㉑そこにある真実の為の嘘。
その後、ルシアは日中の殆どをレミリアと、或いはローズメリアとゆっくり過ごした。
今、クライヴは護衛という立ち位置である。ルシアが邸内にいる間は鍛錬に勤しんだり、侯爵家の騎士に稽古を頼まれたりして、それぞれ過ごすことが多かった。そんな中で時折、ルシアからクライヴに話しかけたり、鍛錬中の彼に手を振ったりなど、仲睦まじい空気を滲ませる。
レミリアはふたりの和解に多少の疑問を抱きつつも、確信を持てないままでいた。
そんなある日の午後、レミリアとルシアのふたりはバルコニーでお茶をしながら、彼等の鍛錬を見るでもなく眺めていた。
ルシアが手を振ると、嬉しそうにはにかんで応えるクライヴに、彼と同い歳くらいの侯爵家の騎士がニコニコと話しかける。
それはルシアがパニックを起こした時に、ホテルに先回りした騎士──イザークという。彼は特にクライヴを慕い、尊敬する様子が窺えた。
イザークはあの日、ラウンジでのクライヴとの会話後、侯爵家の騎士舎に彼の部屋を用意するよう、レミリアが指示した相手でもある。
指示をしたあと何故か、興奮を滲ませて侯爵家へと向かうイザークの背を見て、レミリアは、フレデリックも妙にクライヴには素直だったことをふと思い出した。
ガウェイン公爵家についてや盟約云々について伏せてはいても、魔獣や活躍の全てを伏せられる訳では無いことから、していることは伏せていない。一般に思われているよりも、その規模が遥かに大きく、それが主なだけだ。その為、辺境伯に近いかたちで相応の軍を率いている、ということになっている。
王家と宮廷の中枢の、遷都時からの情報操作だ。特に疑問は抱かれていない。
他の騎士らと比べると華奢に見えるクライヴだが、そんな屈強の兵を束ねる『公爵代行』を名乗れるくらいだ。その実力をどこかしら感じるところがあるのだろう。……自分には、よくわからないけれど。
そんなことを思い出し、レミリアは何気なくこう口にした。
「騎士ってやっぱり強者に惹かれるものなのかしら……?」
「さあ……わからないわ」
ルシアの表情は変わらないが、不快な話題のようだった。
公爵家のことを聞いたとき、僅かに視線を下げ、なにかしらの動作を取る──スヴェンが言っていた通りだ。どうやらこれも、公爵家の話題にカウントされるらしい。
レミリアは暫くの間、ルシアを慎重に観察していた。上手くは言えないけれど、ルシアの様子がおかしい……そうレミリアは感じていたから。
それはクライヴとの距離感もあるが、自分に対しても。
今のルシアはまるで、初めに戻った……いや、王宮にいるときのようだ。態度や口調は変わっていないのに、線を引かれてしまったような、漠然と受けるそんな感じにやや困惑していた。
やはりなにかあるのかと思い、何度か踏み込もうとしたものの、いつも上手く躱されてしまう。それは今までと違い、あまりに隙がなかった。
「大丈夫なの?」
「なにが?」
「クライヴ卿よ。 随分急だから……」
「仲直りしただけよ。 そんなにおかしい?」
「いえ……仲直りしたなら良かったと思うわ。 でも……」
レミリアのそんな心持ちを察し、ルシアは眉を下げた。
「レミリア、ありがとう……心配してくれるのは、とてもわかるわ。 私も割り切れないところはあるの。 でも、大丈夫よ」
躱し続けるのは無理がある。
曖昧に、納得はできていないが受け入れたような感じの、弱い言葉を選んで紡ぐ。
レミリアがこれ以上、踏み込んでこないように。
「ただ……もう少し、アナタの好意に甘えさせて?」
「ええ、それは勿論…………」
少しだけ間を空けたあと、レミリアはルシアの手に、自分の手をそっと重ねた。
「ルシア、話せないならいいの。 貴女の好きにしていいの。 でも、私は貴女の友達よ。 私はそう思ってる。 それは覚えておいて」
「レミリア……」
ルシアは「アナタって、本当に狡いわ」と、茶化すように言った。
そうしないと、泣いてしまいそうだったから。
そして──それでも、やめる気はなかったから。
(だって……いつかは終わるのだもの)
なにもしないまま、終われれば良かったけれど、動き出してしまった。
持て余していたまま、塞ぐだけしか出来なかったモノは流れ出してしまった。
もう、止められないのだ。ルシア自身にも。
★★★
シュナイダーはずっと優しかった。
だが少しずつ、ルシアに嘘を吹き込んでいっていた。
それは巧妙で、あまりにも自然だった。
ふたりとは言ってもルシアは公爵令嬢。ふたりきりになることはまずない。
だが『ふたりの秘密』としている呼び方や、くだけた会話が多少他に聞こえることは、むしろシュナイダーにとっては好都合だった。
シュナイダーは適切な距離感を保っていたし、性的な視線をルシアに向けることなども一切なかった。そんな中であればそれは、ルシアからの信頼と他からの信頼をベンジャミンに間接的に知らしめることができる──結果、ベンジャミンへの信頼も深まっていくのだから。
頃合いを見て、ベンジャミンには『このままクライヴとのことを伏せた方がいい』と進言した。理由は幾らでも作れたし、それがルシアを慮る内容であれば問題はない。そう考えた彼の目論見通り、それは受け入れられた。
シュナイダーにとって、クライヴがルシアに恋心を抱いていたのは大きな誤算だったものの、彼がその恋心を持て余している様子なので、かえって利用しやすかった。クライヴが自分に余計な嫉妬心と関心を抱かないよう、彼にも声を掛けた。
クライヴには、ルシアと上手くいっているように思って貰わないと困る……ふたりの橋渡しをしているように見せ掛けて、上手くすれ違うよう、直接会わないよう誘導するのは、実に容易かった。殆ど嘘など要らない。ルシアが言っていたことを、抽出して伝えればいいだけ。時に、シュナイダーは、彼に手紙を書くようにルシアへ勧めることすらあった。
ルシアにはクライヴの置かれている状況の中に、巧みに嘘を織り交ぜて話し、彼女からクライヴに近付かないようそれとなく誘導した。
これらはゆっくり少しずつ……相応に時間を要したが、シュナイダーにとっては、とても楽しい時間だった。
彼は美しいものが好きだった。
それは彼の基準であり、他とは少し価値観が異なるかもしれない。だがその基準は徹底していた。
例えば性的な嗜好なら、少しわかりやすいだろうか。
特定の女性と深く関わることを望まなかった彼は、性欲処理の為に何度か娼館で女を買っている。これはルシアの新たな家庭教師として、問題があるかどうか調べられた結果……有り体に言うと、買ったことは問題ではなく、シュナイダーが幼女趣味でないかどうかを調べたものだ。
シュナイダーは勿論、幼女趣味なわけではない。彼の買った女達は、皆タイプも年齢も様々。端から見ると全くわからないが、彼の基準的になるべく美しい女を選んだ結果だ。
痩せた身体ならば、直線的なフォルムを好む。凹凸が少なく、髪はストレートが良い。
豊満ならば、土偶の女神のような楕円に近いフォルム。髪はストレートより巻き毛。ただ、この場合癖よりも髪量が重要で、多い方がいい。
顔の造作は大事だが、それは一部に過ぎない。派手であれ地味であれ、身体を含めた全体のバランスこそが大事だ。
彼は、彼なりの基準で『均整の取れたもの』を美しいと感じた。
無論、女だけではない。男もだ。
老いも、若きも。人間も、動物も。有機物も、無機物も。
シュナイダーは、愛していた。
美しく、均整の取れたものを。
シュナイダーは、愛していた。
ルシアだけでなく、ベンジャミンもクライヴも。
だから彼等が騙されたのも、不思議なことではなかった。
シュナイダーが嘘を吐いていても、彼等に向けていた好意や優しさに、嘘など欠片もなかったのだから。




