開いてくれた部分があったように。
(打ち明けて貰えないのはちょっと寂しいけど、悩んで内に籠るよりいいもの)
これまでのルシアの違和感が、なんとなくそういう悩みからのことに思えて、レミリアは安堵した。
やはり今回も、賑わう街の中でこの魔道具屋だけは、静謐な雰囲気を放っていた。
(相変わらず気色の悪い店だわ)
人気の店の筈なのに、おかしい──だからこそ、ルシアは彼の言葉に耳を傾け、今ここにいる。『魔法使い』という戯言を信用した訳では無い。だが、特殊な研究を重ねた『魔術師』ならば、なにかしら、他とは違う大きな力を持っていてもおかしくはない。そう考えたのだ。
──シュナイダーがそうだったから。
嫌な記憶を振り払うように首を振ったあと、ルシアは店へと再び足を踏み入れた。あの小瓶を手に。
★★★
クライヴが前線に初めて赴いたとき、心配し、不安に肩を落とすルシアを慰めたのは、当然シュナイダーだった。その中で彼は、さも嘆かわしい、といった様子でポツリと零した。
「クライヴ卿は焦っておいでか……」
「──え?」
誤魔化すような素振りを見せるシュナイダーに詰め寄り、ルシアは言葉の真意を尋ねた。諦めた体で彼は遠慮がちに語る。
「彼は『当主を継ぐもの』として、こちらに……」
「!」
それは嘘ではない。嘘ではないが、既に誤解をするように意図的に嘘を混ぜたものを聞かされていたルシアは、その意味を事実とは別のものに捉えた。
ルシアはそれまで、クライヴが『義理の兄』として迎えられたのは、いずれ家を継ぐ自分の補佐の為だと思っていた。女である自分では、軍を纏められない。
通常の貴族令嬢の教育しか受けていない彼女は、軍は義兄に任せ、広大なこの領地の経営を、婿と共に行うものだと思っていたのだ。
(それじゃ……私は?)
──『要らない子』
そんな言葉が過ぎる。だが、ホーエンハイム家は代々忠臣ではあるが分家ではない。今でこそ別邸を任されたが、だからこそルシアがいた時はそうではなかったのだ。
血を重んずるのが貴族ではなかったのか、という疑問。そこに付け込むかたちで、シュナイダーは含みを持たせた言葉を続けた。
最初の言葉に続く、言葉を。
「……ルシアは美しいし、賢い。 だから」
『だから、クライヴは焦っている。 ルシアの婿に、取って代わられないように』
シュナイダーは皆まで言わなかったが、ルシアはそう解釈した。そうなるように、少しずつ植え付けられたものには気付かずに。
ルシアは今まで、クライヴを影から見てきた──その、努力を。
だから、会いたい気持ちを抑えてきた。
彼の邪魔になりたくないから。
──なのに。
「私が……一番、邪魔、なの?」
呆然とそう呟くルシアを、シュナイダーは優しく諭した。
「ルシア……そんなことないよ。 そういうことじゃない。卿も閣下も君を愛し、誇らしく思っている。 だからこそ女の子の君に、危険な思いや伴侶を喪うような悲しい思いをさせたくないんだ」
事実の中に嘘を織り交ぜて、誘導していく。そこに罪悪感など微塵も存在しないのは、それが彼なりの正しさに基くものだから。
「それでも君が不安なら、クライヴ卿の自信が付くまで、婚約者を作らなければいい……閣下は君を愛しているから、『早過ぎる』と言えば、そんな話を出さない筈だ。 ──そうだ、婿を取らない選択も匂わせておけば、クライヴ卿も安心できるのじゃないかな?」
ルシアはふたりに嫌われたくなかったので、シュナイダーの提案に縋るような気持ちで頷いた。
「……でも、どうすればいいの?」
「公爵家の教育よりも、今までのような勉強を優先させよう。 『学園に通うよりも先に、学園で習うような勉強を予めしておきたい』と言えば、誰もなにも言わないよ。 君の不安も気付かれないだろう……僕と君だけの秘密だ」
分家でしていた教育は、分家の当主がそう望んだように、社交界で渡り合える幅広い知識と一般的な教育。内に向けたものを敢えて学ばないことで、クライヴと差ができ、彼の心の余裕に繋がる……ルシアはそれなりに納得してしまった。
自分ではなく彼が当主になる──それがふたりの愛からだと言うならば、受け入れて自分もふたりの支えになりたい。自分にできることで。
ルシアのそんな想いを後押ししてくれる人が、シュナイダーだったのだ。その時のルシアにとっては。
なにも知らないルシアにしてみれば、シュナイダーの言った通り、ルシアが10になってもベンジャミンは『婚約』などの話を出してこなかった。




