表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【電子書籍化】公爵令嬢はなにもしない。  作者: 砂臥 環


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/35

⑱初恋。

 

 クライヴがルシアへ想いを告げることが一度もできていないのは、すれ違う前も後も、『釣り合わない』という引け目があったからだ。だからこそ彼は『当主を継ぐもの』という己の立場に固執し、以前よりも精進した。


 最初から彼にとってルシアは『お姫様』だった。

 王家との婚約の話の時に、悔しいと思いつつも動けなかったのは、ある事件があったとか、ルシアやベンジャミンの気持ちだとか以前に、自覚のないところでこの気持ちが根深いからでもある。




 人の多い街、昨日のこと。手を繋ぐのは当然と思って差し出したものの、ルシアの柔らかな掌の感触に、クライヴはとても緊張していた。


 平民に扮している今、重なる自分の手は素手で、豆が何度も潰れて固くなった、ガサガサした汚い手だ。緊張からの手汗も気になる。


 ずっと、誤解を解こうと思っていたが、邸内にいても会うことはなかなかできなかったルシアが今、こんなに近くにいる。昨日と同様に、混ざった感情からの緊張はあるが、昨日と違い余裕のある状況で彼女に触れたことで、概ね別の緊張がクライヴを支配していた。


 恥ずかしくていたたまれなくて、でも口角が知らずに上がってしまうような、そんな緊張が。



 変わらないものなどない、とルシアが脳内で断じたように、事実、幼かったあの日と今ではなにもかも違う。当時は『お姫様』でありながら、どこか妹のような気持ちでルシアを見ていたクライヴには、尚更。


 また二年という時を経てしまったルシアとの再会だが、17になったルシアが更に美しくなっていたことに、今更ながら気付かされ……クライヴの胸は高鳴り、緊張は増すばかり。 


 彼のルシアへの気持ちを純粋に『恋愛』とカテゴライズするのは少し難しい。

 10の時に芽吹いた恋心は、幼い自尊心に阻まれ、状況や他者の悪意にも阻まれ、上手く育たないまま……だが消えることもなく、色々な感情と混ざりながら無理矢理に蓋をされてしまった。


 だが、今のクライヴは間違いなく恋する青年であり、初めての気持ちに翻弄されっぱなしだ。




 ルシアの具合は気になるが、レミリアの話によると『魔道具屋の香が合わなかったようだ』とのこと。『無理にとは言わないが』という前提を付けた上で、クライヴはルシアに少し馬を走らせる提案をした。

 誤解を解こうと思ってはいる。それはとても重要なことだから。だが、今の彼はそこまで考えられなかった。


 ルシアと少しでも長く、一緒にいたいだけ。


 頭にあるのはそれだけで、他を考える余裕なんてない。ほんの幾許(いくばく)かの期待だけでした誘いだが、圧にならないようにという前提の中に少しだけ、断られてガッカリしたくないという保身もある。

 ルシアは嫌ともいいとも言わなかった。

 ただ静かに目を伏せたのを、クライヴが都合よく承諾と取ることにしたのには、彼にしてみればかなりの勇気を必要とした。




 ルシアの負担にならないよう、比較的ゆっくりしたペースで馬を進める。高揚しながらも、緊張の方が遥かに強く、腕の中にルシアがいることには不安ばかり。

 昨日抱き締めたことも忘れてできるだけ密着しないように、でも彼女の身体が揺れないように、と矛盾した気持ちに背中がつりそうになりながら、城下町の栄えたところを過ぎていく。


 ハーグナー侯爵邸など、王都に居を構える領地を持たない法衣貴族の屋敷は、いつでも王宮に向かえるぐらいの距離に建てられている。他貴族の王都別邸(タウンハウス)とは違い、相応に広い法衣貴族らの邸宅が点在する区域に差し掛かる。雑多な雰囲気の賑やかな城下町とは違い、並ぶのは煉瓦色の建物ではなく、邸宅の敷地と道を分断する長い塀──鉄製のフレームが織り成す、幾何学模様。


 流石に目的もなくあまり離れたところへも行けないので、その区域にある、神殿が併設された大きな公園へと向かった。


 取り立ててなにがあるわけでもないが、景観がよく、貴人の墓があるため、警備もそれなりに厳しい。元からあった自然を人工的に整えたそこは、市民というよりは貴族の憩いの場となっている。


 クライヴは公園前で馬を止め、ルシアに声を掛けた。


「少し、散歩しよう」


 ルシアは無言のままだが、素直に降ろされた。

 背中がいい加減限界だったクライヴは、馬を繋ぐと伸びをして、少しはにかむ。それは余裕などではなく、照れと緊張を誤魔化して出たものだが、だからこそルシアは困惑した。


 ルシアが認識しているクライヴは、こんなあどけない表情をするひとではなかったから。



 ★★★



 別邸から戻ったルシアとクライヴとの、三度目の再会の少し前。


 ルシアはベンジャミンから『クライヴがここにいる』とだけしか聞かされてはいなかった。


 本邸に戻ったルシアにそれを告げた時『クライヴおにいさま』と慕う様子で名を呼んだルシアを見て、ベンジャミンは何気なく「これからは、兄のように接したらいい」と言ってしまった。


 それが大きな誤解を産むことになるとは知らず。




 ベンジャミンの一言は確かに迂闊だったが、そもそもルシアの別邸での教育に問題があったのが一番の原因である。

 『なにも知らない』と以前記したように、別邸でルシアに施された教育には、ガウェイン家の事情については含まれていなかったのだ。

 このことについては勿論、ルシアの教育を任せていた別邸管理の分家当主に非がある。ベンジャミンが分家の教育をおかしいと思い調べたのは、ある男の進言と、ルシアとの再会がきっかけである。



「ルシアお嬢様は、御歳にしては高度過ぎる教育を押し付けられ、別邸から外に出ることも叶わぬ環境下にいるようです。 また、本来行われるべきガウェイン公爵家に関する教育を、意図的に行っていない様子でした」



 娘のあまりの変貌ぶりに男から聞いた話に確証を抱いたベンジャミンは、クライヴの件をきちんと説明するのを先延ばしにし、部下に調べさせていた別邸でのことについての報告を待った。


 結果、分家がルシアを使って社交界に出ようとしていたことが判明する。また、とりわけルシアに厳しかったマナー講師の女が、予てからベンジャミンに懸想しており歓心を買おうとしていたことや、わからぬようルシアに体罰を加えていたことも。


 別邸管理をしていた分家一家は即座に潰し……後釜にはホーエンハイム家の次男を据え、家人らの処理は彼に一任した。


 当主の男とマナー講師の女は拷問にかけ、手足の爪を全て剥がすなどしたあと、罪人の焼印を押して解放した。

 これは公爵家や領の事情等、諸々を考えると、決して甘い処遇ではない。誰も手を貸してくれることはなく、待っているのは先のない未来……ここで殺された方がマシかもしれなかった。


 ガウェイン公爵家という特殊な立場の男児として、両親が死ぬまでは概ね順調で、素直なまま育ってきたベンジャミン。彼は基本的にお人好しで、正しく在り努力さえすれば相応に評価されるものだと思っていたし、事実そういう環境にいた。そして火の神の加護を受けた彼がその気になれば、直接手を出さなくとも相手に恐怖を与えるだけの圧など造作もなく発せられた。そんな彼が、尋問の中で必要以上に相手の身体を痛め付ける行為を命じたのは初めてのことだった。




 ある男とは、件の家庭教師──眼鏡の長身痩躯の男は、家庭教師の任を本邸で引き継ぐ予定の青年で、別邸管理の分家とは違う分家の三男だった。

 真面目で朴訥な青年は、見目も性格も温和。家を継ぐことはなく、公爵領騎士として生計を立てていくにも不向きの身体と性格だったが幼い頃から賢く、好奇心旺盛な子だったという。

 彼は王立アカデミーで優秀な成績を修め、魔術師及び研究員として残っていたが、『研究はいつでもできるから』と本邸に戻るルシアの家庭教師を買って出た。


 優秀な人材で、真面目で温和。

 ──断る理由はない。


 更にその後、わざわざ引き継ぎの為に別邸でのルシアの様子を見に行き、不可解に思ったことをベンジャミンに報告した彼だ。

 そんな彼に、疑いの眼差しを向ける者などいなかった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ