⑯美しい店主。
「え……」
出し抜けに掛けられた言葉に心を見透かされた気持ちになり、ルシアは一瞬真顔になった。
「──ええ、なんだか異空間にいるみたいで」
アナタの見た目が悪い、浮世離れしているから──素早く笑顔を作り、軽くそんな含みを込めて応じると、男も妖艶に笑った。
「あながち間違いでもありませんね。 窓の『こちら側』と『あちら側』の世界ですから」
(言うことがまたそれっぽいわね……)
レミリアに『ファンタジー音痴』と揶揄われたルシアは、少し引いた。本当に魔法でも使いそうな雰囲気を醸すこの男に、嫌悪とは違う、そこはかとない気持ちの悪さを感じる。
そんなルシアの気持ちを知ってか知らずか、男はニコッとあどけない笑みを向けた。
やはり彼の見た目が嫌だ。
何もかもを見透かすような瞳……それが嫌だ。
(きっと左右違う、不思議な色のせいだわ)
愛想程度のおざなりな笑みを口許にのみ浮かべ、アクセサリーを手に盛り上がっているふたりに視線を向ける。男はスッ……とルシアの横を音もなく通り過ぎ、そちらへと歩み寄った。ほのかに香る、何故か公爵邸を思い出させる懐かしい匂い。魔獣を素材に作られた香かもしれない。ルシアは一人、顔を顰めた。
「そちらは恋愛に効果があると言われているネックレスですよ」
美しい店主の話にふたりは「きゃあ」と可愛らしくはしゃぐ。
「本当に?」
「ふふ、そう言われているのは本当ですよ。 ですが、効果などおまじない程度です。 効果があるように言われるのは、恋する気持ちを後押ししてくれるからでしょうね」
セールストークとしてはイマイチだ、と冷めた目を向けているのはルシアだけで、ふたりはとてもロマンチックだと感じた様子。
「わかるわ……素敵なものを着けると、少しだけ自信が湧きますもの……」
ほう、とルシアにはなんだかよくわからない吐息混じりにレミリアがそう言うと、ローズメリアは丸い目をくりくりとさせる。
「えっ、おじょ……お姉様でも、そんな風に感じるのですか?」
「うふふ、勿論。 私は案外臆病なのよ? 『恋する女性が美しい』、と言うのは見目を気にするようになるからかもしれないわね」
「では、恋自体が魔法のようなものですね」
店主は柔らかい微笑みで話を聞きながら、そう相槌をうった後「なら、可憐な皆様方はきっと罪作りな魔法使いでしょう」などと、調子のいいことを宣う。
色々悩んだ末、ふたりは結局それぞれアクセサリーや小物を購入したようだ。だからか、店主は『綺麗になる』という胡散臭いフレーズのハーブティーをご馳走してくれるという。やはり「それ以上美しくなられたら、お相手がお困りになるかもしれませんが」という調子のいい一言を添えて。
3人は、彼が出てきた衝立の裏にある一角へ案内された。そこにはセンスと設えの良い、アンティークのソファが丁度三脚。異国調ではないが、店の雰囲気に合っている。
「衝立とソファがあるのは、ここで占いもしているからなんですよ」
慣れた手つきでお茶をローテーブルに運びながら、店主はそう言った。こちらを理解しているのか、柄が羽根の形になった銀のティースプーン。 上には金平糖のような小さな星型の砂糖がちょこんちょこんとふたつ、可愛らしく並んで乗っている。
「ルシアちゃんはなにも?」
「ええ……」
「じゃあ、占って貰ったらどうかしら?」
「えっ……」
お茶がサービスなだけに、なにも購入していないルシアは少々居心地が悪く、それに気付いたレミリアが占いを勧める。
レミリアが察して気を利かせたのはわかったが、美しい店主に浮かれた感じのふたりとは違い、ずっとどこか、彼に気色の悪さを感じていたルシアだ。占いなんてされたくはない。曖昧に笑い、咄嗟に視線をさりげなくさ迷わせた。
映ったのは、ソファの隣の棚にある薬瓶。
「いえ、それよりも──そちらも売り物ですの? 素敵な瓶ね」
「ああ、こちらですか。 こちらは非売品でして……稀にお譲りすることはありますが。 もっとも、お譲りしているのは瓶ではなく中身の方を」
「なにが入ってるんですかぁ?」と屈託なく尋ねるローズメリアに、店主は意味深な笑みを浮かべ、こう言った。
「『魔法』ですよ。 私は魔法使いなので」
「ええっ!?」
その言葉にローズメリアは声をあげて驚き、レミリアとルシアは顔を見合わせる。
「……『魔術師』ではなく?」
「ええ。 『魔術師』の特化型、とでも言いましょうか。 この国ではお伽噺に出てくる『魔女』に近いかもしれませんね。 直接的に魔法をかけるのではなく、媒介となる薬を精製し、魔法をかけるのです。 薬には素材は必要ですが、術式の代わりに自身の魔素に言霊を篭めて……呪文、ですね。 呪文を唱えて精製します」
それなりに細かな説明もそうだが、なによりも、男の持つ美貌と空気が説得力を醸す。
半信半疑でレミリアは尋ねた。
「どんな魔法を?」
「例えば……そうですね、」
男の艶やかな薄い唇が妖艶に動き、言葉を紡ぐ。
妙な緊張感の中、ゴクリ、と誰かの嚥下の音。
「『時を戻す魔法』……とか」
その場に凍りついたように、3人は固まった。
「──はは! 冗談ですよ、お嬢様方」
少しの沈黙のあと、店主は声をあげて笑う。
「え……ええっ? えええええっ?!」
まず声を発したのはローズメリア。プンプンしながら「も~! 信じちゃったじゃないですかぁ!!」と腕を忙しなく動かした。
彼の妖しい美しさに中てられて、少しぼうっとしていたレミリアも、それを見てホッとした様子でローズメリアの言葉に続けた。
「そ、そうですよ! もう、人が悪いわ!」
「信じてしまわれましたか?」
「だって、あまりに雰囲気があるんですもの。 ねぇ?」
レミリアの言葉に、ウンウンと強く頷くローズメリア。店主の男は悪戯っぽく笑い、大袈裟に肩を竦める。
「残念ながら私はしがない占い師で、この店の主ですよ。 入っているのは聖水……占いに使いますが、稀にお譲りするのは事実ですね」
その説明にふたりは少し残念そうに納得したが、ルシアだけはなんだか釈然としない。
そんなルシアに男は、左右違う色の瞳を細め、僅かに口角を上げた。
馳走になった妖しいハーブティーだが、ただの香りの良いお茶。店主が飲んだのを確認し、銀が変色することもなかったので、ルシアも一応は飲んだ。
レミリアがキリのいいところまで会話し、礼を述べると、男も「また是非いらしてください」と、愛想良く応える。
ディスプレイテーブルや商品がひしめき合う店内通路は、人がふたり並んで歩けないくらい狭い。だからか男は、3人を入口の扉まで先導してくれた。
座席奥に座ったルシアは、必然的に最後になった。
店から出ようとした、その時──
「お嬢様」
男は顔と同様に美しい指先と所作で、ルシアが気付かないくらいにフワリと手を取り、先程の薬瓶をそっと握らせる。
「驚かせたお詫びに、こちらは差し上げます」
「え……」
「中身は入っておりません」
──窓の『こちら側』と『あちら側』の世界
そう言った、男の言葉が思い出される。
今自分はその狭間にいるのだ……
そんな気になって、言い知れぬ不安がルシアを覆う。
なのに何故か、動けない。
スローモーションのように男が動くのだけが、視界に入る。
サラリ。
男の銀色の髪の毛が流れ、ルシアの鼻孔にあの香りがほのかに掠めたあと──急に視界が開けた。
「──!!」
少し先にいたふたりが注目するくらいの動作でルシアが振り返ると、いつの間にか外に出ており、扉は既に閉まっていた。
手には薬瓶。
心臓がバクバクと鳴っているのを全身で感じる。
「ルシアちゃん? ……どうかした?」
「…………いいえ」
閉まった扉を見詰めたまま立ち竦むルシア。その斜め前を踏む、小走りのレミリアの足。レミリアはそこから顔を覗きこむように表情を窺おうとしたが、ルシアは彼女に背を向けるように身体を反転させた。
咄嗟に薬瓶を、ポケットに入れながら。
「なんでもないわ。 行きましょ」
そう言って、何事もなかったように歩き出す。だが──
──『魔法が必要になったら、どうぞまたのお越しを』
男がすれ違いざまにそう言ったのを、ルシアは……確かに聞いた。




